「21世紀・知の挑戦」

■科学技術を核に、日本の未来戦略を考えるための一冊

先日、私の勤務先の人間がシリコンバレーに出張して、空港で入国審査官に「どちらへ?」と聞かれたので「ビジネスで〇〇社へ行く」と言うと、「その会社は、先週ナスダックに公開して株価が公募価格の〇倍になった。いい会社だね。」と言われて非常に驚いていた。米国に住む別の社員の子供が通う小学校では、実際の株式市場の相場を用いたシミュレーション・ゲームが行われている。それだけでも日本の感覚からすると驚きだが、シリコンバレーにはナスダック公開企業の役員の子息なども多いので、近々発表される新製品やM&Aの情報をこっそり親から仕入れてインサイダー取引でゲームに勝つ、という「ズル」まで行われているというからすごい。これらは、いかに資本市場が米国の国民一人一人の中に浸透しているかを示すエピソードではないだろうか。
数十ドルで好きな会社の株が買えるような発達した直接金融市場を持つ社会では、革新的な科学技術やサービスは「大儲けのチャンス」だから、一般の国民がそうした最先端の事象に強く興味を持つようになる。結果として、資金は、社会の一番の成長ポイントに潤沢に注ぎ込まれ、それにより経済が力強く成長するとともに、社会の構造改革がダイナミックに進んでいくことになる。
そうでない我が国では、個人金融資産の六割もが銀行に預金として預けられ、一般に先端技術にはあまり興味がなさそうな銀行員によってそれが運用されることになっている。結果として、最も資金を必要としている社会の成長点にあまり資金が通わないし、一般庶民も運用のリスクが自分に直接かかってこないので、科学技術の発展は、あくまで他人事、ということになってしまっている。


●科学の世紀

今週ご紹介する本は、二十世紀の特質を「科学の世紀」ととらえて、その科学の発展について振り返り、二十一世紀の(少なくとも)前半も同じ科学の世紀として発展すると展望する本である。この中では、(ツングースカ大爆発の謎なども取り上げられているが)、特に今後の技術発展の中核としてバイオ技術を取り上げ、紹介している。
紹介される個々の科学技術もさることながら、この本で最も衝撃を覚えることの一つは、日本人の科学に対する見方のデータであろう。このデータでは、日本の「理科が好きな生徒の割合」「将来、科学を使う仕事をしたいと考えている生徒の割合」「科学技術に対して関心をもっている一般市民の割合」などが、軒並み先進国中最低になっている。
一般的な日本人の日本人感は、「コミュニケーションはヘタだが、基本的な知的水準や技術力は世界の中でも極めて高い国民」というイメージではなかったか。しかし、この本のデータは、そもそも全体の知的好奇心のレベルも低く、今後ますます科学技術に興味のある学生が少なくなってくるであろうことを示しており、日本に将来は無い、という暗澹たる気持ちにさせられる。
加えて、そもそもすでに日本「人」だけで勝負できる時代ではない。米国は、すでに「アメリカ人による国」ではなく、中国系、インド系、ロシア系など、世界六十億人の中から最も優秀な人材を自国の発展のために取り込むための教育・金融、その他の諸制度を作り上げている。これに日本人の一億人だけを母集団として勝てるわけはない。日本人が世界でもとりわけ優秀な民族だ、というならまだしも、そもそもいつの間にか新しいことに興味の無い民族になってしまったのなら、なおのこと、である。
科学に対する興味を回復させるには、冒頭に述べた資本市場の発達や、教育、技術者に対する報酬体系など、すべての問題が絡んでくることが予想される。ただし、科学に対する興味を回復しない限り、明らかに日本の未来は無い。
明日の日本を復活させる戦略を考えるための一冊。


■この本の目次

はじめに
(1)20世紀 知の爆発
サイエンスが人類を変えた/バイオ研究最前線をゆく/残された世紀の謎

(2)21世紀 知の挑戦
DNA革命はここまで来た/ガンを制圧せよ/天才マウスからスーパー人間へ/21世紀若者たちへのメッセージ


■著者プロフィール

1964年東京大学仏文科卒。文藝春秋に入社した後、再び東京大学哲学科に再入学し、在学中から評論活動に入る。著書に「田中角栄研究−その金脈と人脈」「宇宙からの帰還」「脳死」「日本共産党の研究」「精神と物質(利根川進氏との共著)」「サル学の現在」他がある。