「ネット法」の発表で考えた、日本人と「フェア」概念

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(追記あり。[18:20])
デジタル・コンテンツ法有識者フォーラム(代表八田達夫・政策研究大学院大学学長)が、映像、音声等コンテンツのインターネット上の流通を促すため、特別法「ネット法」の骨子をまとめられた、というご案内を事務局の方からいただきました。
この法律には直接関係ないかも知れませんが、つらつら考えるに、日本において「フェア」という概念を法律に取り込むのは非常に大変そうだなあ、と改めて思った次第です。


概要
さらっと拝見した限りですが、コンテンツのユーザー、クリエーター、ビジネスの関係者すべてがWin-Winの関係になる、ということを目指されたものとのことですし、立法の技術的な話以前に、こうした経済的構造を検討するということが日本に不足していることだと思いますので、大変結構なことではないかと思います。
なぜ、既存の著作権法等の改正ではなく、「ネット法」という新たな法律が必要なのかという点については、著作権法をいじるとややこしくなるし、「写り込み問題」では著作権法上の権利以外の肖像権、商標権等も関係してくるので、特定の法律の改正だけでは済まない問題だから、とのこと。
また、このネット法の柱は、

1. 「ネット権」の創設
2. 収益の公正な配分の義務化
3. フェア・ユースの規定化

の3つだそうです。
「フェア」をどう表現するか
結局、経済的な「フェア」さを確保することが書かれているのですが、興味あるというか若干懸念されるのは、この法律を実際にインプリする際に「フェア」という概念をどう表現するのか、です。
別の領域の話になりますが、例えば米国のインサイダー取引規制は、「フェアでない取引をしてはいけない」ということを基本とする非常にコンパクトな法律の条文からスタートして、多くの判例の蓄積によって全体の体系が成立しているのに対し、日本ではこれが何十ページもの膨大な法令になってしまっています。
判例で決まっていても法律の条文で決まっていても同じようにも思えますが、判例は「case(ケース)」というくらいで、まさにあるケースではアンフェアと判断されたことと同じようなことでも状況が違えばフェアなこともありうるわけです。
ところが、条文で単に「子会社の解散は重要事実にあたる」と書いてあれば、その子会社の解散の発表前にその親会社の株式を売買したら、その取引が「フェア」であろうがなかろうが、それはインサイダー取引になっちゃうわけです。
数年前までは、良くも悪くもこうした法令の運用は「おおらか」だったので、規定が細かくても本筋ではないことをあまり気にかける必要もなかったわけですが、社会を市場経済化するために証券市場でのフェアな取引が非常に重要になって法律の運用も厳格になった結果、結局非常に細かい枝葉末節を気にしないといけなくなり、市場経済を委縮させてしまう皮肉な現状になっているのではないかと思います。
英語で「フェア(fair)」というと、「フェアプレー」のように、小学生でも非常にくっきりイメージがわく概念だと思いますが、この「フェア」に該当する日本語の単語は実はあるようで無いんじゃないでしょうか。
「公正な」という単語は、何か非常にお高くとまった感じがして、司法試験に受かった弁護士や裁判官じゃないと判断できないようなオーラを放っています。「公正」と聞いて最初に思い浮かぶのは、「公正取引委員会」とか「公正証書」とか、「お上が関与する」イメージではないかと思います。「市場」経済的な語感の用語じゃないですよね。
同様に「フェアバリュー」というと、「フェアな」valueだということが明確にわかるわけですが、日本で「公正価値」といってしまうと、フェアかどうか以前に、「DCF法でうんたら」とか「法人税法第○条の解釈と、財産評価基本通達の○-○-○を考え合わせると・・・」といった公認会計士や税理士でないとわからない枝葉の議論に落ちていく気がします。
アメリカでは、「It’s not fair!」というフレーズは日常会話でも非常によく使われると思いますし、そうしたやりとりを通じて子供のころから日常的に何が「fair」なのかを判断する訓練が行われているのではないかと思います。ところが、日本語で「それって公正じゃないと思いますよ」とは言わない。あえていえば「ズル(じゃない)」というあたりが、語感として一番近い気がしますが、日本の法律に「フェア」とか「ズル(じゃない)」とは書けないであろうところが悲劇ではないかと思います。
金融商品取引法なら、それを扱う業界の方々はそこそこそういったことに長けた方々なのでまだいいですが、コンテンツを扱う産業の方々というのは、日本の中でも「最も法律とか契約とかから遠いところにいらっしゃる方々」という気がします。
(・・・違法なことをされているとかアホだとか申し上げているわけではなくて、伝統的に「精緻に文書化されたルールや契約に従って権利関係を処理する」というノリでは仕事をされてこなかったのではないか、という意味です。)
「フェア」という概念が非常に細かく法律で規定されてしまうと、そのルールを変更するためには立法府のお世話になる必要が出てくるわけですが、客観的に現在の国会を見ても、国会というところが日本一意思決定がノロい機関・・・というと語弊があると思いますが、「日本一慎重に意思決定する機関」であることは間違いないわけでして、そうなったらノリが命のコンテンツの世界では機能しないことは明白なのであります。政令、省令で規定されるのであっても同様かと。こうしたことは、「市場」で解決されるべきお話であって、何かルールを修正するたびにお上のお世話にならなければならないのは、市場経済ではなくて社会主義経済です。
(ちなみに、「市場」というのは、もちろん物理的な取引所やコンピュータシステムを指すのではなくて、「(お上の世話にならずに)当事者だけで物事を解決できるしくみ」ということであります。)
インサイダー取引規制の導入の際も、証券業界から「ただざっくり『公正』と言われても、どこまでならOKでどこからがダメなのかがわからん。細かく決めてくれないと。」てなことをお願いしたせいで今のやたら細かい法令の原型ができあがったという説がありますが、コンテンツの世界でも、権利者や利用者から、「細かく決めてくれないとわかんなーい」という甘えんぼちゃんな意見が出てくることは容易に想像されます。しかし、それを真に受けて深く考えずに「お上」に詳細規定の制定を委ねてしまうことは、結局は自分たちの首を絞めることになるはずです。
「ネット法」を制定するにしても、そこで規定することは必要最小限にとどめ、極力、「市場」の力で問題解決ができるようにするべきかと思います。
とすると、権利者等の不安は「ネット法」だけでは解決しないはず。
ルールの問題なのか?
また、そもそも論として、「パイの配分」のフェアさだけを確保すれば話が済むのか?という問題もあります。フェアユースが確立し?契約による権利処理がお得意なアメリカですら、コンテンツの資金回収は、映画館やビデオ、TVといった既存のチャネルからのものが大半で、ネット経由の「上がり」はまだ微々たるものではないかと思います。単に売上規模が小さいだけならともかく、「いったんネットに流してしまうとコピーされまくって他のチャネルからの売上にも甚大な影響を及ぼすのではないか」(なぜならデジタルだから)という不安が権利者にあるから話が先に進まないわけで、この不安を解消するためには、「ネットでコンテンツを流してもコピーされまくったりしませんよ」といったあたりを担保する技術の問題とか、「たとえコピーされたとしても、結果としてそれが他媒体の売上増加につながって、全体では得をするんですよ」という期待形成の問題が大きいのではないかと思います。
そういったあたりも含めて、どこまで「ルール」が手助けしてやれば「市場」の力で物事が転がり出すのか、非常に興味深いところであります。
ソフトロー的アプローチ
昨年、法科大学院の教員になった際に大学側が開催した説明会の資料の中に、「学校その他の教育機関における著作物の複製に関する著作権法第35条ガイドライン」というのがあって、「へえ」と思ったのですが、こういう「フェア」な利用とは何かを明確化した「ソフト」なルールがあると、いいかも知れませんね。
ただし、このガイドラインを策定に関与した方々を見てみると、

著作権法第35条ガイドライン協議会
有限責任中間法人 学術著作権協会
社団法人 コンピュータソフトウェア著作権協会
社団法人 日本映像ソフト協会
社団法人 日本音楽著作権協会
社団法人 日本雑誌協会
社団法人 日本書籍出版協会
社団法人 日本新聞協会
社団法人 日本文藝家協会
社団法人 日本レコード協会
その他の主な関係団体連絡先
社団法人 教科書協会
社団法人 日本写真著作権協会
社団法人 日本図書教材協会
日本放送協会
社団法人 日本民間放送連盟
社団法人 日本複写権センター

といった感じになっておりまして、この方々の意見を調整するにはものすごい労力が必要だったことが容易に想像されるわけです。
「教育」という非常に公益性が高いものですらそうだとすると、いわんやネットでのコンテンツ利用という純粋に商業的なお話の際に、どういう人が音頭を取ればこういった方々のコンセンサスが得られるのか、想像すらできない。(事務局の方の胃粘膜が胃酸で溶けていくさまが目に浮かぶようです。)
そもそも関係者間の調整がまとまらないから、こうした法律の構想が出るんでしょうし。
一方、こうした団体と関係なしにガイドラインを制定すると、日本の場合、ルールとしての正統性に不安を感じる人が出てくるんでしょうね。
「ネット法」の広報戦略
さて、この「デジタル・コンテンツ法有識者フォーラム」の2008 年3 月現在のメンバーは、

一橋大学大学院教授 相澤 英孝
映画プロデューサー 一瀬 隆重
西村あさひ法律事務所パートナー 岩倉 正和
角川グループホールディングス会長 角川 歴彦
GMO インターネット会長兼社長 熊谷 正寿
キヤノン専務取締役 田中 信義
ジャパン・デジタル・コンテンツ信託 代表取締役 土井 宏文
政策研究大学院大学学長 八田 達夫 (代表)
シネカノン代表取締役 李 鳳宇
外1 名

といった方々とのこと。
ご本人はまったく悪くないわけですが、4月からの(いわゆる)J-SOX法施行を目前にして、「八田」というお名前を聞くだけでビクっとなる方も多いのではないかと思います。(八田先生違いであります。)
また、発表は帝国ホテルで行われたようですが、(写真はこちらに掲載されてます)webでのリリースがGMOインターネットの熊谷さんのクマガイコム(http://www.kumagai.com/)で、せっかく「デジタル・コンテンツ法有識者フォーラム」という組織を作ったのにそのホームページ(http://www.digitalcontent-forum.com)が「under construction」なのは、どーよ?という感じはします。
フォーラムの概要とリリースを掲載するだけならwebクリエーターが一日かければできるくらいの話だから、帝国ホテルに払う金があったら発表前にwebを作って、パーマネントリンクを明確化するべきだったでしょうね。
この法律は、権利者やマスコミなどが権利関係の調整を面倒くさがっているからなかなか進まないから考えられたわけでしょうから、まさに一番恩恵を被るネットの利用者やネットの事業者を味方につけて世論を盛り上げていく必要があるんじゃないかと思います。
そういう人たちにリーチするためには、ネットをちゃんと利用しなくてどうする、ブログやニュース記事でリンクしてもらうことが「ネット法」の広報活動の命なんじゃないの・・・・・・・・と、小飼弾さんなら言うだろうなあ。(・・・と人のせいにしてみる。)
[追記:今(18:20)拝見したら、フォーラムのページがちゃんと立ちあがっています。]
(ではまた。)

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8 thoughts on “「ネット法」の発表で考えた、日本人と「フェア」概念

  1. この提言は,「ネット権」者に,著作権管理事業者並みの公平許諾義務を負わせることを回避している点,「ネット権」者とされている事業者こそ従前オンラインでのコンテンツ配信の壁となってきた事業者である点を考えると,概ね良好な結果を導かない提言かと思います。

  2. フェアと美しさ

    英語で「公正」を意味する fair という語には、「利害や感情を排する」というニュアンスがあるが、もともとは古英で「美しい」を意味した語である。「美しさ」…

  3. 一番近いのは「公平」なのでしょうか。
    日本の翻訳された書籍では、フェアを「中立」と訳していることが多く、勘違いしてしまいそうです。

  4. 権利関係といえば・・ちまたで噂のmixiの規約改正ですが、
    ユーザーの権利云々という話での議論はよく見かけますが
    mixi側の経営リスクから見た話がありません。
    mixiがユーザーコンテンツ絡みの些細な違反などで摘発されて大ダメージを食らわないように、圧倒的に免責するように変えたと言う、昨今の厳罰化への大防御のようにみえるのですが、そういう認識はピンとがはずれておりますでしょうか・・・

  5. [政策]アンフェアな規制は黒船がくるまで続く

    日本では米の消費が1963年度の年間1341万トンから近年は900万トン台まで落ち込んでいます。一人あたりの消費量は1962年度の118.3kgから20…