磯崎哲也とニュートリノ

koshiba.jpg
404 Blog Not Found「あるある大事典とプリンキピアの違いって何だ?

例えばカミオカンデ。小柴先生にノーベル賞をもたらしたこの観測装置は、元々ニュートリノを見るためではなく、陽子崩壊を見るためのものだった。

ちなみに、(記事にまったくなんの関係もございませんで恐縮ですが)、私が育った杉並の実家が、小柴先生のご自宅まで”息を止めたままたどり着けるくらい近い”、というのが、私のプチ自慢であります。

[PR]
メールマガジン週刊isologue(毎週月曜日発行840円/月):
「note」でのお申し込みはこちらから。

サーバ障害復旧

本日、16時から18時くらいまでにかけて、ホスト先の通信機器の障害で弊事務所のホームページにアクセスできませんでした。アクセスしていただいた方、どうもすみません。
(期限を3ヶ月過ぎた牛乳を飲むと、腹は壊さないけどサーバが壊れるのかも知れません。)

[PR]
メールマガジン週刊isologue(毎週月曜日発行840円/月):
「note」でのお申し込みはこちらから。

期限切れ3ヵ月後の牛乳を飲んだらどうなるか?

確か事務所の冷蔵庫の牛乳が切れていたと思ってコンビニで牛乳を買って帰ったところ・・・・・・あった。
切れていたのは牛乳ではなくて、賞味期限だった。(しかも、買ってすぐ開封済。)
gyunyu.png
昨年11月6日に賞味期限切れということは、3ヶ月弱経っているわけで。「のだめ」状態というか「風の谷のナウシカ」状態というか「男おいどん」状態というか、とにかく牛乳パックの中はすんごいことになっているんじゃないかと思って、おそるおそる「あけぐち」を開けてみると・・・・・・ん?カビ等は生えてない模様。
次に、恐る恐る鼻を近づけて匂いをかいでみたが・・・・・・ん?これも、別にツンと匂いがするわけでもない。
ということで、コップに入れて恐る恐る一口飲んでみたが、特に味がヘンとか酸っぱいとかいうこともない。
というか、うまい。(ごく普通の牛乳の味。)
不思議だ・・・。
この牛乳メーカー某社の「ナチュラルテイスト製法」がすごいのか、それともNationalの冷蔵庫がすごいのか。家で使ってなかったSHARPのプラズマクラスター空気清浄機というのを持ってきて使っているので、事務所の中のカビや菌がすべて死滅して(牛乳パック内に入り込まなかった)のかも知れない。
とにかく、すごいですね、日本の技術。
というわけで残っていた250cc、全部おいしくいただいちゃいました。
30分経つけど、体調にも変化なし。
(なんかあったら、またお知らせします。)

[PR]
メールマガジン週刊isologue(毎週月曜日発行840円/月):
「note」でのお申し込みはこちらから。

本日のペコちゃん

本日、家族で一風堂にラーメンを食いにいったんですが、いつもはレジで支払いをするときに子供にキャンディーをくれるのに本日はくれないのでどうしたんだろうと思ってよく考えてみたら、いつもくれてるのは不二家のペロペロキャンディーでした。
(子供はガックリであります。)
さて、渡辺千賀さんが「不二家の期限切れ牛乳利用問題」で曰く

「日本の基準が厳しすぎ、求める清潔水準が高すぎる」
という意見もあるが、それはそれでいいんじゃないか、と思う。厳しい環境の中からこそ、非常に優れたモノが誕生することは多々ある。日本の基準が厳しいのは、日本の食品メーカーの競争力を強めこそすれ、弱めてはいないだろう。

メーカー側が自主的に厳しい生産管理の基準を設けるのはメーカーの競争力になると思います。渡辺さんが例としてあげているマクドナルドが、自主的に「品質」を定義してそれを守っているのは大変よろしいかと思います。
しかし、たとえば「5日を過ぎたら(品質のいかんにかかわらず)消費期限切れ」という規定が存在し、これを1秒でも過ぎたら会社が倒産の危機に直面するとしたら、メーカーは5日を絶対越さない許容誤差マージンをとった在庫管理をしないといけない。
(この期限が「ノックアウト条件」になって企業価値を激減させる「オプション」がつくわけです。)
「5日」というのは、もともと牛乳の品質が99.9何%かの確率で絶対悪くならないといった、マージンをかなりとった期間なんでしょうから(実際、うちの牛乳は期限を2週間過ぎても、すっぱかったりへんな味がするどころか、非常においしくいただいてます。)、2重に許容誤差をとらないといけないのは、マクロ的に見てムダだなあ、と。
また、そういった過度に厳しい制約条件がかかっている場合、企業は、その規制をクリアすることには躍起になるでしょうけど、自立的に品質を定義して生産管理を行う能力は損なわれていくと思います。(たぶん。)
マクドナルドは、「国の基準や国民の要求が厳しかったから」、サイエンスと呼べるほどの清潔さを身につけたのかと言うと、(渡辺さんのブログを過去から読んできた知識から考えると)、まったくそんなことはなさそうだ、(つまり、国や清潔好きな国民から言われて管理基準を強化したのではなく、むしろ、放っておくとあまり清潔にしない人も従業員として使わないといけないから、システム的に管理を強化せざるをえなかったのでは?)、という感想であります。
人間でもそうですが、「自分から基準を作り出すやつ」と「人から基準を押し付けられるやつ」では、前者のほうが圧倒的に生産性が高いのが常である気がします。
(ではまた。)

[PR]
メールマガジン週刊isologue(毎週月曜日発行840円/月):
「note」でのお申し込みはこちらから。

「それでもボクはやってない」を見てきた

周防正行監督の「それでもボクはやってない
soreboku.jpg
を、公開初日に見てきました。
見終わった感想としては、「見に行くのはあまりおススメできない」。
理由は、「日本に住んでいる人なら絶対見るべき映画」だから。
−−−
公開初日にもかかわらず(また、場所が繁華街ではないシネコンだったこともあるのか)、劇場の3分の2は空席という状況。
だって、そりゃそうでしょう。痴漢の裁判シーンがとうとうと続く映画というのを、いったい誰と見に行けばいいのか。彼女とデートで行くというのもなんですし、夫婦でというのも、ねえ。
奥さんが仕事で忙しかったし子供を連れて行くのもなにかと思ったので私は一人で見に行ったんですが、痴漢の裁判の映画を一人で見に行くというのもちょっとナニでして。
「『それでもボクはやってない』大人お一人様でよろしいですね?」というチケット売り場のおねえさんの声がシネコンのロビーにこだまするのも、「わわわ、もうちょっと小さな声でお願いします」という感じであります。
以前、このブログの「痴漢容疑リスク」というエントリで、

「痴漢容疑リスク」は(大げさでなく)現代社会における最大のリスクの一つになっている、ということではないかと思います。

と書かせていただいたところ、小飼弾さんからは、

磯崎さんとは思えぬ不見識である。

池田信夫さんからは、

これは典型的な「代表性バイアス」です。日ごろから冷静なリスク評価の必要性を説いている磯崎さんが、こういうバイアスを強めるのはいかがなものでしょうか。

とのコメントをいただいて、(ちょっとくやしいので)、次の「『痴漢容疑リスク』とリスクマネジメント」というエントリでは、リスクマネジメントの観点から考察を試みてみたりもしましたが、
思えばそのときの私の説明はヘタクソで、この「巨大なリスク感」を今ひとつうまく説明できなかったし、数値的な「リスク」の話でもなかったかもしれないのですが、周防監督は、この痴漢裁判が、日本の三権のひとつである司法がはらむ大きな問題の一つの表れである、という形に見事に整理して作品にされてます。
つまり、最近批判の多い「国策捜査」と同じ構造的問題を、表裏一体の「司法」の観点から描いた作品、とも言えます。
−−−
日本は民主主義の国で、首相や政府に対しても行政に対しても、そして「第4の権力」であるメディアに対しても、国民は非常に厳しく批判的な目を向けており、実際に容赦ない批判が浴びせられているわけです。
しかし、よく考えてみると、三権の一つである司法の問題については、ほとんど話題になることすらない。
それは、「司法にタテツくと怖い」といった恐怖感といったものからでは(おそらく)まったくなくて、司法の実態があまりに専門的で、話題にするにはあまりにつまらなく、お笑い用語でいうところの「からみづらい」存在だからでしょう。
つまり、司法のはらむ問題というものは、テレビや新聞といったマスメディアでは非常に取り上げづらかったし、「ジュリスト」などの雑誌や専門書でも「無罪判決を出すと裁判官の出世にひびく」といったことは書きづらい(また、おそらく専門家の間では「あたりまえ」の話として共有されているので書くまでも無い)ことなはず。
ましてや、前述のとおり、映画として興行ベースに乗るとはとても思えないテーマであります。
それがなぜ、「踊る大捜査線」等で大ヒットを飛ばしており、Wikipediaでも、「日本で数少ない、良い意味で映画を『ビジネス』として見ている人物」と書かれているフジテレビの亀山千広氏の製作で公開されたのか。
うがった(または素直な)見方で考えれば、
「『踊る大捜査線』シリーズでだいぶ儲けたから、今度は亀チャンの好きなものやらせてあげようよ」
的な社内力学で、本来、興行的には取り上げるべきではなかった作品が取り上げられてしまったとも考えられます。
しかし、(周防監督は、3年前から綿密な取材を重ねてこられたということでそういった意図は無いと思いますが)、素直な(またはうがった)見方で考えれば、これは、ニッポン放送=ライブドアの攻防で自社に対する新株予約権の発行が差し止められたフジテレビ(および亀山氏)自身が体験した
「あれっ?裁判官って真実を見抜いてくれる人じゃなかったの?」
という意外感、恐怖感、絶望感または喪失感が背後にあって、フジテレビが、「われわれ以外にこれを送り出せる者はいない」という使命感から「公器」として世に問うた作品なのかも知れません。
作品は、裁判の「実態」を(あまりに)リアルに描いている(だけな)ので、法律関係の方々にとっては日頃見聞きしたり体験したりすることと同じで面白くないでしょうし、善良な一般市民にとっては、「刑事裁判」というのは まったく異世界のこと(数値的なリスクとしては「交通事故よりも確率の低い」もの)なので、これも興味がわくことなのかどうか。
そういえば、亀山氏は「踊る大捜査線」シリーズで、「取調べでカツ丼が出てきたり、現場の刑事の独断で敵のアジトに潜入したり」ではない、官僚機構の中に組み込まれて本庁に頭が上がらない「リアルな」警察の現状を描いたので、この作品もその延長線上といえば延長線上なのかも知れません。(しかし、それにしても「興行離れ」してます。)
出演者の方々も役者のオーラを消し去って、まるでドキュメンタリーフィルムのよう。(「裁判員制度の説明ビデオ」と同列の教材ビデオとしても活用できそうな。)
東京地裁のビルの部屋の窓の外に法務省のレンガの建物が見えたり(CG?)、アークヒルズや第25森ビルを見下ろす泉ガーデンの大手法律事務所と、実際に弁護を引き受けてくれる事務所の対比もあまりにリアル。
被害者の女子高生も駅員も警察も弁護士も検事も裁判官も、それぞれが自分の人生の中でそこそこ真面目にやるべきことをやっているだけなのに、「99.9%の有罪率」の中で刑事事件の被告人が地獄に落ちていくという現実。
見終わった観客の方々も全員、あまりにリアルで不条理な現実に、がっくりとうなだれてトボトボとした足取りでスクリーンを後にして帰っていきました。
デートで見に行っても後の会話も盛り上がらないでしょうし、男性の中には、怖くて満員電車に乗れなくなって生活に影響が出る人もいるのではないかと。
ということで、「最高裁判所裁判官の国民審査の投票をするのと同じくらい、日本国民であれば見るべき」映画だと思いますが、「『選挙に行ったときに、最高裁判所裁判官の国民審査もちゃんとやったほうがいいよ』と言うのと同じくらい人には勧めづらい」映画でもあります。
(ではまた。)

[PR]
メールマガジン週刊isologue(毎週月曜日発行840円/月):
「note」でのお申し込みはこちらから。

不二家と内部統制と「クジャク化」する社会

J-SOXと不二家
まずは、J-SOX法のお話。
ご案内のとおり、昨年11月に、「財務報告に係る内部統制の評価及び監査に関する実施基準(公開草案)」が公表されてます。
上記の公開草案の名前にもあるとおり、J-SOX法(金融商品取引法第24条)では、「内部統制」全般ではなく、その中でも、「財務報告に係る」部分だけの評価・監査を義務付けています。
つまり、

内部統制とは、基本的に、業務の有効性及び効率性、財務報告の信頼性、事業活動に関わる法令等の遵守並びに資産の保全の4つの目的が達成されているとの合理的な保証を得るために、業務に組み込まれ、組織内のすべての者によって遂行されるプロセスをいい、(以下略)
(同公開草案「内部統制の定義(目的)」より一部抜粋)

といった内部統制全体の定義のうち、上記下線部だけが対象であり、業務の効率性とかコンプラについては、対象外になってるわけですね。(財界からのプレッシャーもあり。)
不二家が原料や製品の消費期限・賞味期限等を適正に管理するための内部統制を構築し運用する義務があるのは、食品会社として当然中の当然のことでありますが、これは、J-SOX法とはまったく関係ない・・・と言ってしまってよさそうに見えます。
ホントにJ-SOXに関係ないか?
もちろん、財務報告だけが対象といっても、適正な財務報告を作成するためには、ただ入金伝票や出金伝票がちゃんとしてればいいというわけではなくて、それを作成するための経済的実態(原料を仕入れた・出荷した等の事実や、各種見積もりの根拠等)があり、さらにその記録をベースに会計の記録を起票するはずで、こうした記録がいいかげんだと、財務報告の信頼性にも大きな影響が出ます。
また、「平気で法律やルールを破る社風」があったら、当然、会計の記録作成にも信用が置けませんので、「コンプラはJ-SOXの対象外」と言い切っちゃっていいかというと、そうではないかと。
また、消費期限を過ぎた牛乳を使っちゃうということ自体は直接には財務報告に関係なさそうですが、よく考えてみると、今回の事件は今後必ず、すごい額の損失を不二家に与えるわけで、その額が事前に予想されるなら「引当金の見積額に関する内部統制」という形で、結局、J-SOXの範囲内に入ってくる可能性があるんじゃないか、ということも、一瞬頭に浮かびました。
ただ、引当金の計上要件((1)将来の費用または損失、(2)当期以前の事象に起因、(3)発生の可能性が高い、(4)金額を合理的に見積もることができる)のうち、(1)から(2)までは確実に満たしそうですし、(3)もテレビによる不二家のパートさんや従業員の話などによると「いつか何か起きると思っていた」とのことなので満たす可能性も十分にあるんじゃないかという気もしますが、(4)が難しいですね。
ということで、今回のようなコンティンジェンシー的な件が、引当金の計上漏れとか内部統制の不備になるとは思いませんが、経常利益の5%程度のインパクトが予想される件については、要件を満たしている可能性がある場合には、財務報告に直接関係ないようでも、引当金計上の内部統制の不備、に該当するケースもあるかも知れませんね。
(引当金計上の手続きについて報告書の範囲に含めている企業は少なさそうな気もしますので、内部統制報告書やその監査上の不備ということにはなりにくいかも知れません。ややこしいくて恐縮ですが。)
見つけちゃったらジ・エンド
さて、あなたが食品会社の監査役とか内部監査担当だったとして、不二家の件を見て、「うちはどうなんだろう」と調べてみたら、期限切れの原材料を使ったケースが数件発見されてしまったとします。
昨今の情勢を考えると、これはもう公表する以外の選択肢は無いですね。
今、公表したら、「不二家に続いて○○社でも」という報道が行われて、コメンテーターは、「食品会社のモラルはいったいどこへいっちゃったんでしょうねえ」てなコメントを出すに決まっていますし、へたすると本当に会社がつぶれかねない。
・・・ですが、それでも公表しないといけない。
実際、たとえば構造計算書偽造問題で有名になったイーホームズ社は、確か、内部監査部門が偽造を発見し、社長もこれを取り上げて問題にした、と記憶しています。
つまり、内部統制の教科書的には、非常に正直でよい内部統制上の対応をした会社だったんじゃないかと思いますが、結果として会社は確認検査機関としての国の指定を取り消され、会社は(事実上)つぶれちゃった。
会計の内部統制とコンプラの内部統制の違い
財務報告には「重要性の原則」がありますので、利益等の5%程度の誤差は許容されています。
利益を3億円多めに計上している会社があったら「極悪企業」と思う人も多いと思いますが、利益が100億円あるのであれば3%の「誤差」に過ぎませんので、必ずしも「粉飾決算」には該当しません。
また、財務報告は、決算期が終わってから作るわけですし、会計監査人等とのネゴもあります。監査人に会計処理の不適切さを指摘されても、基本的には適正な処理に修正すれば問題ない話。つまり、「やりなおし」がきくのが会計です。
(間違いが多いと、財務報告の内部統制に不備がある、とみなされる可能性はありますが。)
ところが、コンプラの内部統制というのは、こうした許容誤差が極めて小さいですね。
法学では「可罰的違法性」といった理論もあるようですが、会計の重要性の原則ほどは基準が明確じゃないし、その理屈で逃げられる範囲もきわめて限定的な気がします。また、公開企業などでは、法律がどうのというよりも、マスコミやネットも含めた一般からの反応の方が大きいでしょう。
つまり、内部監査等で、期限切れの原材料を使っていた事例が発見された、とか、社内イントラで高校野球の賭けやってたのが発見されました、ということになれば、その原材料の期限オーバーが1日だけであっても、掛け金が一人200円で参加したのが10人であっても、アウトですね。つまり、コンプラ上のミスの場合、一度やっちまったことは、「やっぱり、取り消します」というわけにはいかない。
また、どんな小さな違反でも、「そのくらいいいんじゃないかと思いました」という言い訳が まったく説得力を持たないのが、コンプラの怖さかと思います。
内部統制というのは、前述の草案の目的に「目的が達成されているとの合理的な保証を得るために」と書いてあるとおり、コストパフォーマンスを考えた合理的なものであるべきです。
つまり、単に内部統制をキツくするだけなら、たとえば、全社員1人1人の後ろにマンツーマンで1人づつ内部監査担当者をつけ、営業の席や会議にもすべて同席すれば、かなり不正は行いづらくなります。ただ、そんなことしたら、人件費が2倍になるので、たいていの企業は赤字になっちゃう。そこまでやるのは、もちろん「合理的」ではない。
状況に応じて適切と考えられるコストをかけるのが「合理的」ということなわけです。
ということで内部統制というのは「不正をゼロにするしくみ」ではないので、一定の確率でちょっとしたミスは発生します。
それが、坦々と是正すればいいだけのミスならいいですが、誰でもやってしまう程度のことなのに公表したら会社がつぶれるようなミスの場合は、どないすればよろしいのでしょうか。(今回の不二家の件が、その程度のことかどうかはさておき、一般論として。)
たとえばケーキ10個の材料の期限が1日過ぎていていただけでも、世間がそれを激しく気にするのであれば、バスケット条項(「当該上場会社等の運営、業務又は財産に関する重要な事実であつて投資者の投資判断に著しい影響を及ぼすもの」証券取引法第166条第2項第4号等)に該当するから、当然、適時開示しないといけない話、ということになっちゃいます。
「クジャク化」する社会
渡辺千賀さんのブログで、「不潔道」の考え方が紹介されてますが、
http://www.chikawatanabe.com/blog/2005/09/post_1.html
確かに、日本のように極端に要求水準が高いマーケットを相手にしていると、グローバルな競争力は無くなる気がしますね。
クジャクは、オスの羽がきれいなほど寄生虫などへの耐性が強そうだということでメスに選ばれるので、きれいな羽を持つオス以外が淘汰され、羽がああいった感じに巨大に進化しちゃったそうですが、あの羽は(確かにきれいだけど)、違う環境では役に立たないどころか、デメリットでしかない。
家電とか携帯電話とか、日本独自の(高い)要求水準に適応して、世界で通用しなくなっている産業は、多そうです。
−−−
つまり、バブル発生のメカニズムと同じで、経営者も、従業員も、内部監査担当者も監査役も、投資家も消費者もマスコミも、アホというわけではなく、逆に全員きわめて合理的に行動した結果、社会的な資源配分が大きくゆがむ可能性があるんじゃないかと思いますが・・・・長くなってきたので、続きはまた今度。

[PR]
メールマガジン週刊isologue(毎週月曜日発行840円/月):
「note」でのお申し込みはこちらから。

昨日の世知辛い系ニュース(不二家社長辞任表明)

ちなみに、我が家で今飲んでる牛乳は、消費期限が2週間前のやつ。
(1週間に2本宅配されるんですが、年末年始でちょっとたまっちゃいまして・・・。)
−−−
さて、それではここで問題です。
問1.消費期限が1日過ぎた牛乳を使ったことで社長が辞任しなければならなくなったのは、いつごろからのことでしょうか?
A.1960年代頃から。
B.1980年代頃から。
C.2000年頃から。
D.ここ2〜3年の現象。
問2.消費期限が1日過ぎた牛乳を使ったことで社長が辞任しなければならない国は、世界中でどのくらいありますか?
A.発展途上国から先進国まで、だいたいの国がそうだ。
B.OECD諸国では、おおむねすべての国にあてはまる。
C.日本、アメリカ、イギリス等、数カ国にのみあてはまる。
D.日本特有の現象である。
(追記1/17, 06:15:いただいたコメントをもとに、「賞味期限」→「消費期限」と訂正させていただきました。ちなみに、もちろん、不二家の態勢が褒められたことでないのは当然であります。)

[PR]
メールマガジン週刊isologue(毎週月曜日発行840円/月):
「note」でのお申し込みはこちらから。

本日の素朴な疑問その2(イオンクレジットのイスラム金融)

本日の日経1面の記事「イオンクレジット、イスラム金融で資金調達、邦銀と組み債券発行枠」より。

 イオンクレジットサービスは日系企業としては初めて、マレーシアでイスラムの教義に即した金融方式を活用して資本市場から直接資金調達をする。
(中略)
 今回設定した発行枠は七年間有効で、この期間内に最長十二カ月のコマーシャルペーパー(CP)と、最長五年の中期債の発行が可能。調印後一カ月以内に最初の中期債を発行する計画で、金利五%だった銀行からの借り入れと比べて低コストの四・五%で調達できる。

イスラム金融は、同記事の注に、

利子の受け払いを禁止したイスラム教の聖典コーランの教えに沿った金融取引。預金者は金利ではなく配当の分配として報酬を受けるなど、様々な仕組みを活用して利子の形態を回避する。禁忌である酒や豚肉、ギャンブル関連の企業や事業への投資や、そこからの資金受け入れも排除する。

とあるように、基本的に、「コーランの教えからはずれない事業からのリターンだ」という(「参加型」的な)タテツケで「利子」とみなされることを回避するんだと思うんですが、イオンクレジットサービスさんというのは、まさに、どう見てもイスラムで禁止されている「利子」が営業収益の過半を占めている会社さんなんですけど、それはよろしいんでしょうか?・・・というのが素朴な疑問。
同社のプレスリリース「イスラム金融方式を取り入れた債券発行について」
https://www.release.tdnet.info/inbs/110f06f0_20070115.pdf
によると、直接資金調達をするのは、マレーシアの現地法人のようで、

(注1) 同社のイスラム金融に関する取組みについて
同社は2002年にノンバンクでは初めてイスラム金融方式を取り入れた個人向け無担保ローン事業を開始しております。また2004年より、モーターサイクルの個品割賦販売(イージーペイメント)にてもイスラム金融方式を取り入れております。

とのこと。
イオンクレジットの事業全部でなく、個品割賦など、特定の(貸付でなく、売買などとみなせる)事業に対する資金、ということなんでしょうね。
そもそも、そのマレーシアの現地法人の事業だけを考えれば、マレーシアでやってるだけに、そもそもイスラムの教えに背いた貸付にはなっていないはず。事業そのものがイスラム的にOKであれば、それに対する参加型のリターンというのもOKということなのかと。
(調達額も、イオンクレジットサービスの連結負債額約5300億円のうちの136億円程度です。)
−−−
昨年初めに、最高裁で、貸金業に対する一連の判決が出て以来、「人道」と貸金業については、ずいぶんと考えさせられました。
「契約したんだから守ってもらわないと」という西洋的な概念からいくと、グレーゾーン金利での貸付というのも、もちろんアリなはずですが、その観点からだけだと、「欧米か!」という話ですし、借入をした消費者の中にはまさにイスラムが利子を禁止した時代に起こっていた悲惨な状況に陥っている人がいることも確かであります。
多分、ムハンマドのころには、事業金融でも数十%、個人金融だと百%以上といった金利でないとペイしなかったんじゃないかと思いますが、ビジネスのボリュームが増加することで約1400年の間に金利も相当下がってきたと思われますし、ムハンマドのころにはなかった「有限責任」や「自己破産」といった制度も出来ましたので、「デットの邪悪さ」は、相当減っては来ていると思うのですが、世界には「それでもまだダメ」と思ってる人も多くいるということは認識すべきでしょう。
今回、webを検索してみて、durianさんのブログの記事経由で拝見した、バハレーン経済開発委員会駐日代表の今平和雄氏が、如水会で講演された「経済グローバル化とイスラム金融」
http://www.josuikai.net/josuikai/21f/60/im/im.htm
は、非常にわかりやすく、オススメです。
「金利」とならないための「信託」「出資」「売買」「リース」といったテクニカルなスキームの話も面白いですが、この「金利(リバー)禁止」という制度も、経済の停滞を意図していたわけではなくてその逆で、「退蔵の禁止」や「喜捨」などと合わせて、流動性不足の解消を意図していた、というところなども非常に面白いです。
(ご参考まで。)

[PR]
メールマガジン週刊isologue(毎週月曜日発行840円/月):
「note」でのお申し込みはこちらから。

本日の素朴な疑問(Celtic Woman)

荒川静香さんのエキシビジョンで有名になった「You raise me up
celticwoman.jpg
を歌っているアイルランド出身の女性5人組の音楽グループ「ケルティック・ウーマン(Celtic Woman)」ですが、なぜ、女性5人組なのに、「Women」と複数形じゃないんだろうか。

[PR]
メールマガジン週刊isologue(毎週月曜日発行840円/月):
「note」でのお申し込みはこちらから。

Gödel, Escher, Baka

Escher.JPG
「エッシャー展が今日までだ!」
とうちの奥さんが気づいたため、銀座のバーゲン会場からかけつけた奥さん、子供2人を引き連れた私、の4人が渋谷のBunkamuraに集合・・・・・・したまではよかったが、会場に入るための行列が
bunkamura.jpg
といった感じで、180分待ちになってまして・・・・・・さすがに3時間はキツいだろうということで、スゴスゴと家まで帰ってまいりました。
(日本人って、そんなにエッシャーが好きだったんですね。)

[PR]
メールマガジン週刊isologue(毎週月曜日発行840円/月):
「note」でのお申し込みはこちらから。