「金融庁検査に対する第三者チェック機関の設立」で問題が解決するか?

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「BI@K accelerated: hatena annex, bewaad.com」さんから以前のエントリトラックバックいただきました。

金融庁検査に対する第三者チェック機関を設立すべし。
(中略)
磯崎さんは金融庁が厳しいことが問題であるかのようにおっしゃられていますが、それ以上に問題なのはその厳しさが恣意的であること、あるいは客観性が担保されていないことでしょう。ここで名が出ている佐藤金融庁長官は、かつてwebmasterが問題視したUFJ銀行(当時)に対する「逆粉飾」検査が行われた際の検査局長ですが、彼がその後「逆粉飾」について謝罪をしたなどという話は聞いたことがありません。

ちょっと待った。私は「金融庁が厳しいことが問題である」なんて(金融庁さんだけに責任を押し付けるような)ことは申しておりませんよ。


「金融庁検査に対する第三者チェック機関」としては、すでに、「内閣」も「国会」も存在するわけです。(一応)不服申立も裁判もできる。そして、内閣や国会は国民にチェックされております。
([いいか悪いかはさておき]自治性が高かった公認会計士業界を監査する機関ができたというのとは、構造が異なるかと思います。)
国民(ないし、マスコミ、業界)は、ライブドア事件や村上ファンド事件など、金融に関する事件が起こると、「どっからが法律違反なのか、よくわかんねーよ」「法律が不備じゃねーか?」「政府は何やってんだ?」といった論調になるから、そのご期待に応えるべく、頭のいい官僚の方が精緻に細かい法律やガイドラインを作成し、それが内閣や国会でチェック、承認されて、その方針に従って検査の運用が行われているわけです。
申し上げたかったのは(そして、このブログのここ数年の一貫したテーマの一つとしては)、そうした「ルール」を細かくし監視を厳しくすることによって、善と悪の境界線が明確になるかと思いきや、それがさらにルールの強化や監視の強化につながり社会全体が疲弊する、という「負のスパイラル」が発生しているのではないか、ということです。
つまり、「ツッパリ学園の校則」または「バナナはおやつに入りますかー?」というのと同じ状況じゃないかと。
だから、(bewaadさんがおっしゃるような金融庁の個別の過失があったかなかったかということもさることながら)、重要なことは、こうした負のスパイラルが発生しているという大きな「構造」を主要な方々が強く認識することじゃないでしょうか。ルールや監視をさらに強化することは、一見問題の解決につながるようにも見えますが、もうちょっと大局的に見ると、それは「負のスパイラル」をさらに強化するアクションにすぎないと思います。
(法治国家であるからには、「第三者チェック機関」を作ったとしても、その運営はやはり「ルール」に基づかないといけないので、一見、ごもっともな要求に見えますが)、その「金融庁検査に対する第三者チェック機関」の人が、「どういう検査や処分がいけないのかというのを細かくルールで定めてくれないと、判断できませーん。」てなことを言う限り、堂々巡りなわけで。
例えれば、民間企業で細かすぎるルールや厳格な内部監査で現場が萎縮して会社全体の業績が伸び悩んでいたら、それは、「内部監査室が悪い」ということではなくて、取締役会ないしは社長の責任だと思います。株主は、企業で不祥事が起こったらギャーギャー文句を言うかもしれないが、ルールや監査がキツくなったのは株主のせいだ、とは言えない。
「内部監査室の監査の評判が最近よくないらしいが、わしゃ現場や社内規定の細かいことはよくわからんから、内部監査室を監査する『内部監査室監査室』を作って、そこに内部監査室を監査させたら?」なんていう社長がいたら、少なくとも民間であれば、その会社はもう終わってます。
同様に、金融庁の検査によろしくないところがあるからといって、「金融庁検査に対する第三者チェック機関」を新たに創設しよう、なんてことに仮になったとしたら、私には政治が問題から逃げている以外の何者でもないように思えます。
金融というのは、複雑で技術的な領域なので、どうしても「細かいことはよくわかんないから、現場でテキトーにやっといて」ということになりがちじゃないかと思います。しかし、「ルール」や「検査」によって、金融市場が萎縮しているのだとしたら、それは、「些末で技術的な問題」じゃなくて、市場経済国家の存亡に関わる極めて重要なことではないかと。
この問題は複雑にこんがらがっているので、どこか一つを改善すれば、あっという間に全体がよくなるというのも難しそう。校則がガチガチで先生と生徒の信頼関係が失われている「ツッパリ学園」状態を脱却するのは非常に大変ではあります。どうしても、目先の施策(校則を厳しくする、歓楽街をパトロールする、服装チェックをする、悪い生徒を退学にする)といったことに目が向きがちかと思います。
しかし、あえて言えば、根本的に求められているのは、(「ルール」にはどこにも書かれていない概念かとは思いますが)

「リーダーシップ」

なんじゃないでしょうか。
ルールは細かすぎるほど細かく書かれているので、そのルール通りにやっていることを「ダメ」というためには、かなりの権限を持った方が、ルールの簡素化を強力に押し進めたり、あるべき運用の「ノリ」を示したりする必要があるのではないかと思います。
(ではまた。)

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8 thoughts on “「金融庁検査に対する第三者チェック機関の設立」で問題が解決するか?

  1. 金融庁の検査スタイルや内部統制を敷衍すると金融庁の検査、監督行政に対する監査は?という意見には賛成したい気もありますが、きりがありません。
    問題は、監督の前提となるルールが「絶対化」してしまう、つまり「ルール遵守が目的化」してしまい、「問題ができるだけおきないようにこのようなルールを課しておこう」というレベルを著しく超えてしまうことだと思います。
    「ルールの一人歩き」といえるもので、自分が関与したルールが周りから「厳格解釈」され、戸惑った経験が何度ももあります。
    金融庁も「自己増殖的な、深め過ぎる性向」に最近気づいているようで、この面は歓迎しているところです。

  2. これはパーセプションの問題だと金融庁も最近は認識しているようですな。金融庁のトップページには「中小企業の資金調達に役立つ金融検査の知識」というPDFファイルがあり、中身は「貸し渋りを金融庁のせいにするなボケ!!」です(要するに)。金融庁を錦の御旗に営業するITベンダーさん、責任回避に躍起な銀行の役員さん、役人叩きすると記事が読まれると思ってるマスゴミさんのご協力で、勝手に自滅するのも市場なのだと一市民としてせせら笑うほかありません。

  3. 法令やルールに基づき定量的に検査を行うほど楽なものはありません。恐らく検査官が検査に赴く場合、事前に寄せられている苦情や相談などを踏まえ、まず全体を眺めて将来問題が生ずる恐れがあるか、ないかによって検査の視点を決めていると思います。自分が監督する機関に不祥事が生じた場合、実は監督している側にも責任の一端があると考えられるからです。また、経営内容を知るうえでトップとラインの方々との面接は欠かせません。ここで定性的な問題点を判断することが多いと思われます。
    法令やルールに書かれているものであっても、義務規程や努力目標的に記載されているものについては、一般に公正妥当と認められる方法で管理されていれば、問題なしと考えます。そこら辺が曖昧といえば、いえないこともありませんが、規程振りがそうなっている以上、仕方がないことです。疑わしきは罰せずということでしょうか。

  4. 詳細な規則の個別適用に基づくルール・ベースから、原則を示し、あとは各金融機関の自主判断に基づくプリンシプル・ベースへという流れはあるようですね。金融庁自体は、英国のFSAがそうであるように、金融機関を出資者とする独立採算の株主会社化し、非政府機関とする手もあります。そのほうが、人材も流動化するでしょう。「金融がわかる」人を、現状の金融庁に集めるのも難しいですし。利用者保護にかかわるところは政府組織である新設の消費者庁に任せてもよいのでは。

  5. 金融検査に限っていえばあまり悲観しすぎることはないと思います。規制が強すぎるとディレギュレーションが流れとなり、規制緩和が行き過ぎるとリレギュレーション化するというのは、日本もアメリカもいっしょではないでしょうか?
    90年代末に大蔵省が通達500本を廃止して政省令に統廃合したときは、みんな明確なルールだけになって良かったと言う論調だったと思います。また新金融検査マニュアルの前文を読むと「自己責任原則に基づく内部ルールを当局がチェックする」という方針が貫かれていて、今読んでもいいこと書いてあるなーというのが感想です。
    その後、マニュアル以外の「監督ガイドライン」が詳細化して、中小金融機関向けに別冊化がされ・・・となっていきましたが、これは裁量を嫌う受検側や中小企業の要望によるものです。まあ、要するに「一度規制に大ナタを振るったが、なんだかんだでこの10年でまた細かくなってしまった」ということです。いずれにしても、当局も銀行も完全ではないのですから、個別の検査で失敗や行き過ぎを皆無にすることは不可能です。第三者機関などという硬直的なものではなく、当局・業界・中立委員からなるタスクフォース的な会合で毎期機動的にルールを加除修正していくのがもっとも現実的と思います。密室化を避けるためには今のように議事録を公開していればいいだけです。パブリックコメントも引続き併用すればよいし。金商法や内部統制など大きな規制変更があってから2〜3年は誰でも手探りになるものです。やってみておかしなところは少しづつ手直しすればよいと思います。急ごしらえで作ったSPC法をすぐ改正したとか、米SOX法ですらもう軌道修正しているなどは規制と実務の試行錯誤のよい例です。業法や規制体系・組織を毎度根本から変えるように大問題視するのは時間やコスト、利害対立の調整が大きすぎて収拾がつかなくなります。

  6. [government]続・金融庁検査に対する第三者チェック機関を設立すべし。

    磯崎さんの問題提起を受けての先日のエントリに対して、磯崎さんからご返信をいただきました。ありがとうございます。 ちょっと待った。私は「金融庁が厳しいこと…

  7. ベタベタの最下層の株屋です。
    難しいことは解らんのですが、皆様に申し上げたいです。
    我々は今、戦時中もかくやと思うほどの戒厳令下におかれています。
    電話は全部自動録音、FAXは全部許可制、80歳以上への電話手紙等自粛…それでは商売が回りません、というレベルです。
    誰がそうしたか?コレは社内ルールです。
    なぜそう決まったか?
    金融庁がどこまでを違法とするか明確にしないから、アトヅケで『やっぱソレ逮捕』とか言い出しかねないから、取締役がビビってるんです。
    金融庁に『あんまり気にしないでくれ』とか言われても全く信用できないらしいです。それは同感です。
    あと、プリンシプルで統制すか?無理です。
    我々は基本的にややマシな布団屋であり、そんなもんクソくらえと言う人種が多数派です。
    最前線の兵にABC兵器渡しといて『でもなるべく使うな』と言っても無理です。
    楽して戦えるなら喜んで即使います。

  8. >金融庁がどこまでを違法とするか明確にしないから、アトヅケで『やっぱソレ逮捕』とか言い出しかねないから、取締役がビビってるんです。
    「バナナはおやつに入るんですか?」ということですね。
    >最前線の兵にABC兵器渡しといて『でもなるべく使うな』と言っても無理です。
    >楽して戦えるなら喜んで即使います。
    そうなんでしょうねぇ。
    で、何か起こるとすぐ「あいつら言わねえとわかんねぇアホばっかだから、法律を作って規制しよう!」ということになるんでしょうねえ・・・。それで取締役がますますビビッて、現場はますます戒厳令になるんでしょうねえ。
    (ではでは。)