証券の「気持ち悪い」歴史

「少年よ大志を抱け」で有名なクラーク博士はサギで訴えられたことがある(88へぇ)

昨年7月の「トリビアの泉」で、札幌農学校を辞めてアメリカに帰国したクラーク博士が、鉱山会社を起こしたものの失敗して出資者から訴えられ、無罪にはなったものの信用を失い、悲しい人生の末路をたどった、というエピソードが放映されてました。
この話はtrivialというより、証券投資というものの本質の一端を鋭く示してくれるエピソードではないかと思います。つまり、(誤解を恐れずに言えば)、「証券投資」と「詐欺」というのは、外部から見て、もともと極めて判別しにくいモノだからです。

証券とは何か
証券というのは、下図のように「会社」などの資産(原資産)がある場合に、それについての権利を表すものです。
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証券投資というのは、この「紙っぺら一枚の」(近年は紙っぺらすらないこともある)ものに対して投資しようという、極めて「バーチャル」というか「奇妙な」行為なわけです。
おまけに、投資家はこの「原資産」を全部見たこともなければ、その会社の経営陣に会った事すらないことも多いわけで。
何ゆえに人は、そんな危なっかしいものに資金を出すのか?
それは、そこには投資する人の、この「原資産」の価値と、それを支えるしくみに対する何らかの「信用」が存在するわけです。

信用とは何か
「信用」というのは、「情報処理の分業」を支えるものであると考えられます。
アダム・スミスは、分業によって生産が効率化し、産業が発展することを説きましたが、これは「情報処理」についても同様です。これだけ複雑化した社会では、「思考」すら分業しないと生きていけない。また、情報は「複製のコスト」が極めて安いので、情報処理こそ、分業により最も効率化が行えるものなわけです。
ところが、情報処理を分業するということは、(よーくお考えいただければわかるとおり)、「思考停止」と同義です。「自分では考えない」わけですから。他人が行った情報処理を全部自分で再チェックするんじゃ、「分業」にならないわけで。
Googleに投資する人の大半も、「Morgan Stanleyが引き受けてるから」とか、「Ernst & Youngが監査してるから」とか、「創業者2人の目が澄んでいるから」とか、「アナリストが買いだと言っているから」というような、考えて見れば非常に薄弱な根拠の積み重ねで判断して投資をすることになります。

何を信用するのか
「詐欺」か「真面目にやっていたのに失敗した」のかは、結局は、「騙す意図があったのかどうか」という脳の中身の問題に帰着します。複数人が共謀して悪いことを行っていれば、適切な内部統制(洗練された「相互監視」または「チクリ」構造)が構築されていれば、情報が漏れてくる可能性は高くなるわけですが、これすら、「もし全員がグルだったらどーすんの?」というところまで考えれば、その可能性は絶対拭えないわけです。
人が何を信用し何を信用しないかという「スキーマ (schema)」(XMLのスキーマ、じゃなくて、認知科学的な意味でのスキーマ)は、その人の人生の経験によって構築されてきたものですから、いわば、その人の「人格」そのものです。
また、何か新しい取り組みについて「気持ち悪さ」「違和感」を感じるのは、人間および社会の大切な機能ですし、いろんな人がいていい。むしろ、そうした「多様性」が確保されることにより、社会全体が一発で滅びるリスクを減らせるわけです。

資本主義の「怪しい」歴史
資本主義の歴史は、この「信用」形成の歴史、と言うことができるかと思います。
17世紀にイギリスが経営した東インド会社は、20年くらい決算しなかったりしたそうですが、それが近年は、すべての公開会社に四半期決算が義務付けられるところまで精緻化してきました。
また、昔は会社の公表する財務諸表に対する会計監査は義務付けられていなかったのが、世界大恐慌の反省から、公開会社等については会計監査を義務付けることとなり、さらにエンロン事件以降は、会計士の監査すら頭から信じるのはヤバいということで、会計士を5年や7年で交代させたり、企業内部の内部監査体制の強化も義務付けるなど、縛りをよりキツくしてます。
ただし、いくら制度を精緻にしたところで、「思考停止」して「分業」してるわけですから、すべてを悪い方に考えれば、いくらでも悪く考えられるわけです。
こうしたしくみは、初めから縛りをきつくするほどうまくいくというわけではなく、社会の成熟度にあわせて、そろーりそろりとやらないといけない。例えば、東インド会社の時代に四半期決算や会計監査を義務付けたら、クリーンすばらしい社会が出来上がったかというと、そうではなくてむしろ、面倒くささに恐れをなしてリスクにチャレンジするヤツが激減し、社会の発展を阻害したことでしょう。
つまり、その時々の社会のノリにあわせて、チャレンジするやつがいなくならない程度に「自由」で、投資家がビビり過ぎない程度に「ちゃんとしている」というビミョーな塩加減で、「思考停止させるしくみ」を作ってきたわけです。
かように、証券とはもともと本質的に疑い出せばキリが無い「極めて怪しい」ものなわけです。乱暴に言えば、普通株式も「Class B」も「目くそ鼻くそ」(笑)なわけで。
投資家側の懐疑心にも「多様性」が必要なのと同様、いろんなチャレンジも実際に自由に試されてみて、その「多様性」の中から生き延びたものに、「ここまでやっても大丈夫」という「信用」が与えられる、というのが大事なんだと考えます。
(ではまた。)

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資金調達と議決権とガバナンス

Krpさんは「なのにGoogleはIPOするの」で、かく申されました。

私は、Google の Class A 株の投資家は、通常の公開株式以上のリスクがある証券をオファーされていると認識しています。Class B 株、敵対的買収防止策、四半期毎の業績には頓着しない、情報開示は法律で求められている以上にはしない、など。Google への投資で、なぜそれだけのリスクを許容しなければいけないのか。

(「しなくてもいいですよ。」・・・というのもなんなので。)
リスクは低ければ低いほどいいというものではなく、リスクの高い証券も低い証券もあって、そのリスクも織り込んだ上で市場で証券が取引される価格が決定される、ということではないかと思います。
わざとそのリスクを隠したりわかりにくくしたりするのは開示上問題ですし、証券を売る人(証券会社)が、そのリスクをよく理解できないような客にリスクをよく説明しないで証券を売りつけるということは適合性原則上アウトですが。Googleは、そういうことをしようとしているわけじゃないと思います。
「気持ち悪い」人は、その「気持ち悪さ」の分だけ安くbidすればいいだけかと。
ガバナンスの仕組みについては、「IPOをして Public Company になる資格は満たしているといえます。」というご意見なので、krpさんとはほぼすり合っているのではないかと思いますが、他の方々も含め、あとちょっとだけ、別の視点から、企業が資金調達をする場合の議決権とガバナンスについての確認をば。
★問1.例えばみなさんは、「社債(普通社債)」って「気持ち悪い」ですか?
普通社債には株主としての議決権がついてないので、「会社に金を出すのに創業者の株と同じだけ議決権がついてないと気持ち悪い」という人は、社債は気持ち悪いかも知れません。(微笑)
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★問2.問1で、「社債が気持ち悪いわけないじゃん」という人は、転換社債とかワラント債はどうですか?これはエクイティらしきものがグリコのおまけのように社債にくっついてます。
そんな、株のできそこないみたいなもんがくっついたのは「気持ち悪い」でしょうか。
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★問3.問2で、「転換社債やワラントなんて”フツー”じゃん」という方は、こういう債券はどうでしょう。
債券だけど、(株主としての)議決権がちょっとだけ付いてます。
ちょっと気持ち悪くなってきました?
でも、法律上どう設計するかはともかく、社債権者なのに株主としての決議にも参加できるので、ただの社債よりガバナンス上は強力になりそうですよね。
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★問4.では、Class B株式はどうでしょうか。
利息なんてみみっちいもんじゃなしに、ダイナミックにキャピタルゲインもお楽しみいただける上に、議決権もちょっとだけ付いてます。
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★問5.普通株式は気持ち悪いですか?
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わたしは、どの資金調達方法も「あり」だと思います。
ソニーのトラッキングストックも(これは、あまり今後流行る感じもしませんが)、親会社の議決権がちょびっとあるだけで、肝心の子会社の議決権がついてません。
「おれはso-netに投資したかったのに何でso-netの議決権が無いんだ!利益配当がSo-netの業績に連動するからいいだろだと?ふざけんな!経済的価値と議決権がセットになってるのが株式だろ!」
とも申しません。
「あり」です。ウケなければ売れないだけ。
(では。)

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電子商取引とは何か(笑)

昨日のエントリーで、「というか、以前、AM/PMでネットの宅配を受け付けていたのですが、やめちゃったんでしょうか。」と書いたんですが、はい。やってました。
「サイバーデリス便 」http://delice.ampm.co.jp/

昨日も若干触れたのですが、「電子商取引かそうでないか」というのは、厳格に定義しようとすると、線引きが非常に難しいことに気づきます。
98年(懐〜)に以下のような提言が出たのですが、

外資系情報企業、新政権に提言
1998/07/23, 日経産業新聞, 1ページ
外資系情報企業のトップ十八人で構成する「外資系情報産業研究会」(会長村井勝コンパックコンピュータ取締役相談役)は新政権発足に向けた「緊急提言」をまとめた。二十三日に経済団体連合会に協力を呼びかける。景気回復への具体策として、電子商取引(EC)分野に対する消費税の免除を求めるなど三項目を盛り込んだ。「米国の好景気は情報化に大きく依存している」(村井会長)と指摘、景気対策の一環として日本の情報化投資を促す政策を求める。(関連記事2面に)
提言は「何をなすべきか、何からなすべきか」の題名で、骨子は
(1)電話料金の引き下げと市内料金の定額制への移行
(2)個人のパソコン購入に対する税控除措置
(3)ECに対する時限的な消費税の免除
——の三項目。
(以下略)

「税法」という厳格性が要求されるものに「EC」を定義しようとすると非常に難しいことになりますよ、ということで、当時、以下のような(冗談)メールをメーリングリストに投稿してみました。

設問A.
上記の提言が採用されたあとに、横浜市中区に住むAさんが、下記の商品をam/pm山下公園店にデリス便で注文した場合の消費税の処理として適切なものはどれですか?それぞれ下記の選択肢の中から選びなさい。
ただし消費税率は 5%、小数点以下は切り捨てとします。(配点:各5点)

Aさんが注文した商品:計765円(税抜価格)

問1:AさんがNTTの加入電話から注文した場合の消費税の額は、いくらになりますか?

問2:Aさんがam/pmのホームページ上から注文した場合の消費税の額は、いくらになりますか?

問3:Aさんが、インターネット電話を使って注文した場合の消費税の額は、いくらになりますか?
(選択肢略)

つまり、アナログの電話はだめだけど、IPパケットに乗った通話なら「電子」商取引なのか?httpというプロトコルを使うことが電子商取引なのか?まったく同じ行為をしているのに、IP電話がよくてアナログ電話での注文はダメだとすると、IP電話での発注を政策的に後押しする意味は何なのか?というような疑問がわいてきます。
(追記:アナログかISDNか、もそうですね。)

もっと、突き詰めると下記のようなことになります。
(これも、当時投稿した冗談メールですので、本気になさらないよう。
「そんな消費税法改正がいつあったのでしょうか?教えていただければ幸いです。」と、当時、メールでマジな質問をいただいてしまいました。)

不動産販売各地で泣き笑い −電子商取引への消費税非課税化で
発行年月日   XX年 7月29日
媒体(紙誌)  ○本経済新聞
紙面       5
今月一日より景気対策および情報通信振興の目的で実施された、電子商取引の消費税を非課税化する政策が、早くも各地で混乱を引き起こしている。
中でも影響が顕著なのが不動産業界だ。ホームページから申し込むだけで消費税がかからないとあって、今月からはマンションなどを購入する客の大半が、モデルルームを見に来ても現地販売所では契約せず、自宅などから電子商取引で申し込んでいると見られる。
今月十日に横浜市青葉区のマンションを購入した会社員男性(三九歳)は、「四千六百万円のマンションで、建物部分にかかる消費税、百五万円が節約できた。このために三十五万円のパソコンを買ったが、すごく得した気分」と、ほくほく顔だ。
販売側も電子商取引への対応が急務になっている。大手の三井不動産で五月から販売担当者全員にインターネットの研修を実施するなど、各社ともパソコン教育熱が高まっている。
千葉県市川市でマンションを販売する大手不動産会社の女性販売員(二五歳)は、「契約がほぼ決まったお客様は、ご自宅まで同行し、画面への入力をご指導しながら電子商取引で契約していただいている」と話す。
中には、現地販売所の隣に別の仮設店舗を設置し、そこに置かれたインターネット端末から顧客に申し込ませるケースや、販売員が顧客のパソコン入力を完全に代行するケースなど、違法ぎりぎりとも言える電子商取引を行っている業者も見受けられる。
新制度を知らずにマンションを購入した住民からは、「パソコンを使わないだけで著しく損害を被った」として、税の公平性の観点や、説明の不十分さを理由に、国や業者を訴えるケースも出始めている。
電子商取引フィーバーは、しばらく不動産業界を揺さぶることになりそうだ。

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日本の「オンラインスーパー」

本日は(一応、ビジネスモデルの話ではありますが)、主婦blogっぽい話になりますので(笑)、あしからず。
渡辺聡さんが、CNETで「息を吹き返すオンラインスーパー」について書かれてます。
私も3月24日のエントリーで、ファーストリテーリングの子会社「SKIP」での野菜販売事業の撤退に怒りのコメントを書いたのですが(食い物の恨みは怖い)、4月末でSKIPの宅配も終了するので、仕方がなく、うちの奥さん経由で近所の主婦の方々の情報を3月末から集めました。
ちゃんと儲かるビジネスモデルなんじゃん
調査の結果、「大地宅配」と「らでぃっしゅぼーや」を挙げる方が多かったので、(また破綻されても困るので)信用情報等いろいろチェックかけたのですが、驚いたことに、両社とも百億円以上の売上があり、利益もちゃんと億円単位で出ているんです。
ご参考URL:
http://www.radishbo-ya.co.jp/company/index.html
http://www.daichi.or.jp/pc/index.html?banner_id=35
SKIPはビジネスのツメが甘かった、というだけのことのようですね。
渡辺さんご紹介のパルシステムも、東京、神奈川、埼玉、千葉を合わせて1000億円以上の総供給高(売上)があります。ということは、(よく存じませんが)シェア5割として首都圏の生協だけで2000億円、全国の生協で5000億円くらいの市場規模くらいはあるんじゃないでしょうか。
パルシステムの東京マイコープ(東京地区)の開示情報を見ても、総供給高498億円のうち、グループ購買や店舗、共済等を除いた純粋な個人宅配だけを見ても、337億円、「経常余剰(経常利益)」も13億円もあります。
「日本にはすでに巨大な(しかもprofitableな)オンラインスーパー市場が存在する」と言えるのではないかと思います。
結局、我が家は、ネットで注文ができる(*注)のが決め手で「らでぃっしゅ」に入会し、5月の第一週から商品が届き始めました。
(注:ネット注文は、まだ全商品ではなく、地域によっても違う模様。)
まだ、マークシートの注文書をドアノブにかけておいて配達時に回収するという発注とネットの併用方式ですが、システム的にはこれをネットで代替していくのは、追加コストはほとんどかからないし、100億円以上の売上があれば、むしろコスト削減要因かと思います。
「資本の論理」での追い上げは厳しそう
ただし、VC投資などに向くビジネスモデルかというと、ちょっと疑問。
普通のスーパーと差別化できる、こだわった野菜を作っている農家やハム屋などは供給量も限られますので、それらの生産者との関係を築くには「札ビンタで買い漁る」というわけにはいかず、時間をかけた関係構築が必要ではないかと想像します。
大規模生協や、古典的な「オーナー型非公開会社」モデルで剰余金・利益をコツコツ留保していった会社がすでに競合として存在するわけですから、ここに後から追いつくのは、かなり、難しいのではないかと想像します。
らでぃっしゅに資料請求したところ、さっそく営業マンが飛んできて(ここがECではなくリアルビジネスっぽいですね)、いろいろ説明してくれました。曰く;
「入会金5,250円と年会費5,250円を原資として、農家に対しては作った野菜を基本的にすべて買い取るというコミットをしている。なぜなら、無農薬野菜は、害虫の被害などで全滅するリスクがあるので、市場にその時の価格で出すのではとてもやっていられない。買取をコミットすることで、農家はいい野菜を作ることだけに神経を集中することができる。」(かなり意訳してます。)
とのこと。
なるほど、生産者に対するリスクヘッジ・保険機能や、そのための財務力も必要なわけですね。また、
「うちは規模があるので多数の農家と契約しており、SKIPさんより、いろんな野菜のバリエーションを楽しむことができますよ。」とのこと。
営業マンのおっしゃることなので割り引いて聞く必要があるかも知れませんが、確かに、ニッチ的ではありながら、ある程度規模のメリットも必要な事業ということなんでしょうね。新規参入の後発の追い上げは難しいかも知れません。
以前、我が家も(渡辺さんご紹介のとは違う)生協に入っていたのですが、やれ宅配ケースをちゃんと出しておけとか、おまえも組合員なんだからちゃんと協力しろとか、宅配してくる配送員がつっけんどんだとか、「ビジネスマインド」に欠けるなあという感想を持っていたので、今回は最初から検討対象外にしてしまいました。
が、Webを拝見すると、生協もそうした営利法人との競争の中で、グループ購入から個別宅配へのシフトを進めたり、Webでの発注をできるようにしてみたり、サービス向上してるみたいですね。
「ただのスーパー」のネット版はイケるか?
「スーパーで売っているような普通の商品」(普通の牛乳、普通のインスタントラーメン等)を売っているオンラインスーパーがあったら乗り換えるか、と言われれば、私はあまり使わないと思います。日本だとコンビニもいくらでもあるし。宅配する分、輸送コストだけどうしてもスーパーに負けてしまいます。
通常品は利幅が薄く損益分岐点も高そうです。
また、小規模業者との戦いも考えられます。よく考えたら、何十年も前から「酒屋の御用聞き」とか、電話で注文したら配達してくれる店はありましたわね。電話も「電子」を利用しているので、元祖「電子商取引」。(笑)
小規模な参入には、ほとんど参入障壁がない。
渡辺さんが西友の例をあげてらっしゃいましたが、ファミレスも売上アップのために宅配に参入したように、既存スーパー、コンビニなどが宅配を始めてもおかしくない。というか、以前、AMPMでネットの宅配を受け付けていたのですが、やめちゃったんでしょうか。
マイケル・ポーターのいう「多数乱戦業界(fragmented industry)」の要素もあるということかと思います。
「定期型」のメリットその1−「義務」からの解放
らでぃっしゅぼーやは(SKIPも同じことをやってましたが)、最高週一回の宅配で野菜セットに卵や牛乳などを追加したものが毎週届きます。つまり、いつでも午前中注文したら午後配達してくれるというような「ASKUL型」ではない。これを「ASKUL型」にしたら競争力あるかというと、あまり無いかも知れません。
スーパーの買い物が面倒なのは「重い」こと。それに、野菜、米、牛乳などの定番品は、定期的に必要なので「義務的」でもあります。だから面倒くさい。
たまの休みに、「あなたー、スーパーで○○と△△と□□を買ってきてくれるー?」なんてのは、お父さんとしても勘弁してほしいところ。
こういうのは、毎週必ず同じもの(野菜は先方が選んだ旬の野菜)が届くということで、問題解決です。
また、おやつとかデザートとか、ついでに雑誌を立ち読みするとか、「非定番品」の買い物ってのはそれなりに楽しいじゃないですか。重くないし。
「定期型」のメリットその2−「料理世界のひろがり」
自分で買いに行くと、どうしても買うものが偏っちゃうんですよね。例えば、私がスーパーに行くと、野菜はジャガイモとニンジンと玉ねぎになっちゃう。ウドとか、セロリとか、ちょっと変わったものには手が伸びない。
これが、自動的に送られてくるようになると、その素材にあわせて料理を作らざるを得ないので、料理にもバリエーションが出ます。
らでぃっしゅぼーやの野菜は、SKIPの永田農法ほどではないですが、かなりこだわって作った野菜で、うちの家族の意見としては「うまい」、です。
SKIPで野菜を買うようになってから、「いい野菜」や「いい肉」だと、「いいオリーブ油」でちょっといためて「いい塩」をかけるだけで、「うまい料理」になっちゃうということを発見しました。
「なんだ、高級レストランとの味の違いは、腕の違いもあるだろうけど、素材の違いが大きかったんじゃん。」という感じ。アホくさくて、中食、外食が減りました。奥さんの料理もおだてやすくなります。
また、スーパーに行くと、ちょっとグルメ志向のある人でも、それほど慎重に商品を選択しないですよね?商品選択のための情報も少ない。
A牛乳が210円、B牛乳が「特売170円」だったら、たいていは170円の特売の牛乳を買っちゃいますよね?
流通の業態ごとに顧客の「店内滞留時間」はほぼ決まっていて、百貨店なら30分いるかも知れないが、スーパーならどんな人でもせいぜい十数分、コンビニなら早ければ数十秒で店から出てしまいます。
これが、ネットや宅配だと、カタログや画面などの「ノーガキ」を読んで、「ふむふむ」と頷きながら買える。私、自分がこんなにお買い物好きだとは最近まで気づきませんでした。(笑)
スーパーの素材で原価150円のところが宅配だと250円になったとしても、中食や外食で500円とか700円払うよりははるかに安いのでトータルコストはダウン。これが、上述のように、スーパーだと「うまさ」に気が向かないので、「市場の失敗(?)」が発生します。
アメリカでも「オーガニック」とかにこだわる人はいると思いますが、大衆層にまでグルメ化が進んでいる日本のほうが成立しやすい業態とも考えられます。
物流
一顧客あたりの物流コストは単位面積あたりの人口密度や利用者の密度に比例して下がるはずなので、アメリカより日本の方が断然有利ではないかと思います。渡辺さんも「携帯電話」に例えてらっしゃいましたが、携帯の基地局もカバーできる半径に人口が多いほど成立するので日本やアジアの方が有利だった、という意味でも似てるかもしれませんね。
生協等、既存の業者は自社で配達網を持っていますが、一部の地域はヤマトのクール宅急便を利用している業者も。SKIPは最終的にヤマトを使ってましたが、「夕方6時以降」等の指定ができるのは便利でした。日本以外では「クール宅急便」「お時間指定」みたいのはあるんでしょうか?
既存の業者がこうしたインフラにアウトソースして物流関係の投資を抑えられる可能性があるのも、日本のメリットかも知れません。
(ではまた。)

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中居君に学ぶ「長者番付に載らない方法」

昨日のYahoo!Japan トピックスより。

中居間に合わず!?連覇“消えた”
(略)昨年、俳優・タレント部門で初の1位になったSMAPの中居正広(31)は納税額が公示されなかった。所属するジャニーズ事務所によると、期限の3月15日を過ぎてから申告したため、公示に間に合わなかったという。期限後申告となった理由は不明だ。(スポーツ報知)

もひとつ。

所得税81億円、公示を回避=過去最高額、セコム創業者一族−申告遅らせる
 大手警備会社「セコム」(東京都渋谷区)の創業者の親族が2002年分の確定申告の際、期限より遅れて所得を申告することによって、約81億円の所得税の公示を回避していたことが17日、分かった。公示されていれば、過去最高の納税額になるはずだった。
 所得税法では、毎年1月から1年間の所得に対する税額が1000万円を超え、翌年3月31日までに申告書が提出された者について公示の対象としている。同年5月16日から同月末まで、氏名、住所、税額が全国の税務署で公示される。(時事通信)

この「テクニック」、以前、ビッグコミックオリジナルに連載中の
kabegiwa.jpg 「壁ぎわ税務官」

にも載ってましたね。
その回のストーリーは、市役所の税務官(鐘野成樹:写真)が、公示されると住所がバレて犯罪に巻き込まれるおそれの高い人の相談にのって、期限前には納税額1000万円以下で申告しておき、期限後にきちんと修正申告して公示を逃れる方法を教える、というもの。
坂口厚生大臣が「年金の納付状況も個人情報」として、マスコミに江角マキコさんの未納が漏れた点について怒ってましたが、この高額納税者リストというのも個人情報以外の何モノでもないです。
もともと「たくさん納税してて、よろしい。」というお上からの「お褒め」の意味もあったのかも知れませんが、DM業者の送付先リストになるくらいならまだしも、誘拐犯の候補者リストとしても活用されかねない非常に危険なデータかと思います。
(では。)
根拠条文

所得税法 第五編雑則
第二百三十三条(申告書の公示)

 税務署長は、その年分の確定申告書又は当該申告書に係る修正申告書に記載された第百二十条第一項第三号(確定所得申告に係る所得税額)(第百六十六条(非居住者に対する準用)において準用する場合を含む。)に掲げる所得税の額(第九十五条(外国税額控除)の規定を適用しないで計算した場合の同号に掲げる所得税の額とし、修正申告書については、その申告後の当該所得税の額とする。以下この条において同じ。)が千万円を超える者について、財務省令で定めるところにより、その者の氏名及び住所(国内に住所がない場合には、居所)、これらの申告書に記載された当該所得税の額を公示しなければならない。

相続税法 第七章雑則
第四十九条(申告書の公示)

 税務署長は、相続税に係る申告書の提出があつた場合において、次に掲げる場合に該当するときは、当該申告書の提出があつた日から四月以内に、当該申告書の記載に従い、その者の氏名、納税地及び課税価格を少なくとも一月間公示しなければならない。
一 当該申告書に記載された課税価格が二億円を超える場合
二 当該申告書に添付された第二十七条第四項(第二十九条第二項において準用する場合を含む。)に規定する明細書に記載された被相続人の死亡の時における財産(当該被相続人が贈与をした財産で第二十一条の九第三項の規定の適用を受けるものを含む。)の価額(債務の金額がある場合には、当該金額を控除した金額)が五億円を超える場合
2 税務署長は、贈与税に係る申告書の提出があつた場合において、当該申告書に記載された課税価格が四千万円を超えるときは、当該申告書の提出があつた日から四月以内に、当該申告書の記載に従い、その者の氏名、納税地及び課税価格を少なくとも一月間公示しなければならない。

法人もあります。

法人税法 第四編雑則
第百五十二条(申告書の公示)

 税務署長は、確定申告書、連結確定申告書又はこれらの申告書に係る修正申告書に記載された各事業年度の所得の金額又は各連結事業年度の連結所得の金額(修正申告書については、その申告後の当該所得の金額又は連結所得の金額)が二千万円(当該事業年度又は連結事業年度が六月を超える場合には、四千万円)を超える法人(連結事業年度の連結所得の金額については、連結確定申告書又は当該連結確定申告書に係る修正申告書を提出した連結親法人及び連結子法人。以下この条において同じ。)について、財務省令で定めるところにより、その法人の名称、これらの申告書に記載された当該所得の金額又は連結所得の金額その他の事項を公示しなければならない。

(地価税法にも同様の条文(第三十四条)がありますが省略。)

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バブルのツケを誰が払うか

昨日のエントリー「資本主義の免疫メカニズム」に対して、渡辺聡さんに、「Weblogリーディング企業、SixApartはソフト企業かASP企業か」で私のtrackbackについてコメントしていただいてます。ありがとうございます。
私も、SW’s memo (だけ)のときから、いつも拝見させていただいております。<(_ _)>
さて、バブルですが、追記でいくつか。
SixApart にも投資してるネオテニーのJoiさんの2000年2月(バブルまっさかり)の記事「What the Government Should Be Focused on Is Deregulation to Allow New Businesses to Operate Freely」で、私のコメントを以下のように引用していただいてます。

A few days later, at the Net Vision meeting, Tetsuya Isozaki from NetYear made a very interesting comment. He said the current Internet bubble in Japan was a mere $20 billion. In comparison, the real estate bubble that brought the Japanese economy down in the late ’80s was worth several trillion dollars. The real estate market, however, operates in a tightly interconnected fashion, whereby any drop in values instantly echoes nationwide (and it did!). In contrast, in Internet space, any one auction site, for example, that goes out of business will not cause the others to do likewise. Isozaki calls this “foam” rather than a big bubble. He suggests that any possible negative impact on the economy from an individual “bubble” bursting was very small compared to previous bubbles.

不動産バブルとネットバブルは、(特に日本の場合)規模が全く違うし、ネットの場合、「bubble」というよりは「foam」であって、構造も違うだろうということですが。同様のことを、同時期に書評(週刊ダイヤモンド2000年02月26日号)にも書きました。

ヤフーの株価が1億円を超え、近頃のテレビ・新聞等はこぞって「ネットバブル」に警鐘を鳴らす特集を組んでいる。日本では、ネット株は一株数千万円以上するため、購入しているのは、機関投資家以外は、大半がネットのサービスを利用したこともない富裕層の個人投資家ということになる。つまり、日本の現在のネット株高が、ネットのサービスの本質をあまりわからずに「ネット関連」というだけで買う投資家によって、投機的に形成されたという側面があることは、確かに事実だろう。

一方で、この「バブル」は、日本の土地バブルとは大きく性格を異にする。
千兆円の単位にのぼった土地バブルに対し、「たかだか数兆円」の非常に小さいバブルであるということもそうだが、そのほかに、構造が単純でないバブルである、ということもあげられる。

ネットビジネスは、非常にたくさんのビジネスモデルの集合体である。
Amazon.comのような「EC」のモデルやYahoo!などの「ポータル」というモデルだけでなく、オンライン上で個人どうしが物品を売買する「オークション」、生産者から消費者という一方的な流れを逆転させた「リバース・マーケティング」、ネット上である製品を購入する人数を集めれば購入できる値段が下がる「グループ・バイ」モデルなど、一般の人には聞きなれない非常に多くのビジネスモデルがしのぎを削っている。このように、ネットビジネスのすごいところは、今までに存在しない革新的なビジネスのやり方の転換のアイデアが次々に出てくるところなのだ。

こうしたビジネスモデルは、それぞれ個々に、事業構造も財務構造も全く異なるものなので、仮に将来、「ポータルというモデルの先が見えた」、ということになっても、では、オークションもオプトインもリバースマーケティングもだめ、という判断には直結しようがない。バブルはバブルかも知れないが、シャンプーの泡のように、ひとつひとつが割れても全体が一気に割れるとは考えにくい泡なのである。

ま、結構、一気に割れちゃいましたけどね。(笑)
梅田さんの昨日の記事によると、米EC市場は「バブル期の予測通りに成長していた」ようです。
マクロ予測としてはそんなに大はずしではなく(下図(A)、つまり、「ネットは社会を大きく変える」ということ自体はアタリであって)、構造も「foam」であって土地バブルとは違い、さらに1社1社の企業の企業の価値評価はそれなりに合理性があっても(B)、先日申し上げたように、その個々の見積もりの合計がマクロの予想を大きく上回っていたら(C)、やはりバブルはバブルだ、ということですね。
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Atomisedcrossさんからもコメントいただいております。

以前もコメント書きましたが、バブルは良しとしても、そのつけを誰が払うのでしょう?と言う立場に立って考えると、バブルのとき儲けている人は、まぁあの時儲かったから仕方が無いですむかもしれないですが、何もしていなかった人が、なんで経済がこんなに落ち込んだんだ?と嘆くような結果にならないことを望みたいと思っています。

これは、以前の記事で書いたとおり「経済の構造」に大きく依存しますね。
米国のような直接金融的な経済の構造を持つ国でのバブルのツケは、良かれ悪しかれ、国民に直に請求が来ます。自分で投資したものが損するわけですから、「何もしてなかった人」にとばっちりが行く度合いは比較的少なくて済む。
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これに対して、日本のように間接金融中心型の経済構造を持つ国でのバブル破裂のショックは、銀行等が一次ショックを吸収してくれるのはいいのですが、結局損は何らかの形で国民から取り返さないといけないわけで、それは時間差を置いて、「何もしていなかった人」を含め、長期にダラダラと取り返されることになります。しかも、昨日もUFJ銀行の決算修正が発表されてましたが、ああいった形で、国民の資金(預金)が何がどう運用されていて、その運用資産がいまどういう状態なのか、というのが非常にブラックボックス的でわかりにくい。
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「直接金融的」な方は、自己責任度は高いですが「さっさと損切り」型の経済、間接金融が非常に強い経済は、自分の資産運用等何も考えなくて済み影響もマイルドですが、その代わり「塩漬け」型経済になります。
みなさんは、どっちがお好みですか?

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資本主義の免疫メカニズム

「mtanaka」さんから、「バブって、いーとも!」(我ながらナニなタイトル・・)に、今まで見たことないような長文のコメント(A4で4枚分くらい!)をいただきました。
いろんな論点をまとめていただいてますので、(mtanakaさんにというよりも、そうした論点に対して)、以下、私のコメントを述べさせていただきます。
(引用部がmtanakaさんのコメント)

Google のIPO、Dual Class 等に関する議論を非常に興味深く見せていただいております。

どうもありがとうございます。<(_ _)>

本問題は様々な形で議論されていますが、個人的には以下の4つのレベルで本問題をみるべきかと思います。

ということで、mtanakaさんは、
1.経営の失敗とチェック機能
2.株主の失敗とチェック機能
3.資本市場の失敗とチェック機能
4.国家の失敗 アメリカ体制の失敗
の4つのレベルを挙げられてます。
Googleが考えるべきなのは1か、せいぜい2のレベルのお話ですよね。
3、4はマクロのお話で、政府なり規制当局が考えるべきことですね。
さらに、バブっているといってもまだ数兆円程度。これがマクロ経済に壊滅的な影響を与える、というようなモノとはちょっと考えにくい。
しかも、Googleは時価総額はともかく、まだ、たかだか純利益数百億円程度の「中堅企業」にすぎません。このレベルの会社が、IPOするときにマクロ経済的影響まで考えておかないといけないってのはちょっと酷です。
「純利益100億円、従業員数1000人を越す企業が株式公開その他のファイナンスを行う場合には、2名以上のマクロ経済学者からの意見書を添付しなければならない。」というようなレギュレーションを作ったら意味があるでしょうか?
ないですよね。
また、この程度のファイナンスが自由にできないような規制は、経済の活力をそぐ悪影響の方がはるかに大きいと思います。
以下、詳細。(長いのでお時間のある方だけどうぞ。)

1.経営の失敗とチェック機能
経営者も人間である以上、失敗はありえます。その場合、現在の資本主義社会では取締役会が経営者の失敗を監視する責務が与えられています。
Googleの場合は、3頭体制によって業務遂行をおこなうことを常態とすることによって、ここでのチェックアンドバランスを図ろうとしており、また、名だたる経営者を社外取締役に配置することによって、取締役会の決定が公正を期すことをアピールしています。これらのガバナンス構造は争点にはなってはいません。

(争点になってない、というのは、意見の対立がない、ということですか?)
Googleの取締役会、各種委員会によるレベルのガバナンスのしくみは形式、人材ともに、やるべきことはほぼやりつくしており、合格点をあげられるんじゃないかと思います。
(最新の議論を盛り込むとしたら、あと、CEOと会長職の分離くらい?)
(ご参考エントリー:「Googleのガバナンス構造の整理」

2.株主の失敗とチェック機能
しかし、取締役会の構成がいかに緻密に公正に組織されていようが、それに信任をあたえる株主総会が偏向していれば、企業経営は正しく運営されないかもしれない。
ここで、大きな意見相違が見られます。Google のIPO方式に異を唱える論説は、この株主監視のレイヤこそがもっとも本質的なガバナンスの実施形態であると見ています。取締役会のありうべき暴走行為に対してもっとも効果的な規制をおこなうものが株主総会であって、ここでの判断の総体こそがもっとも「神聖」なものであり、それを恣意的に構成してはならないというのが異議派の論点です。
一方で、江藤健太郎さんなどのGoogle擁護派は、株主総会による管理機構というものはもっとも優先的なまた、正しいガバナンスの実施機構ではない、と主張しています。これは「会社は誰のものか」という古くて新しい問題であると同時に、誰が最も正しく事業の将来を判断できるのか、という本質的な問題にもかかわります。Google擁護派は昨今のいきすぎたイクイティゲームへのアンチテーゼとして、Googleの判断を擁護し、外部資本家による短期業績偏重の価値基準では、Googleの真の潜在的経済価値を発揮できないと主張します。(磯崎さんは、もっとドライに、別に法に抵触してないんだからいいんじゃないの、それなりのスタビライザーもちゃんとあるんだし、というご意見だとお見受けしますがそれについての意見は後に述べます。)

いえ、私も、法に抵触していないことだけが理由じゃないです。(念のため。)
また、「会社は株主のもの」なのはもちろんとしても、実際、株主が議決権を行使できるのは、多くて年数回程度なので、どう考えたって株主総会の議決権を会社の舵取りやガバナンス機構の中心に据えるのは無理があるじゃないですか。
一方で、「株式市場」は毎日秒単位で動いています。特に、Googleの場合には、世界でもトップクラスのすごい流動性が期待できますので、ここで非常に「なめらかな」市場メカニズムによる監視機能が働くことが期待されます。
別のエントリーでも申しましたが、株式会社では「所有と経営は分離」されており、またインサイダー規制により、株主は基本的に一般に公開された情報以外の情報をもとに何か判断できるわけではないです。
例えば「不動産のオーナー」が、不動産の管理をまかせている人に、「あの物件は最近どうかね?」と聞いて、管理人が「それはインサイダー情報なので教えられません」なんていったら張っ倒されますが、公開会社では逆に「会社の所有者」がそういう情報を個別に入手すること自体が犯罪につながる可能性が高いわけです。
株主が会社を「所有」しているというのは、かように、普通の「所有」概念とは全く異なるものです。「会社は株主のもの」という言葉を勘違いして「所有者=何でもできる」てな前提で、実効性のないしくみの話をしてもしょうがないと思うんですよ。
つまり、「会社は株主のもの」というのは、主として「経済的」な意味であり、公開会社の場合、その株価のメカニズムによる会社への影響の方が議決権のよりはるかにデカい。ただし、Googleの場合、「買収」で株を買うのだけは止めてね、ということです。これも、別エントリーで申し上げたとおり、この規模の買収は(Googleが元気なうちは)、独禁法に抵触しかねない領域の話になりますし、Googleが弱ってきて時価総額が1/10くらいまで下落して今後自力で回復する見込みがなければ、VCも経営陣もClass BをClass Aに転換して、会社ごと売っぱらっちゃった方が得です。そこに「経済的な」ガバナンスのメカニズムは強く働くわけです。

残念ながらこれらの主張の両方とも真理でもあり、また偽でもあります。いかなる場合においても株主総会の判断が「長期的な全体の利害」に照らし合わせて正しい判断をしてきたとはとても立証できません。同様に過去のパフォーマンスがどれほどすばらしかったにせよ、Googleの創業者の二人が今後もその他の人間よりも正しい事業判断を継続しつづけると立証することもできません。
ただ、Googleはイレギュラーであるにしても既存の株主主権のルールに違反しているわけではありません。梅田さんがアントレプレナーの資質として以前言われるように、既存のルールをすみのすみまで理解しきって、それに則った上で「ひょっとすると逆手にとって」大きな資金調達とそれによる長期的ビジネスの実現を仕掛けようとしているのです。
その意味で、ビジネスオペレーションの法的ルールの掟にしたがって彼らなりの[Not doing evil」を実践しているにすぎません。
他方、公共の光に照らされた議論においてのみ真理が開示されるという観点は、資本主義をこえた、アメリカ民主主義を貫く非常に大きな価値基準でもあります。もしも二人の創業者のもくろむ長期成長のシナリオが真に株主にも利益をもたらすのであれば、別の文脈でJeff Bezosが社内の反対勢力に対して非常に苦労しながらもそうしたように、明確な説明を試みるべきです。君達にはどうせ理解できないだろうといわんばかりの態度が梅田さんを憤慨させているのだと思います。

分厚いS-1であれだけ詳細に説明してるのに、なぜ「君達にはどうせ理解できないだろうといわんばかりの態度」ということになっちゃうのか、それがオラにはよぐ解がんねえだ。
「オレの自宅まで直接説明に来い」ってことなんですかねえ?

いずれにせよ、技術的な商法理論上のみでは扱えない観点がここには含まれており、個人的にはこうした公共民主哲学はアメリカ社会の最も尊敬すべき一面であると考えています。こうした価値観をもつ人々は、単にGoogleに投資さえしなければ良いじゃないか、といわれてしまうかもしれませんが、それだけでは済まないということを以下述べます。

(ふむふむ?)

3.資本市場の失敗とチェック機能
おそらく、ベンチャービジネスの適正を考えれば、こうした資本市場の失敗如何を問題にすること事態が、ベンチャービジネスの実践者としての資格を失うことになるのかもしれませんが、明らかに資本市場の失敗というものも存在します。
いうまでもなくそれがバブルです。これは社会全体にとっては大きな損害と軋轢を生み出す一方で、ベンチャービジネスクリエイターにとっては結果極大化のためのドライバーでもあり、必要悪でもあります。
Googleが上場することによる株式市場へのインパクトはプラスでもありえ、またマイナスでもありえます。一説には時価総額数兆円ともいわれてはいますが、彼らの真意がどうであろうと、また彼らの経営がいかに正しく運営されていようがされていまいが、ここでバブルは「発生しえ」ます。もしもかりにGoogleがバブル相場を誘発し、その後創業者の采配の失敗といびつな株式構造による是正の遅延が響けば、数兆単位の損害を株式市場にもたらすこともありえます。これは直接間接に実体経済に必ず飛び火します。会社がパブリックになるというのは、そういった意味で直接投資家の懐以外の経済にまで波及するわけで、Googleのような企業であればなおのことです。しかし、こうしたダイナミズム自体は資本主義プロセスにとっては必要悪なのであって、そうした「ありうべき社会的結果への配慮から」株主構成を透明化しておけということは、アントレプレナーにとって大きな矛盾を要求することでもあります。こうした失敗の存在を了解しつつも、より大きな創造性の発露のもつメリットを優先するというのが資本主義の原則であるからです。ここには解決されえない、資本主義制度の大きな文化的矛盾(ダニエルベルがいったものよりもより今日的な意味でのもの)が存在しています。
しかし、磯崎さんは、米国においてはこうしたバブルに対する免疫が日本よりははるかに高い、日本での免疫力が低いのは銀行による一極集中型の金融システムにあるとおっしゃっています。たしかにそのとおりかもしれません。しかし、問題は、当然のことながら、米国は米国国民のみによって成立している単一経済圏ではなく、国家政策を通じて世界経済とつながった存在であるといことです。

おっしゃることはごもっともだと思います。ごもっともではありますが、私がずっと申し上げてきたのは「だから、どうせいっちゅうの?」ということです。
経済は、お天気などと同じで「カオス」であり、人間のあるアクションは、どこにどう波及するかわからない。ある要因がどのように波及するのかを事前に完全に予測して行動するなどということは人間には不可能じゃないですか。
日本の土地バブルのように、金融資産比で数十%が消えて無くなっちゃうようなものは「悪」と言ってもよろしいかと思いますが、Googleの時価総額はアメリカの個人金融資産比で0.1%以下の金額、さらに実際に調達するのは数千億円程度で、0.01%以下の金額です。たとえ、この全額がクラッシュしたところで、米国や全世界の経済の中で十分ショックを吸収できる額でしょう?
例えば300万円貯金のある人が300円の宝くじを1枚買ったとします。それは「堅実な出費」とは言えないかも知れないが、それがもとで家計が破綻する心配をしたり、「射幸心をあおることにつながるのでけしからん」てな話をしないといけないことですかね?
もちろん、「カオス」ですので、よく引き合いに出される、「中国の蝶が羽ばたいたせいで、アメリカがハリケーンに見舞われる」というようなことが起きないとは言えません。が、だからといって、その蝶にハリケーン被害の責任を問うんですか?

4.国家の失敗 アメリカ体制の失敗
ここで見ておくべきもうひとつの観点が存在します。それは国家体制の問題です。こうした市場の失敗に対して、過去において政府はなんらかの形で国家が介入をおこなってきました。ひとつには監査機構によって、競争条件を可能な限り均一化させること、もうひとつはおきてしまった資源配分の失敗や偏向に対して福祉政策で修正をおこなうことです。しかし、21世紀になって顕著なのは、こうした資本主義のメカニズムが国家を超えて適応されることによって、富の偏在が「国家間でも」現実に発生してしまうということです。確かに競争のルールは公正だったかもしれない、しかしその結果の不平等は目にあまりとても甘受できないという問題です。広い目でみればこうした結果の不平等が、テロリズムの形で米国の社会体制への脅威、ひいては経済体制への脅威をももたらしているともいえます。

おっしゃるとおりですね。
(で?)

経営の失敗を株主が是正し、株主の失敗を資本市場が是正し、資本市場の失敗を国家が是正するという多重構造によって現実の社会は成り立っていますが、上述のように、かならずしも上位の是正機関が正しく是正機能が果たせると確約されているわけではありません。多くの複合的な要因でカタストロフに陥ることもあれば、予想外にうまくいくこともあるでしょう。いずれにせよ、Googleの資本構成の提案に関しては投資家がその是非を判断するでしょう。またそのサービスについては顧客がその是非を判断します。しかしそうしたチェック機構の存在を持ってしてもなお資本市場は本件で大きなバブルを引き起こすかもしれません。それが予想外の社会的損害をもたらすとしても、ビジネスオペレーションの法的ルールにさえ則っていれば良しとされるべきでしょうか。私はこの点の警鐘を鳴らしている点で梅田さんの趣旨に賛同します、と同時に過去に梅田さんが説かれたベンチャービジネスの適正についての論述について、同じ観点から賛同しかねます。やはり、アントレプレナーであってもビジネスオペレーションの法的ルール以外にも守らなくてはならない公共市民としてのルールがあると思うからです。
それは、We are 「Not doing Evil」と無邪気に標榜するだけで済まされるものではなく、公共市民としての自らの権利と責任またある種の限界を、社会に対して明確に表明することだと思います。

それは、S-1のリスクファクターにクドいほどいろいろ書かれていることではまだ足らん、ということでしょうか?あれ以上何を表明すればいいのでしょう?
マクロ経済学者や倫理学者、宗教学者、コンピュータ科学者などからなるIPO審査委員会を作って審議してからじゃないとIPOできないというような仕組みにしたらよろしいのでしょうか?

アメリカ民主主義の誇リ高い公共意識と、グーグルの描く、ある種無機質なNon-Digital Divide の理想郷。ガバナンス論のより先にはこうした根源的な価値判断の地平が広がっているように思います。

アメリカ民主主義の誇り高い公共意識なんて今時あるんかいや?というむきもいらっしゃるかもしれません。たしかにそうかもしれませんが、私個人としては米国の日常社会のそこかしこ(私としては人づてに話を聞くことしかできませんが)や、WestWing などのエンターテイメント番組、そしてもしかしたらStarTrek などの3文スペースオペラ(私は大好きなんですが)にも、いまだ脈々とこうした公共意識が根付いていると信じたいと思っております。

乱文失礼いたします。

繰り返しになりますが、Googleのどこが公共性に欠けるのか、またGoogleに、もし公共意識を欠くところがあるとしたら、具体的にあと何をすれば許していただけるのか?、ということです。
「リスクがあります」
あるに決まってんじゃん。
計画経済が「無菌」の状態を志向したとすれば、資本主義は「菌は存在する」という前提のしくみにしているところがシステムとして強いところだと思います。
菌やウイルスで風邪も引くけど、それによって免疫力も付く。無菌環境は、万が一無菌状態が破られたときには抵抗力が無い非常に脆弱なシステムです。
Googleはもしかしたら乳酸菌じゃなくて「バイ菌」かも知れないが、それほど重篤な病をひき起こす菌とは今のところは考えられない。
であれば、何か発症するまでは放っとけばよろしいんじゃないでしょうか。
それで経済がちょっと病気になったとしても、それによってさらに経済は強くなります。
何事も「やってみなはれ」でっせ。そこが資本主義のええとこでっしゃろ?
(では。)

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ブロードバンドとプロバイダ経営

おとといの日経に出ていたWinny利用者・開発者の逮捕とトラフィックの関係という図が非常におもしろかったので。
winny_traffic_nikkei.JPG
(出典:日本経済新聞2004/05/14朝刊)
元データはここでしょうか。
http://www.jpix.ad.jp/jp/techncal/traffic.html
「スピード違反取締の警察官を見た後の車の平均速度の変化」も、グラフにして見るとこんな感じになるんでしょうね。(笑)
昨年の8月の日経BP社のコラム「山崎潤一郎のネットで流行るもの−大量トラフィック禁止に乗り出したプロバイダーの矛盾」に書かれていた内容と対応するものですが、逮捕のタイミングと重ね合わせたこのグラフ、winnyが帯域を圧迫してプロバイダの設備投資圧力になっているということが、非常にわかりやすく読み取れます。
山崎氏のコラムにもあるとおり、プロバイダは、ブロードバンド時代の到来をうたっておきながら、ホントに全員が「ブロードバンド」を生かしたインターネットの利用をはじめたら、今の料金体系では一瞬にして経営のヒューズがぶっとんじゃうわけですね。
怖いですね、プロバイダ経営。

2004/05/14, 日本経済新聞 朝刊, 17ページ
「ウィニー」などファイル共有ソフト、ネット接続業者の脅威に——通信量増大。
パソコン同士の間で映画やゲームソフトなどを検索・交換できるファイル共有ソフトがインターネット接続事業者の脅威になっている。利用者がこのソフトを使うと通信量が増大するためで、設備増強に追われ頭を悩ませている。
 代表的なファイル共有ソフト「Winny(ウィニー)」の開発者が逮捕された直後、パンク寸前だったネット全体の回線通信量は逮捕前より約一五%減少したようだ。事業者同士の回線を相互接続する日本インターネットエクスチェンジ社の記録から推定した。
 ウィニーによる接続を制限する機器を扱う住商エレクトロニクスの担当者も「ある事業者ではウィニーの通信量が半分近くまで減った」と語る。摘発を恐れた利用者が使用を一時的に手控えたとみられる。
 通信量が多くなるのはウィニーがファイルを暗号化し他の利用者の端末へ大量に送信するため。受け取った人の端末もファイルの複製をさらに送り、通信量がねずみ算式に増えていく。
 通信量は昨年、別のウィニー利用者が逮捕された直後に約二〇%減ったが、一カ月後には回復。今回もほとぼりが冷めたら元に戻るとみられる。ある事業者は「ネットのデータ送信量はファイル共有ソフトが最大八割を占める」という。事業者は膨らむ通信量に対処しようと設備投資に必死だ。
 (中略)
負の側面だけを見て普及の芽をつんでよいのかという議論がある。

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よーく考えよう(論理のすり替えにだまされるな)

ネットバブルのとき、
「赤字幅が大きければ大きいほどvaluationが高くなるのがシリコンバレーのルール。だから赤字は大きければ大きいほどいいんです。」
てなことをおっしゃる方がいました。
今なら「何をバカな」と一蹴されるところですが、その当時は、日本のVCの方々も、「はー、なるほどー。さすがシリコンバレーはすごい!」と関心して聞き入ったりして。(爆)
「競争が厳しくて赤字を覚悟しないと競争に勝ち残れない」のと「赤字幅が大きければ大きいほど競争に勝てる」のとは全く違いますよね?(よーく考えよう。)
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上のベン図でいくと、「初期に赤字でも経営が成功するケースもある」というのは真ですが、「赤字だと必ず経営が成功する」ということにはなりません。
「どこそこでは○○である」というような話は、必ず根本的な原理に立ち返ってよーく考えるべきです。
例えば、創業者の持株比率について、VCなどの投資家の甘いささやきはこうです。(下図参照)
「あなた(創業者)は、今は90%のシェアを持っている。[オレンジ色の部分]
確かに、エンジェルなどから追加出資[薄緑色の部分]を受けて、あなただけでも今の企業価値5億円を10億円に上げられるかも知れない。その時70%の持分を持っていれば、あなたの持分は7億円だ。((A)コース)
一方、我々が株主になれば、企業価値を40億円にすることができる。((B)コース)
あなたのシェアは30%に落ちるかも知れないが、40億円の30%=12億円のほうが、7億円より得。つまり、創業者のシェアは高ければ高いほどいいってわけじゃないんだよ。
(だから我々があなたの会社につけるvaluationは低いが、結局あなたは得するんだよ。)」
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たしかに計算はあってます。
ただし、よーく考えましょう。この話には、「VCが入ったから企業価値が40億円になる」という一つの大きな仮定が入ってます。
もしかして、自分でやっても40億円になるんじゃないですか?VCは金を出す以外に、何をしてくれるんですか?上の絵は、確かに経営者も儲かりますが、一番儲かるのはVCです。創業者の持分が低くてもいいというのは「VC側の論理」です。よーく考えてください。
特に、以下のような点をよーく考える必要があります。
VCは何をしてくれるのか?
ほんとにすごいVCで、いい人材は連れてくるわ、ビジネス上のアドバイスはすごいわ、当社と取引してくれるわけがないような取引先との提携を成功させるわ、というような投資家なら上記のロジックは成り立ちます。ただし、取締役会に出てきて偉そうなことを言うだけで、まったくピントがずれたおっさんだったらどうします?Sequoia Capitalならすごいけど、ただの「セコイや」キャピタルかも知れませんよ。
また、今までの実績がすごくても、その実績が当社の事業領域と異なる分野のものなら、その実績は必ずしも当社に生きないかも知れませんよ。
よーく考えてください。
ほんとにすぐに金が必要か。
長期間利益が出ないビジネスモデルなのか、キャッシュが早めにわいてくるモデルなのか。
増資を受けないと倒産の危機になるというなら、持分の低下も甘んじて受けないといけないですが、すぐにでもキャッシュを生むのであれば、交渉上も弱腰になる必要はありません。
Amazonみたいに初期は大赤字でも成功する企業もあれば、eBayやMicrosoftみたいに、当初から収益を上げるビジネスもあるわけです。
VCが「早く投資しなきゃ周りに遅れを取る。金は当方がバックアップするからどんどん投資しよう。持分が低くなってもいいじゃない。」てなことを言っても、ちょっと待った。そういうのはバブってる時の考え方。じっくり腰をすえて投資は後回しにするほど得かも知れません。
公開後に思ったとおりの経営はできるのか?
「機関投資家がもってくれるように業績をしっかりとして株価を保てば、買収もできない。要は業績だよ。」というような単純な理論に惑わされないように、よーく考えてください。
ホントに株価は保てるんですか?500億円くらいの時価総額になれば機関投資家ももってくれるかも知れないが、30億円くらいで公開しても、機関投資家は見向きもしないかも知れませんよ。
世の中ゼニだけか?
前述のロジックは、カネだけを考えれば確かに成り立ちます。
ただし、世の中「ゼニ」だけでっしゃろか?
経営者が「やりがい」を追求することは悪なのでしょうか。他人のアドバイスに耳を傾けることも重要ですが、自分で裁量が自由にふるえるほうが、マネジメントもうまくいくということはないですか?
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他の条件が同じなら、「経営は自由になるし、金も儲かる (A)」のが一番いいに決まってますよね?
(A)でもいけるのに、「シリコンバレーでは持株比率にはこだわらない」なんて単純な議論に惑わされて、わざわざ「経営は自由にならないが金は儲かる(B)」コースを選ぶ必要があるんですか?
シリコンバレーだってどこだって、他の条件が同じなら「持株比率は高ければ高いほどいい」に決まってるんですよ。当たり前でしょ?
持株比率が高いとあなたがゴーマンになる可能性がある?そうかも知れませんね。じゃあ、VCはゴーマンにならないんですか?一般投資家は必ずあなたより正しい判断を下すんでしょうか?
持株比率はそのままでも、あなたが尊敬できる人数名に社外取締役に就任してもらい、その意見に真摯に耳を傾けるという方法で自分を律することはできませんか?
よーく考えてください。
世の中、持株比率が高くてゴーマンになっているベンチャー経営者より、持株比率が低くて思うように裁量がふるえないベンチャー経営者の方が多いと思いますよ。
「シリコンバレーの創業者は経営者の椅子にこだわらない」という話もそうです。確かに経営者に向かない創業者もいます。が、だからといって、「創業者は必ず経営者から降りたほうがいい」なんてことにはならないです。
第一、世界一の金持ちのビルゲイツだって未だに経営者じゃないですか。全く説得力がないですね。(なに、シアトルはシリコンバレーじゃない? はいそうですね。)
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Krpさんが、「安定した経営権確保のため、公開後の安定・友好株主全体の持株比率を意識する必要があります」(中略)と証券会社や監査法人がアドバイスし、経営者も上場後も自身や安定株主の持ち株比率に拘るのが日本だと思っています。」とおっしゃってますが、だからといって、「日本の経営者のマインドはシリコンバレーに比べて遅れてる」なんて思う人がいたら、そんなことを考える必要は全く無いですと申し上げたい。
持分をなるべく高く保とうとすることは世界中どこでも合理的な判断ですし、投資家から有益なアドバイスが受けられなかったり、公開後、不安定な株主構成で経営者が本業に注力できない状況が予想されるんだったら、なおのことそうです。
「シリコンバレーではそうだから」というような単純な論理で安易に持分をどんどん人に分け与えたら、えらい目にあいますよ。
要は、経営者と社外の投資家の「能力のバランス」だということです。
経営者がアホなら、外の投資家に持ってもらったほうがいいかも知れない。その事業について、経営者がVCや一般投資家よりも適切な判断ができるなら、何も外部の投資家にホイホイ持分を分ける必要は無いわけです。
(以上)

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弁護士事務所の「オープン化」

本日の日経朝刊「大機小機、弁護士事務所の社会的責任」(筆者「盤側」氏)から。

「(略)しかし、証券市場や大株式会社問題については、若干の例外を除いて裁判所の存在は希薄である。
日本の法曹は裁判官のみならず検察官も含めて近時急に台頭してきたこの種の問題について格別の教育を受けてきておらず、日本の企業社会のあり方を左右する問題に自信を持って判断を下せるところまではいっていない。」

一部の弁護士を除いて知識やノウハウが不足しているわけですね。

「日々ルールを示すことが大事なこの分野で、絶対勝たねばという検察の感覚も問題だ。」

つまり、「明らかに黒」ということについては手を出すけど、「ビミョー」なグレーゾーンは裁判や判例にはなっていかないということですね。

「そこでこの種の問題については、たとえば採用した弁護士を米国のロースクールで学ばせ、あるいは米国での実務経験のある人材を集めている大きな弁護士事務所の意見書が大きな影響力を有している。」

そうなんでしょうね。昨日ご紹介した書籍の編著者も、そういうご経歴の方です。

「新しい金融商品や企業再編の仕組みを編み出すのも大弁護士事務所だが、司法の判断を受けないで実務が定着してしまうことも多い。自由度の高い企業再編法制はくっついても離れても破綻しても弁護士事務所が大きくもうかることになっている。」

おっしゃるとおりの構造になっているかとは思いますが、弁護士や訴訟の数が格段に多いアメリカではよりその程度は大きいので、司法のガバナンスのメカニズムが活性化しても、ますます、弁護士事務所は儲かると思います。

「配当という名の企業再編(他社株式による現物配当)も導入が提案されている。多様な種類株式等々、ちょっと聞いただけではわからない法制は弁護士事務所天国を意味する。」

「種類株」。やはり直感的に「カチン」と来る存在なんでしょうか。
ただし、アメリカでも、「Class B stock」だったら、ちょっと「むむ?」という感じでしょうけど、単なる優先株(preferred stock)だったら「フツー」ですよね。
つまり、こうした手法は、より「市場メカニズム」が発達したアメリカのプラクティスをマネて導入されようとしていることですから、今後、もうちょっと「複雑さ」は増すと思います。
一方で、クライアント側や「市場」の理解の限界は確実に存在します。ですから、例えばデリバティブがどんどん「エキゾチック」になっていっても無限に複雑になるわけじゃないのと同様、「受け入れるほうの限度」によってある程度縛られると思いますけどね。
GoogleのDual Class構造だって、数兆円の会社なら「あり」でも、日本では、たとえ、証券取引所の審査はOKだったとしても、時価総額30億円くらいの会社がやろうとしたら、「ちょっと待った」がかかるでしょう。
つまり、証券というのは、お客の理解力ももちろんですが、大勢の証券会社の営業マンが売らないといけないものなので、適合性の原則上、その証券マンがお客さんに説明できるかどうかで限界が出てきます。つまり、証券市場、証券業界全体のアホさ、賢さかげんで、売れる証券の複雑さも制約を受けてくる。
Googleのような大規模IPOなら、そうしたややこしいことを「勉強」する労力をかけても、コスト的にペイしてきますが、小さな会社だと、「そんなややこしいこと、めんどくさいからやめてくださいよ」ということになります。
Googleあたりが一発ややこしいことをやってくれると、市場の「お勉強度」も一気にどーんと上がりますね。
さて「大機小機」に戻りますと、この筆者の方は、

「各弁護士事務所は、これらの分野でどのような意見書を書いたかを天下に公表し、大方の批判を自ら求めるというくらいの姿勢を示すべきではないか。」

と結んでらってます。しかし、それもちょっとムリっぽいですよね。手の内を明かせば、それだけ、敵から攻撃されるスキも見えちゃうわけですからね。どのクライアントのことを言ってるのかもバレちゃうでしょうし。
「依頼者も悪いよなー」とは思っても、その依頼者が勝訴するために全力を尽くすのが弁護士のネイチャーですから。
ネット系ビジネスなどだと、参入障壁が低くてソフトウエア作成のコストも安く、一発当たればスケーラブルにどーんと売上も期待できたりするので「オープン化」によるガバナンスのメカニズムが働きやすいですが、弁護士業界の場合、参入障壁がやたら高くて、案件数も少なく、労働集約的。なかなか、「オープン化」をするインセンティブがわかないところでしょう。(アメリカですら、あんまり法律領域の「オープンな」取り組みって聞いたことがないですが、何か事例をご存知の方、いらっしゃいますか?)
(それでは。)

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