「21世紀・知の挑戦」

■科学技術を核に、日本の未来戦略を考えるための一冊

先日、私の勤務先の人間がシリコンバレーに出張して、空港で入国審査官に「どちらへ?」と聞かれたので「ビジネスで〇〇社へ行く」と言うと、「その会社は、先週ナスダックに公開して株価が公募価格の〇倍になった。いい会社だね。」と言われて非常に驚いていた。米国に住む別の社員の子供が通う小学校では、実際の株式市場の相場を用いたシミュレーション・ゲームが行われている。それだけでも日本の感覚からすると驚きだが、シリコンバレーにはナスダック公開企業の役員の子息なども多いので、近々発表される新製品やM&Aの情報をこっそり親から仕入れてインサイダー取引でゲームに勝つ、という「ズル」まで行われているというからすごい。これらは、いかに資本市場が米国の国民一人一人の中に浸透しているかを示すエピソードではないだろうか。
数十ドルで好きな会社の株が買えるような発達した直接金融市場を持つ社会では、革新的な科学技術やサービスは「大儲けのチャンス」だから、一般の国民がそうした最先端の事象に強く興味を持つようになる。結果として、資金は、社会の一番の成長ポイントに潤沢に注ぎ込まれ、それにより経済が力強く成長するとともに、社会の構造改革がダイナミックに進んでいくことになる。
そうでない我が国では、個人金融資産の六割もが銀行に預金として預けられ、一般に先端技術にはあまり興味がなさそうな銀行員によってそれが運用されることになっている。結果として、最も資金を必要としている社会の成長点にあまり資金が通わないし、一般庶民も運用のリスクが自分に直接かかってこないので、科学技術の発展は、あくまで他人事、ということになってしまっている。


●科学の世紀

今週ご紹介する本は、二十世紀の特質を「科学の世紀」ととらえて、その科学の発展について振り返り、二十一世紀の(少なくとも)前半も同じ科学の世紀として発展すると展望する本である。この中では、(ツングースカ大爆発の謎なども取り上げられているが)、特に今後の技術発展の中核としてバイオ技術を取り上げ、紹介している。
紹介される個々の科学技術もさることながら、この本で最も衝撃を覚えることの一つは、日本人の科学に対する見方のデータであろう。このデータでは、日本の「理科が好きな生徒の割合」「将来、科学を使う仕事をしたいと考えている生徒の割合」「科学技術に対して関心をもっている一般市民の割合」などが、軒並み先進国中最低になっている。
一般的な日本人の日本人感は、「コミュニケーションはヘタだが、基本的な知的水準や技術力は世界の中でも極めて高い国民」というイメージではなかったか。しかし、この本のデータは、そもそも全体の知的好奇心のレベルも低く、今後ますます科学技術に興味のある学生が少なくなってくるであろうことを示しており、日本に将来は無い、という暗澹たる気持ちにさせられる。
加えて、そもそもすでに日本「人」だけで勝負できる時代ではない。米国は、すでに「アメリカ人による国」ではなく、中国系、インド系、ロシア系など、世界六十億人の中から最も優秀な人材を自国の発展のために取り込むための教育・金融、その他の諸制度を作り上げている。これに日本人の一億人だけを母集団として勝てるわけはない。日本人が世界でもとりわけ優秀な民族だ、というならまだしも、そもそもいつの間にか新しいことに興味の無い民族になってしまったのなら、なおのこと、である。
科学に対する興味を回復させるには、冒頭に述べた資本市場の発達や、教育、技術者に対する報酬体系など、すべての問題が絡んでくることが予想される。ただし、科学に対する興味を回復しない限り、明らかに日本の未来は無い。
明日の日本を復活させる戦略を考えるための一冊。


■この本の目次

はじめに
(1)20世紀 知の爆発
サイエンスが人類を変えた/バイオ研究最前線をゆく/残された世紀の謎

(2)21世紀 知の挑戦
DNA革命はここまで来た/ガンを制圧せよ/天才マウスからスーパー人間へ/21世紀若者たちへのメッセージ


■著者プロフィール

1964年東京大学仏文科卒。文藝春秋に入社した後、再び東京大学哲学科に再入学し、在学中から評論活動に入る。著書に「田中角栄研究−その金脈と人脈」「宇宙からの帰還」「脳死」「日本共産党の研究」「精神と物質(利根川進氏との共著)」「サル学の現在」他がある。

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「ガズーバ!」奈落と絶頂のシリコンバレー創業記

■シリコンバレーのベンチャービジネスの実際を体感できる本

「今ごろ何言っとんのじゃ?」という感じではあるが、日本も政府がやっと「IT」へのマインドを持ち始め、巷にもITの文字が踊るようになってきた。しかし「ITのために何が重要なのか」ということについて正確な認識が広まっているか、となると大いに疑問である。大方の理解は「インフォメーション・テクノロジーというくらいだから、課題は技術力なのだろう」というあたりだろう。もちろん、日本に技術力の問題が無いとは言わない。しかし、技術者の方々に話を聞くと、必ず口に出るのは「日本も技術は悪くないんですよねー。」というセリフだ。
ITというのはすさまじいスピードで革新が行なわれる領域であり、また、多くの場合、強力に先行者メリットが発生する。確かに、日本にも「技術力」はあるのだが、それは大企業や大学などの研究所などの奥に鎮座する「高尚」なものであって、それを使って革新的なビジネスを作り上げるまでには、非常に時間がかかる。結果として世界の競争のスピードについていけていない。
つまり、日本のITの課題は、「技術力」自体の問題ではなく、技術力をもとにビジネスを作り上げるマネジメントや、それを支える制度などの「しくみ」の問題なのだ。換言すれば、競争とスピードを市場に呼びこむことが重要で、そのために、新しい参入者が急速に成長し、既存企業を脅かすくらいになることが必要だが、そのための「しくみ」の形成が日本では大きく立ち遅れている。技術力が何年も遅れているわけではないが(ITで技術力が二年も遅れていたら、日本は確実に滅亡だ)、「しくみ」のほうが十年単位で遅れているのである。
大組織の中で成功確率の高いことをやるのと、革新的だが大きなリスクがあることをやるのでは、明らかに後者が難しい。だから、スピードが勝負の鍵になる時代には、後者に優秀な人材が集まるしくみを持つ社会の方が栄えるに決まっている。ただ、まずは、どんな「しくみ」がいいのか、イメージが湧かないことには前に進めない。


●ノウハウの宝庫

今週ご紹介する本は、この「しくみ」のお手本となるシリコンバレー・モデルの社会の息吹を伝える本である。日本から渡米してシリコンバレーでネットビジネスを立ち上げた経験を持つ人はほとんどいないと言っていいが、著者の大橋禅太郎氏は、その数少ないうちの一人だ。この本は、彼の起業経験をつづった本だが、米国での起業について、日本語で読めるものとしては非常に貴重な情報やノウハウが満載されたものとなっている。
ベンチャーが成長していくためには、アイデアの企画、ビジネスプランの書き方から始まって、ベンチャーキャピタルとの交渉、アドミニストレーションの整備、人材採用など、様々な知識やノウハウが必要である。しかし「アメリカの会社法実務」みたいな個別のノウハウ本を何冊読んでも、全体を貫く「何か」は伝わってこない。本書を読むと、シリコンバレーでは、どのような機能の人材がいて、それらがどう企業の成長に関わり、どんな雰囲気でビジネスが行われているかの「全貌」が非常によくわかる。起業して競争に勝って行くためには、各論のノウハウが必要なのではなく、それらをどうプロにアウトソースし、いかに意思決定と実行のスピードを速くできるかが重要かということが実感できる。こうした起業をサポートするプロの層の厚さが、日本にも是非欲しいのだが・・。
本書は、くだけた文章で書かれており、非常に読みやすいが、中に書かれている用語や概念は非常に重要で、しかも日本ではあまり取り上げられないものばかりだ。これを読んで、用語の意味を理解し、シリコンバレーのベンチャーを体感できれば、日本では、相当、ベンチャー詳しい部類になれること間違いない一冊。


■この本の目次

まえがき「シリコンバレーのビジネスは石油を彫り上げるがごとく」
第一章 [起業]インターネットとの出会い
第二章 [企画]ムチャな夢を立ててみる
第三章 [創業]できるヤツは会社を起こす
第四章 [調達]投資家から資金を引き出せ!
第五章 [始動]ガズーバ誕生
第六章 [組織]ドット・コム企業を取り巻く人々
第七章 [経営]こうして会社は動く
第八章 [第二ラウンド]モデルチェンジ
第九章 [法則]シリコンバレー・ベンチャービジネス
あとがき


著者のプロフィール

大橋禅太郎
外資系銀行、シュルンベルジェ社での石油探査を経て、外国企業向け日本の技術情報提供会社設立の後、渡米。半導体ブローカーで勤務した後、米Netyear Group, Inc.入社。MileNet社(現Gazooba!社)を設立し、CEOに就任。現在、同社CTO・共同創業者・取締役。

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「脳の時計、ゲノムの時計」

■生命科学と社会の間をつなぐ「英知」の書

二十一世紀を迎えた今年の正月、ふと「うちの五歳と二歳の子供は、おそらく二十二世紀(!)を見ることになるんだろうなあ」というようなことを考えた。生命技術が二十世紀末に飛躍的に発展したため、彼らは人類の本来持っている寿命まで(またはそれ以上に)長生きする可能性が高い。
遺伝子操作など最先端の生命技術が産業として確立されるのには、もう少し時間がかかるだろうが、そうなる前から、生命科学は社会に対して「哲学的」な影響を非常に強くあたえるだろう。生命科学で、生命の仕組み、意識や思考の仕組みが解き明かされるにつれて、「人間とは何か」「機械と人間の境界はどこにあるか」「死とは何か」といった、人間や人生を深く見つめるきっかけが生まれていくと考えられる。


●「技術」より「人生の質」を

本書の邦題は「脳の時計、ゲノムの時計」、表紙の帯についているキャッチコピーは「ヒトは〇・五秒前の過去に生きている!」である。このため、本書は、一見、生物学的な時間処理を中心とした科学知識が中心の本に見える。しかし、実は本書は、近視眼的な技術志向になりがちな科学者や世間の傾向を憂慮する本であり、技術より優先されるべき「英知」があるべきだ、ということが本書の基本メッセージになっている。
また、最近、「遺伝子の操作はどこまで許されるか」「クローン人間を認めるべきか」といった生命科学に関わる倫理的な問題がマスコミでも特集されている。本書は、そうした、ややジャーナリスティックで一般受けしそうな倫理の問題というよりは、医学と社会のバランスを考える上で重要な、よりマクロな論点を取り上げている。
本書の第一章から第三章までは、感覚・意識・記憶・無意識等について、現在までの生命科学の研究で得られた様々な知識を披露しながらの説明が行われている。「科学」や「科学者」自体も、こうした情報処理の影響を受けて行われている、という主旨である。
第四章では、ウイルスや原虫などの微生物との戦いの歴史と、最新の免疫学の観点からのしくみを紹介している。遺伝子数が少ない微生物は、頻繁に変異しながら免疫機構をかいくぐる。科学者や企業は、単発で効果の高い新薬開発に精力を注ぎがちであるが、著者は、そうした戦略は間違いであることを力説している。
第五章では、ガンとの戦い方について書かれている。ガンも、高度な最新生命技術でないと解決できないものより、喫煙の抑制や運動・食事など、低コストに回避できる範囲の方がはるかに大きいことを述べている。
第六章では、死について説いている。著者は、死を、克服すべきものではなく「意味あるもの」としてとらえ、医学は不死を目指して無駄な努力をするのではなく、ゲノムによって割り当てられている寿命を、高いクオリティでまっとうすることを目的とすべきである、としている。
著者は、先端科学の興味の対象とはなりにくい地味な運用などで非常に効果が高い方法が考えられ、また、そういう方法のほうが、人々を幸福に導けると考えている。しかし、今後の社会は、それとは逆に、革新的な研究へ傾注し、社会全体で考えて合理的な方向よりは、「不死」の追求など、個々人が望む著者の理想とは異なった方向に進む可能性が高いように思われる。なぜなら、われわれの社会もDNAの自然淘汰のしくみと同様、「計画性のない」自由主義が勝ち残っており、それは、自然淘汰の方向と同様、実際、非常に「強い」しくみであるからである。
生命技術は情報通信技術などに比べても相当ややこしく、その社会との関係は理解されにくい。経済学の「市場の失敗」的な状況に陥らないためにも、本書を読んで生命科学の発達した社会のあり方を考えてみられてはいかがだろうか。


■この本の目次


第1章 感覚 − 発生時計と脳の時計
第2章 意識 − 「いま」とはいったい、いつなのか
第3章 記憶と無意識 − ヒトを科学に駆り立てるもの
第4章 侵略の恐怖 − 微生物との戦い
第5章 暴動の恐怖 − がんとの戦い
第6章 死の恐怖 − 生の有限性を見つめる
結論
付録 人道的な医療科学のための覚書


■著者・訳者のプロフィール

Robart Pollack
分子生物学者。コロンビア大学生物科学部・元学部長。DNAの二重らせん構造の発見者ジェイムス・ワトソンのもと、がんウイルスを研究。著書に「DNAとの対話」など。

中村桂子
国立予防衛生研究所、三菱化成生命科学研究所を経て、同研究所名誉研究員、早稲田大学人間科学研究科教授。JT生命誌研究館副館長。著書に「あなたのなかのDNA」「自己創出する生命」、訳書に「DNAとの対話」など。

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「銃・病原菌・鉄」一万三〇〇〇年にわたる人類史の謎(上巻)(下巻)

■一万三〇〇〇年の壮大なスケールで描く、「不均衡」な人類の歴史の書

先日、ビジネスで上海にでかけて、そのエネルギーに驚かされた。二十一世紀的デザインの新空港から市内に至る高速道路には「ドット・コム」の看板が立ち並び、新市街には世界トップクラスの高さの摩天楼がそびえ立つ。表通りにスターバックスコーヒーが店を構える一方で、裏通りは、日本で言えば昭和三○年代以前のような粗末な家が軒を連ねている。人口は東京都以上。これだけの数の一般庶民が、今後、先進国並の生活を望んでいけば、その需要の爆発はものすごいものになること必至、という感じだ。
それに対して日本はといえば、不良債権問題を筆頭とする構造的な問題を打破する糸口が全く見えてこない。こういう時に上海の隆盛を見ると、逆に気分が滅入って、「日本は第二次大戦後、東西冷戦という構造下でたまたま漁夫の利的に発展しただけの国なんじゃないの?」という気にもなる。いかんいかん。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ、ともいう。そんなときは、目線を変えて、壮大な歴史的スケールとグローバルな視点で物事を考えてみるのもどうだろうか、ということで、本書を手にとってみた。


●根源的な問いかけの連続

本書は、一万三〇〇〇年前からの人類史の大きな流れを俯瞰した本で、一九九八年のピューリッツァー賞一般ノンフィクション部門を受賞している。その記述が膨大な量の歴史的知識に裏打ちされているので、著者は、当然、考古学者か歴史学者かと思いきや、UCLAの生物学・進化生物学・生物地理学の教授である。
本書では、人類史上の「不均衡」がなぜ生じたかを問題にしている。「なぜヨーロッパがアフリカやアメリカに攻めこんだのか」というのは普通に思い付く疑問であるが、本書は、一歩進んで「なぜ、アフリカやアメリカの先住民がヨーロッパに攻め込むことがなかったか」という問いを発するのである。確かに、単純に「先行者利得」が存在するなら、今ごろ人類誕生の地アフリカが全世界を牛耳っていてもよさそうなものだが、実際にはそうなっていない。
また、「農業による生産力、人口密度、余剰生産力が、文字をあやつる専門の文官、武器を扱う職人や兵士を養う余剰力を生んだ」ということまでは、ちょっと教養のある人なら比較的容易にたどりつく答えである。では、その農業生産力にはなぜ差がついたのか?著者の疑問は、子供の無垢な問いかけのように、どんどん根源にさかのぼってゆくが、それらの問いにちゃんと答えが用意されるところに、カタルシスがある。本書で、それらの問いの行き付く結論は、「ユーラシア大陸が東西に長かったから」という一見突飛なものなのであるが、数々の論拠をもとに繰り出される説明には非常に説得力がある。
通常の歴史書と違って、「病原菌」をクローズアップしているところも本書の特徴である。生物学者だけあって、遺伝や免疫などの競争メカニズムとマクロな人間レベルでの競争メカニズムの対比もキマっている。
現在の世界は、地理的な国境を超えて行きかう資本と情報の流れによって、今までの歴史の流れと大きく変わろうとしている。現在という時は、将来から振り返って見ても、人類史上の非常に大きな転換点になることは間違いない。本書の論旨は、その時代を制する要因は、人間の能力ではなく、その時代時代の適切な「地域」にいるかどうか、ということだが、では、現在、勝者となるための「地域」はどこなのか。本書には、日本が、ただ鉄砲で攻めこまれのではなく、それを改良して、世界最高の質と量を持つ武器大国に成長する事例が描かれているが、日本は今だにそうした特殊な「地域」なのか、国境が意味をなさない時代には滅ぶ国なのか。当然、その直接の答えがこの本に書いてあるわけではないが、本書で用いられる推論の構造は、おおいに参考になるだろう。


■この本の目次

プロローグ ニューギニア人ヤリの問いかけるもの

第1部 勝者と敗者をめぐる謎
第1章 一万三〇〇〇年前のスタートライン
第2章 平和の民と戦う民との分かれ道
第3章 スペイン人とインカ帝国の激突

第2部 食料生産にまつわる謎
第4章 食料生産と征服戦争
第5章 持てるものと持たざるものの歴史
第6章 農耕を始めた人と始めなかった人
第7章 毒のないアーモンドの作り方
第8章 リンゴのせいか、インディアンのせいか
第9章 なぜシマウマは家畜にならなかったのか
第10章 大地の広がる方向と住民の運命

第3部 銃・病原菌・鉄の謎
第11章 家畜がくれた死の贈り物
第12章 文字を作った人と借りた人
第13章 発明は必要の母である
第14章 平等な社会から集権的な社会へ

第4部 世界に横たわる謎
第15章 オーストラリアとニューギニアのミステリー
第16章 中国はいかにして中国になったのか
第17章 太平洋に広がっていった人びと
第18章 旧世界と新世界の遭遇
第19章 アフリカはいかにして黒人の世界になったか

エピローグ 科学としての人類史


■著者・訳者のプロフィール

Jared Diamond
カリフォルニア大学ロサンゼルス校医学部教授。生物学から進化生物学、生物地理学までその研究対象は広い。ニューギニアでの鳥類生態学の研究でも知られる。著書に「人間はどこまでチンパンジーか?」(長谷川真理子・長谷川寿一訳、新曜社)や「セックスはなぜ楽しいか」(長谷川寿一訳、草思社)など。

倉骨 彰
数理言語学博士。自動翻訳システムのR&Dを専門とする。テキサス大学オースチン校大学院言語学研究博士課程終了。現在、(株)オープンテクノロジーズ社勤務。主要訳書に「インターネットはからっぽの洞窟」(草思社)、「ハイテク過食症」(早川書房)など。

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徹底討論 株式持ち合い解消の理論と実務

■「構造改革」を考えるための株式持合いの理論とディスカッションの書

小泉内閣に変わって、政治主導での構造改革が唱えられはじめている。メスを入れるべき「構造」として最も重要なものの一つは、一四〇〇兆円にも及ぶ個人金融資産の六割もが郵貯や銀行など、元本保証確定金利の間接金融に流れ込んでいるという、日本の特殊な資金の流れ方であろう。このように銀行や郵貯に資金とリスクの分配機能が過度に負わされる構造では、今、大きな問題となっている、財政投融資の不効率性や、不良債権の問題が出るのは必至であったといえる。さらに、この副次的結果として、銀行や事業会社同士の「株式持ち合い」が、日本の経済構造上の大きな特色となってきた。株式持ち合いは、かつては従業員中心の日本型雇用のシステムを支える立役者として賞賛されたこともあったが、最近では欧米流の株主中心のコーポレート・ガバナンスを阻害する要因として、すっかり、「悪者」の立場に転落してしまった。さらに、不良債権問題や、最近の時価会計導入等の要因とあいまって、バブル崩壊以降の十年間、持ち合い解消により、大量の株式がダラダラと売られ続けてきたことも、悪者イメージに拍車をかけている。元利保証の「ぬるま湯」から出て、より株式市場中心の社会にならなければいけないにも関わらず、そこから抜け出ようとすると、逆に株価が下がって、抜け出る気力が失せる、という悪循環に陥ってきたのだ。
この春には、政府・与党の緊急経済対策として、銀行の株式保有を制限し公的資金を使った株の買い上げ機構を設立する案も浮上した。持ち合いは他人事と思っている人も、自分の払った血税を大量に使うとなると関心も高まってこよう。税金を大量に使ってまで、株式の買い上げをやる効果は本当にあるのか?株式持ち合いというのは、何がどの程度「悪」なのか?本当に、これからの時代のコーポレートガバナンスの障害になるのか?


●多彩な観点からの持ち合い論

今週ご紹介する本書は、財団法人資本市場研究会の「株式持ち合いの解消等に関する研究」の委員会の検討の模様を、一冊の本にまとめたものである。
 タイトルは「徹底討論 株式持ち合い解消の理論と実務」となっているが、むしろ、株式持ち合いを、法学、経済学、歴史などの観点から検討した、「理論」の本と思って読んでいただいたほうがよろしいかと思う。逆に「取引先との関係は壊したくないが、株式は売却したい。先方にはどう切り出したものか・・。」と悩む事業会社の財務担当者の方などの「実務」的ニーズには、直接には役に立ちそうに無いので、悪しからず。
本書は、平成一二年四月から一二月まで行われた委員会の、各委員の発表と委員の方々のディスカッションを会話調の文章にしたスタイルをとっており、とっつきとしては非常に読みやすくなっている。ただし、法学、経済学、証券、銀行、生保等の第一線の方々の生の会話なので、専門用語も平気で説明無しに飛び出し、本気で読もうとすると、それなりのベースや準備が必要だろう。
放出される持ち合い解消売りに対して人工的な「受け皿」を用意するのか、それとも市場に任せるのか。税制的なインセンティブをつけるのがいいのか、どうか。本書では委員会のコンセンサスとしての「正解」「提言」は提示されていない。私見では、淵田委員の「持ち合いという行為そのものよりも、日本のマネーフロー構造の改革につながる施策をすることが、結果的に、持ち合い解消の促進につながるかもしれない。」というのが、正解のように感じられる。株式持ち合いは、いろいろな構造によって引き起こされた「結果」であって、それ自体をどうこうしようといじくるよりも、より大きな日本の「絵」を書いて、それに向かうための工夫をする必要がある、と感じた。


■この本の目次

第1章 株式持ち合いについて
第2章 株式持ち合いの歴史的形成要因と今後における問題点
第3章 わが国株主構造と将来展望
第4章 株式持ち合いの変化
第5章 株式持ち合いの問題点
第6章 持ち合い株式の市場売却が株式市場の与える影響
第7章 株式持合い解消が日本の企業経営に与える影響
第8章 投資家の観点から見た株式保有:リスク・リターンの観点から
第9章 会計的に見た株式持合いの影響と解消方法
第10章 株式の相互保有と会社法
第11章 株式の保有の関わる法の規制−独占禁止法を中心に
第12章 ドイツにおける株式相互保有の法規制と実態
第13章 株式持ち合いとその解消:まとめ
付論 いわゆる「金庫株」の解禁と会社法


■執筆者一覧

神田秀樹 東京大学法学部教授
淵田康之 野村総合研究所資本市場研究部長
三宅一弘 みずほ証券エクイティ調査部チーフストラテジスト
高森正雄 東京証券取引所調査部長
中野充弘 大和総研投資調査部長
米澤康弘 横浜国立大学経営学部教授
丸淳子 武蔵大学経済学部教授
竹下智 野村證券IB企画室課長代理
川北英隆 日本生命保険資金証券部長
秋葉賢一 朝日監査法人社員公認会計士
藤田友敬 東京大学法学部助教授
小塚荘一郎 上智大学法学部助教授
神作裕之 学習院大学法学部教授


神田秀樹 東京大学法学部教授
東京大学法学部卒業 (商法、金融法、証券法専攻)、学習院大学法学部助教授、東京大学助教授、を経て現職。シカゴ大学ロースクール客員教授、ハーバード大学ロースクール客員教授、政府関係の審議会委員を数多く務め、商法改正などの議論に関わる。
著作に「コンパラティブ・コーポレート・ガバナンス」(オックスフォード・ユニバーシティ・プレス、98年、英文・共編著)、「会社法の経済学」(東京大学出版会、98年、共編著)、「商法2—会社(第3版)」(有斐閣、99年、共著)など。

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暗号解読−ロゼッタストーンから量子暗号まで

■インターネット時代に必須の「暗号」の五千年の歴史と理論

「エシュロン」と呼ばれる監視ネットワークが、軍事のみならず、民間の無線やインターネットにおける通信を国際的に傍受している、らしい。
インターネットのメールを使うとき意識している人は少ないと思うが、平文の(暗号化しない)メールは「はがき」のようなもので、実は通信経路の途中にいる人には中身が丸見えなのである。仮に通信する経路のどこかに「スニッファー」と呼ばれる傍受ソフトが設置されていると、個人や企業が利用しているメールやウエブの膨大なやりとりがすべて蓄積され、何かの際に利用されないとも限らないのだ。
インターネットが発達して膨大な量の情報のやりとりがあると、それを解析する諜報機関も大変だろうという気がしてしまうが、真実は逆である。電子的に処理された情報が増えることによって、逆に、システマチックに情報を集め解析することはたやすくなる。「今そこにある危機」という映画の冒頭で、飛び交う携帯電話の電波の中からコンピュータが麻薬王の声紋を自動的に割り出し位置を探し当てる、というシーンがあるが、そうしたことも現実に行われているようだ。真相は一般人には不明だが、日本赤軍の重信房子の逮捕や北朝鮮の金正男氏の入国の発覚も、エシュロンで捕捉された情報に基づく、という説もある。
最近5年間は、コンピューターや携帯電話が大衆化しインターネットが急速に発達した。九十年代後半以降は、軍事だけではなく、企業の産業スパイ対策や個人のプライバシー保護にも暗号が必要な時代に突入したといえよう。


●暗号を取り巻くサスペンス

こうした「陰謀論的な話」が現実に行われているのかどうかについては半信半疑の方も多いだろう。しかし、本書を読むと、諜報活動の歴史というのは、本質的に「どこまで技術的に可能かを秘密にする」歴史であることがよく理解できる。第二次大戦中に英国軍はドイツ軍のエニグマ暗号が解読できていたが、味方を見殺しにしてまでそのことを秘密にした話は有名である。さらに、同じ英国の諜報組織が、RSA社の創設者たちが発明したとされている公開鍵暗号を、より早く開発していた、というエピソードも関係者への取材を行って紹介されており、諜報のために必要な革新的技術は、発明されても、決してすぐには一般人の前には姿を現さない、ということが納得できる。
本書は、一五八六年に、スコットランド女王メアリーが法廷に引き出されるシーンからスタートする。この法廷の審判の鍵は「暗号」である。暗号が解読されずにメアリーは処刑を免れるのか、それとも解読されて処刑されてしまうのか。読む者をぐっと引き込んでおいて、著者は技術的な説明に入っていく。暗号の一般書というのは、古代からの暗号の歴史を説明してきて、近代・現代の暗号の解説するという構成をとるのが通例であり、本書も同様である。本書の特徴は、このパターンを踏襲しながらも、類書を寄せ付けないおもしろさの読み物に仕上がっているところにある。暗号の技術は、勉強してみると非常におもしろいので、書き手としては、技術自体を一所懸命説明しようとしてしまうきらいがある。しかし、著者のサイモン・シンは、前著である「フェルマーの最終定理」と同じく、高度に数学的な技術に深い理解をもちつつもそれに溺れることなく、読者を知的なエンターテイメントに引きずり込むことに徹している。また、著者は、技術そのものの解説もきちっと行いながらも、その技術の陥りやすい罠、技術を使う人間がどういう挙動を取るか、などのドラマに視線を注いでいる。
前述の通り、歴史上、今ほど暗号に対する正しい理解と使用が求められている時代はないといえよう。この暗号の正しい理解のために、最適な一冊と言える。


■この本の目次

はじめに
第1章.スコットランド女王メアリーの暗号
第2章.解読不能の暗号
第3章.暗号機の誕生
第4章.エニグマの解読
第5章.言葉の壁
第6章.アリスとボブは鍵を公開する
第7章.プリティー・グッド・プライバシー
第8章.未来への量子ジャンプ
付録 暗号に挑戦−一万ポンドへの十段階


■著者

Simon Singh
ケンブリッジ大学Ph.D 元BBCプロデューサー。著書に「フェルマーの最終定理」(新潮社)。


■訳者

あおき・かおる
1956年生まれ。京都大学理学部卒業、同大学院終了。理学博士。翻訳家。訳書に、「カール・セーガン 科学と悪霊を語る」「フェルマーの最終定理」などがある。

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構造改革とはなにか 新篇日本国の研究

■特殊法人改革に必要な、「ディテール」を学ぶ本

小泉内閣で、特殊法人改革の検討が進められている。特殊法人というのが、効率が悪く税金を食い、多額の借金を作り、官僚の天下り先となっている、というのは国民の共通認識になっており、特殊法人の民営化や廃止は、あたりまえで疑問の余地がないことだと考えられている。これは、小泉内閣の支持率の高さにも裏付けられているだろう。しかし、実際、行革のプロセスを進めてみると、予想通り、反対勢力の抵抗は極めて強い。

実は、経済学的にきちんと考えてみると、国営企業を民営化しなければならない根拠や基準というのは必ずしも明確ではない。(柳川範之著「契約と組織の経済学」第8章など)。仮に、国営企業の方が民間企業より劣っている部分があれば、その民間企業の組織や契約をそっくりそのまま採用すれば、理論的には国営企業は民間企業と全く同じパフォーマンスを実現できるはずだからだ。「ここが悪いから民営化しろ」というと「では、そこを直しますので民営化しません」ということになる。実際、どの特殊法人・国営事業も、まさにその戦略を取っており、勤務先を「わが社」、顧客を「お客様」と呼び、民間の企業がやっている方式やサービスを取り入れて、国営のままでも効率は悪くないということを示そうとしている。
すなわち、直感的には特殊法人を民営化・廃止しなくてはいけないのは「あたりまえ」としか思えないにも関わらず、民営化の必要性を一刀両断に説明してくれる理屈は存在していないのである。このため、行革の作業は、断固たるリーダーシップを必要とするとともに、その勝負の鍵を握るのは「ディテール」なのだ。


●詳細に描かれた行革の全体像

この本は、猪瀬直樹著作集の第一巻として、「日本国の研究」(九六年初出)に、新たに書きおろされた「公益法人の研究」などを加えた構成になっている。

著者は、現在、行革断行評議会の委員として石原大臣や小泉首相をサポートする立場にあるが、本書の日本国の研究の部分には、著者がジャーナリストとして当時の小泉代議士に会い、財政投融資や特殊法人問題について話し合った際のエピソードが紹介されている。その際の著者の小泉氏に対する感想は、「(言っていることは)基本的に正しいのである。ただし、戦術がない。」というものだ。

実は、これと同じ感想は、現在行革を行っているスタッフ周辺からも聞こえてくる。すなわち「小泉さんに、もう少し細かい部分にも興味を持ってもらいたい」というものだ。ただ、リーダーというのはそれでいいのだとも言える。リーダーの最も大切な役割は、現状の改良や改善では到達できない目標を、明確かつ断固として指し示すことだからだ。小泉氏は、先述のエピソードでも、明治維新などを例に挙げて、「民営化は一気にやるしかない。段階論はだめだ。」と、民営化を一気に「あたりまえ」にしてしまうしかないことを述べている。
ただし、スタッフはそれでは困る。「これこれの理由で民営化しなくていい」「廃止はできない」という特殊法人側の意見に対して、個別に反論し、具体的なプロセスに落としていかないといけない。特殊法人の詳細な内容については、特殊法人側の方が情報を持っているに決まっているから、全体戦略を持ちつつ、よほど詳細を理解した人でないとこうした議論に立ち向かっていくことはできない。
その点、本書での著者の論旨は極めて明快かつ具体的だ。行革の現場でも、特殊法人側が「これは先例がありません」などと肩透かしを食らわせるのに対し、著者が「いつ、誰それによって、こういう事例がある。」などと、現場も知らないような反証を掲げて応戦し、特殊法人側にも「彼はとてつもなく勉強をしている」と舌を巻かせている、とも聞く。

行革という戦場に散る火花と、「戦術」を体感できる一冊。


■この本の目次

日本国の研究
第一部 記号の帝国

第二部 闇の帝国

第三部 寄生の帝国
増補 公益法人の研究
プロローグ
第一章 特殊法人の下請けとして生き延びる
第二章 規制産業として独自ビジネスを展開
第三章 税逃れの実態と法的な欠陥
第四章 特殊法人等の廃止・分割民営化と同時に改革を
あとがき
<付録>日本道路公団分割民営化案

解題


■著者

1946年長野県生まれ。「ミカドの肖像」で87年第18回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。「日本国の研究」で96年度文芸春秋読者賞受賞。著書に「ペルソナ三島由紀夫伝」「マガジン青春譜川端康成と大宅壮一」等。行革断行評議会委員として、特殊法人等の民営化に取り組む。政府税調委員、日本ペンクラブ言論表現委員長、慶応大学メディアコム研究所行使、国際日本文化センター客員教授、東京大学大学院客員教授。



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バタフライ・エコノミクス−複雑系で読み解く社会と経済の動き

■カオス的な経済における予測不能性と、それに対応するための戦略を考える本

二〇〇二年の現在の社会を形作った近年の最も大きな要因は何かと言われれば、その一つとしてソ連の崩壊をあげることができるだろう。実は、社会主義経済というものがうまく機能しない可能性については、一九二〇年代からミーゼスやハイエクなどの経済学者に指摘されていた。彼らの主張は、社会主義経済において、政府が集権的に商品の価格や数量を決定しようとしても、そのために考えなければならないことが複雑になりすぎ、その計算が破綻するだろうということであったが、実際にその経済が行き詰って崩壊にまで至ったという事態は、学者だけでなく世界中の一般の人々にも、こうした中央集権的な計画経済がうまくいかないことを強く印象付ける結果となった。インターネットの普及もあって、全体を誰かがコントロールするのではなく、各自が自由に行動して全体が機能するしくみをつくるという考え方はますます定着し、良くも悪くも、世界中が市場経済化への模索を強いられる図式になりつつある。
こうした、ある人のとる行動が他の誰かと相互に影響を与え合う社会では、一人一人の行動のパターン自体は単純でも、それらの行動の集積である経済全体の動きは、非常に複雑になる。このため、社会はますます予測不可能なものになりつつあるように見える。


●制御より制度が大切

本書は、こうした「カオス」的な観点から経済についての考察を行っている本である。タイトルは「バタフライ」であるが、本書では、アリの集団が仲間同士で情報交換しながらエサを探すモデルを基本として、経済のカオス的な面を解説している。

本書で著者が導き出している結論は、経済は短期の予測ができないことはないが、長期になればなるほど予測は困難になるため、政策の微調整によって制御できる性質のものではないということである。つまり、景気や経済指標について一喜一憂するのでなく、経済がいい方向に向かうための「制度」や「構造」を作り出すことに力を入れるべきである、という立場をとっている。
このため著者は、前著「経済学は死んだ」と同様、本書でも、伝統的経済学に対する批判を行い、経済を「機械」として考え、それを思いのままに操作可能であると考える見方に反対の立場を示している。

著者は、英エコノミスト誌やヘンリー予測センターなどで、長年経済予測に携わってきた人物である。理論的な研究者の立場から書かれた複雑系の本ではなく、経済の予測に実際に長年携わってきた著者が、経済の予測不能性やコントロール不能性について述べている、というところが価値があるのではないだろうか。

本書は、非常に深遠なテーマを扱っているが、数式を使わず、グラフやわかりやすい例えを用いて説明が行われているので、一般の読者もさほど苦痛なく読めるはずである。ただし、著者は、かなりユーモアのある方のようで、まじめに読み進んでいると、途中しばしば、文章に散りばめられたイギリス風?ジョークに苦笑いすることになるが。

今、日本においてもまさに、「構造」の改革が唱えられている。日本も、特殊法人のボリュームが大きく間接金融の比率が非常に高いため市場メカニズムを生かしにくい構造になっているという点で、相当、旧ソ連と似た状況になっているように感じられる。
また、会社を経営する場合でも、政府が政策を決定する上でも、どのような「世界観」を持つかということは非常に重要だ。特に、市場や経済というものについて、予測やコントロールがどこまで可能かは、発生するリスクの程度を考え、それにあわせてどういった体制や構造を選択するかという点に大きく関連する。本書は、そうした経済の構造を変える必要性とそれに向けての戦略を考えるのに適した一冊ではないかと考える。


■この本の目次

まえがき
序章

第1章. カオスの縁に生きて

第4章. 家族の価値観
第3章. 泥棒を捕まえるために
第5章. 「数学を使い、その後で焼き捨てよ」
第6章. コントロールの幻想
第7章. 定量化の泥沼
第8章. 上昇と下降
第9章. 暗い鏡を通して
第10章. 諸国民の富
第11章. 持つと持たぬと
第12章. 樫の大樹も小さなドングリから
終章.控えめな行動が、大きな実りをもたらす
付録1〜3
参考文献
解説


■著者

Paul Ormerod
イギリスのエコノミスト。ケンブリッジ大学とオックスフォード大学で経済学を修めた後、エコノミスト誌で経済予測に携わる。1982年から1992年までヘンリー予測センター所長。ロンドン大学、マンチェスター大学客員教授。著書に「経済学は死んだ」など。

<監修者>
塩沢由典
1943年生まれ。大阪市立大学経済学研究科教授。
京都大学理学部修士課程終了。進化経済学会副会長、関西ベンチャー学会会長。著書に「市場の秩序学」(サントリー学芸賞受賞)、「複雑さの帰結」「複雑系経済学入門」など。


■訳者

北沢格
1960年生まれ。中央大学助教授。東京大学大学院人文科学研究科終了。
訳書に「記憶を書きかえる」「また逢うために」など。

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16歳のセアラが挑んだ世界最強の暗号

■子供の個性を伸ばす教育について考えさせられる、数学好きな少女の成長記

のっけから恐縮だが、親バカな話を一つ。昨年、うちの息子(当時五歳)に、マイクロソフト社のエンカルタというDVD-ROMの百科事典を与えてみた。漢字がだめなので文章部分には興味を示さないが、普通の百科辞典と違ってビデオやアニメーションに音声の解説がついているので、それらを目を輝かせながら見ている。もちろん中身なんか理解しちゃいないだろうと思って、ある日、その中から一つを選び、「DNAを構成する四つの塩基の名前は?」と冗談で聞いてみたら、「アデニン、グアニン、シトシン、チミン。簡単すぎるよ。」と即答されて面食らった。親としては「うちの子は天才だ!」と思いたいところだが、冷静に考えてみれば、同年代で百以上の「ポケモン」の名前を言える子供はザラだから、四つしかない塩基の名前が覚えられても全く不思議はない。
子供の可能性は無限大だ。問題は対象に興味を持てるかどうか、である。子供はむら気だが、インタラクティブに反応が返ってくるものには興味を示すので、好きな時に好きなことを勉強できるDVD-ROMやeラーニングなどは子供の教育に革命を起こすかも知れない。だが、もちろん理想的なのは、子供が質問してきた時に、親がいつも適切な答えを返してやることであろう。加えて、親が科学者だったりすると、言うことなしである。


●世界に飛び出した16歳

今回ご紹介する本は、アイルランドに住むセアラという少女が、数学の「整数論」を駆使して、世界最強の可能性がある暗号を構築してしまう体験を綴ったものである。
父親は数学者、母親は微生物学者であり、科学好きになるには理想的な環境である。ただ、両親は丸暗記や詰め込みで数学の英才教育をしたのではないようだ。セアラは子供のころから農場に住んで家畜や自然に接し、乗馬をはじめとするスポーツが大好きな子供に育った。父親は、無理強いこそしなかったが、子供からせがまれると、本書にも掲載されている様々なパズルを出し、子供は、遊びながら数学的な考え方や自分で興味を持って考える習慣を身につけていったようである。
彼女は、興味を持った暗号の研究の発表でアイルランドの青年科学者コンテストで受賞したのを皮切りに、インテル社の優秀賞も受賞し、アメリカで開かれるインテル国際科学技術フェアにも参加することになる。その時期は、ちょうどITブームがはじまりかけた時期でもあり、彼女も、マスコミの取材攻勢を受けて「16歳の少女が億万長者になる可能性」が報道され、プライベートジェットで乗りつけたアメリカ人実業家に「共同で暗号会社を設立しましょう」と持ちかけられる。こうしたバブルの波に襲われても、彼女は自分を見失うことなく冷静な対応をしていて、すがすがしい。
今年から日本でも「ゆとり教育」が導入されることになった。これは、能力別クラスを容認するなど、名前とは対照的に、教育に市場メカニズムを持ち込むものとされている。それが成功するかどうかはともかく、今後の社会では、詰め込み型の横並び的人材の価値が下がるのは間違いないし、教育においても、その子の能力をいかに引き出してあげられるかが、ますます重要になっていくだろう。

本書は、サイモン・シン著の「フェルマーの最終定理」や「暗号解読」のような、学術や技術の最先端を考える本というよりも、子供の教育の話として読んだほうが面白く読めるように思う。整数論や暗号論よりも、どうすればセアラのような子供が育つのかという方が、不思議でもあり、大いに興味が湧くところではないだろうか。本書は、今後の社会の中で伸びやかに羽ばたいていける個性豊かな子供を育てるために、大いに参考になる本ではないかと考える。


■この本の目次

まえがき
はじめに

「この本を読むには数学の知識が必要なの?」

1. 子ども時代
2. 数学の旅
3. 大事なのは残りもの
4. 「法」の計算
5. 一方通行
6. コンテスト
7. 数学のあと、コンテストの余波


■著者

Sarah Flannery
1982年生まれ。アイルランドのコーク県ブラーニーで、数学者の父、微生物学者の母、4人の弟とともに成長する。1999年度アイルランド青年科学者賞、同年ヨーロッパ連合青年科学者大賞受賞。現在、ケンブリッジ大学の1年生。
David Flannery
1952年生まれ。セアラの父であり、コーク工科大学で数学を教えている。


■訳者

亀井よし子
翻訳家。富山大学英文化卒業。主な訳書に、「ブリジッド・ジョーンズの日記」「人類、月に立つ」等。

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フリーエージェント社会の到来—「雇われない生き方」は何を変えるか

■「会社に縛られない生き方」が生み出す新しい社会

日本でも、仕事に対する意識が急速に変わりつつある。従来の日本では、親方日の丸意識が強く、役所や大企業に勤めることが「いい就職」とされてきた。しかし、長引く不況、吹き荒れるリストラの嵐などから、そうした大企業の社内の雰囲気も最近では沈滞していることが多い。やりたいことを提案しても「時期を考えろ」などと言われて新しいことはやらせてもらえない。会社が絶対つぶれないなら我慢のしどころかも知れないが、最近は「絶対」などというものにはトンとお目にかかれない。考えてみると、サラリーマンというのは、顧客が一社しかいない個人事業と同じである。今まで、最も安全だと思っていた仕事が、いつの間にか最もリスキーな仕事に変貌していて愕然とする人は、徐々に増えてきている。
一方、独立して自分でビジネスをする環境は、ここ数年で飛躍的に良くなった。ADSLや光ファイバー、無線LANなどの急速な発達により、今では個人事業者はヘタな大企業よりいい通信インフラを使える。電子メールやグループウエアなどの発達で、今までなら秘書の一人もいないと頭がこんがらがっていた調整も一人で十分。離れてできる仕事が多ければ、集まって仕事をするためのオフィススペースも不要。スターバックスなどのおしゃれな打ち合わせ場所や、キンコーズ、アスクルなどの事務系サービスも発達して、企業で部下にいやな顔をされながらお茶やコピーを頼むより、はるかに快適かつ安価に仕事ができる。開業のための障壁は、確実に小さくなっているのだ。


●在宅勤務で終身刑?

本書は、クリントン政権でゴア副大統領の主席スピーチライターを務めたダニエル・ピンク氏が、「フリーエージェント」の実態を調査したレポートである。著者は、ホワイトハウスの激務でダウンしたことをきっかけに、大組織で働く生き方に疑問を感じ、自らフリーエージェントとなり、全米を行脚して、この本をまとめ上げた。
本書の「フリーエージェント」とは、日本でいう「フリーター」から、高度な専門性を持ったプロフェッショナル、ミニ企業家まで、独立して働く様々な人々を指す。評者は、シリコンバレーのベンチャー企業が、外部CFO、マーケティングのアウトソーサーなどのフリーエージェントを利用しているのを見聞きして、こうした人々の実態については、米国ではすでに十分認知されているものとばかり思っていた。しかし、本書によると、米国でも、フリーエージェントに関する認知度やイメージは低く、正式な調査や統計はほとんど無いとのこと。本書によると、フリーエージェントの人口は全米労働者の四人に一人、三千万人にも膨らんでおり、さらに「アメリカの未来を先取りする州であるカリフォルニア州」では、すでに労働者の三分の二は、独立契約者やパートタイムなど、非従来型の労働形態で占められている。

著者は、こうしたフリーエージェントの増加に対して、政府は法整備を急ぐべきだと提唱する。実際、米国では会社を辞めてしばらくすると医療保険がなくなるなど、日本のほうが制度上フリーエージェントに有利なことも多い。また、米国では、自宅をオフィスにすることが違法という地域も多く、特にカリフォルニア州には「三振即アウト法」があるため、自宅で仕事をしているところを三回警察に踏み込まれたら、理論上は、それだけで終身刑になる可能性があるそうだ。

元ゴア副大統領の主席スピーチライターだけあって、文章には説得力があり、展開も飽きさせない。日本では「金持ち父さん貧乏父さん」をはじめとして、気楽で儲かる生き方を勧める本が売れているが、本書は、より社会的な観点からそうした生き方を眺め、未来に向けた提言を行う、「フリーエージェント国家の独立宣言」である。


■この本の目次

プロローグ
第1部 フリーエージェント時代の幕開け

第1章 組織人間の時代の終わり

第2章 三三〇〇万人のフリーエージェントたち
第3章 デジタルマルクス主義の登場

第2部 働き方の新たな常識

第4章 新しい労働倫理

第5章 仕事のポートフォリオと分散投資

第6章 仕事と時間の曖昧な関係

第3部 組織に縛られない生き方
第7章 人と人の新しい結びつき
第8章 互恵的な利他主義
第9章 オフィスに代わる「第三の場所」
第10章 仲介業者、エージェント、コーチ
第11章 自分サイズのライフスタイル
第4部 フリーエージェントを妨げるもの
第12章 古い制度と現実のギャップ
第13章 万年臨時社員と新しい労働運動
第5部 未来の社会はこう変わる
第14章 リタイヤからeリタイアへ
第15章 テイラーメード主義の教育
第16章 生活空間と仕事場の緩やかな融合
第17章 個人が株式を発行する
第18章 ジャストインタイム政治
第19章 ビジネス、キャリア、コミュニティーの未来像
エピローグ


■著者

Daniel H.Pink
1964年生まれ。ノースウェスタン大学卒業、エール大学ロースクールで法学博士号取得。クリントン政権下で、ゴア副大統領の主席スピーチライターを務める。フリーエージェント宣言後、ニューヨークタイムス紙、ワシントンポスト紙をはじめとするさまざまなメディアに、ビジネス、経済等の記事や論文を執筆。


■解説

玄田 有史
1964年生まれ。東京大学経済学部卒業。学習院大学専任講師、助教授、教授を歴任。その間、ハーバード大学、オックスフォード大学などで客員研究員を務める。2002年4月より東京大学社会科学研究所助教授。専門は労働経済学。著書に「仕事の中の曖昧な不安」(中央公論新社)


■訳者

Daniel H.Pink
東京都生まれ。上智大学法学部卒業。訳書に「神々の予言」「ビジネス版 悪魔の法則」、共訳書に「オズワルド」(以上、TBSブリタニカ)

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