契約書の著作権

以前、大手法律事務所系の弁護士さんと雑談していたときに、
「ところで、契約書って当然、著作権法の保護を受けますよね?」
と聞いたら、
(「当たり前じゃん。契約書も著作権法上の『著作物』に該当するに決まってるし、オレら、それでメシ食っとんねん。コピーして勝手に流用したりすんじゃねーぞ。」と言われるかと思いきや、)
「えっ?えーと、どうなのかなあ。考えたことないなあ。保護されないんじゃないのかなあ。そんなこと言ったら、大手の事務所でも米国あたりの契約書を翻訳してパクって来てたりするのもどうか、みたいな話になっちゃうしなあ。」
みたいなことをおっしゃるので、「えっ」って感じだったのですが。テキトーな仕事をする方ならともかく、大変よく勉強していい仕事をされる方なので、意外感もひとしお。
他の事務所の契約書の文言なんかをお互いに見て、「なるほど、こう来るか」と学習しあっているので、一種の「オープンソース」または「持ちつ持たれつ」的感覚が業界内にあるということなのか。それとも意外に弁護士さんの知財保護的感覚って弱いということなのか。
−−−
一般的にプロフェッショナルな職業って、「紺屋の白袴度」が高いことが多いように思われますが、どうでしょう?
弁護士事務所は、他人の契約書は作るけど、弁護士さんと仕事を始める前に「今回の仕事はこういう契約で」と契約書を結んだ記憶はあまりないですし、
監査法人は人の情報の開示についてはプロなのに、あんまり自分の法人の情報は開示してらっしゃらないですし、
戦略コンサル会社が自分の会社の戦略はあまりなかったり(苦笑)、ITコンサル会社の社内システムがガタガタだったり。(苦笑)
−−−
そういえば、送られてきた契約書のMS-Wordのファイルのプロパティの「作成者」に、他の事務所の名前が入ってるというのも何度かみたことがあります。
もちろん中身を十分理解して流用してらっしゃるならいいんですが、先日、相手方の弁護士さんから送られてきた、「又は」と「または」、「及び」と「および」が激しく混在した契約書を見て、(内容もイケてなかったので)、「これはいくらなんでも、中身をよく検討せずにあちこちからコピペって来たんだろうなあ」と思った次第。
「『又は』と『または』をちゃんと統一しろ!」と厳しくご指導される弁護士さんとか法務担当者の方を多く見かけてきたので、「やっぱり法律の教育をちゃんと受けてらっしゃる方は基本動作がちゃうなあー」と関心することが多かったんですが、必ずしも全員がそういう方ばっかりでもないということのようですね。
(私自身の「紺屋の白袴度」をツッコまれると激しく困るので、本日はこの辺で・・・)

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遅ればせながら花見とワインのご報告

スパムコメントが大量に来てたので消してたら、間違ってどなたかのコメントを(たぶん1件だけ)消しちゃいました。大変申し訳ありません。<(_ _)>
−−−
週刊モーニング連載の初?(追記:そういえば一時期、島耕作でもワインやっていた)のワインまんが、「神の雫」
4063724220.01.MZZZZZZZ.jpg
に載っていた、飲むと「QUEEN」が目の前に現れるという(!)マルチメディアなワイン、シャトーモンペラ(Chateau Mont-Perat)
img10151104644.jpg
が、taka-mojitoさんのブログで紹介されていたので、(今までワインを飲むなんて高尚な趣味はなかったのですが)、1本買って、先週日曜日、花粉と砂塵が舞い散る花見の席
hanami2005.jpg
で飲んでみました。
・・・・
残念ながら、フレディ・マーキュリーは目の前に現れてくれなかった・・・。_| ̄|○
こりゃ、クイーンが現れたり、イチゴ畑で女神が振り向いたりするようになるには、かなり修行が必要そうで・・・。
(ではまた)

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ライブドアとフジ、月内にも和解?

本日は、ここ数日の2割増のアクセスがありますので、おそらく、このネタを期待して見に来られている方が多いんじゃないかと思いますので、コメントをば。
ライブドアとフジ、月内にも和解へ
朝方、隊長のページでこの読売新聞さんの記事を発見したんですが、読売新聞さんのホームページには「個別の記事にリンクするな」と書いてあったので、このYahoo!Newsから配信された記事にリンクさせていただきます。

 関係筋によると、ライブドア側はニッポン放送の株主総会で合併などの重要事項に拒否権を発動できる3分の1超を手元に残し、残りをフジテレビに譲渡する案を示している。

3分の1を手元に残す意味はあるんでしょうか?
フジテレビ側としても、グループ再編をどんどこ進めたいと思いますが、ニッポン放送にライブドアが(しかも1/3も)残ったままだと、ポニーキャニオン等、ニッポン放送が持っている株を動かすのも動かしづらい。
適当なところで妥協せずに、100%子会社化されるのがオススメだと思いますけどねえ。
今ままで、すべてにおいて「ま、今回はこんなところで」というその場しのぎ的ノリで資本政策を行ってきたのが、フジテレビやニッポン放送の資本の大きなゆがみに繋がっちゃったわけですから。その反省を踏まえて、今回こそダイナミックにグループ構造をあるべき姿に変えていかないと、いけないんじゃないでしょうか?
また、ライブドアから「実質的に」株を買い取るとして、村上ファンド等、残りの株式はどうするんでしょうか。またTOBをかけるんでしょうか?上場廃止になって、残りの株主をsqueeze-outするにしても、(合併とか会社分割とか営業譲渡とかに)ライブドアの同意が必要になるとややこしいことになります。
株式交換してニッポン放送をフジテレビの100%子会社化しちゃうんじゃ、だめなんですかねえ?

 譲渡にあたっては、フジテレビがライブドアから直接買い取るのではなく、ライブドアの100%子会社で、ニッポン放送株を大量保有しているライブドア・パートナーズをフジテレビが買収することで、実質的にニッポン放送株を買い取る案が浮上している。

「いくらで買い取るのか」というのが問題ですね。
ライブドアの取得価額に合わせるのか、TOBの5,950円とするのか、今の株価にするのかどうか。
なんと、本日はニッポン放送の株価、上がってますね。公開廃止とsqueeze-outのリスクがますます高まってるように思えるんですが、私の見方は悲観的すぎるんでしょうか。
株しか保有してないと考えられるライブドア・パートナーズに「おみやげ」をもたせて、「DCF法で算定した結果」てな感じで(高めの)譲渡価格を決めるんでしょうか。
ライブドアさんの過去の株式交換のリリースなんかを見ると、そういうのはお得意中のお得意のようですが、それ、フジテレビ側のコンプラ的に大丈夫ですかね?
また、次にTOBをかけるとして、そのTOBの価格と、前回のTOBとの価格と、ライブドア・パートナーズからの実質買い取り価格の3つのつじつまがあうかどうか。
ライブドアからは高く買って、他の少数株主からは前回と同じ5,950円で、というようなことになったら、村上ファンドさんのような「企業価値について積極的に発言する」株主さんもいらっしゃるわけですし。

 また、ライブドアがフジテレビを引受先とする第三者割当増資を実施し、フジテレビがライブドアの発行済み株式数のうち、最大15%程度を取得する方向で調整が進んでいる。

これも、フジテレビ側のコンプラ・コポガバとして、「なぜライブドア株を取得する必要があるのか」「ライブドア株を取得して利益が見込めるのか」という点を明確にしないと非常にまずいかと思います。「違法性の高いことをする会社」と名指ししていた会社の株を取得するわけですからね。

 ライブドア側は当初、取得したニッポン放送株をフジテレビに譲渡する代わりに、フジテレビ株を一定割合取得する案をフジテレビ側に示していた。

それでいいじゃないですか、ねえ。
株式交換で全ニッポン放送株主に平等に、というのが、一番きれいじゃないかと思いますが、なんでイヤなのかしらん。
「どっちが上か」てな(古風な)お考えに基づくものなのかも知れませんが、前述の通り、株式を「持たれる」より「持つ」方が、非常に法的・経済的リスクが高まる気がいたします。
(取り急ぎ)

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日本では金持ちは幸せになれないのか(その2)

(本日、仕事ではディープな作業をしてましたので[苦笑]、またまた漠然とした一般論で恐縮ですが。)
日本では金持ちは幸せになれないのかに、いろいろコメント・トラックバックいただきましてありがとうございました。
「金と幸せは別だろ?」という反応が結構多かったですが、おっしゃるとおりかと思います。
実際、「金のため」に起業して成功してる人ってあまり見かけないですよね。
大きな夢と実力がある経営者に ファイナンスに強い相棒が付いている場合には成功してる例が多いですが、逆にトップがカネの計算には強いけど他のことはよくわからないというベンチャーはイケてないことが多い気がします。(これ、おそらく日本だけじゃなくて、アメリカでもそうでしょう。)
(金融業以外)、ファイナンスの技術はあくまで「ツール」であって、メインであってはならないんでしょうね。
(私自身も「世の中全てカネやで〜」とか言ってる人よりは、夢を追って目をキラキラさせてる人の方が好きなわけでして・・・。)
ただし、世の中全体を考える場合には「金と幸せは別だろ」というわけにはいかない。例えば、GDPが対前年5%下がったとしたら、「収入が多少減っても自分が幸せと思えば幸せ」で済むかというとそうではなくて、ほぼ確実に世の中「エラいこと」になります。
(ミクロでもマクロでも)経済学自体も、「お金があればあるほど幸せ」というのをベースに組み立てられてるわけでして。(個々人がどうかはともかく)全体的・一般的には、「お金があるほど幸せになれる」モードの社会になっている必要があるんじゃないか?という問題意識、だったわけです。
「ごくせんと証券取引法」でも書きましたが、やはりこのへん、個人の素直な感覚と社会全体がうまくいくルールの間にはギャップがあるんでしょうか。
それとも、「一人一人の個人はカネがあまり欲しいと思ってないのに、企業は国際的に競争力がありGDPも高いレベルで保たれている」という状態は、今後も(今後は?)成立しうるんでしょうか?
それとも、組織のトップになるような層は「滅私」で、中間のボリュームゾーンが「カネよこせ〜」状態であり、ニート等やる気のない層はやはりカネには興味がない、というような構成がマクロ的には美しいんでしょうかね?
「マズローの欲求段階説」的にも、ある程度カネがたまってきたら「名誉」とか別のものを目指そうとするから、あまりカネの効用は無くてもいいのかも知れませんね。(お金持ちの気持ちはよく存じませんので、何とも言えませんが・・・。)
(ではまた。)

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日本では金持ちは幸せになれないのか

最近よくトラックバックをいただく小飼 弾さんの「一億総貴族化社会」より。

実は、金は稼ぐより遣う方が難しいのだ。(中略)
「金を稼ぐ」という行為は、「多次元を一次元にmapする」行為だ。額に汗して得た100万円も、万馬券で当てた100万円も、一度100万円になってしまえばどちらも同じ100万円だ。金を遣うのはこれの反対だ。ある人は100万円でうまいものを食って贅肉に”map”し、別の人はそれで本を買ってうんちくに”map”し、はたまたある人はそれを再投資して、「それが200万円になるリターンと10万円になるリスク」に”map”する。稼ぐのは画一的で、遣うのは多様的なのだ。

私も日本社会は、「収入側(の格差が広がっていること)」よりも「支出側」に問題がある気がします。
年収2000万円効用最大説
もう20年以上前ですが、ある大学教授(経済学)曰く、
「日本ではどうも年収2000万円くらいの人が効用が最大って気がするなあ。
それ以上稼いでいる人を見ても、あまりに忙しくて好きなことをする時間がなかったり、家族と生活がすれ違いだったりして、あまり幸せじゃないような気がする。」
とのこと。
その後、日本もちょっとは実力社会になった?ので、もうちょっとトルクのピークは高回転側にシフトしてる気もしますが、ミクロ経済学の教科書に「貨幣の限界効用=1」てなことが書いてあるのに反して、日本では金を持てば持つほどスケーラブル(青天井)に幸せになっていく感じが全くしません。
年収1億円の人が年収300万円の人の30倍くらい幸せそうかというと、まったくそう思えない。(隠してるだけで、ホントは30倍以上幸せなのかしらん?)
なぜか?ということについて、儒教がどうの士農工商がどうのこうのという説明も可能かとは思います。本日発売のスピリッツの「美味しんぼ」でも、「最近は拝金主義の世の中になって嘆かわしい」てなことが書いてあって、背景の絵が雑誌の証券投資の特集記事だったりするので、私としてはそっちの方が嘆かわしかったのですが。とかく日本だと急速に金持ちになった人は「成り金」扱いを受けたりするわけですが、そうした扱いに負けないくらい「金があって幸せ」ということにならないと、誰も金持ちになろうと思わないし「そこそこ」しか目指さないわけで。
優秀な人が「そこそこ」しか目指さない社会のマクロのパフォーマンスは、優秀な人が青天井に付加価値の増大を目指す社会に比べて、著しくパフォーマンスが悪くなるのは明らかです。
ベンチャーを起業しても、時価総額50億円にして自分が何十億円か獲得したら、それ以上稼いでもバッシングを受けるだけということだと非常に困るわけです。100億円の企業を1000億円に、1兆円の時価総額の企業を10兆円に押し上げる経営者に対して、「やりがい」の他には、「使い道のない金」と「バッシング」だけが報酬というのでは、よほど性格がヘンな人しか日本の国富を増やしてくれないことになります。
「金があったら何やってもいい」なんてことは決して申しませんが、堀江社長が言う「金があれば何でもできるということがオープンな社会」という趣旨には、基本的に賛同する次第です。
金持ち向け産業の未発達
つまり、今の日本は「金でできること」が少なすぎるんじゃないでしょうか。換言すれば、日本の金持ちがあまり幸せそうじゃないのは、「金持ち向け産業」が未発達だからという点が大きいのではないかと。
「金持ちの層」が薄いと、その層向けの産業もなかなかビジネスとして成立しない、つまり「卵とニワトリ」のところが出て来てしまうわけで。「中流」の層が厚いと、中流向けのマーケットしか発達しないわけです。250円の牛丼は美味くなり、いろんな機能がついた家電は発達するが、プライベートジェットを持つ人は現れない。
プライベートジェットを持ってる人が近所に1000人いる社会では、ジェットを使わない時は他の人にレンタルするビジネスや、プライベートジェット専門のパイロットの層も厚くなったりして、それ関連のいろんな産業も発達するわけですが、プライベートジェットを持ってる人が10人しかいなかったら、なかなかそれに関連するビジネスも発達しない。
日本ではシティバンクのプライベートバンキング部門もお取りつぶしになっちゃったわけです。マーケットが小さいのでお金持ちの要求に応えてヤバめのことにも手を出さないといけなかった結果、一線を踏み越えちゃったということなんでしょうね。
プール付きの家を買おうと思ってもそもそも土地がバカ高い、ということもあるかも知れません。カリフォルニアとかフロリダの青い空にはプールが似合うけど、春は花粉、梅雨時はドンヨリ、夏は蒸し暑いといった日本の気候には、そもそもプールが似合わないのか。
プレイメイトみたいな金髪美女だったらプールが似合うけど、日本人の体型だとそれは似合わんのか?いやいやASIENCE、世界が嫉妬する髪へ(BGM 坂本龍一)、とか・・・。
逆に、日本は所得格差が小さすぎるので、「召使い」的サービスの労働力のコストが高くなりすぎるのかも知れません。家なり資産なりをスケーラブルにどんどん大きくしていくと、人間以外の家電等で代替できない部分がどうしても増えていくわけですが、家に赤の他人がいっしょに暮らしているというのも非常にウザいですしね。
昔、ちょっとお金持ちな友人の母親が、「お手伝いさんを雇っても、あまり性格がよくない人が多い上に、すぐ辞めちゃう」と嘆いてました。確かに、今の日本で年俸250万円で性格がよくて「はいご主人様」とかよく言うことを聞いて何年も尽くしてくれる人を雇おうってのは無理すぎます。
(追記:格差を今より大きくした方がいい、とか、治安が悪くなってもいいということを言ってるのではないです。無理にトレードオフにしなくても、治安はそのままで金持ちが増えられないという理由はない。)
家事用ロボットが実用化されたあかつきには、日本もみんなが金持ちになりたがる国になるか知らん。
株主の(資産運用の)ために働くべき取締役も「fiduciary」な人ばかりとも限らなかったり。
・・・と、考え出すとキリがないですが、本日はこのへんで。
(ではまた。)

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祝!日本一有名な「磯崎」

atomisedcrossさんからコメントで教えて頂きました。

以前からアドレス記憶させず、毎回googleで検索して出してみていましたが、つい先週のことですが、どやら日本一有名な?「磯崎」さんになられたようですね。
(Googleの「磯崎」検索トップになりました)
改めて、お祝い申し上げます。

ホントだ!(google検索結果「磯崎」)
「ゴッゴル」で一位になるよりうれしいかも。
どうもありがとうございます。<(_ _)>
ということで、次は「isozaki」で世界一を目指すことにいたします。
(早速、metaタグとtitleに「isozaki」を加えておきました。)
ではまた。

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VaRショックに見る情報フローと意思決定

火曜日の「『サラリーマン』によって日本の資本市場は歪められているか?」に対して、本石町日記(bank.of.japan)さんからコメントいただきました。

2003年の長期金利急騰(0.4%→1.4%)はサラリーマン的なリスク管理(VAR)によって引き起こされ、VARショックと呼ばれています。大手銀行のALM運営がサラリーマン的な側面が強いためで、ヘッジ会計に隠れて見えにくいですが、壮大なる失敗とみられる例がディクロージャー誌などにこん跡が残っている銀行もあります。一方、うまくいくと業務純益の半分をトレジャリー業務で稼ぎ出しますから、取るポジションは時として凄まじいです。銀行勢は概ね期初の買い、期末の売りのパターンが多く、レミング的な行動を取るケースが多いので、これをうまく逆手に取る機関投資家も存在するようです。さすがに最近はVARショックの教訓から、銀行勢は無茶なデュレーション長期化は避けているようです。

とのこと。
メディアで届きにくいタイプの情報
「VARショックと呼ばれています」ということですが。この「VARショック」という用語はgoogleで検索してみても、なんと13件しか表示されません。うち、生きてるのは10件くらい。(本石町日記さんのページ2件を含む。)
また、新聞(日経4紙、朝日、毎日、読売、産経)では、この用語はいっさい引っかかって来ません。検索対象を広げると、「日経公社債情報」でやっと一件ひっかかってきました。(おそらく)専門家の間では使われていても、一般の人にはまったく届かないタイプの情報の一つと言えるかと思います。
最近だんだんわかってきましたが、新聞や雑誌の方々は、「あ、その説明だと、うちの読者には難しすぎます〜」と、かなり低いレベルでフィルターをかけちゃうんですよね。先日も、連結財務諸表の教科書のはじめから3ページ目くらいに書いてあるような説明をご説明したんですが、「あれから部内で”読者には難しすぎるんじゃないか”とケンケンカンカンガクガクの議論になりまして・・・」ということになったり。
ここで想定されている「読者」は、数式で言うと「足し算」「かけ算」くらいまでならOKという方ではないでしょうか。だけど、足し算やかけ算でも(1+r) nといった「複利」とか「年金数理」的な要素が入ってくると、おそらくもうダメですね。
消費者金融で「複利」の概念がわからずに多重債務者が発生したり、牛乳やガソリンなら一円でも安い商品を探すのに、保険となると実質が何百万円も違うものを平気で契約しちゃったりするというのを見ても、「一般の人」のレベルというのはそういうレベルなんでしょう。
いわんやσとか√とかが出てくるものなんて、とんでもないわけです。
(以前も、「銀行のリスク管理状況、知ってます?」で、新聞では(日本で最も重要なことの一つかもしれない)金融機関のリスク管理手法についてはまったく記事になっていないということをお伝えしました。)
さらに。先日、テレビ局の方と話をしてたら、
「テレビって、”3つ”になるともうキツいんですよ。
『ホリエモンvsフジテレビ』というように2つの対決だと絵としてまだイケるんですが、北尾さんが出て来た時点でもうアウトですね。(笑)」
とのこと。
3つでもうだめですか・・・。orz
確かに、ブログ界でも「あいつはフジ派だ」「こいつはホリエモン派だ」と、人の属性を「1ビット」でしか区分けできない方がたくさん散見されましたので、「普通の方」が何かを2ビット以上使ってカテゴライズするちうのはかなりキツいのかも知れません。
また、テレビのアナウンス原稿というのは一分間にだいたい300文字だそうで。1秒間に5文字。2バイトコードとして5×2×8=80bps(・・・って、20年前のパソコン通信より情報量が少ないじゃん!!)
テレビって、数十Mbps以上送れる帯域を、すごくムダに贅沢に使ってらっしゃるわけですね。
VaR管理は「サラリーマン的」なのか?
ところで、このVaRショックというのは、「サラリーマン的」なんでしょうか?
私も不勉強でよく存じないのですが、さらっとあちこち見た感じでは、「個々の銀行にとっては合理的な行動が、社会全体としては大変なことになる」という(システミックリスク的な)例のようにも見えます。リスク限界の設定もBISとか制度的なものからある程度決まってくるものなのかどうか・・・。
ただ、そのもととなった判断のVaRモデルが、どこの銀行でも似たようなものであり、なぜ似たようなものかというと銀行員がサラリーマンだから、「他行でもこうやっております」てな感じで同じようなモデルやリスク限界の設定を採用したとすると、確かにサラリーマン的なのかも知れません。
思い出されるのは、確か87年のブラックマンデーの日に、当時の山一証券の大手町支店の店頭で株価が大暴落してるのを見て、私なんか(株も持ってないのに)「こりゃもう世界の終わりかー」と、(マンガでいうと額に縦の線が入っちゃってる感じ)だったのですが、毛皮を着た金持ちそうなおばちゃんが窓口の男性に向かって、
「ちょっとあんた、これだけ下がってるってことは買いなんでしょ?」
と、食い下がってるのを見て、「はー、世の中にはいろんな考え方の人がいるもんだなあ」と思ったわけです。
以前、「ネット投資家の参入による「新しい生態系」」で、以前は20%を超えていたTOPIXの推定リスク(日立製作所さんのRiskscope による)が、最近ではなんと10%を切る数値になってきたということをお伝えしました。つまり、ちょっと上がると売られる、ちょっと下がると買われるような市場になってきたんじゃないかということかと思います。
全員が一斉に「売りだー」という思考パターンにはまってしまうのは、市場としては非常にまずいわけでして、機関投資家が「売りだー」と思っても、それをまったく別の発想で買う人がいるというのは、「いい市場」ですよね。
全員が「長期ロング」ではなく、「いろんな観点」から短期で売買する人が増えてきたというのも、「いいこと」なんじゃないでしょうか。
以下、資料
前述の、日経公社債情報の記事が、「VARショック」という概念を理解する助けになると思いますので、ちょっと長めに引用させていただきます。

<郵貯のリスク管理新手法>「RaVEC」が始動。2004/12/27, 日経公社債情報
(略)
 日本郵政公社が2004年度から完全導入した郵便貯金のリスク管理モデル「RaVEC(ラベック)」の詳細が明らかになった。大手銀行など金融機関が運用のリスク管理として広く導入しているVaR(バリュー・アット・リスク)が現時点での資産価値の変化だけを見るのに対し、これに将来の期間損益の変化も加えたCEVaR(Company Earnings and Value at Risk=企業価値変動リスク)を取り入れたのが特徴。VaRに比べ急激な金利上昇に対するリスク許容度は高くなり、試算では長期金利が4%台まで上昇しても保有債券の売却を迫られることはないという。(中原敬太)
 金利が上昇した際に郵便貯金が抱えるリスクには、国債などの保有資産の価値変動と、定額貯金の預け替えに伴う将来損益の変動という2つが存在する。大手銀行や生命保険、損害保険など幅広く使われているVaRは、現時点での資産のリスク量に固定されているため、短期的なトレーディングのリスク管理には適しているが、将来の収益も含めた長期的なリスク管理には向かない。
 これに対し従来、郵便貯金でリスク管理として使ってきたBaR(アーニング・アット・リスク)は、期間損益の変動リスクの管理はできるが、資産・負債の時価評価には対応できていない。
 このため郵政公社では、郵便貯金にはこの両方のリスク管理を導入すべきと判断。VaRとEaRを組み合わせたCEVaRを採用したシステムを構築した。郵貯が商標登録した「RaVEC」はCEVaRを逆さにしただけだ。
 具体的には、金利、為替、株価について1万通りのシミュレーションを実施してリスクを計算する。1万通りのうち、最悪95%値、つまりベストシナリオから数えて9500本のケースをリスク管理値とし、この場合に、P/L(損益)ペースで3年連続の赤字に、B/S(資産・負債)ペースで債務超過にならなけば、許容範囲として認められるという仕組みだ。
 例えば、2004年3月末時点の資産・負債をベースに郵政公社が試算したリスク感応度を見ると、金利が0.1%上昇した場合のその他有価証券がB/Sに与える影響は1020億円のマイナス。
 仮に長期金利が3%上昇したとしても資本に与える影響額は3兆円強で、期末の資本3兆6663億円の範囲内におさまる。同様に、為替は10円円高でB/Sに2650億円のマイナスの影響があるほか、株価は日経平均株価が1000円下がるとP/Lに2180億円のマイナスの影響があるとしている。
 2003年の金利急騰局面で金融機関が債券売りを急ぎ「VaRショック」と言われたように、VaRは長期金利の上昇に対する許容範囲が狭い。これに対し、CEVaRは金利が大幅に上昇しても、リスク量の増え方が限られる。仮に量的緩和政策の解除によって長期金利が上昇した場合でも、郵貯が債券運用に大きな変更はない公算が大きい。
 郵貯だけで約100兆円の債券を保有するため、金利上昇時のリスクを危ぶむ声も根強いが、こうしたリスク管理手法の導入により、民営化議論の渦中にある郵貯の安全性を強調する狙いもありそうだ。

(BaR(アーニング・アット・リスク)とあるのはEaRの誤植でしょうか。)
「こうしたリスク管理手法の導入により、民営化議論の渦中にある郵貯の安全性を強調する狙いもありそうだ。」とのことですが、この郵貯のシステム、日経公社債情報2件、日経ビジネス1件の3件しか記事になってないので、まったく「強調する狙い」がハズれてるという気もします。
以下、webの(数少ない)検索結果から主だったモノを
公的債務管理政策に関する研究会(第8回:2003年9月5日)
議事要旨(委員 本間 正明 座長、池尾 和人、富田 俊基、藤井 眞理子)
http://www.mof.go.jp/singikai/saimukanri/gijiyosi/ksk008.htm

それから、資料1にいう「VaRショック」のメカニズムについて解説して頂けないか。(中略)
VaRショックのメカニズムについては、6月までの低金利下において金融機関の国債保有が増加し、デュレーションが長くなっていた中、金利上昇による含み益の減少やボラティリティの上昇により、リスク・リミットを突破してしまったものと思料される。こうした問題は今後も発生し得る問題であり、銀行の貸出が減少し、国債投資が増加する中で、こうしたリスク管理手法やリスク・リミットの設定の仕方が適しているのかという点については、今後の課題といえるのではないか。

マーケットから見た公的債務管理政策について(2003年9月5日)
日興シティグループ証券債券本部 チーフ・ストラテジスト佐野一彦
http://www.mof.go.jp/singikai/saimukanri/siryou/ksk008_1.pdf
三菱証券「債券投資デイリー」(2004年7月16日)
金融市場戦略部チーフ債券ストラテジスト石井純
http://www.mitsubishi-sec.co.jp/houjin/s_report/souba/200407/16.pdf

� 相場変動の「加速度」がつきやすくなることで、昨夏のような“VaR 相場(VaR ショック)”が発生しやすくなる

三菱証券「債券投資ウィークリー」(2005年2月10日)
石井純チーフ債券ストラテジスト、長谷川治美シニア債券ストラテジスト
http://www.mitsubishi-sec.co.jp/houjin/s_report/fi_st/2004_2nd/st0210.pdf

98年末からの“資金運用部ショック”、03年夏の“VaRショック”による0%台からの金利急騰は、債券バブルの破裂と捉えられよう。

本石町日記(さん)
http://hongokucho.exblog.jp/2228748/
http://hongokucho.exblog.jp/1266032/

本日の日経金融(日銀、手探りの内部改革)は…
問題の本質が分かっていない。(中略)
また、ある委員は「現場に近い担当者を呼んだ方が実態をつかめる」と言っているが、今の日銀の問題は現場に聞いても実態が掴みにくい、ということだ。なぜなら、圧倒的量的緩和でインタバンクは死んでおり、掴むべき実態がない。また、情報収集において、両ウイングとも全般にアナリスト的ないしリサーチ的なアプローチを取る傾向が強く、個別情報の収集力が弱体化している。昨年のVARショック時には、現場からの情報では何が起きているのかつかめないため、企画関係者が自ら情報収集に動いた形跡すらある。

日銀の政策決定に関する情報の流れもどーなのよ、ということですね。
「若き知」(2004.3.30)久保田博幸氏
http://fp.st23.arena.ne.jp/keio/k0403.htm

昨年の債券市場におけるVARショックを見てもリスク管理は機械的にするべきものではない。マニュアルも必要かもしれないが、マニュアルで想定していないリスクに対処できなければ本当の危険は防げない。

西村信夫の「MNC」266
http://sv3.inacs.jp/bn/?2004070060427644014774.mnc

続・金融再編/メガ・バンク統合=VaR ショックを誘因か?
三菱証券・金融市場戦略部チ−フ債券ストラテジストの石井純さん(略)は、「MTFG とUFJ の経営統合でくすぶり始めた債券需給を巡る憶測」と題して、概ね次のようにコメントする——。
三菱東京フィナンシャル・グループ(MTFG)とUFJグループは、本日にも経営統合に向けた基本合意を正式発表するという(各種報道より)。債券市場は、世界最大の資産規模となるメガ・バンク統合が債券需給等に及ぼす影響を気にして、ざわつき始めた。そこで、それを“一般論”の範疇で、思考実験してみた。ポイントは主に次の4点だと思う。(以下、記述無し。)

J.B.A.掲示板
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/9038/geobook_2.html

Mr.Bond – 04/01/30 16:07:49コメント:
都銀のバランスシートを見ると、03/7月に有価証券93.4(うち、国債54.1)兆円あったのが、債券市場が暴落した9月末には90.2(同、49.2)兆円と各々、△3.2(同、△4.9)兆円と、VARショックが輪をかけて大幅に減少しました。その後、11月には94.8(同、55.5)兆円と各々+4.6(+6.3)兆円と、残高だけ見ると都銀の債券ポートフォリオは復元されたように見えます。事実、日本証券業協会の投資家別売買動向を見ても、10〜12月累計で(長信銀も含まれていますが)3.2兆円の大幅買い越しになっています。ここで、良く考えてみてください。VARショックの後遺症はなくなったわけではありません。許容されるリスク量は、債券10年国で計算すると、6月ピークの6割弱しか保有することができません。にもかかわらず、債券残高が既に既往ピークを超しているということは、言葉を変えると「短中期債を大量に抱えて、少なくなった債券保有可能枠を使っている」ということです。そのために、昨年央の債券ポートフォリオの収益性に比べると、リスク単位辺りの収益性は著しく見劣りしていると言うことが予想されます。従って、債券相場が、1.5%台から1.2%台へ利回低下しても大きく相場を下げるような「戻り売り」が出てこなくなっているのだと思います。今年(=03〜04年度)は、恐らく大きな戻り売りができるような銀行は出てこないでしょう。むしろ、今まで債券ポートで業務純益の4〜5割前後を稼いできた収益を、これからはどこがカバーするのか注目されます(今の状況であれば、株の売却益に頼るしかないかもしれません)。有価証券部門でも、これからは達磨さんになって静かになるポートと、起死回生を狙って勝負に出る銀行と、2つのグループに分かれてくるでしょう。前者は意外に収益余力のある銀行で、後者は背に腹は変えられない、追い込まれた銀行が銀行の屋台骨をかけて一発勝負に出てくるのかも知れません。いま、私が予想する金融環境であればこれからは熾烈なサバイバル戦が始まろうとしているかも知れません。

(以上)

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野中ともよ氏、三洋電機CEOに就任!

R30さんとこで教えていただきましたが、
三洋電機CEOに野中ともよ氏、社長に井植敏雅副社長 (NIKKEI NET)
だそうです。(びっくり。)
株主の観点からコーポレートガバナンスを束ねる「取締役会議長」ならソニーさんの中谷巌さんのケースなどもありまだわかりますが、CEOって「Chief Executive Officer」=「オフィサー(実務部門)の親玉」なわけで、実業のご経験がなくて出来るもんなのかしらん?
ただ、三洋電機さんクラスだと、「CEOが実務の細かいところまで陣頭指揮を取らなきゃいけないことはないくらいスタッフは充実している」という意味で十分「大企業」だが、「過去からのしがらみで撤退すべきところから撤退してない等、資本の論理が徹底していない」という意味では「中堅企業的」なのかも知れないので、「外部の目から見て”あたりまえ”のことをやっていく」だけで、結構効果があるのかも知れませんね・・・・(って、よく存じませんが・・・)
一社外取締役は「機関」ではないので、ニッポン放送の時に前面に出てこなかったのは仕方ないとして、今度は「CEO」ですから、マスコミにも登場されるんでしょうね。野中ともよさんという方がどんな方なのか、今度はよくわかってくるんじゃないでしょうか。
(三洋電機さん、株価は午後上がってますね。)
ではまた。

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生きてます

ブログの更新をサボってたら、「ご病気ですか?」等お問い合わせをいただくようになりましたが、
生きてます。元気です。
家の周りの桜も満開になってウラウラしてたら、あっという間に2日も経ってました。
「磯崎死亡説」(笑)が流れる前に、取り急ぎ。
(ではまた。)

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「サラリーマン」によって日本の資本市場は歪められているか?

よくトラックバックをいただく「債券・株・為替 中年金融マンぐっちーさんの金持ちまっしぐら」さんのブログで、非常に興味深い記事がありました。
債券相場とサラリーマンのふか〜い関係
という記事ですが、曰く、「日本の債券市場はサラリーマンと役人しか参加していないから、へんてこりんなマーケット」だということで、お知り合いが1999年から現在まで6年間の債券先物市場を分析したところ、この6年間の債券先物の15ポイントの値上がりのうち、前場の上げ幅合計がわずか0.3ポイント、残りは全部後場だという結果が出たとか。
曜日別に見ると、金曜日に15ポイント中7ポイントが集中とのこと。
ご本人もおっしゃってますが、にわかには信じがたいデータですね。
「サラリーマン」によって市場は歪められているか
この現象に対するぐっちーさんの説明としては、

これこそサラリーマン相場の特徴だったんです。
個人の判断ではなく会社の判断で買うぞ、と月曜日の会議かなんかで決まる訳です。よーし、買うんなら今買っちゃおうぜ、とはならない。サラリーマンたるものじっくり買うタイミングを待つ訳です。そして、結局買えずにずるずる週末を向かえ、やみくもに買う、というサラリーマン心理の典型が表れるわけです。月曜日に買って仮にさがったりなんかすると、「軽率だ」という評価を受けますが、金曜日に買ってやられても「慎重な判断に基づいてのことだった」といういいわけがたつ訳です。サラリーマンの世界では軽率な奴が一番出世できません。あほでもばかでも慎重なやつが出世するというのがおきまりです。(中略)
この法則は債券に関しては恐ろしくあてはまります。先送り相場・・・という訳ですね。すなわち、その日の末、週末、月末、年度末・・・・すべて買いは末に集中する傾向にあるんです。

とのこと。
上記のデータについては、私が直接分析したわけではないので何とも申せません。理屈として考えれば、それだけわかりやすい市場のゆがみがあるなら、適当なアービトラージャーが登場すれば、そのサヤは取れるはずなので市場としては均されていくはずなんですが。ただ、「サラリーマン・ファンドマネージャー」の行動についてのご説明は、「さもありなん」という感じはしますね。
短期売買は「アホな」投資方法なのか
仮に、こうした「サラリーマン」の行動が株式市場にも当てはまるとすると、個人投資家の信用評価率が市場平均に対して勝っているという(これもにわかには信じられない)現象も説明が可能な気がしてきます。
つまり、オンライン証券が登場する前は、日本の市場はやはり「サラリーマン」中心の市場だったわけで、銀行の持ち合い解消で機関投資家による売買が減少する中、外人投資家とともに個人投資家が参入、流動性のかなりの部分を供給する主体になってます。(個人投資家にサラリーマンが含まれないという意味ではありませんので念のため。)
よく、「短期売買するやつはアホだ」「長期保有のバリュー投資こそが正しい」というようなことをおっしゃる方がいらっしゃるわけですが、短期売買も実際にはただヤミクモに売買してるだけではなくて、(マクロ的に見ると結果として)背景に存在する上述のような市場の大きな「ゆがみ」を短期でアービトラージしていることになっているとも考えられます。
もし短期売買が「アホな」投資スタイルだとしたら、そういう投資家の方は損失の発生により自然に資金を失ってマクロ的な影響は無くなるはずなので放っておけばいいわけですし、もし短期売買をする層がマクロ的に見た影響力を有するようになってくるということであれば、それは、やはり何らかの「理由」のある投資方法だということが言えるのではないかと思います。
私もバックグラウンド的にはどちらかというと「バリュー」的な教育を受けてきたし、デイトレの手法もよくわからない部分がありますが、バリュー投資というのも「理論的に考えられる企業価値と実際の株価との差に注目した一種のアービトラージ」とも考えられますので、もしかしたら、長期に保有するバリュー投資よりも、短期的にポジションを手仕舞ってリスクヘッジしていくデイトレ的な手法の方がリスク−リターンがよくなってきているのかも知れません。
最近発見した中岡望氏のブログの記事で、ウォーレン・バフェット率いるバークシャー・ハザウエイのパフォーマンスについて詳しく解説されてますが、同社のパフォーマンスも2003年から市場平均を下回ってきているとのことですので、一部の信者の方による「バフェット=神様」という説も、説得力が無くなりはじめている気もします。
ブログと個人投資家の相似性
少なくとも、インターネットの普及やコンテンツの充実で、投資に必要な情報流通の様態がこの5年間で全く変わってしまったということだけは確かでしょう。従来であれば、数ヶ月・数百万円の調査コストのかかるような情報が、現在は個人でも数分の検索でタダで手に入れられるようになってきています。
ネットで既存のジャーナリズムとブログの関係が盛んに議論されてますが、機関投資家と個人投資家の関係も、これと非常によく似た構造に見えます。
つまり既存の大組織を全否定するわけではないし、個人のパワーを全面的に礼賛するわけでもないですが、個人ならではの優位性のあるニッチは確実に存在するのではないかという気がします。(そして、その「新しく出てきた領域」が「長期保有のバリュー投資」であるとはちょっと考えにくい。)
「サラリーマン市場」は続く?
債券市場と違って、株式市場は今や、よりバラエティに富んだ市場参加者によって構成されてますので、こうした「ゆがみ」は解消されてきている・・・かと思いきや、預金保険機構の玉木氏の著書;
年金2008年問題—市場を歪める巨大資金
玉木 伸介 (著)

のとおり、公的年金の資金150兆円!(150億円とか1兆5千億円とかじゃなくて150兆円!)が2008年まで市場に流入しつつあるとのこと。
市場というのは生き物であって、「必ず儲かる手法」があるんだったらみんなそれをやるはずですので、基本的に「この投資手法が絶対である」という話には眉に唾をつけておいた方がよろしいのではないかと思います。
が、上記の公的年金の資金のほとんどすべては「サラリーマン」によって運用が決められることになるんでしょうから、もしかしたら今後も当面、「市場の構造的なゆがみ」は簡単には消えないのかも知れません。
(ではまた。)
ご注意:
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