RFID(の続き)

zerobaseの石橋様より「ユビキタス・コンピューティングのお国事情」についてコメントいただきました。ありがとうございます。
石橋さんが書かれたblog、「RFIDはプライバシーの脅威?」のURL
http://www.myprofile.ne.jp/blog/archive/zerobase/6
および、推薦されるURLの「固有IDのシンプルシナリオ」のURL
http://www.hyuki.com/techinfo/uniqid.html
等を紹介されてます。
私も(最近ほとんど発言してないので、一応、ですが・・・)日経デジタルコアのメンバー(一応、です)で、RFIDの議論はデジタルコアのメーリングリストで一通り拝見してはいたのですが、石橋さんがblogの文中で紹介されているURL「高木浩光さんの日経デジタルコア記事から派生した反応リンク集」のような”場外乱闘”があったとは存じませんでした。
この日経デジタルコアでの議論をまとめた本

DigitalID.JPG
「デジタルID革命−ICタグとトレーサビリティーがもたらす大変革」
國領 二郎 (著), 日経デジタルコアトレーサビリティー研究会 (著)

も出てます。RFIDについての論点がよく整理されていると思います。
(ではまた。)

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ユビキタス・コンピューティングのお国事情

本日の日経朝刊31面の経済教室で、東大の坂村健教授が、「ユビキタス・コンピューティング、各国の独自性に配慮必要」という文を書かれていました。
いつものご意見にたがわず「日本は日本独自の」というお話で、(その本筋の是非はともかく)、「へぇ」と思ったのは、以下の2点。
米国では出荷された商品が販売されるまでに抜き取りにより三割無くなるという。(中略)三割無くなる原因は従業員の反抗や業者の不正で、RFIDなら電波を常にあてて紛失を監視できる。
つまり、年間600億ドルとも言われる被害を「原資」としてRFID(無線識別用の微小チップ)を導入できる国と、日本のように従業員のモラルが高い国では、RFIDにかけられるコストが違ってくるだろう、というお話。
(注:かけられるコストでチップのレベルが違ってくるという話に、ではなく、流通で3割も在庫を盗まれるアメリカって大丈夫かいな、って意味で「へぇ」)
ラテン語由来の宗教用語である「ユビキタス」の本来の意味は「神様がいつでもどこでもご覧になっている」というもので、だから行いを正しくしなさい、という外部化されたモラルにつながるといわれる。
そのような言葉であるユビキタスが監視の図式を欧米人には思い浮かばせるのかも知れない。そう考えると、欧米でRFIDについてプライバシーの侵害を理由に強固な反対運動があり、多くの実験が中止にまで追い込まれているのもうなずける。

坂村教授がいう反対運動とは、ご案内のとおり、ジレット社の替え刃の盗難防止実験やベネトンのRFIDタグの実験に対して、消費者団体CASPIAN(*)が不買運動を展開して実験中止に追い込んだことなどを指しています。
(*: 「スーパーマーケットのプライバシー侵害とナンバリングに反対する消費者の会」Consumers Against Supermarket Privacy Invasion and Numbering http://www.nocards.org/)
確かに、商品コードが入ったRFIDが商品についたままになっていたりすると、コイツはどんな本を読んでいてどんな思想の持ち主と考えられるのか、とか、女性が(男性でも)どんな色のどんな形の下着をはいているのか、などが電波で確認されてしまうリスクがあるというようなことが言われているわけですが、
値札を付けたままのパンツをはいてるヤツというのもかなり間抜けだなあ(笑)ということで、「なんでそんなことでギャーギャー言うのかしらん?取りゃいいじゃん。」と今まで思ってたんですが、なるほど従業員の盗難防止となると、簡単には取れないように商品にガッチリ(こっそり)組み込んだものが導入される可能性があるわけですね。
また、ユビキタスが「神の遍在」の意味だと言うのは存じておりましたが、それが欧米人にとってどう響くのかはあまり考えてませんでした。
「おまえは、神かよ!」
とRFIDにツッコミを入れたくなる人が多い、ということでしょうか。
このへん、坂村先生のご想像なのか、多くの欧米人が本当にそう感じるのか、興味があるところです。
(ではまた。)

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Social Networkingの理論

本日の日経新聞朝刊29面経済教室に西口敏宏一橋大学教授が「中国浙江省・温州 急発展のカギ 脱日常のネットワーク」というのを書かれています。
要旨は、
中国浙江省の温州は、かつては最貧地域の漁港だったが、ヨーロッパへの出稼ぎなどで人的ネットワークが形成され、帰国した人がその人脈をもとに会社を立ち上げてそれが大発展している。
この現象をよく説明する理論がある。今、米国で評判のグラフセオリー(万物の関係を点と線で表す数学理論)を用いたダンカン・ワッツの「スモールワールド」ネットワークだ。

ということで、このスモールワールド理論を紹介しています。
隣どおしがくっついている短い経路のみの「レギュラー」の世界は一見秩序立って見えるが、遠くの点に情報伝達しようとするとステップ数が増え、伝達遅延や情報逸失が顕著となる。他方、極端にランダムすぎても使い物にならない。
ちょっと離れたところにリンクする「スモールワールド」化によって、大方規則的で、かつ一部のランダム接続が存在することにより、ネットワーク全体が著しく活性化する、というもの。
smallworld_santafe_edu.JPG
出典:http://www.santafe.edu/sfi/…/bulletinFall99/workInProgress/smallWorld.html
経済教室はそういう観点からはまったく書かれていませんが、この理論、Orkut(http://www.orkut.com/)や、gree(http://www.gree.jp/)、mixi(http://mixi.jp/)など、今話題のSocial Networkingサービスの理論(でもある)ということです。(他にも脳内のネットワーク、言語、伝染病等、様々な分析に使えそうです。下記、文献参照。)

Small Worlds: The Dynamics of Networks Between Order and Randomness (Princeton Studies in Complexity)
Duncan J. Watts (著)

Six Degrees: The Science of a Connected Age
Duncan J. Watts (著)
sixdegrees.JPG

Small World 構造に基づく文書からのキーワード抽出
松尾豊、大澤幸生、石塚満(情報処理学会論文誌)
http://www.miv.t.u-tokyo.ac.jp/papers/matsuoIPSJ02.pdf
Small World Project:
http://smallworld.columbia.edu/
ワッツ氏:
http://smallworld.columbia.edu/watts.html

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「霊」とミーム

本日の朝日新聞朝刊の「反時代的密語」で、梅原猛氏が首相の靖国参拝について書かれてます。梅原氏は、昭和五十九年に行われた首相の靖国公式参拝の合憲性を審議するために儲けられた藤波官房長官の私的諮問機関「靖国懇」の中で、靖国参拝に2つの理由を挙げて反対したそうですが、その理由の一つがちょっと興味深かったです。

記紀に示される伝統的神道は、味方よりむしろ味方に滅ぼされた敵を手厚く祀るが、靖国神道は自国の犠牲者のみを祀り、敵を祀ろうとしない。これは靖国神道が欧米の国家主義に影響された、伝統を大きく逸脱する新しい神道であることによる。

なるほど。確かに、菅原道真とか平将門とかは、やっつけた相手のほうのタタリを恐れて祀られたものですし、仮に首相が靖国参拝をして「二度と戦争を起こさないという誓いを立て」ているのだとしても、殺された米兵やアジアの人々を弔っているという感じはあまり伝わってきませんね。
憲法や政教分離を考える前に、そもそも「人はなぜ宗教的活動を行うのか」という疑問があるわけですが。説明の方法のひとつとして、「それは一種の”情報処理”的必要性から生じるのだ」という考え方ができるかも知れません。

人を人たらしめているものは「情報」です。子供のころから積み重ねてきた記憶や考え方などの「情報」によって自分は自分として存在している。また、人が死んだら骨しか残らないかというとそうではなくて、その人に関することは、その人を知る人たちの脳の中に「情報」として残ります。
「人が死んでからも残って人々に影響を与えるもの=霊」とすれば、「”情報”は霊である」と言えるかも知れません。また、自分を自分たらしめているものが情報であるとすれば、人は死んでも形を変えて生きている人々の脳の中に(分散してネットワーク的に)生き続ける、と言えるかと思います。つまり、「天国は、人々の脳のネットワークの中にある」とも。

脳というのはコンピュータのようにクールに情報処理を行うマシーンではないし、心と体は二つにきれいに分離されたレイヤーではなく、脳が感じるつらいこと楽しいことは、体にも社会にも様々な影響を及ぼします。
失恋や死で大事な人を失った場合でもスパッと気持ちを切り替えてしまえばいいものを、そうはいかないのが人間ですし、ましてや人を死に追いやったりしたら「向こうも悪いんだ」とは思ってみても、苦い気持ちは残るし心や体にも大きな変調をきたしても不思議ではない。

本来、「色即是空、空即是色(現実=情報、情報=現実)」であって、世界は単なる情報としてしか認識できないし、我々の認識そのものが社会を作り出しているわけですが、そういったクールに悟った状態を「あるべき姿」と考えると、人の心にはいろいろと「バグ」やら「セキュリティホール」やらがあって、特定の情報は、そのセキュリティホールを激しく突いて攻撃して来る。
さらに、そうした「いなくなった人に関する情報」は、脳の中に思い出として静的に存在することもありますが、場合によっては自ら増殖し、周囲に広がっていく。つまり、「ミーム」性もあります。

菅原道真などは、幼少のころから学問に秀でていて人々に対する(情報的)影響度も高かったとのことで、大宰府への左遷以降、道真に関する情報は京の人々の間で口から口へ「ミーム」として強力に伝播したのではないか、と想像します。
「敵を祀る」というような宗教行為は、こうした情報やミームからのセキュリティホールをふさぐための「パッチ」の一種と言えるかも知れませんね。つまり、北野天満宮とwindows updateはある意味同じカテゴリに入ると。
草薙素子もネットと融合して文字通り「情報」(=霊(ghost))になった、ということですが。(つまり、”in the shell”でない”ghost”。)
脳だけが形成していた社会に、blogのようにどんどん「セマンティック」に進化するネットが加わることによって、「霊」や「宗教(すなわち、脳の”OS”を前提とした社会のガバナンスのモデル)」のあり方も当然変化していくはずかと思います。

(ではまた。)

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明治のIR

「イラクでのリレーションマネジメント」にeinenさんからコメントいただきました。
> 門外漢なんですが、明治期の戦争(日露、日清)では日本は見事に諜報を
> 行っていると思います。
> 外債募集にしたって、広報活動なかりせば為しえなかったかと。

私も門外漢ですが、例えば高橋是清とか、ですよね?
あれは、まさにIR(Investor Relations)そのものですね。しかも、まだ海のものとも山のものともわからない明治期の日本の信用で資金調達してきたわけですから、上場企業のIRというよりは、設立したてのベンチャー企業の資金調達に近かったんじゃないかと。
クーン・ローブ商会の支配人の前で、是清はどういう”プレゼン”をしたんでしょうか?
「日本はまだしょーもない国ですがぜひお金を用立てていただければ・・・」といった弱気なノリでは、投資家はトラックレコードもない極東の小さな島国に資金を出したりしないと思うので、「日本の軍隊は錬度が高くて優秀だ」とか「極東でロシアと戦って勝てる可能性のある国は日本だけだ」とか「それが結局、ロシアのユダヤ人の同胞を助けることになる」とか、論理的な話の展開の中にもハッタリをたくさん混ぜ込んでプレゼンしたのではないかと推測しますが。
(しかし、出すほうも、よく出しましたよね。)
ではまた。

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イラクでのリレーションマネジメント

(軍事シリーズその4、ですが。)
自衛隊がイラクに行ってますが、イラクにおいて日本は、広報(または諜報)関連費って、どのくらい使ってるんでしょうか?
ご案内のとおり軍事用の車両や機器というのはメチャ高いので、ちょっとテロにあっただけで、すぐに数十億円分吹っ飛んじゃうでしょうし、民間人が誘拐されたりしたら、イラクに派遣された部隊だけでなく、本国の閣僚から関係官庁まで上や下への大騒ぎになって、そのトータルコストは、すぐに数十億円のオーダーに達するでしょう。
もしあまりそうした費用を使ってないとしたら、全体で2000億円ものオーダーになるイラクへの派遣費用、無償協力の費用の中で、例えば1%とか2%くらい、つまり20億円とか40億円くらい、イラクでの広報や諜報活動に使ってみたらどうでしょうか?
すなわち、(実際の経緯がどうだったか、という話はさておき、)、
「日本は人道支援に来た」
「日本は憲法で武力行使を禁止された、大変平和的な国です」
「数千億円の無償供与や円借款をご用意しました〜」
というようなことをきちんと広報、広告活動をするとともに、諜報的な手も使って、「日本はアメリカの武力行使の手先でも無いし、いい国だ」という方向にイラクの世論を形成する、ということです。(もちろん、連呼広告をして嫌われるんじゃなしに、そこは好感をもたれるように、うまくやるわけです。)
日本で広告するにしても、40億円というのはかなり使いでがあります。ましてや、イラクの物価でなら、(遊牧してるクルド族の人とかを除き)国民の大部分に日本の活動をイイ感じで印象付けることが可能ではないでしょうか。
日本人は、「ちゃんとやっていれば黙っていても必ずわかってもらえる」てなことを思いがちですが、自分から(自分の都合のいいように)情報発信しないで、文化も違う人たちに理解してもらえるわけがありません。
企業経営の世界では、例えば「IR」というのは重要だということが、相当程度浸透してきたと思いますが、対外国に対してのリレーションマネジメントはどうなんでしょうね?
諜報活動(情報戦略)の方が、実際に軍隊を動かすより何倍もコストパフォーマンスがいいというのは、太古の昔から軍事の常識です。そういう地ならしをしておけば、日本人が誘拐されるなんてこともなかったかも知れません。
危険を冒して自衛隊の人がコツコツ働いて、何千億円も資金を出した上に、嫌われて誘拐されたり「撤退しろ」と言われたりするのでは、アホみたいではないでしょうか?
(ではまた。)

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オープンな社会とベンチャー

昨日の「ゲリラとガバナンス」の続きです。
(情報が)「オープンな社会」というのは、昨日申し上げたように「(洗練された)相互監視社会」という側面があります。
オープンな社会というと、「”おぬしも悪よのう”的悪代官」のような体制側の巨悪を許さない「庶民の味方」的なイメージがあるわけですが、実は「体制側」にしてみても、そういう悪代官がいて得になることはあまり無いわけで。
監査チームが全国を細々とサンプリング的にチェックして回る「水戸黄門方式」より、「相互監視方式」のほうが はるかに体制側が体制を維持するのに有利なしくみではないかと思います。
「ゲリラ(体制側の意にそわないヤツ)」を抑止する方法としては、ゲリラを攻撃したり、相互監視するという封じ込め策のほかに、「懐柔してしまう」手もあります。
現代は「ファイナンス面でもオープンな社会」です。「すべてのものがお金で買える世界」では、お金を持ってれば持っているほど有利に決まってます。
(愛はお金じゃ買えないけどね・・・な〜んて。)
こうした「オープンな社会」では、超巨大企業は、将来、自分を脅かす可能性があるすごいベンチャーが出てきた場合、「攻撃してつぶす」という手の他に、「買収する」という手が使えます。時価総額30兆円の企業にしてみれば、300億円はたかが0.1%に過ぎませんが、大概のベンチャーなら目の前に300億円も積まれたら「うひょひょー」ってことになりますわね。
日本でもわずか5年くらい前までは、会社を売買の対象とするなんてとんでもない!という風潮は根強かったかと思いますが、今や、エクイティ・ファイナンスすることは当然のこととなりましたし、バイアウトやIPOというのはエグジットの手段として日常化しています。
つまり、そういう環境下では、超巨大企業にとっては、ベンチャーが「いい技術やいい顧客を持っていること」ももちろん脅威ですが、それ以上に「簡単に金でなびかないこと」が脅威となります。
普通の人なら、時価総額50億円くらいでIPOできるとなれば、ホイホイ公開してしまうところですが、その点、Googleは時価総額1兆円になるまで「オープン」にせずに、グッとこらえたところがなかなかできるこっちゃないですよね。もちろん、ただ我慢すれば誰にでもできるというもんではなくて、10年に一回出るかどうかという技術やビジネスモデルなどの実態面の他に、資金面でもそれをバックアップしてくれる強力な投資家の存在が不可欠です。同じ技術で同じビジネスモデルを持っていたとしても、「我慢のできない」投資家にお金を出してもらっていたら、100億円くらいで安く売っぱらわれちゃってたところでしょう。
ビジネスプランに自信があるベンチャーほど、「こらえのきく」投資家に投資してもらうというのは大切なことかと思います。
(ではでは。)

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ゲリラとガバナンス

全く反応がないかと思ってた昨日のコメント(組織のパラダイムシフト(「日露戦争物語」))ですが、意外や意外、einenさんと吉松さんから2件ほどコメントをいただきました。
ありがとうございます。>einenさんと吉松さん。<(_ _)>
einenさん曰く;
(前略)お題の組織のパラダイムシフトなんですが、この既存の軍隊組織ってのは正規軍同士の戦いでは有効なんでしょうが、ゲリラ戦においては適当とは言えないような気がします。
で、どういう組織が良いのか、これは頭の痛いところなのです。
磯崎先生のご意見伺いとう存じます。

「伺いとう存じます」とおっしゃられましても〜(←クレヨンしんちゃんの声で)・・・私、軍事の専門家でも何でもないので、ズバリのお答えは江畑謙介さんにでも聞いていただくこととして。
そもそも、「正規軍」が「ゲリラ」に弱いのはあたりまえとも言えます。なぜなら、「正規軍の弱いところを突く」のが「ゲリラ」であって、正規軍と正面からぶつかっていく小集団がいたら、それはただのアホでしかないので。
つまり、「正規軍がゲリラに弱い」というのは、ほとんど「定義」であって、正規軍がどう形を変えようが、いつまでたっても正規軍はゲリラ戦には弱い、と言えるんじゃないでしょうか。
(とんち小坊主一休さん的お答え。)
また、「権力を持つ側」が「意にそわないハネっ返りモン」とどう戦うかという一般論で考えて見ますと、「個別のゲリラ戦をどう戦うか」というミクロレベルの話をしているというのはすでに「失敗」している状態で、「そもそもゲリラが出てこない体制を構築する」のが、権力側の王道と言えるのではないかとも思います。
孫子の「戦わずして勝つ」にも通じますが、今風にかっこよく言うと、「ガバナンスの構築」、イヤラシ〜く言うと「洗練されたチクリ構造の構築」ということにもなるかと思います。
昔から「五人組」とか「隣組」とか「divide and control」とか、「相互監視体制」を構築することで、そもそも謀反を企てにくい構造にしてしまうというのが基本だったかと思います。
コーポレートガバナンスの観点から考えても、古くは大恐慌の後に公認会計士による監査制度が導入されたわけですが、エンロン事件や日本での雪印乳業、三菱自動車などの不祥事を受けて、そういう「たまの」監査ではやはり不祥事は防止し切れんということで、内部監査など内部統制の拡充や、弁護士等外部への内部通報システム、公益通報者保護法の制定、などの対策が急速に整備されようとしています。
コンピューティングの観点からだと、OSとウイルスの戦いがまさにそうですね。または、OS自体をオープンソースにして、「相互監視」の枠組みの中に置くということもそうかと思います。(「焦土作戦」ともいえますが。)
また、物理的な監視関係だと、カメラ付きケータイの普及で、デジタルカメラがタダで配れるほど安くなってしまった影響というのは大きいかと。ハードディスクもウソのように安くなってしまったので、今までだと銀行のATMで金をひったくって駆け足で逃げる犯人の顔は映らないこともあったのが、最近の監視カメラ(システム)は1秒間に記録できるフレーム数が多くなり、走って逃げる犯人の顔も確実にとらえられるようになっているようです。当然、同じコストでの記録時間も格段に長くなってます。
商店街等でも設置するところが増えてるようで、確実に成果が出ているようですし、そもそも、ほとんど全員がカメラ付きケータイを持っていれば、悪いことして逃げるヤツがいたら、誰でもすぐに証拠写真を撮れるという、「1億総相互監視」時代が始まろうとしております。
確実に「マイノリティ・リポート 」の世界に近づいているというか、横丁のご隠居風に言うと「世知辛い世の中になっちまったもんだねえ〜」という感じですが。
さて、以上は「体制側」の観点からのお話ですが、「ベンチャー企業」というのはゲリラそのものですよね。逆に、いかに既存のマーケットの間隙を突くか、大企業が正規軍を派遣してきたときにもそれを奇策で打破できるか、を考えておく必要があるのではないかと思います。
もちろん、ゲリラというのはまともにやって正規軍に勝てる見込みが小さいので、恐怖に怯えて萎縮してるだけでは勝てるモンも勝てんのは当然ですが、一方で、ちょっと資金調達に成功したり知名度が出てきたりすると、利益も出てないのに「エスタブリッシュメント」になったと勘違いしちゃう困ったベンチャー企業もたまにいます。
これも程度問題ですが、確かに市街戦で廃墟に隠れようというときに「そこに正規軍がすでにいたらどうする」という心配をしてもしょうがないですが、見渡す限りの大草原にノコノコ出て行って上から空爆されるのは、ただのアホかと思います。
ゲリラは死の恐怖を感じて、正規軍の何倍も脳細胞を回転させないとアカんかと思いますが、1998年以降、日本でもベンチャーによるエクイティファイナンスが活発化して、(いいことではあるんですがその一方で)この「死への恐怖感」がボケてる面があるかと。
逆に、すでにゲリラじゃない域に達しているのに、ゲリラ的な行動しかしない企業というのもそれはそれで困りものです。
じゃあ、いつからどうすればいいの?ということですが・・・それが簡単にわかりゃ苦労しませんわね。(笑)ベンチャー企業の社長の悩みの半分くらいは、そのあたりのことではないかと思います。
(お答えになってないと思いますが、本日はこのへんで。)

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組織のパラダイムシフト(「日露戦争物語」)

江川達也氏の「日露戦争物語」(週刊ビッグコミックスピリッツ 小学館)ですが、
前号まで:明治27年(1894年)7月、朝鮮での内乱鎮圧に出兵した日清両軍が陸海で衝突。日本軍は各初戦に勝ったものの陸海軍とも膠着。(以下略)
というところで、今週(04/4/26) 号では牡丹台陣地での戦いを描いています。
戦闘シーンとかがワヤクチャでよくわからないので毎週丹念に読んでいるというわけでもないですし、私、歴史の専門家ではないのでこの江川氏の歴史解釈がどの程度正しいのか よくわかりませんが、「組織」のパラダイムの変化と、インセンティブ、行動パターンの変化、個々の「構成要素」のインテリジェント化、といった観点から考えると非常に面白かったので、以下、ご紹介まで。
「清国一の歴戦の勇士(注:左宝貴将軍)は日本軍のこの(注:高い城壁から狙い撃ちされるにもかかわらず、仲間を助けに飛び出して、清国軍陣地を攻撃する)攻撃を見て直感した。
“この軍は今までに戦ってきた満州の馬賊たちとは違う”ということを。
(中略)
自ら進んで敵弾のなかに身を投じて戦う兵が・・・わが清国軍にはたしてどれほどいるか・・・
あいつらを動かしているものは・・・なんだ?
カネか?恐怖か?名誉か?
日本軍を動かしていたもの・・・それは、“国民国家”であった。
皇帝にカネで雇われている私兵であり、文官よりも低い地位とされる武官に率いられて異国の地に出征してきた清国軍。
国家の一員として、戦争を遂行する権利と義務を有する、国民の、軍隊である、日本軍。
フランス革命のあとナポレオンの指揮する国民国家の兵が、“散兵”を可能にした。
権利と義務を有する国民は、自らの意思で戦う。
自らを国家と一体化して、横一線に散って戦う散兵戦術でも戦意を喪失しない。
明治政府が進めた四民平等、徴兵制・・・そして議会開設は、この近代戦術を国民に行わせしめたのであった。
戦争の原動力である、近代国家としての“一体感”を。
“愛国心”は、この戦いの後、ますます高められ、歪められていく・・・

つまり、それまでは散開しようものなら敵前逃亡しちゃったりするので、兵は「固まって」しか行動できず、大砲一発でまとめて吹っ飛ばされていたものが、組織を統制するパラダイムが変化し、個々の兵がインセンティブ付けされて「インテリジェント化」することにより、戦いのパターンがまるで変わってしまったということですね。
(もちろん、最後の一行に暗示されるように、いいことばかりではなく、「副作用」も考えられるわけですが。)
ベンチャーの組織が成長するにつれトップ集中型から権限委譲された形に変化する様子や、ストックオプションによるインセンティブ、はたまた、メインフレームから分散コンピューティングやユビキタス化などへの流れなどと、どこが同じでどこが違うのかなど考えて、非常に興味深く読ませてもらいました。
(ではまた。)

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修正版「ストロビレーション方式(笑)」

昨日、
https://www.tez.com/blog/archives/000047.html
の最後のほうに書かせていただいた、SPCを2つ作っておいて、一つは株式をTOBして完全親会社を”製造”するところまでを受け持ち、もう一つのSPCに”新品”の完全親会社を売却して、完全親会社1といっしょに清算する、という方法をもうちょっと詳しく図解しておきますと、以下のような感じです。
まず、投資家等はSPC2(長期保有担当)とSPC1(「製造」担当)を設立し、SPC1でTOBをかけ、完全親会社1を株式移転により設立します。(ここまでは、わりと普通のTOB)
image002.gif
次に、前と同じように、さらに「ストロビレーション」して完全親会社2を設立し、
image004.gif
最後に、完全親会社1はSPC2に完全親会社2株式を売却して、SPC1とともに、その短い生涯を終えます。(SPC1は必ずしも解散しなくてもいいですが・・。)
image006.gif
SPC1は「原料」である被買収法人を仕入れて完全親会社を「製造」しますが、その間わずか数ヶ月間保有するだけですから、期間も短いし「固定資産」的でもなく、どう考えても「営業のために継続して使用するための資産」には該当しないような気がします。
まあ、あと数年で事後設立もなくなると思いますのであまり深く考えてもしょうがないとも言えますが、今回いろいろやってみて、大変勉強になりました。
お付き合いいただいて、ありがとうございました。>krp様 <(_ _)>
(ではまた。)

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