バブルのツケを誰が払うか

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昨日のエントリー「資本主義の免疫メカニズム」に対して、渡辺聡さんに、「Weblogリーディング企業、SixApartはソフト企業かASP企業か」で私のtrackbackについてコメントしていただいてます。ありがとうございます。
私も、SW’s memo (だけ)のときから、いつも拝見させていただいております。<(_ _)>
さて、バブルですが、追記でいくつか。
SixApart にも投資してるネオテニーのJoiさんの2000年2月(バブルまっさかり)の記事「What the Government Should Be Focused on Is Deregulation to Allow New Businesses to Operate Freely」で、私のコメントを以下のように引用していただいてます。

A few days later, at the Net Vision meeting, Tetsuya Isozaki from NetYear made a very interesting comment. He said the current Internet bubble in Japan was a mere $20 billion. In comparison, the real estate bubble that brought the Japanese economy down in the late ’80s was worth several trillion dollars. The real estate market, however, operates in a tightly interconnected fashion, whereby any drop in values instantly echoes nationwide (and it did!). In contrast, in Internet space, any one auction site, for example, that goes out of business will not cause the others to do likewise. Isozaki calls this “foam” rather than a big bubble. He suggests that any possible negative impact on the economy from an individual “bubble” bursting was very small compared to previous bubbles.

不動産バブルとネットバブルは、(特に日本の場合)規模が全く違うし、ネットの場合、「bubble」というよりは「foam」であって、構造も違うだろうということですが。同様のことを、同時期に書評(週刊ダイヤモンド2000年02月26日号)にも書きました。

ヤフーの株価が1億円を超え、近頃のテレビ・新聞等はこぞって「ネットバブル」に警鐘を鳴らす特集を組んでいる。日本では、ネット株は一株数千万円以上するため、購入しているのは、機関投資家以外は、大半がネットのサービスを利用したこともない富裕層の個人投資家ということになる。つまり、日本の現在のネット株高が、ネットのサービスの本質をあまりわからずに「ネット関連」というだけで買う投資家によって、投機的に形成されたという側面があることは、確かに事実だろう。

一方で、この「バブル」は、日本の土地バブルとは大きく性格を異にする。
千兆円の単位にのぼった土地バブルに対し、「たかだか数兆円」の非常に小さいバブルであるということもそうだが、そのほかに、構造が単純でないバブルである、ということもあげられる。

ネットビジネスは、非常にたくさんのビジネスモデルの集合体である。
Amazon.comのような「EC」のモデルやYahoo!などの「ポータル」というモデルだけでなく、オンライン上で個人どうしが物品を売買する「オークション」、生産者から消費者という一方的な流れを逆転させた「リバース・マーケティング」、ネット上である製品を購入する人数を集めれば購入できる値段が下がる「グループ・バイ」モデルなど、一般の人には聞きなれない非常に多くのビジネスモデルがしのぎを削っている。このように、ネットビジネスのすごいところは、今までに存在しない革新的なビジネスのやり方の転換のアイデアが次々に出てくるところなのだ。

こうしたビジネスモデルは、それぞれ個々に、事業構造も財務構造も全く異なるものなので、仮に将来、「ポータルというモデルの先が見えた」、ということになっても、では、オークションもオプトインもリバースマーケティングもだめ、という判断には直結しようがない。バブルはバブルかも知れないが、シャンプーの泡のように、ひとつひとつが割れても全体が一気に割れるとは考えにくい泡なのである。

ま、結構、一気に割れちゃいましたけどね。(笑)
梅田さんの昨日の記事によると、米EC市場は「バブル期の予測通りに成長していた」ようです。
マクロ予測としてはそんなに大はずしではなく(下図(A)、つまり、「ネットは社会を大きく変える」ということ自体はアタリであって)、構造も「foam」であって土地バブルとは違い、さらに1社1社の企業の企業の価値評価はそれなりに合理性があっても(B)、先日申し上げたように、その個々の見積もりの合計がマクロの予想を大きく上回っていたら(C)、やはりバブルはバブルだ、ということですね。
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Atomisedcrossさんからもコメントいただいております。

以前もコメント書きましたが、バブルは良しとしても、そのつけを誰が払うのでしょう?と言う立場に立って考えると、バブルのとき儲けている人は、まぁあの時儲かったから仕方が無いですむかもしれないですが、何もしていなかった人が、なんで経済がこんなに落ち込んだんだ?と嘆くような結果にならないことを望みたいと思っています。

これは、以前の記事で書いたとおり「経済の構造」に大きく依存しますね。
米国のような直接金融的な経済の構造を持つ国でのバブルのツケは、良かれ悪しかれ、国民に直に請求が来ます。自分で投資したものが損するわけですから、「何もしてなかった人」にとばっちりが行く度合いは比較的少なくて済む。
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これに対して、日本のように間接金融中心型の経済構造を持つ国でのバブル破裂のショックは、銀行等が一次ショックを吸収してくれるのはいいのですが、結局損は何らかの形で国民から取り返さないといけないわけで、それは時間差を置いて、「何もしていなかった人」を含め、長期にダラダラと取り返されることになります。しかも、昨日もUFJ銀行の決算修正が発表されてましたが、ああいった形で、国民の資金(預金)が何がどう運用されていて、その運用資産がいまどういう状態なのか、というのが非常にブラックボックス的でわかりにくい。
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「直接金融的」な方は、自己責任度は高いですが「さっさと損切り」型の経済、間接金融が非常に強い経済は、自分の資産運用等何も考えなくて済み影響もマイルドですが、その代わり「塩漬け」型経済になります。
みなさんは、どっちがお好みですか?

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3 thoughts on “バブルのツケを誰が払うか

  1. いつもじっくり学ばせて頂いております。
    直間どちらが良い?という問いは、銀行、年金よりは自分の方が運用能力が高いので直接に一票です。
    世の中全体がそうなればよいかどうかは、生活保障やセーフティネットの議論もまた出てくるため話はややこしくなりますが、少なくとも個人的には、ポータビリティが高くて財投や世代間スライドに関連しない401的な年金制度があれば飛びつきます。
    実際、ローン付きの不動産を除くと家計の資産構成は完全に米国型でした。
    〜〜
    バブルについては、個人レベルでは、いい悪いを論じるよりは景気サイクルを見抜くのと同様に上手く折り合いをつけて対処法を編み出す方が健全かと最近考え始めています。多かれ少なかれマーケットは行き過ぎと戻り過ぎを繰り返してしまうものであれば、その波さえも自分のものとしてしまっては、という梅田さんの提案の方がしぶとく生き残れそうです。

  2. (お名前が間違っておりましたので修正いたしました。失礼いたしました。)
    >銀行、年金よりは自分の方が運用能力が高いので直接に一票です。
    すごいですねー。
    頭のいい方はだいたい、直接金融的な社会を好まれるんです。
    が、バブル崩壊後、あれだけ銀行に対する非難があったにも関わらず、マクロで個人金融資産に占める預金の比率はむしろ高まり、個人に株ブーム到来といいつつマクロでは株式・出資金の比率はむしろ減っているというところがすごい、です。
    (ではまた。)

  3. 私としては、個人運用が良いので自己責任が良いです。
    ただ、本来は公共として運営してもらったほうが楽なのですが、
    信用できないことを多発する、国家経営者と自治管理者に、
    苛立ちを覚えているからなのかもしれません。
    どれだけ立派な理論をつけたところで、間違っているものは間違っています。
    全てをかなえる「神=理論」はいないってことなので、あとは自己責任ですね。