「もし、アメリカ大陸が日本の近くにあったら」

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America.PNG
(出所:Google Map
このブログをお読みのみなさんの多くは、
「今あるような自由な市場経済(及びそれに付随する法化社会、委任=受任関係、監査、内部統制等)というのは、人類がどういう発展過程を経てもいつかは必ず到達する経済体制なのだ。」
とお考えかと思います。
私も今までずっとそう思ってましたが、最近、必ずしもそうなのかな、と。
先日、「もしアメリカ大陸がなかったら」というエントリで考えたことの要旨は、今の市場経済というモードは、ヨーロッパ人がアメリカ大陸を「発見」したことによって「たまたま(幸運にも)」世界にもたらされた考え方だったのではないか、ということであります。
例えていうなら、もし6500万年前に隕石が地球に衝突しなかったら、恐竜がそのまま絶滅せずに発展し続けて、ほ乳類も今の人類の発展もなく、知的生物が出現したとしても、それは恐竜が進化したものだったかも知れない、というのと同様、今ある「自由な市場」という考え方も、そうした非連続なイベントがなければ存在しなかったかも知れないな、と。


「自由」というマインドセットは、アメリカ大陸という広大なフロンティアをマネジするのに、すごく相性がよかったんでしょう。逆に、もし、ヨーロッパがユーラシア大陸の中で完結していたら、従来のギルド的な「しがらみ」を大きく引きずることになったでしょうし、「自由第一」という考えでうまくいく可能性は今よりかなり小さかったはずです。うまくいかない考え方が世界の中で主流の考え方として生き残るのは難しかったでしょう
もちろん、たとえ「アメリカ大陸がなかった」としても、「自由」という発想は出て来たでしょうし、私的な契約関係によって取引を行うことを「市場」というなら、市場経済になるのは、たぶん歴史的必然であります
しかし、今、疑問がもたれている「アメリカ的な市場経済」というのは、そういう意味で疑問が持たれているわけではないと思うんですね。
つまり、そういう疑義に対して、「じゃあ社会主義にしろっての?ケインズ経済学にしろっての?」と詰め寄ってもしょうがない気がします。多くの人が感じているのは、もうちょっと違う角度からのものじゃないかと。
例えば、少なくとも先進国においては、どの国の法律においても「公序良俗に反する契約は無効」といった、契約や権利の範囲を制限する規定が存在するはずです。「どんな契約でも有効」なんて国は存在するわけない。また例えば、法人の目的の範囲をどこまで柔軟に考えるか、とか、他の自由度についても同様です。
ただし、私的な決定で活動できる範囲を極めて広く(「自由」を第一に)考えるのか、それとも非常に狭く(従来なじみのないことについては非常にコンサバに)考えるのか、は、イデオロギーによって異なって来るでしょうね。
無政府主義(完全な「自由」)とか共産主義(完全な統制)がいいと言う人はほとんどいないはずで、基本は自由な私人間の契約でものごとを行うけど、統制が必要な範囲もあるということには、ほとんどの人は納得されているはずです。ただし、その範囲をどこまでにするか、というのが問題で、「アメリカほど『自由』にするっちゅーのは、やっぱちょっと違うんでないの?」という気がする人が増えて来ている、ということかと思います。

ということで、前フリが長くなりましたが、本日のお題は、
「もし、アメリカ大陸が日本の近くにあったら」
現実の世界では、アメリカ大陸はヨーロッパから行く方が近いわけですが、もし、アメリカ大陸西海岸がハワイのはるか手前、日本のすぐ東(例えば4000kmとか)のあたりにあって、アジア人が1492年にアメリカ大陸を発見してたら、その後、アジアがヨーロッパのような「発展」を遂げたでしょうか?
America.PNG
「歴史にifは無い」ので、ツッコミ出せばキリがないのですが、そもそもアジアの国が「新航路」を探すインセンティブはあまりなかった、とおっしゃる方も多いかも知れません。ヨーロッパに航海すればスパイスが手に入るわけでもないし、きれいな陶磁器や絹織物が手に入るわけでもない。どちらかというとアジアの方が「豊か」であって、わざわざリスクを冒してヨーロッパまでいく必要があったかどうか・・・・
・・・というようなことを考えると先に進まないので、それはさておき。
また、当時のアジアは、ヨーロッパほど農業生産性が低くなかったような気もするので、新大陸からジャガイモがもたらされて人口が上昇に転じるというようなインパクトもあったかどうか・・・・
・・・というようなことを考えても先に進まないので、それもさておき。
当時、アジアでは倭冦(日本人だけではなく、海賊や商船一般を指した模様)が活躍してたので、造船や海運技術もそこそこあり、アメリカ大陸が近ければ、それを発見する技術的基礎はあったはず。
羅針盤も火薬も、もともとはアジアで発明されたものですし。アメリカ大陸先住民族や他の世界各国を脅す必要があれば、銃火器も発達したでしょう。
「アジア人はヨーロッパ人ほど残虐じゃないから、オーストラリアのアボリジニを新大陸に奴隷として連れていくというようなことは全く起こらなかっただろう」、なんてことも申しません。
(アジアの方が人口=労働力も多く、貿易赤字にもなりにくい構造だっただろうということはともかく)、奴隷制というのは古代から存在しますので、似たような(今から考えれば非人道的な)ことも必ずや行われたでしょう。
また、新大陸において、ヨーロッパ各国の代わりに、中国、韓国、日本などが、領土の争奪戦を繰り広げたことも間違いないでしょう。
東洋の島国である日本が中国の無敵艦隊を破り、イギリスに代わって世界に植民地帝国を築き、「日出ずる国」から「日の沈まない国」になった・・・かどうかはともかく、相対的にアジアの海運・海戦能力は上がり、似たようなことは起こったんではないかと思います。
しかし、です。
どう頭をひねってみても、新大陸に「自由」を旗頭にするアジア人の国家が建国されることになったとは思えない
「皇帝」とか「王」とか「征新大陸大将軍」といった人が治める国が誕生したかも知れませんが、共和制の国が誕生することになった気はしない。
新大陸の経済効果で、実際よりもアジアの経済力は高まり、資本も蓄積し、産業技術等が発展するということはあったかも知れませんし、学問もより深まったかとは思います。
しかし、新大陸を手に入れて資本が蓄積すれば、自動的にアジアに「啓蒙思想」といった考えが出現しただろう、という気はまったくしない。
(私の想像力が欠如してるんでしょうか。)
つまり、新大陸(広大なフロンティア)は、「自由」が生まれるための十分条件ではなくて、「ヨーロッパ人が」新大陸を発見したからこそ、「自由」という考えが世界に広く普及することになった・・・のではないか。
「アジア的停滞」ということにもなるかも知れませんが、昔の西洋的な考えからすると、これは、「ヨーロッパ人は遺伝的に優れており、アジア人が人種的に劣った民族だからアジアではそういう考え方は出てこなかったのだ」、ということにもなるんじゃないかと思います。
しかし、昨今は、そういうのは学問的にトレンディではなくて、遺伝子解析でも(ヨーロッパ人は一番最近、遺伝子的に分岐しているということはあるものの)、現生人類はすべて、たった10万年程度前にアフリカから広がった種であって、数万年といった短い時間の間には、決定的な差を生む遺伝子の変異は発生しない、ということになっているかと思います。
すると、前述のようにアジアから「自由」が誕生しなかったというのは、「人種」によって生まれるのではなく、環境等、他の要因から「創発」されたものということになるかも知れません。(どうでしょうか。)
こうしたことについての解答の一つとしては、
「それは、プロ倫に書いてあるように、キリスト教(プロテスタント)が存在したことが大きい。」
ということが、当然考えられます。
(ただし。もちろんそれは大きな要素だと思いますが、本当にキリスト教だけの話なのかなあ、という気がしてまして。またそれは別の機会に。)
その辺を考えていくと、なぜ、企業の買収に対する反応が日本ではアメリカより頑ななのか、なぜ日本ではあまり自分の意見を(実名で)主張するブログが増えないのか、といったあたりの解答も見えて来るかも知れません。
つまり、ちょっとだけ法律を変えたり、「もっと自分の意見を持とうぜ!」と言えば、そのへんのことは変わりうるのか。
それとも、そうした風土は、もっと別の文化や環境といった根深いものから「創発」されてくるものなので、ちょっとやそっとの工夫では、大きく変わるものではないのか。
私は、今も「アメリカ的な市場経済」なくしてはまずありえないような仕事しかしてないので、基本的には「市場」の方がありがたいですし、「市場経済はけしからん」という短絡的な結論を導こうとするものでもありません。
しかし同時に、「アメリカ的な市場経済が理論的に絶対正しいのに決まってるのに、それがわからないやつはバカだ。」とも思えませんし、日本(ないしアメリカ以外の世界)のマインドを変えるというのはかなり大変ではないかということも感じておりまして、その理由が何なのか、という素朴な疑問を持っているものであります。
(続く)

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11 thoughts on “「もし、アメリカ大陸が日本の近くにあったら」

  1. 銃、病原菌、鉄、を読むことを強くおすすめします。
    「結局、海岸線が今の世界をカタチつくった」とか、
    「気候と地理のたまたまがすべての要因だ」、
    「なぜ、中国ではなく、欧米主導の世界になったのか」など素朴な疑問が、7つくらいのポイントから語られています。
    同じ島国のイギリスと日本の違いもわかりました。
    http://www.amazon.co.jp/銃・病原菌・鉄〈上巻〉—1万3000年にわたる人類史の謎-ジャレド-ダイアモンド/dp/4794210051/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1233285391&sr=8-1

  2. コメントありがとうございます。
    もう読んで、その昔、週刊ダイヤモンド誌に書評も書かせていただいたんですが、
    http://www.tez.com/review/k200104.htm
    先日より本棚を探しても、どこかに行ってしまっておりまして見当たらないんですけど、確か、「今のような市場経済がなぜできたか」という観点からは書かれていなかったように思います。
    (書かれてましたっけ?)
    (取り急ぎ。)

  3. 貴方は、かつて始皇帝が現れる前に、中国大陸にほとんど共和制のような国が存在したことを知らないのでしょうか?
    また、日本でも戦国時代の伊賀国や堺の町では、農民や商人が殿様を追い出して、やっぱり共和制やヨーロッパの都市国家のような事をしていたんですが。
    > どう頭をひねってみても、新大陸に「自由」を旗頭にするアジア人の国家が建国されることになったとは思えない。
    なので、上のような事は、まったく納得がいきません。
    > (私の想像力が欠如してるんでしょうか。)
    想像力が欠如していると言うより、東洋を語れるほど貴方の歴史知識は深くないと言った方が良いでしょう。経済学はともかく、歴史を引き合いに出すなら、もうちょっと勉強した方が良いです。

  4. >貴方は、かつて始皇帝が現れる前に、中国大陸にほとんど共和制のような国が存在したことを知らないのでしょうか?
    存じておりますが、それはまた次の機会(「会議体によるガバナンスの仕組みの歴史(仮称)」といったエントリを考えております)に考察させていただければ、と思います。
    (ではまた。)

  5. キリスト教を持ち出すのは新手の人種優越論とう感ががぬぐえませんが。哲学(規範的な主張)として語るなら分かりますが、実証的な主張として語るのは相当慎重であるべき・・・というか素人がどうこう言うことではないでしょう。

  6. この本文で申し上げているのは、
    「マックス・ウエーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で、資本主義発展の要因としてキリスト教を持ち出しているのは非常に有名な話だが、本当にそれだけなのか。」
    という話であって、私が「持ち出して」るわけじゃないです。
    (ではまた。)

  7. 歴史認識に造詣の深い方がツッコミを入れてらっしゃいますが、わたくしのような浅学非才の身からすると、『歴史のIFを思考実験の起点において、日本(人)とアメリカ(人)の気質や風土の違いが何に根ざしているのかを考える』という磯崎さんの思考プロセス自体が興味深く思えます。

  8. アメリカ的自由というのは「自分が稼いだものは俺のもの、他の人に分ける義務はない。使い道は俺が決める。いい家庭に生まれたのもいい教育を受けたのも良い運命を神に与えられたからだ。アメリカって素晴らしい!」を自分自身に言い聞かせているようなものだと思うことがあります。まだ若い国であるし、「アメリカンドリーム」の一言でそれを肯定していますし。しかし、それを一歩踏み間違えると「どんなことをしてでも、所有権さえ移ればお前のものは、俺のもの」というジャイアニズムになってしまいます。いや、ブッシュイズムでしょうか。アジアでは(という大きなくくりにするとまた話がややこしくなりそうですが)さまざまな失敗、戦争、紛争の経験と、その中から生まれた儒教倫理と仏教哲学が生まれ「あんま自分のことばっか考えてるとよそから見てたら恥ずかしいで。それに、欲ばっかりかいとったら、そのうち寝首かかれるよ。」という暗黙の了解があるように思います。 アメリカがアジアに近い場所にあったら、儒教倫理や仏教哲学がアメリカ大陸に導入されていただけでなく、旧大陸由来の伝染病に対する抵抗力も身につけていたことでしょう。となると、今日のアメリカはなく、中央アメリカ中心の宗教農業帝国がそんざいしたかもしれませんね。 そうするとヨーロッパは今頃、カソリック、正教、プロテスタントに分かれた宗教国家群になっていたかもしれませんね。 長文御免・・ 

  9. (不正確かもしれませんが)ヴェーバーによると、19世紀(後半?)の近・現代的な意味での資本主義の勃興(イギリス・オランダ・アメリカ)には、カトリックでもなく、ルター派でもなく、カルヴァン派(=現世肯定・勤労奨励・節制奨励・貯蓄奨励)の精神がたまたま合致していたということですよね。「資本主義」の誕生後は、日本やドイツの成功例もありますが、まさに「資本主義」の誕生の必要条件が論じられているのだと思います。
     ただ、私は、もし、アメリカ大陸が日本の近くにあったら、中国人が移住して現在のアメリカに近い国家・社会を作っていたような気もします。
     最近のアメリカの経済の仕組み(借金してでも消費する・消費させる)はカルヴィニズムとは最も遠いような気もしますし、イギリスからの移住の後しばらくの間は、アメリカでは「法」は蔑まれ、疎んじられていた(田中英夫『英米法入門』のどっかに書いてあった)という点なども考えると、「アメリカへの移住・アメリカの建国」の当時の要因から現状(=アメリカ的な「自由」)が生まれたというのではなく、途中で少なくとも1回のねじれがあったと考えるのが素直ではないかと思います。
     素人のコメントで、失礼しました(笑)。

  10. 歴史に学ばない国なのか

    昨日のエントリで紹介した日本の「安心」はなぜ、消えたのか—社会心理学から見た現代日本の問題点
    を読んでいても思ったことなのだけど、山…