EDINET開示の義務化とXBRL

もう20年以上も前の話になりますが、私が社会人になってはじめてやった新人研修の一つが、「有価証券報告書の書き写し」。今頃6月の時期は、3月期決算の会社の有価証券報告書が大量に提出され一年で最も忙しい時期になるので、新人研修と称して手伝わされるわけです。有価証券報告書に記載されている財務諸表は、各社科目の表記がバラバラなので、単純にコンピュータに入力しても他社比較や統計処理ができない。このため、科目の意味を解釈しながら、「人力で」有価証券報告書に記入されている数字を、一つ一つ統一された勘定科目体系の中に書き写していくのです。_| ̄|○
しかも、NECのPC9801のパソコンが会社に一台あるかどうか、OSもN88-BASIC(MS-DOSとかってのがあるみたいだけど、なんじゃそれ? )という古代のお話ですので、当然のことながら、書き写す先は「紙」。検算は電卓。その部門のプロのおねいさん方はそろばん、でした。
これを磁気テープに落として、1ユーザー1年分確か数百万円(!)で売っていたと記憶しています。当時は、大手銀行などの金融機関など、審査をやるようなところはそのくらいコストをかけるニーズがあったのでしょう。
EDINET開示の義務化
本日の日経に、この6月から、有価証券報告書はすべてEDINETへの電子的な開示が義務付けられることになっている、という記事が載ってます。
EDINET:http://info.edinet.go.jp/
今回のEDINET提出のデータフォーマットは、ただのHTML等のようです。HTMLというのは単に「人間」が読むためのフォーマットに過ぎませんので、その中身が何を意味するのかは「機械」にはわからない。こうしたデータをコンピュータが理解できる(自動処理できる)ようにしようというのが、ご案内のとおり、XMLです。有価証券報告書などの財務諸表部分も当然、XML化が検討されていますが、それが「XBRL」です。
XBRL Japan (リンク切れ等多い・・。)
http://www.xbrl-jp.org/
XBRL International
http://www.xbrl.org/
関連記事:
http://bizns.nikkeibp.co.jp/cgi-bin/search/wcs-bun.cgi?ID=125430&FORM=biztechnews
XBRLとは何か
XBRL とは「eXtensible Business Reporting Language」の略。会計版のXMLです。
詳しくは、下記の「FACT BOOK」に詳しく書かれています。
http://www.xbrl-jp.org/download/XBRLFACTBOOK_ver.3.1.pdf
会計というのは、比較的定義がきちっとしているわりに、理解するのはややこしいので、まさにXML化がバシッ!っとハマるところではないかと思います。
XBRL Japanの会員には、メジャーな銀行、コンピュータベンダー、会計パッケージ会社や証券印刷会社さんなども参加し、税務申告や有価証券報告書にも使う検討が進んでいるなど、日本のXBRLに対する取り組みは、海外と比べても比較的熱い感じになっているようです。
参考過去log(XBRLではありませんが、税務申告書もXML化されました。):
https://www.tez.com/blog/archives/000013.html
https://www.tez.com/blog/archives/000014.html
XBRL普及の影響
で、XBRLを導入するとどうなるか、というのは、まず、前述のような私がやったような書き写し読み替えの手間がいらない。「何という科目の金額は、売上原価に入る科目」だ、というのは、XMLで定義されているわけなので、自動的に共通フォーマットにもなるし、比較もできやすくなる、というわけです。
ま、でも、それって、何百社も分析する人ならまだしも、数社程度の財務諸表を見るような一般の人にそれほどメリットがあることってわけでもない・・・。
私も、昨年7月に開催されたXBRLの「第6回シンポジウムに、(半分、「XMLになったからって、どーなのよ?」という気持ちで)参加したのですが、一番「ワオ!」って感じだったのが、外国の財務諸表が一瞬にして他の国の財務諸表にコンバートできるデモ。
例えば、中国の財務諸表だったらま漢字なのでまだ何となく意味が取れても、ハングルで書かれた財務諸表とかフランス語で書かれた財務諸表などは読んでもワケが分かりまへーん、という感じでしたが、そういうものも一瞬にして日本語とか英語の財務諸表に変身するわけです。
しかも、科目の「意味」や、その国の会計基準も電子的に定義されていますので、単純に科目の名称を「翻訳」するだけでなく、表示まで自動で変更することが可能。例えば、自己株式を資産の部に計上している国の財務諸表が、ボタン一つで資本の部のマイナスで表示されるとか。
XBRLが普及してくると、例えば、海外企業への投資のデューデリをするとか、海外企業からの買収を受ける際の初期の交渉なんかが、相当スピードアップするかも知れません。
海外証券市場への上場や、海外企業の日本の証券市場への上場などの際も、開示のためのコストの大幅な削減につながるかも。
また、有価証券報告書というのは、そもそも株式投資をする人のためにあるわけですが、現在、有価証券報告書をちゃんと読んで投資をしている個人投資家の方というのはほとんどいらっしゃらないんじゃないでしょうか。
XBRLはXMLなので、Excelのマクロで処理できてしまうところもお手軽です。
XBRLの周辺モジュールとして、グラフを書いたり、計数分析したりというようなEXCELベース等のものがいっぱいできてくると、財務分析のノウハウは急速に「コモディティ化」するかも知れません。
また、投資したい証券の銘柄を指定すると、XBRLベースの財務諸表データを自動的に引っ張ってきて、同業他社比較や財務的問題点などの財務分析をビジュアルに瞬時に表示してくれるような「エージェント」的なサービスもYahoo!ファイナンスとかLivedoorファイナンスなどの投資情報サービスには必ず付いてくることになるんでしょうね。
ご参考まで。
参考:
2003.10.24発表:税務用財務諸表XBRLタクソノミー(セット)の一部(クリックで拡大)

jp-bs-2003-08-31(s).jpg

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開示のインセンティブと情報のカオス性

Blogで情報を開示したら損か得か、というお話の続きです。
仮に、blog等で開示しようとしている情報の属する領域が「不完全情報ゲーム」的な世界で、その隠されている情報を知られると不利になるケースでは、開示した情報から元情報が推測されうるかどうかが問題となります。
つまり、開示した情報から元情報が推測しにくければ、開示しても問題はない。
開示した情報から元情報が簡単に推測できるのなら開示するのはまずい、ということになります。
例えば、下記のグラフからは、背後にある規則性を見出すことは非常に難しいですが、
image005.gif
実はこれは、「カオス」の教科書によく出てくる「ロジスティック写像」
xn+1=axn(1-xn)
で、a=4 、x0=0.4のケースという、非常に単純な式から生み出されるグラフです。
このように「カオス性」が強いことほど、書いてる本人の脳みそは単純でも、読んでる人は「なにやらすごい複雑で頭がよさそうな人だなー」と思うかも知れませんし、情報を開示しても、元ネタがバレる可能性も少ない。
一方、
image006.gif
こーんなかんじだと、しゃべってることの背後にある規則が非常に単純だということがすぐバレちゃうわけです。
カオスだけでなくより一般化すると、開示された情報から開示されていない情報の規則性を探り出すことがどの程度困難なのかというのは、暗号の強度に関する考え方と同じになると考えられますが、それについての研究は山ほどあります。(引用略)
また、「解読」のしやすさは、もちろん、開示される情報の「量」にも関係してきます。
image008.gif
上記程度の開示量だと、規則性が推測しにくくても、
image010.gif
このくらい開示されると、「あの、浦安系の関数・・・?」というような推測も成り立ってくるわけです。w
(ではまた。)

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情報のオープン化と火の海のトロイ

「トロイ」見てきました。
「元祖セキュリティホール(笑)」
って感じですね。
うちの奥さんは、タイタニックを見れば「レオさま〜」、百式の田口さんを見れば「田口さ〜ん」と、しばらく目がハート状態になっちゃう人ですが、今回も案の定、「ブラピさま〜」状態に陥ってます。
それはさておき。
本日、とある企業で話していたら、
「磯崎さん。blogを始めたはいいけど、いろんな人から『読んでますよ』とか言われて止めるに止められなくなって、続けるのがプレッシャーになったりしてません?(笑)」
てなことを訊かれました。
ご心配なく。基本的に私の場合、純粋に自分のためというか、調べたいことを調べて書きたいことを書いて、お気楽極楽にやらしていただいております。

メタ記憶とオープンな社会
私も梅田さんと同じく、blogを書くことで自分の知識が後で検索できる、というところが非常に気に入ってます。
以前、「あるある大辞典」だったか「ホムンクルス」だったか、「単純な記憶をつかさどる脳の海馬は歳を重ねるごとに衰えていくが、メタ記憶をつかさどる前頭葉は脳細胞のネットワークの結合が歳を経るごとに複雑化・高度化していく」という説をTVで紹介してました。つまり、年をとると「あの人、何て名前だっけ?」というド忘れは多くなるが、「似たようなことが○○に書いてあるはず」というようなメタ記憶はより強化されるということ。
今後も当面は、AI的な検索より単純な情報を高速検索する技術の方が進歩するはずなので、知識のオープンな社会は、私のようなジイさまの領域に足を踏み入れかけている者にとっては非常に朗報かも知れません。(つまりジイさまのほうがオープン化社会の「勝ち組」になる可能性もあるかも。)
というわけで、他人の読みやすさとか適度なボリュームとかへの配慮など全くなく、とにかく、思いついたことを書き留められるだけ書き留めることにしております。(すんまへん。)

オープン化に向く知識と向かない知識
また、「私も自分の知識の整理のためにblogに書き込み始めたけど、結局、公開していい情報といけない情報があるので、途中でメゲちゃった。」というような話もよく聞きます。
blogで情報を公開して本人にメリットがあるかどうかは、知識の種類にもよるかも知れませんね。例えば、「刀鍛冶」とか「能」とかクローズドが似合う世界のノウハウは、あまり開示しても開示者にメリットないかも。
ところが、このisologueで扱っている、情報通信とか、法律、税務、会計、財務といった領域は、期せずしてどれも基本的な情報がネット上でオープンになっている度合いが高いものばかり。
しかしながら、情報通信の領域については「オープン」という概念が広く浸透してきたのに対し、法律・税務・会計・財務といった領域は、超過利潤の度合いが従来は非常に高かったこともあり、情報をオープン化しようというマインドが低い領域なのではないかと思います。
(以前のエントリー「弁護士事務所の『オープン化』」参照。)
ただ、要素情報がほとんど開示されてきましたので、今後はどうなるんでしょうか。

「完全情報ゲーム」における知識の価値
つまり、法律・税務・会計・財務などは、マージャンのような「不完全情報ゲーム」というより、将棋や碁のように基本的な情報がすべて開示されている「完全情報ゲーム」ゲームに近いわけです。
ところが、要素がすべて開示されているから誰もが羽生名人に勝てるかというと、そうではない。むしろ情報を完全にオープンにしたほうが、一般人とプロが戦った場合の差が激しくなる。だから、「オープンな社会」というのと「平等な社会」というのは、まったく別の概念かと。(関連エントリー「オープンな社会とベンチャー」

lattice(的)モデルによる例示
簡単なモデルで見て見ましょう。
あることを行うために必要な局面が10個あって、その局面ごとにさらに10種類の選択肢があるとして。下図の様に、実は、局面1については「3」、局面2について「7」、局面3については「5」・・・というように選択していくと、1億円の価値があることが行えるとします。
image002.gif
このとき、すべての選択肢の情報が詳細に開示されていたとしても、総当りでこの組み合わせをすべて当たると100億通りになっちゃいますので、1つの選択肢を検討するコストが仮に10円だとしても、平均で500億円くらい使わないと1億円にたどり着けない。(というか実際には途中であきらめる。)
これに対して、「3-7-5-4・・・1」という「組み合わせ」を知っていれば、コスト100円くらいで1億円の価値に到達することができるわけです。
情報がオープンな社会でも「ノウハウ」は価値を持つ、ということですね。

ノウハウの価値とリアルオプション
また、上の図を「lattice model」と見ると、ノウハウの価値とは、「局面ごとに正しい選択肢を100%選択することができる権利のリアルオプション的価値である」と考えることもできるのではないかと思います。

総当りの限界と「バカの壁」
また、「バカの壁」の「バカ」という言葉は処理能力自体が低いことをイメージさせますが、上記のように要素の組合せ数が選択肢数のn乗のオーダーで増加していくときには、どんな超高速コンピュータであってもすぐに処理不可能なことになります。(ご参考:「決算公告と宇宙の寿命」
思考停止しちゃうのは、バカというよりは、非常に合理的な脳の機能とも考えられるんじゃないかと思います。
(トロイのブラピ風に言えば、「神々は人間に嫉妬している。人間の思考能力は有限だからこそ、自分以外の何かを信じて生きていくことができる。」てな感じでしょうか。)

情報のオープン化と火の海のトロイ
前述の例に戻ると、個々の選択肢だけでなく、この「3-7-5-4・・・1」という「組み合わせ」の情報自体もオープンになってしまうと、あっと言う間に1億円の価値が100円になってしまいます。あたかも、トロイの木馬に潜んだ兵士たちによって門が内側から開けられ、あっという間にトロイが火の海になるかのように。
これが「ノウハウ」の価値の恐ろしいところ。
法律・税務・会計・財務といった領域で、今後、そういった現象が起こっていくのか、はたまた資格などの壁に防御されて、そういった現象は起きないのか、非常に興味深いところです。

(以 上)

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消費者金融の金利は「安すぎる」?

krpさんも書いてらっしゃいましたが、三菱東京とアコム、三井住友とプロミスなど、銀行と消費者金融業者の接近が進んでいます。
「消費者金融専業者」は日本独自の業態
もともと、「消費者金融専業」という業態は、世界に類を見ない特異な業態です。なぜ、このような業態が成立したか、というのは、もともと日本の制度が「ゆがんで」いたから、だと言えるのではないかと思います。
欧米では、消費者に対する信用の供与は、クレジットカードにより「銀行が」行ってます。日本ではクレジットカードというのは「原則翌月払い」のカードのことですが、欧米ではクレジットの名のとおり、リボ払いなどで信用残高がたまり、銀行はその残高に対して金利収入が得られるビジネスになってます。
つまり「銀行」=「クレジットカード会社」=「消費者金融業者」。
現在の、銀行と消費者金融業者が一体化していく流れは、経済原理上もともと「当然そうあるべき」状態になりつつあるのだ、とも考えられるのではないかと思います。
クレジットカードと銀行の分離の歴史
なぜ、そのような日本独自の業態が成立しえたのか。
まず、銀行とクレジットカードが「分離」せざるを得なかったのは、銀行の監督官庁が旧大蔵省、クレジットカードは「割賦販売」からの流れで旧通産省という、「なわばりの違い」があったからです。で、国際的には銀行本体が営むのが当然であったクレジットカード(issuer)業務が銀行から切り離されるという「ゆがんだ」形になってしまった。
銀行と消費者金融の分離
もうひとつは、利息制限法の存在が大きいのではないかと思います。
現在の日本の利息に関する規制は、下記の図のようになってます。
利息制限法(下図の黄色い部分)の上限を超えたものは、民事上「無効」ですが、別に刑事罰があるわけではありません。ので、必ずしも「違法」ではない。
商売で貸金を行う業者は、「出資法」(出資の受入れ、預り金及び金利等の取締りに関する法律)第5条�の金利(29.2%)を超えると刑事罰があるので、これを超えると完全な「違法」金利ということになります。
(貸金業法(貸金業の規制等に関する法律)では、直接には金利の上限は定めていません。)
image002.gif
大手の消費者金融業者のみでなく大手のクレジットカード会社も、上図で灰色の部分、通称「グレーゾーン金利」という領域に食い込んで営業しています。
ここは、民事的には無効だが刑事罰はないという「不思議な」空間になってます。
「高金利」の合理性(業者側の論理)
さて、「29.2%」というような数字を聞くと、普通の人は「暴利だ!」と感じるかと思いますが、あながちそうとも言いきれません。
下図は、50,000円の小口融資1回につき、それぞれ1000円〜5000円のコストがかかった場合に、それを回収するためにいくらくらいの利息を取る必要があるか、というのをグラフにしたものです。
image004.gif
図のように50,000円の小口融資の場合、仮に3000円コストがかかるのに30日程度で返済されてしまうと、70%程度の金利をとってもトントン、1000円しかコストがかからないとしても、30日で返済されてしまうと24%は利息を取らないと利益が出ません。
おまけに、利息制限法第3条、出資法第5条7項等の「みなし利息」の規定により、金利は安くして金利以外の手数料等の名目でこうしたコストを回収しようとしても、それも利息とみなされてしまいます。
そもそも普通はどんなビジネスであれ、原価を回収する程度のフィーをもらうことは許されるはずですが、こと貸金業では、それは「ダメ」ということになっちゃいます。
5000万円の資金を6ヶ月融資するというような話なら数%の金利で十分ペイするわけですが、数万円の小口で便利な消費者金融をやろうとすると、なかなか利息制限法の範囲内でやろうとすると難しい、ということになります。
銀行本体による消費者金融業の可能性
国会で、利息制限法の撤廃とか、短期で小口の場合には利息制限法の上限を引き上げましょう、というような話をしようとしても、「借り手保護」や「国民感情」の観点からそれも難しいかも知れませんね。(実際、30日で返せば年29.2%で合理性があっても、ズルズル借りてしまうのが人間なので。)
ということは、しばらくは銀行とは別会社の形で、利息制限法の上限を超えた「グレーゾーン」の融資を行うことは続くのではないかと思います。
日本の銀行が復活するには、リテール(という名のサラ金&街金)の領域に踏み込んでいかないと収益が確保できないのは明らか。
ただし、わかってる人は20年も前から「銀行は大企業融資などでは食えなくなる」と言ってたものの、いまだに大手銀行の人の様子を聞くと、一般にはまだ「大企業融資=エリート」、「リテール?ケッ!」ということで意識改革も進んでないようなので、ま、そういうマインド面からも統合への道のりはまだ長そうです。
ただ、「銀行を復活させる」ために、銀証分離の原則をとっぱらって銀行に証券仲介業までやらせる法律を通しちゃったわけですから、毒食わば皿まで、利息制限法の改正くらいはお茶の子でやっちゃうかも知れないですね。
(ではまた。)
参考資料:
利息制限法
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S29/S29HO100.html
(利息の最高限)
第一条  金銭を目的とする消費貸借上の利息の契約は、その利息が左の利率により計算した金額をこえるときは、その超過部分につき無効とする。
元本が十万円未満の場合          年二割
元本が十万円以上百万円未満の場合  年一割八分
元本が百万円以上の場合          年一割五分
2  債務者は、前項の超過部分を任意に支払つたときは、同項の規定にかかわらず、その返還を請求することができない。
(みなし利息)
第三条  前二条の規定の適用については、金銭を目的とする消費貸借に関し債権者の受ける元本以外の金銭は、礼金、割引金、手数料、調査料その他何らの名義をもつてするを問わず、利息とみなす。但し、契約の締結及び債務の弁済の費用は、この限りでない。
出資の受入れ、預り金及び金利等の取締りに関する法律(出資法)
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S29/S29HO195.html
(高金利の処罰)
第五条  金銭の貸付けを行う者が、年百九・五パーセント(二月二十九日を含む一年については年百九・八パーセントとし、一日当たりについては〇・三パーセントとする。)を超える割合による利息(債務の不履行について予定される賠償額を含む。以下同じ。)の契約をしたときは、五年以下の懲役若しくは千万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
2  前項の規定にかかわらず、金銭の貸付けを行う者が業として金銭の貸付けを行う場合において、年二十九・二パーセント(二月二十九日を含む一年については年二十九・二八パーセントとし、一日当たりについては〇・〇八パーセントとする。)を超える割合による利息の契約をしたときは、五年以下の懲役若しくは千万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
3  前二項に規定する割合を超える割合による利息を受領し、又はその支払を要求した者は、五年以下の懲役若しくは千万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
4  前三項の規定の適用については、貸付けの期間が十五日未満であるときは、これを十五日として利息を計算するものとする。
5  第一項から第三項までの規定の適用については、利息を天引する方法による金銭の貸付けにあつては、その交付額を元本額として利息を計算するものとする。
6  一年分に満たない利息を元本に組み入れる契約がある場合においては、元利金のうち当初の元本を超える金額を利息とみなして第一項から第三項までの規定を適用する。
7  金銭の貸付けを行う者がその貸付けに関し受ける金銭は、礼金、割引料、手数料、調査料その他何らの名義をもつてするを問わず、利息とみなして第一項及び第二項の規定を適用する。貸し付けられた金銭について支払を受領し、又は要求する者が、その受領又は要求に関し受ける元本以外の金銭についても、同様に利息とみなして第三項の規定を適用する。

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コーポレートガバナンス格付け基準

木村剛さんからトラックバックいただきました。ありがとうございます。
木村さんもおっしゃるとおり、コーポレートガバナンスは「器」ではなく、実態としてそれが機能しているかどうかの議論が重要です。
というわけで、昨日と同じく、こうした「実態」を分析する取り組みについて。
Law Maniacのminori_takahashiさんが、日本の「特定非営利活動法人株主オンブズマン」について紹介されてましたが、今週号の週刊ダイヤモンドでは、P119ページで「Institutional Shareholder Services, Inc. (ISS)」という米国(営利)企業のコーポレートガバナンス格付けについて紹介しています。
ISSのホームページによると、同社は、

Institutional Shareholder Services, Inc. (ISS) is the world’s leading provider of proxy voting and corporate governance services. ISS serves more than 950 institutional and corporate clients worldwide with its core business – analyzing proxies and issuing informed research and objective vote recommendations for more than 10,000 U.S. and 12,000 non-U.S. shareholder meetings each year.

というようなことをやっている会社だ、とのこと。
米国のように資本市場が発達してくると、株主に代わっていろんな分析や手続きをやってくれるいろんな「エージェント」的サービスが出てきます。
この会社も、世界22,000社に関して、機関投資家に代わってコーポレートガバナンス上の分析や議決権行使を行ってくれるサービスを提供しています。
minori_takahashiさんがおっしゃってた「それゆえ、株主さんに申し上げるのです。数字だけではなく、会社の『ありよう』にも、注意を向けてください。」というのは、大変すばらしいことですが、同時に「つらい」ことでもあります。ある程度そういう「ありよう」を分析できるスタッフがいそうな機関投資家にとっても「つらい」。人間、つらいことはやらない。でもやる必要がある。で、資本市場に「厚み」のある社会では、そういうのを代行してくれる会社がビジネスモデルとして成立してくる、ということかと思います。
資本市場後進国の会社の株主は、しこしこ自分で分析をしないといけない、っちゅーことでしょうね。
(しつこいようですが、またこの図を掲げます。)
financial_assets4.JPG
このICC、「Corporate Governance Quotient (CGQ)」というコーポレートガバナンスについての格付けを行っています。この格付けの、評価基準があるのですが、USでない企業の場合、以下のような55の評価項目で分析されるようです。
項目として、「内部統制の充実度」に関する項目が抜けてるかなー、という感じですね。
米国の企業改革法でもかなりいろいろ盛り込まれたと思いますが、日本の委員会等設置会社に関する法令(商法特例法21条の7第1項2号、商法施行規則第193条←これ、結構、よく考えられた項目だと思うんですよ)などで定義される、内部監査体制、リスク管理、コンプライアンス管理などのあたりも、評価項目として盛り込む必要があるかと思います。
株主への開示資料には、なかなかそこまで読み取れ無いんでしょうか。(そういう開示についても、突きつけていく必要はあると思うんですけどね。)
http://www.issproxy.com/corporate/corpgov/nonusratingcriteria.asp
(以下、日本語部分は筆者コメント。)
Board(取締役会)
1 Board Composition(取締役の報酬)
2 Nominating Committee(指名委員会)
3 Compensation Committee(報酬委員会)
4 Governance Committee(ガバナンス委員会)
5 Board Structure(取締役会の構造)
6 Board Size(取締役会のサイズ:大きすぎても小さすぎてもダメなんでしょうね。)
7 Changes In Board Size(人数の変更)
8 Cumulative Voting(累積投票)
9 Boards Served On – CEO
10 Boards Served On – Other Than CEO
11 Former CEOs
12 Chairman/CEO Separation(会長とCEOの分離。これ、トレンドですね。)
13 Board Guidelines
14 Response To Shareholder Proposals(株主提案に対する取扱)
15 Board Attendance(出席状況?)
16 Board Vacancies(空席状況)
17 Related Party Transactions(利益相反取引の状況)
Audit(監査)
18 Audit Committee(監査委員会)
19 Audit Fees(監査報酬)
20 Auditor Rotation(監査人がどのくらいの年数で交代しているか。)
21 Auditor Ratification(会計監査人の承認状況?)
Charter/Bylaws(定款等)
22-27 Features of Poison Pills(ポイズンピルの構成)
28-29 Vote Requirements
30 Written Consent
31 Special Meetings
32 Board Amendments
33 Capital Structure
Anti-Takeover Provisions
34 Anti-Takeover Provisions Applicable Under Country (local) Laws(買収防衛策。やはり、このへんは株主の権利との利害相反になる可能性がある、ということでしょう。)
Executive and Director Compensation (このへんも、米国ではシビアですね。)
35 Cost of Option Plans
36-37 Option Re-pricing
38 Shareholder Approval of Option Plans
39 Compensation Committee Interlocks
40 Director Compensation
41 Pension Plans For Non-Employee Directors
42 Option Expensing
43 Option Burn Rate
(以下のURLによると、Option Burn Rateとは「発行済株式数に対するストックオプションの比率」の意味のようです。
http://www.tiaa-crefinstitute.org/Publications/pubarts/pdfs/pa04-05-01.pdf
http://www.upenn.edu/researchatpenn/article.php?569&bus
44 Corporate Loans
Qualitative Factors
45 Retirement Age for Directors(年齢!)
46 Board Performance Review
47 Meetings of Outside Directors
48 CEO Succession Plan
49 Outside Advisors Available To Board
50 Directors Resign Upon Job Change
Ownership
51 Director Ownership(Googleのdual class株式なんかはどう判断されるんでしょうか。)
52 Executive Stock Ownership Guidelines
53 Director Stock Ownership Guidelines
54 Officer And Director Stock Ownership
Director Education
55 Director Education(学歴?
この項目が効いてくるとすると、MBAの取締役が(ますます)増えることになったりするかも知れませんね。指名委員会としても、MBA以外の人を取締役やCEOに指名するとする場合には、その人が「公開会社の経営を仕切れるだけの経営上の知識やノウハウがある」ということを証明できないと、善管注意義務で訴訟の対象になったり、ということになるんでしょうか・・・。いやはや。)
(以上)

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「濃ゆい」社外取締役と委員会等設置会社

Law Maniacのminori_takahashiさんからトラックバックいただきました。
「急がば回れ − 監査役制度はまだまだ続く」
http://lawmaniac.exblog.jp/447055

こちらもいつも勉強させていただいております。<(_ _)>
minori_takahashiさんのおっしゃるご趣旨を勝手に要約させていただきますと、「株主の権利一票一票を使うことが大切。だけど、監査役制度中心なのはそんなにすぐには変わっていかないよ。」ということかと思います。
私は「どうせ株主の権利を使ってどんどん提案していくのであれば、ベストなガバナンスの方向を提案していったほうがいい」し「やるなら変わりそうな企業、変わらなきゃいけない企業から重点的にアタックしたほうがいい」と思います。
日本監査役協会が、会員企業を対象に実施した「委員会等設置会社への移行動向等 コーポレートガバナンスに関するアンケートの集計結果」も掲げてらっしゃいますが、この結果は、アンケート用紙を配布した先が「監査役」だ、ということも考える必要があると思いますよ。(実は、私も一票回答しているんですが。)
日本監査役協会は、全社が委員会等設置会社になったら、「監査役協会」じゃなくなっちゃうということも要考慮、かと。
会社(とりわけ監査役)は自らを変える気はあまりないのが通例だと思います。会社が自ら変わる気が無いからこそ株主のパワーが必要だ、というロジックなわけですよね?
株主がパワーを出すのに「監査役をもうちょっといい人に変えろ」というのは、なんか本筋ではない気がして、パワーを出そうにも気合が入らない気がします。
今週号の週刊ダイヤモンドに、「社外取締役は機能したか−ガバナンス改革一年の決算」という特集があります。ガバナンスの鍵を握るのは社外取締役だが、その人がこの1年どんなことをやってきたのか?という内容ですが、IBMの椎名氏とか、オリックスの宮内氏、野村ホールディングスの社外監査役の久保利弁護士などの「大物社外取締役」がインタビューに答えていて、どこの会社でどういうガバナンスが模索されているのかのイメージが垣間見えて非常に参考になりました。(うーん「濃ゆい」方ばっかり。)
この記事に載っている大物ほどではないにしても、やはり、「顔の濃い」社外の人が、あるべきガバナンスの鍵なんではないかと思います。社長が「濃い」んだったら、「薄い顔」の人では対抗できない。脂系には脂系をぶつけないと。w
Googleの社外取締役も「濃」かったですよね。(以下、再掲

L. John Doerr: ベンチャーキャピタルKleiner Perkins Caufield & ByersのGeneral Partnerで、Amazon.com、 drugstore.com、 Homestore.com、Intuit、palmOne、 Sun Microsystemsなどのdirectorを兼任。
John L. Hennessy:Stanford大学President、Cisco Systemsの取締役経験者。
Arthur D. Levinson:Genentechの会長兼CEO、Apple Computerのdirector等経験者。
Michael Moritz:これも言わずと知れたSequoia CapitalのGeneral Partner。
Paul S. Otellini:IntelのPresident and COO経験者
K. Ram Shriram:Netscapeの初期経営メンバー、(Amazon.comに買収された)Junglee のCEO、Amazon.comのVice President of Business Developmentなどを歴任。

このメンバーですら、「腰抜け」と呼ばれたりするわけですから、日本の監査役制度を変えたくないなんて言ってる会社になんて、遠慮せずに「『濃い』社外の人間をガバナンスに入れろ!」と、ガンガン言ってやればよろしいんじゃないでしょうか。
となると、そういう「濃い」方を呼んでくるのに、「監査役やってください(でも、取締役会の議決権はないですけどね)」というのもちょっと座りが悪い。
繰り返しになりますが、監査役は、取締役の違法行為差止請求権とか訴訟とか、いろいろすごい権力は持っていますが、スゴすぎて「抜いてはならない伝家の宝刀」になってしまっているところが問題かと。権利を行使するときは「自分も切腹覚悟」ってな悲壮感がにじんでいる感じ。
当然、取締役会への出席権もあるわけですが、「必要アリト認ムルトキハ意見ヲ述ブルコトヲ要ス」(商法260条ノ3)てな権限を使って発言するというのもちょっとモノモノしい。
取締役メンバー以外に黙って座っている方が3人も4人もいるというのも、会議の雰囲気としてはマイナスじゃないでしょうか。
やはり、「濃い」社外の方に来ていただくとすれば、「対等な」関係でケンケンガクガク議論して、取締役としての議決権行使という「抜きやすい刀」を持って話し合いをする方が、「どーせ抜かないだろう」という宝刀を持っている人と対峙するよりは、緊迫感もバツグンかと。
となると、そういう「濃い人たち」を見張る「薄い顔の」監査役はあまり意味がなくなるので、自動的に委員会等設置会社の方がいいということになってくるんではないかと思います。
社長というのも、威張っているようでも実は孤独なことが多いので、そういう対等に意見を言ってくれる人とディスカッションしながら意思決定できる方が、会社としても栄えると思います。
松山太河さんのメルマガ「DEN」前回号(6/13)より。

「己の周りに己より賢い人物を集めた男 ここに眠る」

                  アンドリュー・カーネギー(米鉄鋼王)

(ではまた。)

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監査役への「期待ギャップ」は解消できるか

土曜日曜に続き、「監査役Trilogy完結編」(?)、です。
「マンションは、こうだ!」さんからコメントを、その他以下のとおりトラックバックも2件いただいてます。ありがとうございます。
「企業法務についてあれこれの雑記:監査役を働かせる為には」より。

監査役をマトモに働かせる一番手っ取り早くて効果的な方法は、じゃんじゃんばりばり株主代表訴訟を提起することなんじゃないかと思ってます。
で、最近世論を気にするようになった裁判所が柔軟な判決(賠償責任までは認めないが、業務態度を非難する、など)を出すようになれば、少しはましになるんじゃないかと思うんだけど・・・いかがでしょうか。
つまりは、isologさんのエントリーにある図に、「訴えられても勝てるけれど、裁判所に文句を言われる」ラインを高い位置に書き加える、と。

image002.gif
「ある米国公認会計士の鎌倉からロンドンへの道:監査役の権限」より。

しかしながら、「会計士が変わった」直接の原因は「責任追及がきちんと行われる」ようになったからであり、日本の金融危機やエンロン事件などにより訴訟リスクが顕在化したことによるものです。現行制度上で監査役が変わるにはやはり訴訟リスクにさらされる必要があるかと思います。監査役が何をどこまでやれば責任を回避できるかについては商法に明文がない以上、社会通念と監査役監査基準等の自主ルールのバランスで決まっていくものだと思います。だとすれば、「株主総会に足を運んで質問したり、委任状によるとしても議案ごとに議決権を行使したり、株主としての責任を、積極的に果た」すことも、社会通念を変えるという意味ではあながち間違った方向ではないかと思うのですが、遠回り過ぎですかね?

「期待ギャップ」は解消できるか
訴訟リスクを高めて監査役に緊張感を持たせるとか、株主を含めた世論を形成するというのはもちろん大切なことだと思います。
制度が最低水準として想定している監査レベルと世間が期待する監査レベルとの差を、監査論では「期待ギャップ」と言いますが、この期待ギャップは当然埋めていかないといけません。
ただ、「期待ギャップ」には、企業側の努力で解消していけるものもあるが、そうでないものもあります。
例えば、監査というのは、あくまで「サンプリング」に基いて行われるわけで、一定の事実を見逃していたからといって、それを見逃したことに重大な過失がなければ、監査役の責任を問うことは難しい。数万人の大企業のやっていることをたった4人程度で監査するわけですから(苦笑)、漏れがないなんてことは全知全能でない限り無理ですわね。
また、監査というのは、基本的には「指摘」をするだけで、「よーし、お前らがやる気がねえなら、オレが会社を変えてやる!」と、自分で手を下しては「いけない」わけです。被監査部門からは明確に責任・権限が分離されてないといけない。
(逆に、そうしたことは、訴訟の時の「いいわけ」になってしまう可能性も大きい。)
そういうことは一般の人は大抵知らないので、「ギャップ」はどうしても残ってしまうとは思います。
また、「会計士が変わった」のと違う点として、
・ 専門家による監査ではない。
・ 「グローバル・スタンダードw」な制度ではない。(そもそも、どこまで権限と責任を厳しくすればいいのかの力加減が明確ではない。)
というところは重要かと思います。
専門家による監査ではないこと
公認会計士は一定の水準の試験をパスし実務経験を積んでいる人達ですので、「当然ここまでは知ってて当然だよな?」「これを見落としていたってのは、重大な過失じゃないの?」という線引きを、比較的すっきり引くことができます。
また、監査法人業界は寡占構造化がますます進んでいるので、監査法人内で監査レベルを保つための内部牽制的なしくみを作り上げることが可能ですし、会計士協会でも毎年一定単位の研修が義務付けられるなど、業界をあげて監査のレベルアップを図ろうという動きも可能です。
これに対して、昨日述べましたとおり、商法が想定している監査役は、特定の知識・経験を要求しているものではありません。フツーの従業員だった人でもなれます。
従業員だった人が監査役になるというのは、「社長に頭が上がらず」というような悪いことばっかりとも言えなくて、例えば、その会社の製造技術に非常に詳しい造詣を持った人が、そうした観点から監査することで、外部の第三者ではできない監査ができる可能性もあるわけです。会計や法律は、そうした専門知識を持った人に「アウトソース」しやすい領域なわけですが、商法が監査役に、その会社の事業の中身を考えた業務の妥当性の監査まで求めているとすると、それは外の人ではわからない部分も多いので、元従業員しか活躍できない領域も無いとは言えません。
法律で「監査役の資格として必要な水準」を明確に定めれば、「何でこんなことにも気づかなかったんだ。アホー!」と監査役を責め立てやすくもなるわけですが、「誰でもなれる」ポジションである限り、いくら訴訟を増やそうが、監査役を追い詰めることは難しいところがあります。
日本は「法治国家」ですので、世論が感情的になればリンチ的な判決が出せるわけじゃなくて、基本的には法律や過去の判例等をベースに監査役の責任が判断されるわけです。
で、昨日述べたとおり、過去の判例は、監査役によっぽどの悪意がない限り、ほぼ監査役の全勝といったところ。
会社によっては、「専門家」を監査役に据えてらっしゃるところも多くなってきましたが、この手は有効かと思います。弁護士なのに「その法律は知りませんでした」とかはいいづらいので、責任を問える範囲は広がります。「北風と太陽」で、いくら寒い風を吹かせても監査役制度はよくならないかも知れませんが、会社が「その気」になれば、そういう専門家を監査役に配置することで、期待ギャップは小さくなると思います。
「グローバル・スタンダードw」な制度ではないこと
もともと日本の商法は戦前、ドイツの商法を参考に、監査役が強い制度だったわけですが、戦後、米軍占領下で、「なんじゃ?この監査役ってのは?」「日本の株式会社にも、アメリカ風のboardシステムを導入すべし」「よくわからんので、監査役っちゅーのも残しとこか」という経緯で、昭和25年の商法改正で大幅に権限が縮小されながら生き残ったものです。
(参考:https://www.tez.com/blog/archives/000059.html
つまり、憲法第9条と同じくらい経緯的にはナニだが、もしかしたら世界に誇れる制度なのかも知れませんね、という、日本独自のよーわからん制度なわけです。
「グローバル・スタンダード」がいいのかどうかはともかく、国際的なコーポレートガバナンスの変化とか、アメリカのSarbanes-Oxley法的な要素を取り入れましょうというときに、そうしたものとの整合性をどうしようかというところが非常に難しいことになるのは間違いないかと思います。
(実際、監査機関としての独立性などについて、米国上場の日本企業などでご苦労もあるようです。
参考:日本監査役協会、米国企業改革法に関するSEC規則案に対し協会意見提出
http://www.kansa.or.jp/PDF/ns030218j.pdf
常勤監査役と経済的独立性
最後に一つだけ。
常勤監査役(商法特例法18条2項)ってのもちょっとナニな制度ですよね。
「常勤」の定義が、24時間会社にいろってことなのか、週に1日来ればOKなのか、法律のどこにも書いてないですし。
監査法人は不適正意見出してその会社が潰れても他にも仕事はあるわけですが、その会社にべったり張り付いてる監査役は、正義を貫いて会社が無くなったら生きてけないじゃないですか。もちろん、りっぱに活躍されている監査役の方もいらっしゃいますが、一般論としては、そういう人に厳しい意見をいうことを期待するのは難しいわけで。
監査は、会社に長時間居れば居るほどいい監査ができるってもんでもないかと。他の会社の空気も吸うから客観的な観点から意見がいえるとか、経済的にも独立性が保てるということもあるわけです。
株式公開を経験した会社の人に聞いたら、主幹事証券に「(どーせ何もしないんだから)、常勤監査役の給料がちょっと高すぎるんじゃないでしょうか」てなことまで指導された、とか。
(ああ、かわいそうな監査役制度。)
委員会等設置会社への移行
コーポレートガバナンスをビシッとするには、(アメリカかぶれてなご批判もあろうかと思いますが)委員会等設置会社に移行して監査役を廃止するというのが、一つのわかりやすい手かと思います。
監査役は株主総会により選任されるので、政治における「そんな政治家を選んでいる国民も悪い」てな議論と同じで堂々巡りなところがありますが、委員会等設置会社において監査委員会メンバーを選ぶのは取締役会の責任になります。
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取締役同士が相互監査するというのは、監査人と被監査対象がごっちゃになるというデメリットもあるかも知れませんが、ショボい監査委員を選んだ取締役会は「コーポレートガバナンスを本気で考えていなかった」ということで責められる可能性は格段に高まりますし、強大な権力を持つ「天敵がいない」存在であるがゆえに逆に監査役を形骸化させざるを得ないという矛盾もなくなり、責任の取れる独立性の高い人を据えようということになるメリットの方が格段に大きいのではないかと思います。
ではまた。

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監査役にはどんな要件が必要とされるのか

昨日につづいて、監査役についての考察をもう一発。
Law Maniac「その、監査役を選ぶのは、誰か」より。

 私は、メディアではなく、上場各社の株をお持ちの株主さんに申し上げたい。
取締役や監査役の職務遂行に、ダイレクトにYES・NOをつきつけられるのは、株主さんだけです。
 株主総会に足を運んで質問したり、委任状によるとしても議案ごとに議決権を行使したり、株主としての責任を、積極的に果たしてください。
 その積み重ねが、会社を「良く」する原動力になります。

おっしゃるとおりですごい正論なんですが、実際問題としてはちょっとキツい面もあるかと思います。
株主総会がどう関わればいいのか?
昨日、監査役は、独立性が強く保証された「裁判官」の位置づけに非常によく似ていると申し上げたんですが、株主総会での監査役の選任ってのも「最高裁判所裁判官の国民審査」に非常にノリが似てませんか?
選挙に出かけるとき、衆議院議員に誰を選ぶかは結構新聞等をよく読んで検討する人はそこそこいらっしゃると思うんですが、そういう結構マジメな人でも、投票所に行って見ると、「ん?最高裁判所裁判官の国民審査?あー、そんなのあったっけね。よくわかんねーからテキトーで。」ということになる人が98%以上(磯崎推定)ではないかと思います。
日本の三権の一つを国民が直接審査するわけで、これって、非常に大切なことのはずですが・・・そんなもんです。
参考:最高裁判所裁判官国民審査法
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S22/S22HO136.html
監査役に求められる「素養」
最高裁判所の裁判官というのは、司法試験も受かって司法修習や実務も経験している「プロ」なわけですから、まあそんなもんでいいかも知れません。
また、衆議院や参議院の議員になるのに試験が不要なのと同様、取締役になるのには試験は不要だと思います。新しい発想やバランス感覚なんてのは試験じゃわからないので。
ところが、裁判官になるのに試験は必要だが、監査役に試験が不要と言っていいかどうかというと、ちょっとビミョーです。
だって、監査役がチェックする必要のあることその1、「監査法人の監査の相当性」を判断しろつっても、「会計監査とはどのように行われるべきか」というのがわかってないと監査法人にツッコミの入れようがないですよね?
そのレベルって、公認会計士試験に受かれとは言わないまでも、少なくとも、試験範囲(簿記・原価計算・財務諸表論・監査論・商法・経営学・経済学・民法・税法)あたりの一通りの知識は欲しいところじゃないですか?
「○○監査法人の監査の方法および結果は、相当とは認められない。」てなことを監査役が監査報告書に書いたら、株価も大暴落だし、その監査法人の信用にまで大きく傷が付く大問題になります。生半可な会計監査の知識しか持たない人が、そんな会社を潰しかねない判断をするとしたら、非常に怖いお話で。(しかも、誰もそれを止められない!)
その2「適法性」の監査についても、司法試験に受かれとは言わないまでも、民法、会社法、手形小切手法などの商売の基礎的な法律知識をベースとして、その会社の業務に必要な法律の一通りの知識は必要ですよね。でないと、生半可な知識で「取締役の職務遂行に関して、法令若しくは定款に違反する重大な事実を認めた。」なんて言ってもらっても、これまた困っちゃいます。
これも会社を潰しかねない話なわけですから、指摘される取締役も死に物狂いで反論してくるはず。それを論破するためには、非常に高度な知識と論理構成力が必要になります。
以上は「お勉強」的なお話ですが、今度の監査役監査基準では、今まで監査役の業務の範囲からははずれるというのが通説だったその3「妥当性監査」についても監査役の監査範囲に取り込んでいます。(isologueバックナンバー、「経営判断の原則」参照)
つまり、取締役が意思決定をする際の、情報収集、シミュレーション、専門家のアドバイス等は適切に活用されているかどうか、経費の効率や投資のリスクとリターンはどうなのか等が十分かどうか、的確なバランス感覚で判断が行えることが必要になります。
これも、MBAを取れとは言わないものの、それに準ずるような一通りの知識や実務経験が必要ですよね?
つまり、監査役というのは、マジメにやろうと思えば、ものすごい知識と見識が求められる役職なわけです。
昨日のエントリーに書いたとおり、監査役としての注意義務は果たしてました、という「訴えられてもなんとか勝てるレベル」はそれほど高いレベルは必要とされません。ただし、みなさんが監査役に求められているのは、取締役を論破し、または説き伏せ、経営の変革に火をつけるようなレベルであって、それは、公認会計士や弁護士と対等に会計や法律や経営についてディスカッションできるようなレベルじゃないすか?
山口さん曰く「会計士は(少しは)変わった。今度は監査役」
確かに会計士はもともとプロとしての知識と経験はあったわけですから、あとは気合を入れて倫理観を高めればよかったかも知れません。
ただ、監査役は「やる気」だけで「変われる」でしょうか?
image002.gif
訴えられて勝てるレベルと「あるべき(?)」監査役のレベルって、ブレーキ性能に例えたら、軽自動車のドラムブレーキとBremboのディスクブレーキくらい違うかと。
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(© Brembo)

Law Maniacのminoriさん曰く
「株主総会に足を運んで質問したり、委任状によるとしても議案ごとに議決権を行使したり、株主としての責任を、積極的に果たしてください。その積み重ねが、会社を「良く」する原動力になります。」
・・・って、積み重ねても原動力にならないと思うなあ。
経営陣自らが監査機能の重要性に気づくか、機関投資家や再生ファンドなどがガツーンと「監査役に弁護士と公認会計士(レベルの人)を入れろ」とか言わないと、変わらないと思うですよ。
そういうのが「本質論」であり、「感情の赴くまま、その時任せの論調」でない、「現実を踏まえた地に足のついた議論」ではありまへんでっしゃろか。
(ではまた。)

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監査役の権限と「オーラ」

週刊!木村剛「マスコミが指摘しないカネボウと三菱自動車の共通点は何か?」で、木村剛さんが、監査役の責任についてコメントされているので、本日はそれについて。

じつは、ひとつ、マスコミが全く取り上げていない重大なポイントがある。
 それは、監査役の責任論だ。
 カネボウのケースは、簡単に言えば粉飾決算に関する容疑なのだから、その件に関して、監査役は当然に責任を負っている。三菱自動車の件も法律違反が対象となっているので、これも当然に監査役の責任範囲にあるはず。ところが不思議なことに、マスコミでは、この2件に対して監査役の責任を問う声が全く聞かれない。何たることか。

日本の監査役制度がうまく機能していないんじゃないかという問題意識については、私もまったく同感です。しかし、マスコミがこの2件の監査役の責任を問わないのは、監査役制度に無関心ということもさることながら、監査役の責任が実際問題として「問えない」部分があるからではないかとも思います。
監査役の「オーラ」
社団法人日本監査役協会は、毎年、6月の定時株主総会シーズンの後に、新任監査役のための基礎知識講座というのを開催します。日本監査役協会ってどんなところ?というのに前からちょっと興味があったんですが、昨年、(ついに?)この会に出席する機会がやってきました。
昨年のソレは、有楽町の東京国際フォーラムの5千人以上入れる大ホールで開催。会場に近づくと、一目でそれとわかる新任監査役のオジサマ方が会場に向かってたくさん歩いてらっしゃいます。全員グレー系の地味なスーツで年齢もほとんどが60歳以上。みなさんを包む「オーラ」は「枯れている」という表現がぴったりの感じ。よく経営者にいる「顔から脂がしたたってる」とか「首の太い」タイプの方は皆無。
東京国際フォーラムの超近代的な建物の巨大な階段を、グレーのスーツに身を包んだ数百人もの初老の方々が黙々と登っていかれる。これ、「ガタカ」とかの未来SFの1シーンを見ているようで、非常にシュールでございました。
会場に入ると、千人は超えようという出席者のうち、女性は数名。
私は、ユニクロのシャツとズボンてな格好で行ったのですが、そんな格好してるやつも、40代前半以下の人も(私が見る限り)皆無でした。
監査役の権限は絶大
以前、結構有名なベンチャー企業の社長とメシを食っているときに、「ところで、監査役って何する人なんですか?うちにもいるけど何やってるかよくわかんなくて。」と言われて、結構びっくり。(苦笑)
ことほどさようによく知られていない監査役は、その「オーラ」から、あまり権限がないと思われていることも多いのですが、やることは取締役の「見張り」で、組織図上も取締役会の「上」、株主総会の直下に書かれていることが多いですし、実は、商法上も絶大な権力を持っています。
例えば、

第二百七十五条ノ二
 取締役ガ会社ノ目的ノ範囲内ニ在ラザル行為其ノ他法令又ハ定款ニ違反スル行為ヲ為シ之ニ因リ会社ニ著シキ損害ヲ生ズル虞アル場合ニ於テハ監査役ハ取締役ニ対シ其ノ行為ヲ止ムベキコトヲ請求スルコトヲ得
� 裁判所ハ仮処分ヲ以テ取締役ニ対シ其ノ行為ヲ止ムベキコトヲ命ズルニハ担保ヲ立テシムルコトヲ要セズ

ということで、取締役の行為を強制的に差し止める権限もありますし、

商法第二百七十五条ノ四
 会社ガ取締役ニ対シ又ハ取締役ガ会社ニ対シ訴ヲ提起スル場合ニ於テハ其ノ訴ニ付テハ監査役会社ヲ代表ス(以下略)

と、取締役を訴えることもできる。その場合は監査役が会社の「代表者」です。
また、監査役が監査報告書に「取締役が不適法なことをやっていた」てなことを書いたらその会社「アウト」ですし、前回の商法改正で任期も4年に。クビにしようとしても、株主総会で「不当に辞めさせられた!」と陳述することもできます

第二百七十五条ノ三ノ二
 監査役ヲ辞任シタル者ハ其ノ後最初ニ招集セラレタル株主総会ニ出席シ其ノ旨及理由ヲ述ブルコトヲ得

こうした強大な権限をうまく使えば、「制度上、会社をちょっと脅せば、監査役は居座ろうと思えば永遠に居座れる(笑)」てなことをおっしゃる弁護士さんもいらっしゃいます。
つまり、監査役は誰にも監査されない。天敵がいない。
株主総会だけは監査役を解任させられますが、監査役の解任決議を取締役会が株主総会に上げられなかったら実際には解任できない。解任させられたという話も聞いたことがない。
また、監査役は「独任制」を取っており、原則として各監査役は「監査役会」の決議にも拘束されません。裁判官が法律で独立性を保証されているのと同様、監査役にも極めて高い独立性が保証されているわけです。
こんな強大な権限を持っている監査役に「顔の脂ぎった人」「野心マンマンな人」などをすえた日には、もしかしたらとんでもないことになるかも知れない、ということで、おのずと企業はそういう人ではなく、「無害」っぽい「枯れた」人を据えよう、ということになる。
戦後の監査役制度の歴史は、監査役の権限を強化する歴史だったわけです。しかし、日本の監査役制度の問題点は、権限が小さすぎることではなく、むしろ権限が大きすぎることに問題があるのかも知れません。
監査役の責任は限定的
会社の不祥事などで監査役が訴えられた判例というのはいくつかあるようですが、よほどあからさまに悪いことをしない限り裁判ではほぼ「全勝」のようです。
また、木村さん曰く、

カネボウのケースは、簡単に言えば粉飾決算に関する容疑なのだから、その件に関して、監査役は当然に責任を負っている。

とのことですが、「当然」かどうかは結構ビミョーなところです。
商法上の中会社以下の会社の監査役は、会計に関して監査を行う必要がありますが、大会社(資本金5億円以上または負債200億円以上)は、会計部分はプロである監査法人に任せ、監査役は、その監査法人の監査方法および結果が「相当」であったかどうかの判断を行うだけです。(株式会社の監査等に関する商法の特例に関する法律第14条3項1号)
「相当」というのは、「明らかにヘンなことをやっていたというわけではない」くらいの意味で、「適切」とか「妥当」とかよりかなり弱い言葉です。
もちろん、監査役には監査法人に文句を言う権限はあるわけですが、会計の専門家とも限らない監査役に、会計のプロである監査法人のやり方が「明らかにヘンでっせ」と指摘させるというのは、一般論としてはちょっと無理があるかと思います。
「監査役も自分で独自に帳簿とかチェックすりゃいいじゃん?」と思われる方も多いと思いますが、従業員100人の会社ならまだしも、カネボウは連結で14,027人、売上で4300億円以上もあります。そんな会社の大量の帳簿を専門家でない方が見ても、何か発見できる可能性は低い。
監査役には、その他、適法性のチェックや重要な会議への出席などの仕事もあるので、帳簿を自分でひっくり返さなかったとしても、監査役に求められる注意義務を怠った、ということにも必ずしもならないと思われます。
木村さんの「コーポレートガバナンスにおいて監査役が機能してないんじゃないか?」という問題意識は非常に正しいと思うのですが、「なぜ、責任を問わないのだ?」というのの答えは簡単で、「実際問題責任が問えない(可能性が高い)から」ではないかと思います。
孤高の監査役
監査役の「手足」をどうするのかというのは、商法理論上、結構議論のあるところです。
会社には「内部監査室」みたいな組織があるところもあり、監査役とそういう部門が協調してワークすることで効果的な監査をやったらどうか、ということも当然考えられます。が、そういう「内部監査室」も取締役が設置し役職員がやっているため、監査役にとっては「監査対象」に相当するわけで、「部下」として使えるかというとビミョーなところ。
「監査役室」みたいのも、秘書機能くらいしかないところも多いです。
監査法人であれば、大人数でチームを組んで現場に乗り込んで、ということもできるわけですが、「手足の無い」監査役は、一人孤高に監査をしなければならない、って感じ。
監査役が10人いる会社というのもヘンですし、10人いたとしても、監査役は「独任制」ですので、それを「チーム」として束ねることは商法理論上は難しい。(当然、協力しても全然OKなのですが。)裁判官などと同じく各自「勝手に」判断して「勝手に」行動する権限が法律上保証されてます。
もちろん、外部のコンサルファームなどにフィーを払って、そのチームに社内の監査の作業をやらせてその陣頭指揮を執る、というような監査役の姿も考えられなくもないですし、その費用を請求する権利も商法上保証されています(商法279条ノ2)。が、そこまでやるのが一般的とか、それをやらないと裁判で負けるかというと、そうはなってないかと思います。
両社の監査役はどんな人?
EDINET で両社の監査役を見てみると、
カネボウの前期の有価証券報告書を見ると、監査役は4名、常勤2名。(ちなみに、お生まれは、それぞれお、昭和11年、18年、17年、9年・・・。)
弁護士の方が1名いらっしゃいますが、他の3名は、40年来カネボウの役職員だった方々です。
平成17年5月以降施行の商法では、社外監査役は半数以上いなければいけなくて、その定義も「(生まれてから一度も)その会社の役職員でなかった者」(商法特例法第18条1項)になるのですが、改正までは定義が、「その就任の前五年間会社又はその子会社の役職員でなかった者」なので、5年間会社から離れてホトボリを冷ましていれば社外監査役に該当します。カネボウの「社外監査役」のうち弁護士でない方の方は、平成元年に「ファッション経理部長」を勤められていた経歴のある、モロ元従業員の方です。

商法特例法第18条1項
(平成14年5月 改正前)
会社にあつては、監査役は、三人以上で、そのうち一人以上は、その就任の前五年間会社又はその子会社の取締役又は支配人その他の使用人でなかつた者でなければならない。
(平成17年5月1日 施行分)
 大会社にあつては、監査役は、三人以上で、そのうち半数以上は、その就任前に大会社又はその子大会社の取締役、執行役又は支配人その他の使用人となつたことがない者でなければならない。

三菱自動車の前期の有価証券報告書を見ると、こちらも監査役4名、常勤2名。
こちらは、経歴を拝見する限り、カネボウよりはかなりマシかと。社外監査役は、三菱重工の常務と、東京三菱銀行の副頭取(両方現職)です。
(ちなみに、お生まれは昭和17年、18年、20年、16年。)
特にこのお二人は、リコールについて法令違反などの事実をつかんでいたら、当然、「ちゃんとやれ!」と言いそうですし、社会的にも言える立場にはあったかと思います。が実際、そうした情報が監査役に入るしくみになっていたとも思えないですし、また、現場を訪ねて、書類を自らひっくり返すというような作業をやられる方とは思えません。
監査役は、取締役が構築するそうした「しくみ」を監査して文句を言えるだけで、自ら(監査対象である)従業員を指揮してそうした内部統制システムを作り上げる、ということをやっていいかどうかというのも商法上は、ビミョーなわけで。
委員会等設置会社の監査委員会
かように、監査役というのは強大な権限を持っておりながら、責任については必ずしも明確とは言えない。そんな人に暴れられてはたまったもんじゃないから、もともと「枯れた」人が据えられる。
「天敵のいない生物」がいる生態系をうまくいかせようというのは、そもそもビミョーなところがあるわけです。
こうした問題点の反省を元に、14年の商法改正で「委員会等設置会社」が導入されました。
この会社では、監査役は廃止され、アメリカのboardシステムと同様、取締役で構成される「監査委員会」が監査役と同様の監査を行うことになります。
取締役は「相互監視」が基本ですので、「監査委員」にも「天敵」が存在することになります。
ある程度「やる気のある」人を据えても、制度上、監査役よりは暴走する可能性は小さい。
監査委員会メンバー自体も、株主総会でなく、取締役の中から取締役会の決定で選任されることになります。
また、監査委員も「取締役」ですので、「監査役」という言葉が持つ「アガっちゃった感」が薄まってるかも知れないですね。取締役会メンバーでもあるので、経営の意思決定の決議にも参画します。
監査役は「ツッコミ専門」だったのが、監査委員は「ノリツッコミOK」になるわけです。
監査委員の独立性も保った上で、「監査委員会」は「チーム」として活動することが法律上も前提となりましたし、監査委員会の「手足」となる部隊を持てるようになったことも大きい。内部統制システム、コンプラやリスク管理との関連も明確に定義されました。(商法特例法21条の7第1項2号、商法施行規則第193条)
木村さんは「監査役の責任を追及せよ」とおっしゃいますが、以上のとおりそれら2社の監査役はよほどの「ヘマ」をやってない限り責任追求するのは難しいと思います。以上のように、法が想定しているのは、まさに「裁判官」のように基本的には裁判所に座ってるイメージで、(権限はあっても)「刑事」の機能まで強制されているとは考えにくいからです。
また、今さら監査役中心にコーポレートガバナンスを強化するよりは、例えば、上場会社には委員会等設置会社、または、それに準ずるしくみで、(見識のある)社外取締役や内部統制システムと連動したガバナンスのシステムを取り入れるように促していくというほうが建設的な気もします。
監査役制度の最大の問題が「監査役自身に対する監査は誰がするの?」ということだとしても、監査役を取締役に見張らせるのは、「監査役の権限を弱める」ことになるので、そちら方向への法改正は難しいと思われるわけです。
ご参考:isologue過去エントリー
「ベンチャーこそ委員会等設置会社」
https://www.tez.com/blog/archives/000031.html
「Googleのガバナンス構造の整理」
https://www.tez.com/blog/archives/000074.html
7月の上旬に、日本監査役協会で委員会等設置会社に移行した企業の監査委員の方々の会合に出席させていただく予定になってます。ご案内のとおり、委員会等設置会社に移行した企業はまだ少数ですが、ソニー、野村ホールディングス、オリックス、東芝など、コーポレートガバナンスに積極的と考えられる会社さんばかりなので、ちょっと楽しみにしております。
過去の出席者の資料を拝見すると、やはり年齢は私より20歳くらい上の方が多いようなので、「ノリ」が合うのか、ちょっと不安ではありますが・・・。
(ではまた。)

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買収対抗策←種類株式の充実?

本日の日経朝刊19面「大機小機、種類株式制度の充実を」(「悠憂」氏)より。
Googleの公開でも話題になった、種類株式による買収防衛策のお話です。
コラムの要旨は、

外資の中には日本の投資ファンドと組んで敵対的なTOBをするやつがいるが、これは一昔前、小糸製作所を襲った「グリーンメイラー」の再来である。
こうした乗っ取り防止の対価は大きく、将来の設備投資や社員の給与が抑制されるのは明白。
近年の商法改正の過程で、わが国固有の経営理念や倫理観が失われている。
市場の変質が明らかなだけに、株主平等の原則にこだわれずに、短期利益に走る投機家の活動を防ぐ手だてを各界がもっと真剣に検討すべきである。(磯崎による要約)

と、かなり敵対的買収に批判的な内容。
そういう活動に注意したほうがいいよ、というのはまあそうかと思うのですが、

(略)差し当たりは種類株式制度を整備充実することで健全な証券市場育成の促進を図ることなどが考えられよう。
日本の産業が確信技術を基礎にして回復しつつあるだけに脆弱化した金融、資本機能によって足をすくわれることのないよう行政、立法機関は株式の制度改革に十分に配慮すべきである。

というところはちょっと注意する必要はあります。
種類株式制度の問題か?
すでに種類株式制度はかなり柔軟になってますので、もうこれでかなりのことはできます。
いつ準備するか、ですが、公開前の準備で、Googleのdual class株式のように、議決権の違う比率のものを経営陣に持たせる方法などは、既に活用できると考えられます。
以前ご紹介した、下記の「企業買収防衛戦略」
image001.jpg
武井 一浩、太田 洋、中山 竜太郎 (編著) 商事法務(2004/04)

では、
「商法222条9項に規定する拒否権や、議決権付き株式への強制転換条項が付されたものが中心となろう。」(58ページ)
というようなアイデアが提示されています。
商法222条9項は、

会社ガ数種ノ株式ヲ発行スル場合ニ於テハ定款ヲ以テ法令又ハ定款ノ定ニ依リ株主総会又ハ取締役会ニ於テ決議スベキ事項ノ全部又ハ一部ニ付其ノ決議ノ外或種類ノ株主ノ総会ノ決議ヲ要スルモノヲ定ムルコトヲ得

という内容。「敵対的買収」に相当する要件を種類株の要項の中に記載しておいて、そのイベントが発生した場合にその実行を拒否するような内容にしておくイメージでしょうか。
「議決権付き株式への強制転換条項が付された種類株」というのは、Googleのdual classのマイルドなやつで、種類株だけど通常は議決権も経済的価値もあまり無いが、「いざ」というときに議決権付き(恐らく経済的価値は付かないか、付いても微々たるものにしておくのがいいかも知れません。)に強制転換されるような種類株のイメージかも知れません。
主流は「ライツ」のようです
ただし、同アイデアの注で、

「注48)米国では、ライツ・プランの普及の前には、種類株式がポイズン・ピルとして用いられることも多かった。」

とありますので、米国では今や、種類株式による買収防衛というのはメインではなく、「ライツ」と呼ばれる敵対的買収時に付与される権利での防衛というのが主流のようです。
同書では、米国では「大半の」企業が何らかの買収防衛策を採用している、とも述べてます。Googleのようなdual classの採用は数%程度のようですが、(こちらのエントリー参照)、その他の買収防衛策は「大半」なんですね。
同書では、日本でライツ・プランに準ずるしくみを提供するのは、新株予約権の付与ではないか、というようなことが書かれています。
種類株式だけの話ではないかも知れないですね。
株主平等原則
米国でも、こうした買収防衛にあたって、敵対的買収をする株主だけを差別するのがいいのかどうかということは過去争われたそうですが、ニューヨーク州などでは「平等原則に反する」という判例が出たあと、立法でそうした差別的条項もOKということにした、とのこと。さらに、デラウエア州では、こうした差別は「株主」の差別であるが「株式」の差別ではない、つまり、例えば15%以上を取得した株主だけ権利行使をできないという条項は、すべての株式に平等についているので、「株式」の平等には反しないのでOKであり、「ほとんど問題にされていないようです」とのことです。(P241など。)
ただし、日本では「株式」の平等が保たれているからいいじゃないか、という論法は、本書に登場される弁護士の先生方のご意見としては抵抗があるようで。
むしろ、株主の平等は「原則」であって、長期的に株主全体の利益になるというような「合理的な」理由がある場合などには例外も認められるという意味での「原則」であるとも解釈できるのではないか、というような説も出されています。
つまり、大機小機の「悠憂」氏のように「株主平等の原則にこだわらずに」というよりは、「こだわった」上で着地点を探す方が現実的なのでは?というのが同書の論旨ではないかと思います。
上場基準の問題
さらっと読んだところでは、同書には論点として出てきませんが、商法や実務がそうした買収対抗策をOKとする場合でも、こちらのエントリーのように、NY証券取引所などでは、公開前からdual classを採用してIPOするのはいいが、公開後にそういう既存株主の権利を侵害する可能性のある施策を行うことはやめてくれ、というのが上場基準になっているようです。このため、既に公開している会社が行う対抗策としては、やはり、何らかの形で「株主全員に」同じ権利が付与される(ただし、敵対的買収を行う者、例えば15%以上の株式を取得した者、はそれを行使できない)というような方式にする必要があるんでしょう。
具体的には、未公開の段階から種類株で工夫をしておいてそれを証券取引所等に認めさせて公開する「Google型」が今のところ日本では一番法的解釈にグレーさがなく、次が新株予約権を使った方式なのかな、という気がします。
前述のニューヨーク州等の法改正の事例などを参考にして、「悠憂」氏のおっしゃるように、立法で株主平等原則に一部制限を加えるようなことも検討してもいいのかも知れませんね。(どこまで具体的に書くのか、なかなか落としどころが難しいような気がしますが。)
(では。)

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