日本では金持ちは幸せになれないのか(その2)

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(本日、仕事ではディープな作業をしてましたので[苦笑]、またまた漠然とした一般論で恐縮ですが。)
日本では金持ちは幸せになれないのかに、いろいろコメント・トラックバックいただきましてありがとうございました。
「金と幸せは別だろ?」という反応が結構多かったですが、おっしゃるとおりかと思います。
実際、「金のため」に起業して成功してる人ってあまり見かけないですよね。
大きな夢と実力がある経営者に ファイナンスに強い相棒が付いている場合には成功してる例が多いですが、逆にトップがカネの計算には強いけど他のことはよくわからないというベンチャーはイケてないことが多い気がします。(これ、おそらく日本だけじゃなくて、アメリカでもそうでしょう。)
(金融業以外)、ファイナンスの技術はあくまで「ツール」であって、メインであってはならないんでしょうね。
(私自身も「世の中全てカネやで〜」とか言ってる人よりは、夢を追って目をキラキラさせてる人の方が好きなわけでして・・・。)
ただし、世の中全体を考える場合には「金と幸せは別だろ」というわけにはいかない。例えば、GDPが対前年5%下がったとしたら、「収入が多少減っても自分が幸せと思えば幸せ」で済むかというとそうではなくて、ほぼ確実に世の中「エラいこと」になります。
(ミクロでもマクロでも)経済学自体も、「お金があればあるほど幸せ」というのをベースに組み立てられてるわけでして。(個々人がどうかはともかく)全体的・一般的には、「お金があるほど幸せになれる」モードの社会になっている必要があるんじゃないか?という問題意識、だったわけです。
「ごくせんと証券取引法」でも書きましたが、やはりこのへん、個人の素直な感覚と社会全体がうまくいくルールの間にはギャップがあるんでしょうか。
それとも、「一人一人の個人はカネがあまり欲しいと思ってないのに、企業は国際的に競争力がありGDPも高いレベルで保たれている」という状態は、今後も(今後は?)成立しうるんでしょうか?
それとも、組織のトップになるような層は「滅私」で、中間のボリュームゾーンが「カネよこせ〜」状態であり、ニート等やる気のない層はやはりカネには興味がない、というような構成がマクロ的には美しいんでしょうかね?
「マズローの欲求段階説」的にも、ある程度カネがたまってきたら「名誉」とか別のものを目指そうとするから、あまりカネの効用は無くてもいいのかも知れませんね。(お金持ちの気持ちはよく存じませんので、何とも言えませんが・・・。)
(ではまた。)

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18 thoughts on “日本では金持ちは幸せになれないのか(その2)

  1. 磯崎さんの言いたいことは私も非常によくわかる。
    同じようなことを考えていたので。
    このあたりは、まさに国体や文化の問題なのでしょうね。
    >「一人一人の個人はカネがあまり欲しいと思ってないのに、企業は国際的に競争力があ
    >りGDPも高いレベルで保たれている」という状態は、今後も(今後は?)成立しうるんでしょう>か?
    これを成立させるのが、ナショナリズムでしょう。
    山本一郎氏は「ナショナリズムは偽善インテリは嫌がるけど、実は立派な社会資本」という言葉は重要。

  2. 社会発展の原動力は何か?という観点で考えた場合、
    個人の「金持ちになりたい」という欲求は、社会発展の一助にはなる
    かもしれないけど、すべてになるかといえばそうではないわね。
    これまでの日本は、「みんなで豊かになろう」というあいまいな価値観が
    社会発展の原動力だったように思うけど、価値観の多様化に伴い、
    希望格差社会なんていわれるようになっているわけで、個々人には選択
    の自由が与えられているということになるんじゃないかしら?
    (What’s your happiness ?)
    人によって幸せの形は様々だから、かならずしも金を持ちになりたいという
    欲求を持つことは悪いことではないと思うけど、そのための手段を選ばず
    というのは、結果として金持ちになれないような気がするわね。
    (悪銭身につかずというやつね。)
    金持ちであることを誰からも認められ、非難なく存在そのものを納得して
    もらいたいのであれば、そういう人物はノブリス・オブリージェたる自覚が
    必要なのではないかしら?
    (万人に認められたければ人格者でなければ駄目ということかしらね?)
    そういう成功者が賞賛される状況になってはじめて、個人の欲求が社会の
    共通の欲求になったとき、感覚的なギャップがなくなるんじゃないかと思うわ。
    だとしたら嫌われたら駄目だわね。(笑)
    長文失礼しました。(また長くなってしまった・・・。)

  3. 「経済学に『お金があればあるほど幸せ』というベースが必要」ということと「経済が回っていくには皆が『お金があればあるほど幸せ』と思っていることが必要」ということの間には結構距離がある気がします。後者は資本主義にはあまり修正を効かせ過ぎない方がいいという価値判断で、前者は後者の立場を所与とした場合の分析に需要が大きい又はそうしないと問題が解けないという事実を示しているのではないでしょうか。

  4. 以前、波頭亮氏が本の中で、ニート(その当時は言葉がなかったのでフリーター)についてこう指摘している。
    「若者がなぜ『頑張ること』を放棄したのかといえば、それは『頑張る』という
    『投資』の量と、その結果として得られると想定される『利益』の量とを彼らな
    りに比較し、検討した結果、その最も効率的な行動は『頑張らない』ことだとい
    う計算が成り立ったからである。いわば、彼らなりのROIを指標として適用して
    いるのだ。サラリーマンとして毎日、一生懸命働いたとしても、いつ勤め先が倒
    産したり、リストラされるかも分からないいま、一生懸命働けば働くほど、頑張
    れば頑張るほど投資量だけが増加して、ROIのマイナスは大きくなる。なぜなら、
    頑張ろうが怠けようが、彼らには得るものにたいして変わりはないと映っている
    からである。ならば、投資を大きくすればするほど、リターンの非効率も大きく
    なるから、なるべく頑張らないのが彼らなりの合理的行動だという判断になる」
    なるほどと思います。働かないで失業保険をもらった方が、正社員で下手に働くよりも良い暮らしができますし。日本のいまの構造は、がんばるひとに若者と公共団体と土建屋が寄生して、そのエキスをすっている構造なのかもしれません。

  5. 本文中の最後の方に書かれてる
    >組織のトップになるような層は「滅私」で、中間のボリュームゾーンが「カネよこせ〜」状態であり、ニート等やる気のない層はやはりカネには興味がない、というような構成がマクロ的には美しいんでしょうかね?
    で、同意します。なかなかいいバランスなんじゃないかと。ニート層が微妙にも思えますが。
    というか、「中流」のライフスタイルだって、変化・成長し続けているものだと思うのです。
    皆の「中流でいいや」という意識に変化がなくても、その中流向け産業の中身は変わっているわけで、そちらにGDPの成長を期待するべきではないかと。
    金持ちが増えてプライベートジェット産業が発達する、と考えるのではなくて、
    庶民でもプライベートジェットを持てるようにする、と考えるわけです。その結果でも産業は発達します。
    競争力に関しては、本人のやる気と、企業内外での競争によって保たれるようにするものかと、思います。

  6. 仕事と生活が切り離されているから、幸せになれないのだとおもう。
    そうだなぁ、例えば、
    大企業の大手町の大ビルディングの最上界の、
    経営者のゾーンを託児所施設に変えるとか。
    で、役員は、昼間は社員の子供の子守りをし、
    夜飲みにいくのでなく、社員が帰ったあと、戦略会議をしっかりする。
    つまらない、見栄をはっている人は、金があろうとなかろうと、
    幸せにはなれない。
    見栄と合理性が相反するから。

  7. ほりえもん、ハードランディング!!

    本日の読売の一面
    http://www.yomiuri.co.jp/main/news/20050413it01.htm
    いよいよ泣きが入ったというのが正解でしょう。
    終値292円では万事休す。堀江さんも上場しているのは経営者の責任だ、とおっしゃるなら、株価を半分にしちゃった責任をお取りになるべきでしょぎ..

  8. > 経済学自体も、『お金があればあるほど幸せ』というのをベースに組み立てられてる
    確かにお金の限界効用は一定で、人は流動性を選好する、かもしれません。が、それは「あるほど幸せ」というより、「少ないよりは多い方を選ぶ」「多くても別に困らない」という話で、幸福とは直接関係ないように思います。むしろ、幸福とは別に、「人や会社は、お金を集める強い動機がある(集めるよう動機づけられている)」と理解した方がよいように思われます。経済学が直接に幸福を扱う学問だとは思われません。
    所得格差については、クルーグマンが著書で「所得格差が多い世界より、少ない世界の方がよいと思う」と書いていたのが印象的でした。グリーンスパンも LTCM の救済に関する議会証言で、同趣旨のことを述べたそうで、これまた意外で、印象的ではあります。

  9. 金って何かという意識が希薄な気がしますね。お金は可算化した権利の指標でしょう。
    人が元々与えられている権利は自分自身、そして社会化していく課程で社会で共有する資本へのアクセスを許され、さらに社会での振る舞いによって他の人に割り当てられている権利やリザーブされている権利を信任される。経済システムの中で成果を出せばより大きな権利を任される。成果というのは他の権利ホルダーの利得です。自分自身の多幸感だけのために費やせば社会的な貢献が少なくなるので任される権利も減る。投資と同じです。
    仮想化された権利のある一面に過ぎないのでお金という「点数」が必ずしも望む現実に対応するわけではありません。点数の運用というのは点数を増やすことではなく、実現したいことへ最小の点数消費で至ること、そしてより大きな実現可能性を拓く事でしょう。どう使うかの組み立てが経営者の能力だと思います。畑違いで過剰な資金を任されればむしろ苦痛になるはず。退蔵はペナルティです。
    つまるところ金にまつわる幸せというのは自分の器、特性、才能という資源を金という抽象概念を組み合わせることでポテンシャルをどこまで生かせるかという達成感。滅私じゃないですよね、これ男児の本懐ですよ。
    ホリエモンは金で女(心)が買えると言っていましたが、普通に考えればものすごく効率悪いですよね。金で美味しいものを食うというのもしかり。じゃあ女が勝手に寄って来る色気とプロ並みの調理の腕の嫁でも居れば無職のヒモでもホリエモンの目標たる「幸せ」を獲得できるんでしょうか。
    私の知り合いで金にガツガツしてる奴(収入は並)を観察していると何か買いたいというわけではなく、高額商品を買うことによって、買える資産があるということによって敬意を得たいようでした。これも効率悪そうだなと思います。
    そんな効率の悪い運用をコソコソするならまだしも堂々としてれば信任を失っても仕方ないでしょう。
    経済的な長者はメタな権利を収集しているので影響が限定され余りありませんが、今後影響力が大きくなって参加者の心証を悪くすれば歴史上の政治家が失脚するように吊るされてもおかしくは無いです。経済成長より政情の不安を招きかねません。共産主義という理屈は否定されても革命を実現した動機はそれ以前から、そしてこれからもずっとあるわけです。
    そして、賭場の規模を大きくするのに必要なのは青天井ルールじゃなくて低いテラ銭と誰でも勝つ可能性のあるルールでしょ。

  10. [読書]金持ちについての、盛者必衰?

    お金持ちは、もっと金持ちになりたいんじゃないでしょうかね? 本心はどうかは別として…… 少なくとも、自分は、自分のお金が底を尽くことには不安はあります…… お金を使うことが当たり前の習慣になると、中々辛いかも。 と、ある本を思い出しました。 江戸時代にお…

  11. [economy]お金を持つことの幸せ

    とまあ破格の大金持ちの話を受けて。
    「「幸福の政治経済学—人々の幸せを促進するものは何か」を読む」(@A.R.N [日記]4/17付)によると、次のように金があればあるほど幸せではないということです。
    経済学を学んだものから見ると、一番ショックなのは「先進国におい…