ライトノベルについての考察(仮説)と電子出版への示唆

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最近、息子2人が「ライトノベル(ラノベ)」 なるものにハマって、家でもどこでもゲラゲラ笑いながら読んでいるので、
「ライトノベルってのは一体なんだ?」
「『ライトノベル』と『ライトでないノベル』というのは何が違うのか?」
という疑問を、ここ1ヶ月ほど抱いておりました。

不況モードの出版界の中にあってライトノベルは売上や利益がよさそうだという話も聞きます。
そして、私の興味はもちろん「ラノベの文学史における位置づけ」といったことよりは「ラノベをビジネスとして考えた場合にどうか?」というお話であります。

 

Wikipediaを読んでも、(もちろん事実や事例等の参考にはなるのですが)「これがライトノベルだ」という定義や境界線はくっきりとは見えて来ません。(「『ライトノベルの定義』の曖昧さ」という項まであります。)

昨日、大型書店に行った際にラノベのコーナーに立ち寄ったところ、表紙の表紙に踊るアニメ絵の「美少女」達のお花畑状態になっておりまして、オッサンとしては「日本は一体どうなっちゃったんだ?(笑)」という感じでありました。

昨晩ツイッターでそんなことを書いたところ、いろんな方からご意見をいただきまして、おかげさまで、他のネット上の情報もあわせて、

  • 小中学生から30代くらいまでの人をターゲットにしている。
  • 表紙がアニメ絵になっていることが多い。
  • アニメ・ゲームなどとメディアミックスすることが多い。

といった特徴や輪郭はつかめて来たものの、では私が子供の頃読んでいた筒井康隆や星新一の小説とラノベが本質的に何が違うのか、あまり自分の中でスッキリした答えは浮かばなかったわけです。

 

で、今朝起き抜けにハッと頭に浮かんだのが、

ラノベとは小説の「ジャンル」ではなく、小説に対する「スタンス」の名称である。

というフレーズ。

つまり、「小説」というのはもともと「作品としてのテキストの質」を追求するものだったかと思います。
これに対して、(もちろん今でもテキストの質も追求しているとは思いますが)、ラノベが追求しているのは「キャッシュフロー」なんではないかと。

これも当然ではありますが、今までの小説でも売上を伸ばそうという考えはあったかと思います。しかし、それはあくまで「テキスト」が中心。しかしラノベにおいては、小説の「テキスト」を中心に据えることにこだわることなく、読者に受け入れられやすいのであれば表紙をアニメ絵にもするし、キャッシュフローが増えるのであればゲーム化やアニメ化もする。というか、最初からゲーム化やアニメ化を想定して作品を考える。

 

マンガにおける「週刊少年ジャンプ」のビジネスモデルを小説に応用したもの、と言えるかも知れません。

 

これは「カネのためなら何でもやる」といった批判的な意味で言ってるのではございません。
自動車メーカーでも流通業でも企業であればキャッシュフローや利益を追求するのは当然のことですが、「金のためならなんでもやる」というのとは違うと思います。
しかし、出版界の方からは「当社には『経営』という概念が無い」てなことをよく伺いますし、経営として当然のことが行われないケースを見聞きします。

つまり、換言すれば「ラノベとは『経営』である」ということなのではないでしょうか。

 

「テキスト」を中心で考えると、太宰治の人間失格の表紙に小畑健の絵を使おう

 

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4 ジャケ買いの一人です。
1 自分の人生は誰にとっても…
5 買いやすかった
3 まぁ、仕方ない
4 自社への皮肉もあるのだろうか

 

なんて発想は出てこないかも知れないし、太宰治が生きてたらいやがったかも知れません。
しかし、Wikipediaによると、この小畑健の表紙によって売上が数倍に伸びたとのことであります。

つまり、この「人間失格」も「経営的である」という意味では「ライトノベル」かも知れません。
(内容はライトじゃないけど、絵はライト(月)。)

著作物の「人格権」を中心に据えるのではなく「財産権」としての性質を中心的に見るという意味で、まさに「人間(人格権)失格」なのがラノベとも言えるかも知れません。

 

そういえば大手出版社で唯一上場しているのが、ラノベがお得意な角川書店。
「経営」というスタンスが無いと一般株主からお金を預かる上場はできないですから、やはり「ラノベ=経営」じゃないかという気もします。

 

以上のように考えて来ると、これは電子出版にもいろいろ示唆があります。

先日、「iPad対Kindle、勝負あり。そして出版の未来。 」という(やや煽り気味のタイトルの)文章をアゴラに投稿したところ、多数のコメントやブックマークをいただき、

「アマゾンは読みやすさのためにあえてe-inkを選んでるのがわからんのか。」

「KindleでもiPadでもepubという共通フォーマットが読めるからハードのレイヤーは比較の対象ではない。」

といった趣旨のご意見も頂戴いたしました。

既存の「テキスト」の延長線上だと確かにそのとおりだと思いますが、例えば湯川鶴章さんのおっしゃる「超読書」的な「電子ブックならではの面白さ」の観点から考えても、また、前述のような「キャッシュフローの極大化」といった視点から考えても、個人的にはKindleやAmazonというのはあまりピンと来ない。
「テキストの延長線上」で考えるとKindleでもiPadでも同じようにも見えますが、私が「iPad対Kindle、勝負あり。」で前提としていたのは、「キャッシュフロー」から考えるとiPadの方が可能性が広がるのでは、ということです。

 

また、最近「おっ」と思ったのが、ツイッターで見つけた、

同人誌をiPhoneアプリ化する会社がブース出してる
http://twitpic.com/13476p

というuddyさんのツイート
上記のURLで表示されている写真が非常に示唆的です。

これを「こういう『出版社』これからキそう。」というコメント付きでリツイートさせていただいたところ、ものすごい反響(RT)がありました。
「編集というのはテキスト(や図表や装丁)をより良くすること」と考えていると「iPhoneアプリを作る」のが出版社の仕事という発想は出て来ないと思います。

 

新聞社も出版社も、おそらく現在、主として「電子出版というのはテキスト(や図版)を電子化することである」という方向から考えていて、「ネット上での自社のキャッシュフローを最大化する」という観点からはあまり考えていないんじゃないかと思います。

ある新聞社の経営者の方に「既存の新聞社の従業員のみなさんは『テキストの質を高める』という観点しか無いんじゃないですか?」と伺ったら、「たぶんそういう人たちは永久に変わらないから、経営は経営で考えないといけない。」という趣旨のことをおっしゃってました。
しかし、一部の人しか「経営」を考えていない給料の高い会社が、多くの従業員が「経営」的視点を持っている給料の安い会社と戦っていくのは、傍から見ていても非常に大変じゃないかと思われます。

 

もちろん、既存の新聞社や出版社のトップページがアニメ絵になるということは無いでしょうし、お勧めもしませんが(笑)、「電子出版」で成功するのは、そうした既成の概念の束縛を受けずに「ビジネス」として電子出版を考えるところなんじゃないかと思います。

 

以上、今朝思いついた仮説で恐縮ですが。

 

(ではまた。)

 


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8 thoughts on “ライトノベルについての考察(仮説)と電子出版への示唆

  1. 考えすぎ。笑
    それと、太宰治のことを知らなすぎ。
    もし、推察するならば、英語圏と比較した方が面白い。
    ま、単純に、日本語は、妄想するのに優れているんですよ。で、推論している高学歴の人も、日本語で考えている限り、ただの妄想だけだったりする。で、なぜ、日本人が、数字に弱いかというと、数字は妄想できない。ところが、統計学にしたり、高等数学になると妄想ができる。ブログで人気があるところは、妄想を刺激するところ。笑、で、どうせ、妄想するならば、美しく妄想したり、カッコよく妄想すればいい。
    おまけに、ラノベ作家の苦労も察するといいんじゃないでしょうか。売れない人は、ぜんぜん売れないし。

  2. このラノベの定義に対する提案は、携帯小説にも言えそうですね。

  3. おひさしぶりです。
    もう以前から注目されておられるのかと思っておりました。
    ラノベはいろいろな若い優秀な?才能を受容する器になっていると思います。かつての推理小説やらSFの世界が似たような役割を果たしていた時期もありますが。
    フローという意味では、我々が生まれる前の(笑)頃の日本映画の黄金時代の頃に毎週のように日本映画が製作されていた頃と似ているように思います。
    良い意味で玉石混交、B級作品の素晴らしさを実感できる場合も結構ありまして。
    そのなかに「狼と香辛料」のような非常にあるスジの実務の方の遊び心がまじめに反映されているのではないかとおもわれる作品も混じっておりまして。
    角川書店さんはいろいろな意味でラノベとアニメ(特に深夜のUHFアニメ)と漫画誌とコミックスとゲームと音楽と映画の創り手・会社・マーケットに関連して良い意味でのタニマチ的な役割を果たしているように思います。
    その意味ではかつての角川文庫の快進撃の頃のモデルの延長上の部分もあります。
    ろじゃあは、角川のスニーカー文庫あたりよりは、電撃文庫・MF文庫・ファミ通文庫あたりの方がお世話になっております(笑)。
    内容的にはともかく面白いものが多いと思いますし、40代・50代の世代でも楽しめるものもありますよ、いろいろな意味で(^^;)。

  4. 一般的には、大企業vsベンチャーという構図で、しばしば後者が敗退していきますよね・・・文脈から外れますけど。
    >一部の人しか「経営」を考えていない給料の高い会社が、多くの従業員が「経営」的視点を持っている給料の安い会社と戦っていく

  5. みなさんコメントありがとうございます。
    >考えすぎ。笑
    考えすぎというか、本文の通り、今朝起き抜けにパッと思いついたことを書き留めただけなので、考え足りない分はあるかと思います。
    >このラノベの定義に対する提案は、携帯小説にも言えそうですね。
    大出版社がやらなさそうという意味ではそうかも。
    >もう以前から注目されておられるのかと思っておりました。
    すみません、ろじゃあさんほど若者カルチャーに詳しくなくて。(笑)
    >一般的には、大企業vsベンチャーという構図で、しばしば後者が敗退していきますよね
    両者ともガチで「経営」してる場合にはそうですね。
    取り急ぎ。
    ではまた。

  6. 山本弘のSF秘密基地BLOG
    http://hirorin.otaden.jp/e82346.html
    SF作家かつラノベ作家でもある山本弘氏(ついでにト学会会長)が熱くラノベを語っていた日のブログです。定義はさておき書いてる人の考えがわかりますよ。

  7. エントリー拝読致しました。
    演繹的理由づけがされて、一見論理的に見えるがちょっと飛躍しすぎですね。順序が逆です。
    友人がいわゆるライトノベルの作者ですが、彼の場合
    趣味で作っていたものが派生して偶々商品になったというかんじです。
    これは、同人誌を作るひとたちと同じ原理です。
    そういった人種は多くの場合儲けるためにやっているのではありません。(もちろん例外は常に存在しますが)
    では、ラノベとは何ぞやというと上手く文章化できないんですね、これが(笑)
    「可愛い」と「萌える」の違いが説明しにくいのと同じでわかるひとにはわかるが、わからないひとには
    永遠に理解できないというのが現時点での自分の
    結論です。

  8. 小説とマンガがコラボレーションするなら(例えば、「一夢庵風流記」と「花の慶次〜雲の彼方に〜」のように)、隆慶一郎の代表作「一夢庵風流記」の小説の挿絵を今までの週刊新潮風ではなく、挿絵を「花の慶次」の画を描いている原哲夫(北斗の拳)にまかせてしまうというのも、ライトノベル化と言えますね。