内部統制のアテストと「清濁併せのむ」経営

本日の日経一面トップ「不正防止へ企業統治監査」で、金融庁が内部統制状況についても監査する制度を2008年にも導入する予定だ、と報道されてます。
具体的に興味深いのが5面の「企業コスト増必至」という関連記事の数値。
PwCが米企業約100社を調査した結果として、内部統制の整備・監査の費用は1社あたり平均10億円、最高75億円に上り、米国の大手会計事務所は04年度の監査関連報酬が前年に比べ75%−110%増加。(その分の人員はどっから持ってきたんでしょうねー。アメリカの会計士の層の厚さゆえか。)
日立製作所のコメントとして「人件費だけで100億円、監査法人にも10億円以上払った」としてます。
日立製作所さんは、

従業員数(単独)35,097人、(連結)320,146人
単体売上2,597,496百万円、連結売上高9,027,043百万円
(Yahoo!ファイナンスによる2005年3月期業績)

といった規模でいらっしゃるので、それぞれ、
従業員一人当たりコスト:(単体)34万円、(連結)3万円
売上高比:(単体)0.42%、(連結)0.12%
といった感じでしょうか。
メーカーの方は製造プロセスでISO9000等を取得するというようなことはピンと来ると思うのですが、公開会社というのは自分の会社(の株式)を「商品」として個人や法人にも販売してるわけですから、その経営管理のプロセス(会社のクオリティ)自体でそうした品質保証のしくみを導入するとしたら、まあ、それくらいのコストはかかるということかと。
一方、「株式を公開するためのコスト」は今後も着実に上昇していくでしょうね。
(この内部統制のコストというのは、公開会社だけに限った話ではなくて、企業全般の経営管理のクオリティを保つために必要なコストですから、必ずしも「株式を公開するためのコスト」とは言えないと思いますが。)
あまり規模の小さい(時価総額100億円以下くらいの)企業が公開するメリットは、ますます無くなるかも知れません。
戦後まもなくなら、不潔な工場で食品を作っててもアリだったかも知れませんが、今や、きちんと衛生管理された工場でないとコンビニにも納入できない、というのと同じ話で、「うまけりゃいいじゃん」という話ではない。その時代の求めるクオリティとして必然的に発生するコストではないかと思います。
(でも、監査のコストの重要性を認識してる経営者って、限りなく少なそうです。)
いまだに「経営者たるもの清濁併せのむことが必要」みたいなことをおっしゃる方がよくいらっしゃるのですが、内部統制がきちんとしてすべてが文書化されてくると、今後(特に公開企業において)は、「清濁併せのむ」という概念は、(良くも悪くも)存在し得なくなる気がします。「濁」のリスクがあまりに大きすぎる。
ベンチャー経営者のみなさん、ぜひ光の中を歩んでください。
−−−
他にも、「次世代DVD」とか、「みずほFGが買収防衛を助言」とか、「EU要望受け金融庁長官が会計基準の差異縮小に努める」とか、「ニレコさんの新株予約権に差し止め仮処分申請」とか、本日は非常に興味深い記事がたくさんありましたが、連休明けリハビリモードのため、本日はこれにて。

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リハビリ、エントリ

GWで更新をさぼっていたら、すっかり書き癖が抜けてしまい・・・。
本日更新しないと二度と書き出せないような気がするので、取り急ぎ、書いてみました。
ではまた。

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監査法人以外のキャリアの公認会計士

伊集院さんよりおたずね。

全然関係ないんすけど、磯崎さんの公認会計士三次受験資格って、
「公認会計士法施行令第2条3項、前号に掲げるものを除くほか、地方公共団体以外の法人において、原価計算その他の財務分析に関する事務を直接担当すること。」ですか?
今、僕は大学生なんすけど、監査法人勤めるつもりはないんですけど、私企業の経理・財務とかに勤めて原価計算その他の財務分析に関する事務を直接担当したら、すんなり三次試験受ける事ができるのか、その程度とかはどうなのか、お知り合いの公認会計士さんとかで、原価計算してたのに、なかなか受験認めてくれないとかあったら、教えてください。

はい。その「原価計算その他の財務分析に関する事務を直接担当すること。」です。
一応、監査法人さんに数ヶ月出向して監査の現場もちょっとは経験させてもらったのですが、受験資格としては「財務分析」です。
当時の関東財務局の試験担当の人に相談に行ったら、「めずらしいんですよねー、こういうケースは・・・」といって、親切にいろいろアドバイスをしてくれました。
ただ、監査法人に勤めていれば証明書1枚でOKと聞いてますが、私の場合、
「勤務先の会社概要のパンフレットないですか?」とか
「どういう部署で、どのような業務を担当したかの経歴を詳しく記入してください」とか、
「今まで財務分析した報告書を、クライアント名等は塗りつぶして何冊か添付してください」とか、
何回かやりとりして、結局、提出した資料は厚さ20cm超の「力作」になりました。
あいにくと、他に同じパターンの方に未だ出会ったことがありませんので、他の方のケースは存じません。
三次試験はご案内の通り「口述」があるわけで、ここで(監査の実務経験がないからイジめられたりするんじゃないかとか)ちょっと心配したんですが、むしろ逆で、
「ずっと一般企業で財務分析を含むコンサルティングをやってました。」
と試験官に言ったら、
「それはいいですねー、全然心配ないですから落ち着いて答えてくださいねー」
と、試験官の方2人とも不気味なほど猫なで声でやさしくてびっくりした記憶があります。
「じゃあ、売掛金の実在性に関する監査手続きは何だったですかね?うん?」
「えー、『確認』・・・です」
「そうそう。監査経験無いとか言ってたけど、ちゃんとできるじゃない、ねえ、先生?」
「ええそうですねー。じゃあ、その調子でもう一問・・・」
てな感じで、「ナメてんのか」と思うほど態度はやさしかったので、「差別」はなさそうですからご安心を。(13年も前のお話なので、ご参考になるかどうかわかりませんが。)
昨日も、某監査法人のエラいパートナー(この方もかなり変わった経歴)の方と話してたんですが、
「弁護士さんって、離婚ばっかりやってる人とか、貧しい人のためにがんばってる人とか、英語ばっかり翻訳してる人とか、法廷でケンカするのが何より大好きという人とか、非常にいろんなタイプがいるけど、会計士って、非常に似たようなタイプの人が多いですわな」
ということで、もっといろんな職歴やアプローチの多様な人材を育てるために努力している、という趣旨のことをおっしゃってました。
がんばってください。
(ではまた)

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「仲良くしない」技術

普通の人が福音書を読んで最もびっくりするところの一つは、以下の節じゃないかと思います。

わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、娘を母に、嫁をしゅうとめに。こうして、自分の家族の者が敵となる。わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。(マタイによる福音書10.34〜)

社外取締役の導入とか、内部統制とか、橋梁の談合の話とか、公益通報者保護法の施行とか、60mもオーバーランしたのに車掌が仲間をかばって8mと報告しちゃう件とかについて、いろいろ考えていると、なぜかこのフレーズが頭に浮かんで来るんです。
日本のほとんどの人は、「仲良きことは美しき哉」「和をもって尊しとなす」という概念は非常に発達してると思うのですが、「『あるべき姿』のためには、最も親しい人とも敵対しなければならない」というマインドを持ち合わせている人というのはほとんど存在しないんじゃないでしょうか。
そういう教育受けてませんし。
コーポレートガバナンスとか社外取締役とか内部統制とか内部通報者とかいう概念は、ことごとく「キリスト教がインフラとして存在する国からやってきたもの」、とも言えます。(つまり、経済の基礎である通貨にまで「IN GOD WE TRUST」と書いてあるような国から、です。)
そういう「インフラ」自体が存在しないところに、「手法」だけ持ってきてうまくいくのかしらん?という(ちょっと悲観的な)気もしてしまうわけです。「けなす技術」が大切だというのは確かにそうなんですが、「技術」でいいのかしらん?というか。
明治以降、「和魂洋才」で発展した日本は、結局、肝心なときに「アメリカと戦うなんて無茶っスよ」と言える人材もしくみも作れなかったわけですが、「ガバナンスの仕組み」というのは、そうした明治政府が取り入れた技術にも増して「洋才」が「洋魂」とセットになってる気がするわけです。
(ではまた。)

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墓参りと戦闘機

ひさびさに墓参りでもと思って八王子方面に出かけたところ、上空を戦闘機が何度もガオウガオウと行き交うので、いつもこんなに飛んでるのかなと不思議に思っていたら、やはり北朝鮮からミサイルが発射されていたようですね。

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鉄道会社の内部統制

電車を待ちながら、鉄道会社のコーポレートガバナンスや内部統制はどうあるべきなのか、取締役(会)としては運転手の教育やシステムの整備をどこまで進めておく義務があったのか、という観点からいろいろ考えていたら、駅のアナウンスがこんな風に聞こえてきました。

電車と法務の間に広く開いている場所がありますのでご注意ください。

(不謹慎だと不快感を感じられた方は申し訳ありません。)ただ、JALの件も含め、普通の人が安心して利用できるべき社会的インフラ企業において、経営者が何をどこまで整備しておかないといけないかというのは、コーポレートガバナンスの問題としても非常に考えさせられることではないかと思います。
金融系の検査マニュアルでは、リスクアプローチを取るとともに、「取締役会がそのリスクを理解して、ちゃんと内部統制等に反映させているか」というプロセスが厳しく問われるようになってきていると思うのですが、鉄道会社や航空会社では(不勉強でよく存じないのですが)どうなんでしょうか。「(現場とガバナンスの間に)広く開いている場所がありますのでご注意ください」では困るわけです。
(亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げます。)

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証券取引の未来予想図�

ぐっちーさんからトラックバックいただきました。これがまたおもしろい話です。
(追記:私は場立ちの人が活躍した時代をよく存じませんので非常におもしろく拝読したのですが、引用部分についての正確性についても判断いたしかねますのでご了承ください。)

株は昔「場立ち」という制度があって、株の売買を人間が伝達していたのです。今は全て「電気」になってしまいましたが、当時は証券会社の存在意義があったのです。なぜかというと例えば同じ銘柄を買いに行ってもその「場立ち」の執行能力に差があるので売買執行(エグゼキューションといいますが)の時差が出る訳です。早い、遅いで値段が変わるわけですからこれは意外に重要なファクターでした。ばかばかしい話ですが電話で注文を受けると場立ちが走っていって決められた銘柄ごとのポストに注文を出す訳です。足が速いとか、早く取り次げるとかいったことが証券会社の能力として投資家に判定されてました。
私が在籍していたモルガンスタンレーという会社は場立ちにアメリカからフットボールのドラフトに掛かったようなムキムキの奴を5人呼び寄せましたんです。まじに。何が起こったか??
彼らはポストに殺到する日本人の場立ちにタックルを浴びせ、蹴散らして吹っ飛ばしていの一番に注文を取り次ぐ事ができる訳です。従ってモルスタは執行が早いと評判になりかなりの顧客獲得に貢献した訳ですね。こういうメリットがあれば証券会社は存在しうるわけです。

はー、なるほど。
人によって好き嫌いがあるようですが、私は「おじさんの昔話」マニアでして。:-)
「いやー、昔は、記憶媒体がMT(磁気テープ)しかなかったからねえ。プログラムでテープに書き込んで巻き戻して読み込んでというのを延々とやらないといけないから、給与計算でちょっとしたソートをするのに、一晩もかかってねえ。」
とかいうような話が大好きです。
今ならExcelで1秒でできるようなことに一晩かかっていたというような話を聞くと、技術進歩のありがたさが身にしみますね。
果てしなき人間の欲望
ちなみに、今は「電子」だからすべて光の速さで証券取引が執行されるかというとそうではなくて、やはり、発注サーバーの処理能力やプログラムの優劣で執行スピードに微妙な差が出るわけです。
「頭と尻尾はくれてやれ」のように、「あんまり細かいところを気にするな」という主旨の相場格言は多々ありますが、そうはいってもやはり人間の心理としては、「板にあったあの値段の株が欲しかったのに〜」となるわけで。
技術が進歩したら進歩しただけ、人の要求水準も高まるということですね。
ということで、(誤解無きように申し上げておきますと)、私は「証券会社が全て無くなる」なんて(恐ろしい)ことを申し上げたのではなくて、「現状にあぐらをかいている証券会社は無くなるだろう」ということを申し上げたかったわけです。
「ネットは新聞を殺すのか?」という問いと同じで、新聞が全く無くなるわけではなくて、「法律や利権にあぐらをかいている業態」が成立しなくなるだけかと。
「商社不要論」も過去何度も唱えられてきましたが、残る商社は残ってるわけで。
特に、資本市場というのは日本だけでも年間(兆円じゃなくて)「円」オーダーにも届こうかという量が取引される可能性があるわけですから、そうは言っても一社じゃ食いきれないくらい(たった5べーシス(取引高の0.05%)としても5兆円オーダーの)でかいパイなわけではあります。
(ではまた。)

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証券取引(brokerage)の未来

NYSEがArchipelagoを買収する、と20日(日本時間21日未明)WSJで報じられ、

The New York Stock Exchange will merge with Archipelago Holdings, hastening a move to electronic trading at 212-year-old Big Board. The NYSE will own 70% of the new entity.

今度は22日(日本時間23日未明)にNasdaqがInstinetを買収するとの報道。

The Nasdaq Stock Market announced plans to buy the electronic-trading firm Instinet Group in a $1.88 billion deal.

かと思ったら、NY証券取引所の元理事ケネス・ランゴーン氏が、NY証券取引所の買収を検討しているとの報道も行われてました。
http://www.tv-tokyo.co.jp/biz/nms/days/050426/p1.htm
これらの意図するところは何でしょうか。つまり、これらは単なる「水平統合」のお話なのか、それとも川下進出を狙った「垂直統合」のお話なのか、ですが。
DMA(Direct Market Access)
今朝のモーサテで大和証券アメリカの方が解説されてましたが、米国ではDMA(Direct Market Access)という、投資家が直接、証券取引所へ電子的に発注を行う取引が拡がっているようです。現在の利用者のかなりの部分はヘッジファンドとのこと。
マーケットインパクトの回避(問題になった情報漏れによるフロントランニングの防止も含むんでしょうね)とか、複数取引所とのコンピュータによる自動取引を行うには、電子取引のインターフェイスがあった方が便利ということのようです。
NYSEだとこのへんがご参照になるかも知れません。http://www.nyse.com/about/nyseviewpoint/1094784439404.html
証券会社はなぜ必要なのか?
本日の日経朝刊でもオンライン証券4社が過去最高益と報じられてますが、この電子化されていく世の中で、顧客が直接 証券取引所に発注を出さずに、わざわざ証券会社を経由して発注する意味は何なのか?ということはよく考えておく必要があるんじゃないかと思います。
「法律や制度でそうなっているから」と言えばそれまでですが、目先の法規制やしがらみにとらわれずにもっと未来を考えた場合に、brokerageを証券会社が行う意味は何なのか?
例えばヤフオクで商品を売買するのに、わざわざ仲介業者を介して発注したりはしないわけです。東証もNYSEも、ヤフオクと同じ「オークション」。オークションというのは、取引が集まれば集まるほど取引が成立しやすくなる「外部性」が働くので、放っておくと自然独占になりやすい業態です。アメリカではEbayがダントツ1位ですが、日本だとヤフオクというように。
で、「一般の個人や法人が証券会社を介さずに証券取引所と直接取引する」のでは何がまずいのか?ということになるわけですが。昔は、証券取引所が一般の個人や法人から直接取引を受け付けるなんてことは、実務上不可能でしたが(現在でも、急増する取引件数を処理するのに苦労されてますが)、ITやインターネットの発達で、少なくとも技術的には不可能ではなくなってきています。
信用リスク管理
証券会社が必要とされる理由の一つは、顧客に対する信用供与または信用リスクの管理機能でしょう。米国のオンライン証券の初期にも、どんどん手数料が下がっていって、ディープ・ディスカウントする証券会社の収益源は、信用取引(margin trade)の金利収入でした。
証券取引所が全国の個人や法人から直接、債権を回収するというのは面倒くさそうですから、この機能は、(少なくとも発注情報をやりとりするという機能よりは)、長期的にも残りうるのかも知れません。
現在はT+3なので、決済日にちゃんと現金を振り込まれるかどうかも問題となるわけですが、前金にすれば、取引所が直接顧客と取引しても信用リスクは無いわけです。証券の場合、すべて電子化されて保振で管理されるようになれば、ネットオークションのように「カネ払ったのにモノが届かない」ということもありません。個人はともかく、大口投資家の取引のかなりの部分は、証券取引所と直で取引しても問題ないかも知れません。
発注のインターフェイス
発注のインターフェイスも差別化の要因でしょう。ただし、証券というのは取引しやすいよう極度に抽象化された存在なわけですから、自ずとその取引はシンプルです。仮に取引所とのダイレクトな取引の仕様が公開されれば、個人向けのインターフェイスも証券会社からアンバンドルされて「独立した製品」になっちゃうかも知れませんね。
条件注文などを考えると自分で発注インターフェイスソフトをインストールして管理するよりは、ASP的に証券会社が代行して行う方が、個人等のお客さんにとっては便利でしょうけど、ヘッジファンドをはじめとする大口の投資家は、自社から直接証券取引所に発注する方がいいでしょうね。
情報提供、サポート機能
情報提供機能での差別化というのもありえます。ただし、情報はネット上でタダで取れる範囲がどんどん拡がってますし、証券会社だけが握っている(インサイダーでない)情報というのも範囲が狭まってきています。
初心者のお客さんにとっては顧客サポートの違いというのは大きいですが、ヘッジファンドのようにすべてわかってるような人はもちろんダイレクトに取引しても全く問題がない。
日本だと「サラリーマン」ファンドマネジャーに対するニーズは残るんでしょうね。
ワンストップ的ニーズ
複数取引所への発注を証券会社がまとめて行うニーズがあるかと思います。(日本株に複数の取引所が必要なのかどうか、といった話はさておき。)
「金融コングロマリット」的な要素が進展すると、証券だけではなく、預金とか、保険とか、為替を統合して、「投資家のポータル」となる方向もあるでしょう。ただ、トガった個人の投資家や機関投資家は、「ワンストップ」のニーズはそれほど高くはないかも知れません。
もっと、「マス」の層を考えると重要かも知れません。
証券取引発展のフェーズの違い
こう考えてくると、アメリカと日本の証券市場のフェーズの違いは大きいですね。
日本のようにまだこれからどんどん個人等が証券取引を始めようかという市場においては、「代理店」というのは重要なチャネルのはずです。(特に、個人等のリテールの分野においては。)
しかし、アメリカのように、「やりそうな人」はみんな証券取引をやってるような飽和した市場では、当然、「代理店」の再編は不可避であり、「直取引」が増加するでしょう。
家電の販売チャネルや損保の代理店の歴史を見てもそうですよね。
−−−
証券取引所が個人と直接取引するというのは、日本だとまだ「SF」の世界ですが、経済原理として、大口取引から徐々にそうした流れになってくるのは間違いないかと思います。
法律や制度という大きな壁もありますが、そうしたものは、(特に証券の領域については)、米国が変わっていけば日本も変わるのは間違いないわけで。
(ではまた。)

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カネボウの粉飾決算と監査

(以下、特定の監査法人さんの擁護をするものでも、非難をするものでもありませんので、念のため。)
たまごさんよりのご質問:

意図的に話題を避けていらっしゃるのかもしれませんが
是非カネボウの粉飾決算にハンコを押した中央青山の会計士の意味について
分析、コメントしてください。
同業なので言える点言えない点あるかと思いますが、
あまりにもこの中央青山の監査は不可解でなりません。
会計士は、クライアントの茶坊主なのですか?犬ですか?
言える範囲でけっこうですので、同業だからこそ、のコメントをしてください。

原則論のお話
「同業だからこそ」のコメントというよりは、監査論の教科書に書いてあるような初歩的なコメントになっちゃいますが、会計監査というのは、「原則として試査による」、ということになってます。

監査基準 第三 実施基準 一 基本原則、3
監査人は、十分かつ適切な監査証拠を入手するに当たっては、原則として、試査に基づき、統制リスクを評価するために行う統制評価手続及び監査要点の直接的な立証のために行う実証手続を実施しなければならない。

つまり、会計監査というのは、「どこが怪しそうか」というリスク評価でウエイト付けをした上で、サンプリング等の方法で抽出したところだけをチェックしているわけです。
もしカネボウ全体の活動を網羅的にチェックするとしたら、16年3月期の人件費関係の費用700億円超の(仮に)1%のコストとしても約7億円かかるわけですが、もちろん、監査にそんなに金を出してくれるというのは一般には難しい。
結局、予算の範囲内で監査するにはサンプリング等による抽出しかないわけですが、そう、「抽出」なので、抽出しなかったところが間違っていたら「アウト」なわけです。
また、抽出の範囲は通常、全体に対する割合は極めて小さいので、会社側の主要メンバーがグルになってゴマかしたら、監査法人と言えどどうにもなりません。
監査基準の第一「監査の目的」を見ても、

財務諸表の監査の目的は、経営者の作成した財務諸表が、一般に公正妥当と認められる企業会計の基準に準拠して、企業の財政状態、経営成績及びキャツシュ・フローの状況をすべての重要な点において適正に表示しているかどうかについて、監査人が自ら入手した監査証拠に基づいて判断した結果を意見として表明することにある。
財務諸表の表示が適正である旨の監査人の意見は、財務諸表には、全体として重要な虚偽の表示がないということについて、合理的な保証を得たとの監査人の判断を含んでいる。

と書いてありまして、監査基準の前文によると、これは「二重責任の原則」を表すものです。二重責任の原則というのは、「財務諸表の作成の一義的な責任は企業の経営者にある」つまり、財務諸表にインチキがあったら、まず責められるべきは経営者であって監査した人じゃないですよ、監査人が責任を負うのは経営者が作った財務諸表に対する「意見」についてのみで財務諸表そのものの正確性に対してではないですよ、としているわけです。
つまり、問われるべきなのは監査人が「合理的にここまでやればOKだろう」というところまでちゃんと監査をやったかどうかがであって、最終的に虚偽表示があったかどうかではないわけですね。(本来。)
ぶっちゃけたお話
ただ、一般の人達は、「会計士がちゃんと見てるから、企業の財務諸表はちゃんとしてるんだろうなあ」とか「監査証明は、企業の財務諸表が正確であることの”お墨付き”だ」と思ってるわけで、こうした事件が起こると、たまごさんと同様、「何やってんだよ!」という怒りがわき起こるわけです。
これは監査論では、「期待ギャップ」と呼ばれています。
今回のケースで、「監査法人はちゃんとやってたのに、抽出の範囲外でたまたま粉飾が行われていた」のか「そもそも、専門家ならやるはずのことをちゃんとやってなかったのか」は、部外者の私にはよくわかりませんが、今後の調査で明らかになっていくんじゃないかと思います。
こうした事件が起こった時は、そうした「監査の限界」について一般の理解を深めるいい機会のはずですが、こういうシチュエーションで監査法人や役所が「財務諸表を作る一義的責任は経営者にあるわけでして・・・」てなことを言っても、「言い訳」にしか聞こえませんので逆効果。
また、あまりここを強調しすぎると、「じゃあ、監査ってのは何の意味があるのさ?」「監査なんかしなくてもいいじゃん!」という別の怒りを呼び込むことにもなるわけで。
市場で証券が安心して取引されるためには、こうした監査の信頼性が保たれることが大前提になるわけですが、「抽出なので間違うこともあります」ということでも、こうした信頼性を保つことが可能なのかどうかというのは、根源的問題じゃないかと思います。
エンロン事件後のSOX法では、内部統制の拡充を含む様々なコーポレートガバナンスの仕組みの強化が図られたわけですが、それでも粉飾の可能性はゼロにはできません。
「オープンな法体系(SF小説風)」で、原始データの発生時点から網羅的に会計監査人が企業の会計に関わる「監査のSTP (Straight Through Processing)化」(仮称)というのを持ち出しましたが、これも、「この先、公開会社の財務諸表の正確性が、よりガチガチに求められていくとすると、行き着く先はどこなのか?」という疑問の答えを「SF小説風」に考えてみたものです。
その中に「世界三大会計事務所」とも書いてありますが、これも、このままいくと、(ディアハンターのロシアンルーレットのように、いつかは確率的に「負ける」時が来て)、今後、エンロン並の大不祥事がまた発生したら、もう一段、「再編」が進んじゃうんじゃないかなあという不吉な妄想でございました。
(こんな話で答えになってますか?>たまごさん。
ご参考になれば幸いです。ではまた。)

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COSTCOに行ってきた

遅ればせながら昨日はじめてCOSTCOに行ってきました。
ビジネス会員でも会費が3,675円もかかるので、今までちょっと躊躇してたんですが、昨日ゴルフ練習場に行ったら、そこの会員券を見せればビジターとしてタダで入れる(ただし購入金額は会員の5%増し)というキャンペーンをやってたので、家族で出かけてみたわけです。
休日はまったく人通りのない、倉庫や工場しかないような立地なので、儲かってるのかしらん?とずっと思ってたわけですが、意外や意外、入ってみるとすごい人数が押し寄せていてびっくり。
costco 005(s).jpg
(↑夕方6時までの営業だが、客がいる間は閉めない、ただしライトがちょっとづつ消えていくというシステムで、ちょっと薄暗くなってます。)
想像以上に「アメリカ〜ン」な場所
バケツのような大きさのアイスクリームが大量に積まれているのを見て、息子二人も「うー、もうアイスクリーム食べたくなくなるー!」と叫び出す始末。すべてのものが巨大なので、縮尺の感覚がちょっとおかしくなって、巨人の国に迷い込んだような錯覚を覚える。
びっくりしたのは、従業員の方々も日本語のnative speakerが少なそうなところ。(従業員募集の張り紙を見ると、「要英語力」とあります。)店員同士も英語で会話してますし、お客さんも、外国の方が結構目立ちましたね。
建物(ドアとかレジとか)も、非常に作りが大ざっぱ。まさにアメリカのスーパーとかの「あの」感じです。
「ニオイ」もそう。アメリカの店舗って、日本の店舗となんか違う香りがしますよね。あれ、客や店員の体臭の違いかと思ってたんですが、壁紙に使われるノリの溶剤とかペンキとかの違いなんでしょうか。
夕食は、ゴミのポリバケツのフタほどのでかさがあるピザの持ち帰り、1,575円也。1枚で日本の宅配ピザの「L」2枚分くらいの量があるんじゃなかろうか。
というわけで、海外旅行して、サンフランシスコとかニュージャージーあたりのスーパーで買い物してる気分を堪能いたしました。
(↑安上がり。ゴールデンウィークも、これで行こう!)

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