歴史的、世界的に見たコーポレートガバナンス(feat.放送大学)

  • Facebook
  • Twitter
  • はてなブックマーク
  • Delicious
  • Evernote
  • Tumblr

日経新聞の法務系の記事というのは、時々、
「こうあるべきだ。(だがそうなっていないのは、いかがなものか。)」
といった「ドグマ的」な記事が目について、「ん?」と思うこともあるのですが、昨日の日経新聞朝刊の法務インサイド「米M&A、株主保護で混迷」という記事は、アメリカにおける経緯と現状を伝えていてinformativeな内容でしたね。
(こういうの、もっとたくさんやってほしいです。)
この記事でも問題にしているのは、「株主が過剰保護され始めた」のではないか、という視点。
サブプライム危機以降、アメリカ的な世界観はバッシングにさらされはじめていますが、最近、放送大学の授業を見て、歴史的、地域的に見て、アメリカの株主観というのが、どう位置づけられるのかといった、ちょっと引いた視点から、気づいたことをいくつかメモ書きしておきたいと思います。


まず、吉森 賢 放送大学教授の「企業統治と企業倫理(’07)」が、なかなか興味深いのですが、10月に放送された第1回「ヘンリー・フォードの光と影」では、フォード社の企業統治について触れてます。
フォードの創業者ヘンリー・フォードは、T型フォードで大成功したころは全米で最も従業員のことを大事に考えるほどの経営者だったわけですが、この従業員に対する厚遇は投資家等からは批判があり、裁判も起こされました。
結果、裁判所が「会社というのは、株主のものだ」という判決を出して、ヘンリー・フォードは敗訴。怒ったヘンリー・フォードは、外部株主の株式を全部買い上げ、今で言うところのMBOをしちゃいました。
(余談ですが、このときフォードは「息子のエドセルに社長の座をまかせる」と公表して、失望した株主から安く買い取ってます。現代のレックス・ホールディングスの件等と考え合わせると興味深いです。)
この20世紀初頭のフォード社の判決で、もし、
「企業は公器だから、株主だけでなく、顧客や従業員、取引先といった会社の利害関係者をバランスよく考慮する必要がある。」
といった判断が行われていたら、アメリカの(そして世界の)経済の歴史は、(良くも悪くも)大きく変わっていたんではないか、と思わせられます。

もう一つ、広渡清吾 東京大学教授による、「法システム�(’07)−比較法社会論−日本とドイツを中心に−」も、ありがたく拝見しています。
はじめは、
「比較法やるんだったら、ドイツなんてマイナーな法律との比較じゃなくて、英米法との比較とかやってよ!」
と、テレビに向かってツッコんでいたのですが、見始めてちょっと考え方が変わって来まして。
特に、第8回の「企業のあり方と法の役割」で話されていた欧州の「共同決定制度」に関する話は非常に参考になりました。
私も、ドイツは株主から選任された人とともに従業員の代表が構成する「監査役会」が取締役を選任するということは存じておりましたが、同番組によると、株主だけでなく従業員の代表が経営の意思決定に関与する「共同決定制度」は、ドイツだけでなく、「ヨーロッパに共通した考え方の土台」になっている、というのは存じませんでした。
「ドイツの制度が労働者の権利を最も認めている。」というのは間違いないようですが、EU25カ国のうち18カ国が監査役会への労働者参加を制度化」しており、また、この制度については「経営者の多くも評価している。」とのこと。
さらに、EUになってから、各国のローカルな準拠法でなくEU法に基づいた「ヨーロッパ株式会社」が設立できることになったが、このヨーロッパ株式会社を設立する際には、「共同決定制度を導入するかどうか、会社と労働者の協議と合意が必要。」とのことです。
確かに、前述の吉森教授の企業統治と企業倫理の授業でも、ドイツの経済学者だったか経営学者だったかにインタビューしてましたが、この共同決定制度については、「いい制度だ」と断言してまして、「おっ」という感じ。
(ちなみに、吉森教授は、ドイツ人にはドイツ語で、フランス人にはフランス語で、アメリカ人には英語でインタビューしてて、語学力がおありになるなあ、という感じです。)
以上のことをいろいろ考えてみると、アメリカ的な、株主(のみ)を会社のステークホルダーとして考える考え方は、(経済学的にもすっきりしているかも知れませんが)、やはりまだ歴史的に見ても世界的に見ても非常に「特殊な」考え方なんではないか、という気がします。
同じく駒沢大学の石川 純治教授による放送大学の授業「現代の会計(’08)」でも、企業会計原則のような「多様な利害関係者」を前提とした会計から、投資家(のみ)を意識した会計にシフトが起こりつつある現状が示されてますが、会計のみならず、経済の多岐にわたる事象が「投資家中心」の考え方にシフトして来たのではないかと思います。そして、こうした考え方には、(よくも悪くも)大きくリワインドがかかりそうな昨今の情勢ですね。
私も資本市場に関連してメシを食わせていただいている面が強いので、当然、健全な市場経済が発展することを願っておる人間でありますが、放送大学のおかげで、世界の人のコーポレートガバナンスに対する考え方のモーメントといったものが、なんとなく立体的につかまえられた気がします。
(ではまた。)

[PR]
メールマガジン週刊isologue(毎週月曜日発行840円/月):
「note」でのお申し込みはこちらから。

2 thoughts on “歴史的、世界的に見たコーポレートガバナンス(feat.放送大学)

  1. 吉森教授の「企業は誰のものか-ドイツ・フランス」は、偶然その時間に放送大学にチャンネルを変えたのですが、リモコンの手を止めて見入ってしまいました。本日、某所で学生さん相手に欧州会社(SE)の話をしたのですが、上記のようなコーポレートガバナンス的な視点も面白いと思い、ちょっとですが話に盛り込ませていただきました。買収提案に対して従業員代表がどういう反応を示す傾向にあるのかについても、ちょっと調べてみたいですね。ちなみに、SEは、労働者参加制度をどうするかで1970年代から揉めに揉めて(特にそのような制度がないラテン系の国やイギリスが反対)、ようやく今の形で2004年に施行になったようですね。SEはまだまだ数は少ないですが、有名どころではPorscheやAllianzなどがSEに転換しているようです。

  2. ごぶさたしております。
    役に立つコメント、どうもありがとうございます。
    我が家が地デジ対応してから、偶然に放送大学でリモコンの手が止まったり、自動録画されてる機会が増えて、自分の無知さを思い知らされる日々であります。
    (ではまたー)