契約書の著作権(その2)

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昨日のエントリにいただいたコメントを総合すると、どうも日本では契約書の著作権については(法的にあるか無いかはともかく)「無い」という前提でうまく回ってきたけど、米国では「(弁護士事務所等に)ある」ということで確立してるということのようですね。
確かに、よくある表現の一枚ぺらのNDA(守秘義務契約)の契約書の内容がほとんど同じだったからといって「著作権の侵害だ!」とか騒がれても困りますが、一方で、(例えば)厚さ10cm以上もあるような延べ何百時間もかけて詰められたストラクチャードファイナンスの契約書が、別の会社で固有名詞以外一言一句同じにコピーされても法的に保護されませんよというのでは、ちょっと作った人に申し分けなさすぎる気がします。
日本ではそもそも、5年くらい前までは例えばベンチャーキャピタルさん等がベンチャー企業に投資するときにも、契約書は最大手クラスでも「1枚」とか、大抵は「いやー、面倒なので(締結しなくて)結構ですよ」てなことをおっしゃったりしてました。明らかに法的保護を必要とするような「労作」は、証券化など「狭い世界」で使われるだけだったので、t.ikawaさんおっしゃる「職人の仁義」的ガバナンスが成立してたのかも知れません。(k2bzさんおっしゃるとおり、今後どうなるか、というのはありますね。)
《ぬえ》さんがおっしゃるように、ISDA (International Swap and Derivatives Association, Inc.) では、原則複製禁止、ただし契約締結目的であれば正本を一部購入すれば複製可、ということになってるようですね。
4765008258.09.MZZZZZZZ.jpg
新デリバティブ・ドキュメンテーション—デリバティブ取引の契約書実務
植木 雅広 (著)
(の4ページあたりにも書いてありました。)
(ではまた。)

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9 thoughts on “契約書の著作権(その2)

  1. うろ覚えで恐縮なんですが、自分はアメリカのロースクールで、契約書はcopyrightで保護されないと習った気がします。確かにアメリカの著作権法において創作性の要件はとても低いですが、他方で「著作権は表現を保護するものでありアイディアを保護するものではないので、アイディアと表現が一体となっていて他の表現方法ではそのアイディアを表現できないような場合にはその表現自体も著作権で保護されない」とされていて、契約書もそういうことで著作権の対象にならないのかなあ、とうすらぼんやり思った記憶が。。。うろ覚えなんで自信ないです。間違ってたら本当に本当にすみません。
    というより、自分が疑問に感じたのは「弁護士ががんばって厚さ10センチの契約書を書いたときに、それを他人が勝手にコピーしてもOKというのはかわいそう」というのは、たしかに心情的にはわかるのですが、他方でその弁護士にしてみればそもそもその案件の依頼者からもらう報酬以上に当該契約書に期待するものはないはずなので、コピーされても彼には何の損失もないのだから、別に契約書を著作権で保護する必要性はないのでは?逆に、優れた契約方法を著作権のせいで他の人が使えなくなるというのは著しく不便だし、社会全体にとっても損失となる気がします。

  2. なるほど、参考になります。ただ、それ、「著作権保護の対象になるか」ではなく、「(保護の対象になることを前提に)著作権侵害になるか」についての、「アイディアと表現の峻別 (idea-expression distinction)」に関する「マージ法理 (merger doctrine) 」と、その関連法理のことだと思います。
    マージ法理は「あるアイディアが著作権侵害なくして表現不能な場合、その表現は著作権侵害にならない」という法理です (Baker v. Selden, 101 U.S. 99 (1879))。また、この法理が適用される範囲について、各種の判例と付随する学説があります。一番重要な区別は「アイディアとその表現が不可分である(それ以外に表現しようがない)場合には、侵害ではない」とするものです (445 F.2d 738 (9th Cir. 1971))。逆に、他の表現方法がある場合は、侵害になります。また、「ありふれた、または標準的な表現」についても(契約書の文言でいえばボイラープレート・ランゲージってやつですね)侵害にならないとされています(862 F.2d 204 (9th Cir. 1988))。逆にいえば、これら以外は侵害となります。抽象化テスト (abstract test) なんてのもありますが、ちょっと省きます (45 F.2d, 119 (2d Cir, 1930))。
    ただ、前述の通り、この「マージ法理」云々は、創作性その他の著作権保護の要件を満たした上での話での、「侵害となるかどうか」の判断の話です。米国の著作権法では(日本でもそうですが)、「著作権保護の対象となるかどうか」と「侵害になるか」は一応別の要件ですので、直接の関係はないように思います(無論、実務上は、深く関係しますが)。
    で、創作性の話に戻ると、前述の Feist 判決が相変わらず生きています。これによれば、定型文言だけのようなリーガルフォームは著作権性が否定されますが、逆にいえば、普通の契約書等はその範疇ではないと解釈できます(少なくともゴールドステインという教授は、基本的にそのポジションを取っています)。
    これは私見ですが、実際問題としても、契約書以上に定型文言の固まりであるプログラムは(オブジェクトもソースも)著作権保護の対象となるのに、契約書を「保護の対象としない」解釈上の理由があるとは思われません。再利用の必要性等々は、プログラムも一緒(あるいはそれ以上に高い)ですよね。
    確かに「侵害になるか」という話もした方が親切ですが、長くなるし、実は、結論は変わりません。ですので、前回は、マージ法理以下を省いて、「著作権保護の対象となるか」という話に絞りました。誤解を与えたようであれば、すいません。また、これらの分野については連邦の最高裁・控訴裁レベルの判例がないのも事実ですので、「確立してると思います」という言い方になりました。(ただ、異論は、知る限りありません。誰か最新の House Report 調べてください)
    なお、以上は法解釈の話で、私自身は、「政策的には再利用ができると嬉しい。できるべきだ」と考えています。あと、米国でも契約書の再利用を盛んにやっている人はいると思います。その辺で、日本と米国との違いがあるとは感じません。Professional Courtesy は、むしろ米国の話のつもりでした。

  3. 個人的に料理をすることも多いのですが、料理のレシピなどはどうなるのでしょうね。
    ところで、最近Linuxなどにおいて特許と著作権、それにまつわる契約において、
    IBM,、サンマイクロシステム等でいろいろとりただされているみたいですね。

  4. 日本以外で、先進国の個人の意識は、
    「自分のことは自分でする」
    他者を利用することを恥ずかしく感じるみたい。
    それを原則としてとらえれば、
    個人名が署名されていたら、それを利用することはないし、
    コピーフリーが宣言されていない限り、再利用もしないはず。
    そのあたりは、不文法としてあると思う。

  5. >>野猫
    利用規制の無いシェアウェアで想定ユーザー数に比して入金の多いのが日本だと聞きましたが?
    誰だって都合の悪い事を吹聴したりしないでしょう。言わないからその事実が無いとはナイーブ過ぎませんかね。

  6. 適時開示文書も著作権の対象になりますかね。
    こんなのとか、
    「フジテレビジョンとライブドアとの和解が成立し、和解成立後の新体制においてフジテレビジョン及びニッポン放送より「SBIビービー・メディア投資事業有限責任組合(通称:SBIビービー・メディアファンド)」の運営に対して全面的な支援が確約される状況になり次第、借り入れたフジテレビジョンの全株式をニッポン放送へ返却する予定でおります。」
    (2005/4/18付 SBI 「本日のフジテレビジョンによるニッポン放送の完全子会社化に関する 基本合意の発表について」)
    こんなのとか、
    「なお、同氏の辞任に伴いまして、同氏が取締役として就任しておりました株式会社ライブド
    アの子会社及び関係会社の取締役も同日退任(辞任)いたしております。今後につきましては、
    同氏の株式会社ライブドアに与えた損害を取り戻すべく誠心誠意勤務したい旨の意思を尊重し、
    株式会社ライブドアの子会社及び関係会社の「社員」としての地位は継続いたします。」
    (2004/10/25付 ライブトドア 「取締役の退任に関するお知らせ」)
    「きっかけは〜〜記者会見!」
    しかし、ようやるよ。

  7. 「著作物 思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう」
    という定義のうちの、「創作性」の部分に焦点を当てて議論がなされているようですが、
    契約書については、「思想又は感情」という部分で、該当しないということになると思います。
    また、アタックNo1さんの、「著作権は表現を保護するものでありアイディアを保護するものではない」との仰せはもっともで、アイディアについては、特許法とか、実用新案法とか、そういった法律群でカバーすることが想定されていると思います。
    もっとも、日本の現行法では、これらの法律でも、契約書について認められる余地はほぼないと思いますが。
    あるアイディアに対して、独占的な使用権を認めることは、弊害も大きいですから、何でもすぐに保護しようと考えるのは、早計になってしまいかねません。
    そういう意味で、現行法は、それなりの妥当性を有していると思います。

  8. いえ、「思想又は感情の表現」は、そのような狭い意味では使いません。プログラムや、地図や、(学術上の)図面や図表等は、日常用語でいう「思想又は感情の表現」ではありませんが、明文で保護されています(法第10条)。事実の報道である新聞記事や、百科事典の記載も保護されます(東京地裁昭和47年10月11日判決など)。
    判例では、「思想又は感情の表現」という要件は、「表現」に重点を置いて、「単語・熟語や、ありふれた表現は保護されない」という文脈で使われることが多いです(大阪高判昭和38年3月29日下民14巻3号509頁・判タ189号98頁)。つまり、実は前のコメントで既に議論しています(日米で法律構成が違う点ではありますが)。
    政策的には、契約書を保護したくないのは同感です。

  9. あれから少し考えてみたのですが、なるほど、t.ikawaさんのおっしゃっていることが正しそうですね。
    「契約書」に一番性質の似通っていると思われる、「憲法その他の法令」について、著作権法13条1項で、著作物ではあるけれど例外的に権利の対象とならないものと定められているようです。
    このことからしても、逆に例外とされていない「契約書」については、著作物でありかつ権利の対象となると考えられそうです。
    すると、他事務所の契約書をそのまま使いまわすのは、現在の日本でもまずそうですね。
    エッセンスを学んだ上で、自分で表現し直さなくてはいけない、ということのようです。
    大変勉強になりました。m(_ _)m