「年金を受け取れる権利」なんて、もともと存在しない(補足編)

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前回のエントリ「『年金を受け取れる権利』なんて、もともと存在しない」には、多くのコメント、トラックバック、ブックマーク等をいただき、ありがとうございました。
5000万件超ものデータのアンマッチで国民が怒ってる中、年金のそもそもの「性質」についてちょっと振り返ってみようと思ったんですが、ちょっと刺激的なタイトルを付け過ぎてしまったようで、コメントやブックマーク等でも、「権利が存在しないなんてことはない!」というマジレスも多数いただきました。
件のタイトルは、「公的年金というのは、我々が普通にいつも接している金融商品などの”権利”とは、かなり性質が異なるものですよ」ということを強調したいがための荒っぽい表現でして、もちろん、(実際にすでに年金を受け取っている人がいるのに)「年金を受け取れる権利がゼロ」なんてことを思っているわけもないですし、法律だからと言って国会で何でも変えられるわけでないのもあたりまえであります。
タイトルに「:-)」マークでも付けておけばよかったのかも知れませんが、ただでさえ、年金に対する不信が高まっている中、さらに不安になられた方がいらっしゃったとしたら、すみません。


マジレス系の中でも、bewaadのwebmasterさんのエントリは力作なので、じっくり拝読させていただきたいと思います。
(オープンなブログできちっとしたことを誤解のないように書くのは非常に大変なので、最近、ブログをやめちゃったり、mixiに宗旨替えされて友人限り公開の日記で結構面白いことを書いてらっしゃる方も増えて、ブログできちっとした反論をいただくことが少なかったので、大変ありがたいです。)
個人別にミクロに見た場合の権利は保証されるか?
ただし。
もちろん、今後、「全国民に対して1円も年金を支給しないことにしました」というような法律改正が行われる可能性が高いとは言えない一方で、今後の環境を考えてみると、「受給時に金持ち」だったり「収入が多い」場合など、(健康で文化的な最低限度の生活を営む権利などを侵害しない範囲で)、年金がもらえなくなる人や額が減らされる人の範囲が増える法改正が今後行われる可能性はそれなりに高いのではないかと思います。
つまり、やはり、国民個々人のミクロな立場から見ると、かなり不安定な権利であることは間違いないかと思います。
 
なぜアンマッチが問題にならなかったのか
もう一つ。
国民の大半の人が非常に不思議に思っているのは、今回の5000万件ものデータのアンマッチというようなことが、どうやったら発生できるのか?ということかと思います。例えば10万人顧客がいる民間の金融機関で5万件ものデータがマッチしないというようなことは、やろうと思ってもなかなかできるもんではない。
「役人仕事だから」というのも、全く説得力なし。他の役所でも、こんないいかげんな仕事をしているところは無いと思います。
こうしたみなさんのモヤモヤした疑問をすっきり解決する方法としては、「賦課方式をベースとする年金の特性」に原因(遠因)を求めることは、一つの切り口ではないかと思います。
通常、預金でも投資信託でも証券でも、自分の口座にいくら金がたまっているかは、「債権者」によって定期的に(またはランダムに)チェックされ、それによって一種の牽制が働いているわけです。民間だけでなく、役所の仕事でも、たとえば地方税で、自分の申告と住民税の通知の額が大きく違っていたら、その場で「あれ?」と思うでしょう。
ところが、年金というのは、(1) しくみが複雑で理解しにくいだけでなく、(2) 「支払う義務」と「もらえる権利」が(実は)明確には対応しておらず、しかも、(3) その両者の間に何十年も隔たりがあるために、加入者からの牽制がまったく働かない構造であった、ということかと思います。
ということは、経営的観点からすれば、社会保険庁という組織は、民間の金融機関にも増して組織のガバナンスや内部統制を強化しておく必要があったはずなわけですが、事実は全く逆だった、ということかと思います。
会計検査院もなぜ、こうした大量の不整合を見過ごしていたんでしょうか?(名前と違って、会計的な監査だけでなく、業務監査も行っている組織のはずですが。)
数日前のエントリに、「(社会保険庁も、金融庁に検査してもらってればよかったのに・・・。)」と書いたように、社会保険庁の業務に対する統制としては、昨今の金融庁の検査のノリ(をさらに強化したもの)がもっとも適合すると思われるところ、そういった「今時の金融検査」の発想はほとんど無かったのではないかと思います。
(どなたか、社会保険庁に対する会計検査院の検査の実態がどうだったか、ということについて、情報や資料等、ご存知の方がいらっしゃったら、教えていただけるとありがたいです。)
たとえば、コンピュータ利用が中心の事務であれば、開発時の内容の妥当性の検証や運用フロー等も含めた内部統制構築といった視点が必要でしょうし、もともと加入者のチェックが働きにくい(「保険の不払い」と似てますが、その何倍もリスクがある)構造なので、日常の業務処理フローや監査プロセスの中で、加入者への「確認」的手続きを取るしくみにするといった発想も必要だったと思われます。
(民間に対してですら、こうした発想が出てきたのは昨今のことなので、それよりも権利関係がはるかに明確でないことについて、数十年昔から、そうした発想を会計検査院に要求するのは酷というものかも知れませんが。)
会計監査においても担当者のローテーションが義務付けられましたが、役所の監査は、永遠に会計検査院が行うことになっているのでしょうから、昔の検査担当者がエラい人になっていたりすると、数十年前から5000万件もの不整合が累積しているのを発見したとしても、「独立性」をもってそれを明らかにすることができるのかどうか、疑問ですね。
この事件は、「けしからん」で終わらせずに、ぜひ「役所版エンロン事件」として、役所のガバナンスや内部統制、検査のあり方について制度をどう改善するかの議論に発展させていただきたい、と希望します。
社会保険庁の現場のやる気がどうの組合がどうのと現場を責めることも必要かも知れませんが、それにも増して、年金制度を設計する立場の方々が、「年金を受け取れる権利なんて、もともと存在しない(いざとなったら、どうにかなるさ)」という発想だったということが、組織全体のガバナンスや組織風土の形成に強く影響していったのではないか。・・・・・・というのは、私、個人的には今回の「5000万件事件」の根源的な原因を非常にスッキリ理解できる説明だという気がしたんですが、どうでしょうか。
加えて、過去のミスがなぜ発生したかの責任追求やアンマッチについての対処療法もさることながら、今後、そういったミスを発生させないようにするには、どういうガバナンスやコントロールを導入したらいいのか?を、この際、真剣に考えていただければと思います。それが、年金に対する不信感を払拭する最も重要な施策のひとつだと思うので。
(ではまた。)

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20 thoughts on “「年金を受け取れる権利」なんて、もともと存在しない(補足編)

  1. 三流週刊誌のような大袈裟なタイトルをつけて注目を集めようという意図と、社民党のような珍妙な言い訳で、議論の価値すらありません。

  2. >>年金をいくら受け取れるかは「法律」で決まっている。「法律」で決まっているということは、国会で過半数の承認が得られれば、いくらでも変更が可能だ、ということだ。
    前のトピックで参考となる説明として引用されていた上の部分と、今回のこれ。
    >>法律だからと言って国会で何でも変えられるわけでないのもあたりまえであります。
    いくらでも変更が可能なのか、なんらかの抑制が効いた範囲内での変更しかできないのか、どちらが本当なんですか?
    後者であるなら、「いくらでも変更可能」の部分をはてブしていた人なんてまったくのピエロじゃないですか。
    ズルい書き方はしないでください。

  3. 公的年金も毎月、被保険者に対し「明細書」を発行すべきだ

    「領収書がなければ受け付けません」という態度だった社会保険庁が、最近は「領収書が無くても、できるだけ明確にできるよう、調査いたします」という態度に豹変した…

  4. 前回、後ろから5つ目にコメントをしたものです。
    少子高齢化の�介護�の問題について感想をしてしまいました。最近のニュースでごっちゃになっています。
    スイマセン..
    以下訂正です。
    年金問題と少子高齢化問題は表裏一体のもの。年金財源の運用力向上は金融力の向上です。日本にも古くは堂島米会所のような市場が成り立つ風土がありました。
    日本の金融力の向上は、外貨準備、公債残高などを考えても国に期待は出来ません。東証には、日本の金融マーケットの優れたインフラを活かし上海市場に抜かれないようにその役割を期待したいところです。

  5. 「かむ」様
    コメントありがとうございます。
    >>年金をいくら受け取れるかは「法律」で決まっている。
    >>「法律」で決まっているということは、国会で過半数の承認が得られれば、いくらでも変更が可能だ、ということだ。
    >前のトピックで参考となる説明として引用されていた上の部分と、今回のこれ。
    >>法律だからと言って国会で何でも変えられるわけでないのもあたりまえであります。
    >いくらでも変更が可能なのか、なんらかの抑制が効いた範囲内での変更しかできないのか、どちらが本当なんですか?
    (よくお読みいただくとお分かりのとおり)、どちらも本当です。
    国会で過半数の承認が得られなければ、法律は改正できないからです。

  6. 老後、20年以上、働かないで暮らせるというのが、異常すぎる。
    せめて、本当に働けなくなってから受け取れるように、国民の合意を得ることと、
    国民の職業貴賎の意識を減らすこと。
    (これには、国会議員がイベントではなく、週に一日の職業としての清掃業をするとか。)
    それと、年齢での職業差別をなくすこと。
    もう一つ提言したいのは、現金支給ばかりが年金ではない。
    例えば、公営団地に無料で入居することができる。
    そういう、ワンルームかツールームの団地を建築して、
    社会にでたてな若い人との共用利用するとか。
    で、公営団地に無料で入居する方は、
    自分の不動産を処分して、資産運用するか、
    あるいは、その不動産も公営団地の運営資産として提供してもらうかわり、
    給食サービスや介護も無料で受けられるとか、
    とにかく、現金、決済だけというのを考え直す方がいい。
    それと、庶民というものは、
    年金がなくても、一生働けて、幸せに暮らせるというのが大切。
    幸せというのは、お金の量では、はかれない。

  7. 公的年金も介護保も国家の振り込め詐欺との見方は可能か。1

    社会保険庁を始め、厚生労働省関係では、言葉にできないような事件(?)が続出しています。私の友人も、『なんか、社保庁に「振り込め詐欺」に逢っていたってことだ…

  8. 現行の介護保険制度は公的年金制度より悪質。2

    さて、高齢者を4人見送って、今、5人目を見送りつつある貞子の生活実感として、今の介護保険制度を一番分かりやすく表現すれば、下記のようになります。
    介護保…

  9. 現行の介護保険制度は公的年金制度より悪質。3

    ただし、実際に地方へ行きますと、国の公共事業削減の煽り(あおり)を受けて、かなり疲弊している地域も実際に存在します。
    「地域間格差」が問題となっているので…

  10. 5,000万件の年金納付記録消失問題を再び。1

    公的年金の納付記録が5,000万件消えた事件で、『我が家はサラリーマン世帯の厚生年金加入者だから関係ないのかなぁ?』と、ぼんやりと構えている人は勘違いして…

  11. 5,000万件の年金納付記録消失問題を再び。2

    時間が経過するにつれて、5,000万件という数字には仰天しなくなったが、だんだん、『「誰が」「何故」「今この時期に」「何の目的で」、こんなに誰にでも分かり…

  12. 5000万件問題で年金の丼勘定ぶりに唖然 [ブログ時評80]

     「宙に浮いた年金記録5000万件」問題でブログが騒然としている。5月末からキーワード「年金」を含むブログ記事が連日3000件前後も書かれている。

  13. 政治家の任務は、国民をけっして飢えさせないことです。
    これは絶対に譲れません。
    そして、もう一つが「希望」が持てる社会の構築です。
    ひとまず、日本国で物質的に飢えている人は
    他国に比べれば少ないといっていいでしょう。
    しかし、「希望」についてはどうでしょうか?
    私は自営業者ですから税金は確定申告の後、全額即金で払っていますが
    「う〜ん、、、」昨今の政治情勢を見ておりますと税金なんか払いたくなくなりつつあります。
    これまでは、日本国民の義務として特に租税回避の手法なんか弄せずに払って参りましたが、
    今年からは、徹底的に「合法的租税回避法」にて税金圧縮を試みるべく、勉強を開始いたしました。
    どうも、日本国家は私にとって敵なのかもしれない。
    敵に塩を送るほど「お人好し」にはなれませんから
    命の次の次くらいに大切な「ゼニ」の確保に邁進しようと思います。
    ともかくヒドイ国=日本国。
    さすが、戦前に「神風特攻隊」などという実にフザケタことをシなさっただけのことはあるね。
    ともかく「収入」は横ばいなのに
    「租税公課」だけは、毎年しっかり上がっていくというのも〜
    なんかなあ〜〜〜って感強いわけです。
    「イソログ」さんもそういう方面のエントリーありましたら
    宜しくお願い致します。

  14. 磯崎哲也さんの問題提起にお答えします。

    昨日のエントリを受け、磯崎さんから丁寧な対応をいただきました。ありがとうございました。
    その中で示されている問題提起について、webmasterの考え方…

  15. 「年金を受け取る権利」というものは存在しない、というのは政府の見解だから、文句があるのなら政府や自民党に言うべきであって、磯崎さんに言うのは筋違い。
    あるものが、財産上の権利か否かということは、日本国憲法第29条第3項「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。」の問題で、もし権利なら、法律でその権利を変更消滅しようとする場合、国は「補償金」を払わなければならないし、権利でなければ国は法律で自由に変更できる。
    年金について見ると、平成12年の法改正で、厚生年金の報酬比例部分の受給年齢は60歳から65歳に引き上げられ、サラリーマンの生涯受給額は一人500万円ぐらい減らされたが、それに対して「補償金」は支払われたか。否である。
    もし、「年金を受ける権利」があると言うのなら、国を相手に補償金の支払を求める裁判を起こすべきである。主張が正しければ500万円ぐらいの補償金がもらえるはず。
    今の法律は、現在65歳以上の人に年金をあげますと言っているが、それは現在30歳の人に35年後年金をあげますと言っている訳ではない、というのが政府の解釈。
    磯崎さんの言っていることは正しい。問題はそんな制度を作った政府を許容すべきかどうかということ。

  16. 「年金を受け取れる権利」とちまたで使われる場合の権利という言葉は、法的に厳密に意図して使っている言葉ではないと思いますよ。
    それを法的な意味での権利と手前勝手に(失礼)、決めつけたうえで、しかも、憲法の議論(対国家)をあまりご存知なく権利が有るとか無いとかいうのは適切ではなかったと思います。
    国に対して作為を請求する権利に関して具体的権利性を認められたケースがありますでしょうか? 基本的に抽象的権利性も認めていないのではないでしょうか、最高裁判所は。そういう意味では法的な意味で「権利が無い」というのはあながち間違ってないように思いますが、憲法の議論を意識してらっしゃった感じの文章ではないので、やはり適切な切り口ではなかったように感じます。
    あくまで入り口、とっかりとして「年金を受け取れる権利」を利用されたのでしょうが。
    法的権利性というのはアカデミックで実際的でもありませんが、究極の場面(法廷闘争)ではセンシティブな議論になると思いますので、軽く論じられるものでないと思います。

  17. 通りすがりのもの様
    >憲法の議論(対国家)をあまりご存知なく権利が有るとか無いとかいうのは適切ではなかったと思います。
    私に対する問題提起(「おまえ憲法知らないだろ」)でしょうか?(磯崎さん宛ではないですよね。)
    >国に対して作為を請求する権利に関して具体的権利性を認められたケースがありますでしょうか?
    どういう意味で言葉を使っているのでしょうか。国家賠償の勝訴判決(国は○○円を支払え)は全て「国に対して作為を請求する権利の容認」ですよね。それとも憲法25条の生存権に直接基づく(法律に基づかない)具体的な請求の話のことでしょうか。でも年金の話は、国民年金法、厚生年金保険法という法律があるので、その議論とは関係ないですよね。
    >軽く論じられるものでないと思います。
    私も人のことは言えませんが、他人のブログにわざわざ出張して「憲法論をブログで軽々に論ずべきではない」と書くのは、おせっかいではないですか?全ブログを監視して、憲法議論がなされないようにするのが、あなたの任務なのでしょうか?
    「憲法論を書くな」と書くくらいなら、「おまえの憲法論はここが違っている」と書く方が、生産的だと思いますが。

  18. 年金の権利さま。通りすがりのもの、です。
    >私に対する問題提起(「おまえ憲法知らないだろ」)でしょうか?(磯崎さん宛ではないですよね。)
    前回のコメントはすべて磯崎さん宛てです。
    失礼ながら貴方のコメントは、たった今拝見しました。
    (公共の福祉による財産権の制限に対して「正当な補償」を要する場合とそうでない場合とがあったと思います。通説も場合分けの規範を立てていたと思いますよ。判例にも両ケースがあったと思います。ため池条例事件は不要ケースでしたね。)
    >どういう意味で言葉を使っているのでしょうか。国家賠償の勝訴判決(国は○○円を支払え)は全て「国に対して作為を請求する権利の容認」ですよね。それとも憲法25条の生存権に直接基づく(法律に基づかない)具体的な請求の話のことでしょうか。でも年金の話は、国民年金法、厚生年金保険法という法律があるので、その議論とは関係ないですよね。
    確かに法律で具体化されていますね。具体的権利性はあるという前提で、あとはこれに対する制限がどこまで許されるか、29条3項の補償が必要か、補償額はどの程度か、という問題ですね。請求権(国から見たら給付義務)の法的性格(単なる努力義務か、抽象的権利か、具体的権利か)の問題ではないですね。
    長らく憲法の勉強をしていないので感覚が鈍っていました。失礼しました。
    正直に言いますと、年金の請求権(国から見たら給付義務)の問題が、29条で論じるべきものなのか、25条生存権で論じるべきものなのかもよくわかりません。いずれにせよ、具体的権利性を認めたうえでの国家による制限の許容度の問題です、おっしゃるとおり(裁判所は、違憲合憲の憲法レベルではなく、違法合法の法律レベルで解決するかもしれませんが)。
    さらに言うと、具体的権利性を認めることと、具体的な請求金額まで確定している権利であるととは別問題ですね。その辺も私はきっちり意識してませんでした。
    >私も人のことは言えませんが、他人のブログにわざわざ出張して「憲法論をブログで軽々に論ずべきではない」と書くのは、おせっかいではないですか?全ブログを監視して、憲法議論がなされないようにするのが、あなたの任務なのでしょうか?
    おせっかいはその通りですが、私のコメントの趣旨は下に書く通りです。
    >「憲法論を書くな」と書くくらいなら、「おまえの憲法論はここが違っている」と書く方が、生産的だと思いますが。
    確かにそのとおりです。そこまでの知識能力が無かったので書けませんでした。
    ただ、磯崎さんのエントリでは憲法の議論自体がおよそ念頭に無いようなので、「憲法論を意識しないで、『年金を受け取れる権利』の有無を法的に論じるようなことは失当です。」と言いたかったのです。
    「憲法論を書くな」ではなく、法的権利云々言うのであれば「憲法論を書いてください(触れてください)」ということです。
    私のコメントの趣旨をご理解頂ければさいわいです。
    ※もっとも磯崎さんは、法的性格(単なる努力義務か、抽象的権利か、具体的権利か)ではなく、具体的な請求金額まで確定している権利かどうかを言いたかったようですね。それを言うだけなら、法的性格の議論は仮に知らずにいても、あるいは知っていて触れなくても、まぁいいのかなと今は思っています。

  19. 「社会保険庁に対する会計検査院の検査の実態がどうだったか」に関連してですが。。。
    ある官僚の方からうかがったのですが、一般論として、天下り先を持たない会計検査院は、役所や役所の関連団体に対する検査を甘くして、天下り先の世話をしてもらっているということを聞いたことがあります。真実かどうかは分かりませんが、個人的には「さもありなん」と思いました。もちろん、社会保険庁に対する会計検査院の検査が実際にどうだったかに関しては全く知識がありません。ただ、昨今の元社会保険庁長官の天下り履歴等を見ると、ある程度の天下り先は持っていたようですね(グリーンピアとかも勘定に入れると相当あるのでは?)。