日本に「西洋的な考え方」を導入する方法 —(巡察師ヴァリニャーノと日本)

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私は特定の宗教に思い入れがあるというわけではなく、「クリスマス」を祝って「除夜の鐘」を聞いて「初詣」に行くという典型的な日本人であります。が、「間違いなく世界最強のミーム」であるところのキリスト教が、どのように伝播し、なぜそのように強い伝播力を持つに至ったのかということについては、ものすごく興味があるのであります。
具体的には、

  • まったく言葉が通じず文化も違う遠くの国に、なぜ全く違う考え方を布教しようという強いインセンティブが生まれるのか?
  • まったく言葉が通じず文化も違う社会に、全く新しい考え方が伝わるものなのか? なぜ、そんなことが可能なのか?
  • そうした「全く新しい考え方」を伝えるには、具体的にどのような手法が使われたのか。
  • キリスト教の布教は「エルサレムから西」向きには大成功したのに、かように強い「ミーム」が、中東や極東など「東」回りの方では、(ネストリウス派キリスト教(景教)をはじめ、昔から努力はされてきたのに)なぜ、さほど成功しなかったのか。マイクロソフトのMS-DOSが「たまたま」巨人IBMに採用されて普及したように、ローマの国教として「たまたま」採用されたことが大きかっただけなのか?それとも、ヨーロッパとアジアでは、遺伝(人種)、社会といったインフラ面で、なにか構造的に大きな違いがあるのか?

等々・・・・といったあたりのことに、非常に興味があります。
私の仕事にも大いに関係する「市場」とか「ガバナンス」とかいったことも、日本にとっては比較的「新しい考え方」に違いありませんので、そうした考え方が今後、どのように普及するのか(しないのか)、普及させるとしたら何が重要なのかというのを歴史に学ぶというのは、やっておいていい手かも知れません。
そんな問題意識の中で見た、放送大学の歴史と人間(’08)「天正遣欧使節−16世紀の日欧交流−」は、非常に興味深いものでした。
私は、(伊東マンショとか千々石ミゲルとかでおなじみ)天正少年使節がヨーロッパに行った事実というのは、豊臣秀吉や徳川家康がキリスト教を禁止して以降、「口にするのはタブーだけど、事実としては広く知られていた話」なのかと思ってたんですが、違うんですね。


この放送大学の授業によると、日本で一般に天正遣欧使節の存在が認識されたのは、明治4年以降、「岩倉使節団」がヨーロッパに行った際に、天正少年使節がローマ法王をはじめ、ヨーロッパ各地で(それも、スペイン国王フェリペ2世とか、フィレンツェのメディチ家とか、ものすごいメンバーの)熱狂的とも言える大歓迎を受けていたという書物をヴェネチアの図書館で見つけて、「こんなことが、あったんかい!」とビックリしたのが最初、とのことであります。
当時の日本で最も教養がある層と考えられる、岩倉具視、伊藤博文、大久保利通といったメンバーがビックリしたということは、天正遣欧使節の存在は、日本ではまったく伝わっていなかった、ということですね。
ちなみに、当時のローマ教皇は、現在も世界中で使われているグレゴリオ暦を採用したグレゴリウス13世で、少年使節がはるか東方の異教の国からはるばるやってきたことに感動して涙を流しながら少年たちを抱きしめて祝福した、とのことです。
(あまりに感動しすぎたせいでしょうか、教皇はこの1ヶ月後に亡くなってしまうのですが。)
この授業に触発されて検索して見つけたのがこの本。

巡察師ヴァリニャーノと日本
ヴィットリオ ヴォルピ
一藝社
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著者は、ヴィットリオ ヴォルピ(Vittorio Volpi)氏で、このブログをお読みの金融関係の方の中にはご存知の方も多いのではないかと思います。
私も氏がUBSの(確か)日本の代表をされていた10年ほど前に一回だけお会いしたことがあります。さすがイタリア人というか、非常にオシャレで朗らかな方で、第一印象「ネクタイ、ハデやなー」という感じ。
(息子さんがスタンフォードのビジネススクールに行ってらっしゃったので、息子さんを知ってらっしゃる読者の方も多いんじゃないかと思います。)
しかし、こんなすごい歴史研究をされてる方とは存じませんでした。
この本のテーマになっているアレッサンドロ・ヴァリニャーノ(Alessandro Valignano)は、1579年に日本にやってきたイタリア生まれのイエズス会員。
イエズス会というと、フランシスコ・ザビエルを知らん人はいないと思いますが、ヴァリニャーノは比較的なじみが薄いかも知れません。まさにこの、天正遣欧少年使節を企画した人物であります。
ヴォルピ氏は、「外資系金融」という、日本の従来の社会とは全く異なる考え方を仕事にされていた方なので、同じくイタリア出身で日本にやってきてキリスト教という全く異なる考え方を布教したヴァリニャーノには、大いに共通するものを感じられたのかも知れません。
ご案内のとおり、フランシスコ・ザビエルは、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を書いたエズラ・ヴォーゲル氏と歴史上1、2を争うくらい(笑)日本を持ち上げてくれた人じゃないかと思うんですが、本書でも、

彼は、いまでも日本人を特徴づけている多くの美質、人間の尊厳の自覚、礼儀と形式、ホスピタリティー、清潔感、異なった階級間における互いの尊重などを、鋭く嗅ぎ取っている。

と紹介されてます。
しかし、イエズス会全員が日本人に対して好意を抱いていたわけではないようで、実際、ヴァリニャーノが日本にやってきた時の日本担当の長であったカブラルは、「日本の政治は野蛮で国民は偽善者」と考え、また、キリスト教徒に改宗した日本人であっても西洋人と同等には扱わなかったとのことで、ヴァリニャーノは、こうしたカブラルとは激しく対立したようです。
ヴァリニャーノは、日本人のキリスト教徒を平等に扱うことはもちろん、西洋を日本より上に見て、その教義をそのまま持ち込むのではなく、ザビエル以来の伝統でもある、日本や中国の風習に合わせて柔軟に布教する「適応主義(adaptationism)」を採用します。
具体的には、清貧を意識した粗末な服装で布教したのでは日本人はバカにするので、「教皇使節にふさわしい豪華な衣服に身を纏い、インド副王の信任状と、素晴らしい贈り物を携えて」各地の大名を訪問するという、「トップセールス型」の布教をします。
キリスト教がヨーロッパに普及したことも、イエスが言っていた律法(旧約聖書)への準拠性についてはかなり「柔軟」に解釈したこと(割礼はしなくていいし、タコ食べてもいいよ、等)、が大きな要因の一つだったかと思いますが、進化生物学的には、環境への適応度が高い要素が「進化」する(生物集団内の特定の遺伝的形質の存在割合が増える)のは当然なのであります。が、あまりに変化しすぎてしまうとミームとしての同一性が失われてしまうわけでして、この「適応主義」も、キリスト教内部で大きな批判にさらされることになり、中国において儒教の儀式をキリスト教に取り入れるかどうかという典礼論争において、1715年にクレメンス11世が禁止して以降、なんと20世紀の1939年にローマ教皇ピウス12世のもとで緩和する見解を発表するまで、基本的に禁止だったように、適応主義は異端的な布教方法とみなされていたようです。
この「適応」と「自己同一性の確保」のバランスが重要というのは、あたりまえのように見えますが、このバランスというのは、単に「えいや」で真ん中を取ればいいというもんではないですね。
どの宗教でも多かれ少なかれ学問とのリンケージはありますが、キリスト教では11世紀以降、アリストテレス等の哲学や技術をキリスト教と調和させるための「しくみ」としての「スコラ学」が確立されたほか、ボローニャやパリをはじめとする「大学」も、教会が生徒や教員の組合に権威を与え、他の権力からの独立性を確保させたのが始まりなわけです。すなわち、「周囲の環境」と「コアとなる教義」とを整合させるための洗練された情報処理メカニズムが備わっていたところが、他の宗教より「適応度」を上げるのに適した点の一つだったのではないかと思います。
実際、本書でも、前述の通りグレゴリウス13世の時代でもあり、ヴァリニャーノは、イエズス会の研修の一環として「有名な天文学者で数学者、グレゴリオ暦の主要作成者であったクリストフォロ・クラヴィウス」とともに学んだとあります。
また私は、戦国時代の数十万人の(ザビエルの評価としても知性が非常に高い)日本人が、言葉もろくにしゃべれず弁が立つとも思えない「ガイジン」の言う事を聞いて改宗しようと考えるのはいったいどういうメカニズムが働いたからなんだろうか?というのをかねがね非常に疑問に思っていたのですが、
本書では、イエズス会の日本の布教において、キリスト教が間違っていることを論破しようと集会にやってきた青年が、西洋の暦・天文学によって様々な現象が正確に説明されることを見せつけられて、当初の意図とは逆にキリスト教に改宗しちゃった・・・というエピソードも紹介されてます。
単に「こうでなければいけない」というドグマを押し付けるのではなく、それが(もちろん天動説は現在我々が知るところの「事実」とは全く異なるものなわけですが、事実とあってることが重要なのではなくて)、現実を整合的に説明できるように見える極めて多元的な体系に支えられているということは、その「考え方」の説得力を圧倒的に高める「しくみ」の一つなんではないかと思います。
「欧米か!」という考えを日本に導入してる方々だけでなく、日本企業で海外に進出している方など、「文化の狭間」に立って活動されている方は、興味を持っていただける本ではないかと思います。
(ではまた。)

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6 thoughts on “日本に「西洋的な考え方」を導入する方法 —(巡察師ヴァリニャーノと日本)

  1. 宣教師は民衆に布教する際には日本人の弁士(?)みたいな役割の人を間に入れていたようですね。あと、領主の病気を治すことで布教するということもあったみたいです。
    日本統治下であったミクロネシアでは、戦後になってキリスト教が一気に広まったんですが、伝染病がはやったときにキリスト教の宣教師がやってきて、その病気が収まったのがキリスト教化されたきっかけだという話を現地で聞きました。現代でもそういうことはあるみたいですね。

  2. どうもです。
    >日本人の弁士
    なるほど。この本でもそういう日本人についても若干出てくるんですが、でも、その人を養成するまでが、また現代にも増して大変だろうなあ、と。
    >病気を治す
    なるほどなるほど。
    (ではまた。)

  3. こんにちは。
    私も以前キリスト教の伝播やイギリスの世界制覇の要因について調べたことがあるのですが、「アングロサクソンと日本人の差」という本がかなり示唆に富みます。著者は、なぜ日本は敗戦したのかをずっと疑問におもいながら、貿易会社での勤務を通じて何百回も外国を訪れた方です。氏によると、彼らアングロサクソンはキリスト教を信じることによって人間はどこにいこうと神に守られていると考えるから、新大陸に行ったり、宇宙に飛び出したりするのだそうです。まさに一神教を信じ込むことによって日本人にはない強さを発揮するらしいです。
    やはり日本人には世界戦略を描くのは難しいのかもしれませんね。

  4. >「アングロサクソンと日本人の差」という本がかなり示唆に富みます。
    ありがとうございます。
    機会を見つけて読んでみます。
    (ではまた。)

  5. 5年前に若桑みどりさんが出された「クアトロ・ラガッツィ—天正少年使節と世界帝国」という本に、天正遣欧使節とヴァリニャーノの事が詳しく書かれておりまして、この本もお薦めです。
    イエズス会については名前と簡単なことくらいしか知らず、なんで設立メンバーのザビエルが、場末の日本なんぞに来ていたのかよくわかってないくらい不勉強者でしたが(笑)、会の設立の経緯や時代背景など、この本で初めて知りました。また前半部分の、キリスト教が当時の日本でどう受け入れられていったかというあたりも興味深くよみました。
    ご紹介の本も面白そうですね、書かれている内容が重なるので、読み比べると認識が深まりそうです。アマゾンには在庫があるようなので早速注文することにします、ありがとうございました。

  6. どうもありがとうございます。
    >クアトロ・ラガッツィ—天正少年使節と世界帝国
    発注してみました。
    >書かれている内容が重なるので、読み比べると認識が深まりそうです。
    著者は親日家で日本滞在期間も長いですが、それでも「外からの視点」を持ってらっしゃるので、我々が良く知っている日本人(信長とか)の表現が、やはり日本人とは微妙に異なるので、そこが面白かったです。
    ではまた。