経済再生を強力に推し進める「構造改革税」の導入を

預貯金に対する課税は、初めて聞くと違和感の強いアイデアであるが、深く考察していくと極めて優れた特質を持っている。預貯金をリスクマネーにシフトさせ、不良債権問題の再発を防止するだけでなく、デフレを退治し、市場経済を発達させ、かつ、年間十兆円規模の税収を確保して財政再建にも寄与する。今後、人口が減少していく成熟国家である日本が二十一世紀の市場経済の中で発展していくために必要な税であると考えられる。

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預貯金の名目金利が人類史上最低水準まで下がっているにもかかわらず、依然として預貯金への資金の流入は続いている。これほど預貯金の人気が根強いのは、デフレで貨幣価値が上がっているため、実は預貯金の実質金利が見かけよりもかなり高いためだ。しかも、預貯金には元利保証や決済機能という他の金融商品に無い絶対的なメリットがある。これらを考え合わせると、金利が限りなくゼロに近い今でも、預貯金は非常に魅力的な商品なのだ。

日本の金融資産が異常に預貯金に偏っていることはかねてから指摘されてきた点である。米国の預貯金の量が、個人金融資産に対して約十一%しかないのに対し、日本のそれは約五三%と、日本では間接金融の比率が極めて高くなっている。これはすなわち、日本では、銀行と政府(郵貯資金)が一国の金融資産の過半の運用リスクを負っていることを意味する。

こうした構造も、高度成長時代で経済の向かう方向が予測でき、規制金利で厚い利鞘が守られていた時代には問題はなかった。しかし、金融自由化で利鞘が薄くなり、不動産の下落で担保によるリスクヘッジもできない現在、世界第二位の経済大国の過半の資金を少数の銀行員や官僚が配分するというやり方が機能するわけがない。

事実、銀行や郵便貯金に流れ込んだ資金は、膨大な不良債権や、収益性の悪い特殊法人の肥大化を生んでしまった。もちろん、政府や銀行がこうした不良債権を処理できるだけの自己資本を持っていれば問題はまだ少ない。しかし、国の財政は破綻寸前であり、銀行も大量の預金(負債)により必然的に過少資本になっている。

すなわち、今の日本の経済は、国や銀行が国民に代わって経済変動のショックを吸収してくれるのはいいが、そのツケが公的資金の投入という形で、後でまとめて国民に回ってくる構造になっているのである。市場であれば良くも悪くも一瞬にして調整されることが、政治的プロセスを経るため極めて長い調整時間を必要とする。実際、バブル崩壊から十年経っても不良債権の調整は終わっていない。この調整スピードでは永久に景気が回復しなくても不思議ではないと思えるくらいだ。


●「預貯金」への課税

このため、識者の間では預貯金を資本市場(リスクマネー)にシフトさせる必要が唱え続けられてきた。現在、個人金融資産の五割を占める預貯金を、米国並の一割とまでいかずとも欧州諸国の二割から三割の水準まで下げないと、二十一世紀の激しい経済環境の変化の中では経済が持たないだろう。

このシフトを引き起こすためには、どのような方法を取ればよいだろうか。これまでも株式投資の課税を優遇するなど、資本市場に資金を呼び込むさまざまな政策が考えられてきたが、預貯金の魅力はそれを上回っており、資金のシフトが進む気配は無い。

そこで、このリスクマネーへのシフトを促す最も効果的な策として、「預貯金への課税」を提言したい。今でも利息に対して源泉課税が行われているが、ここで考えるのは預金の元本に対する課税である。

フローの物価だけで見るとデフレ率はまださほど大きくないかも知れないが、不動産や株式などのストックがこの十年で半値程度になっていることを考えれば、預貯金は年平均五〜八%の利得を生んでいると見ることができる。その利得に二〜三割の課税を行うと考える。マイルドなインフレと同等の効果を生じさせることをもあわせて考えると、預貯金の元本に対して一・五%〜二%程度の税率をかけることが考えられる。この額を預貯金の口座から源泉徴収するのである。これにより、税引き後の名目金利は大半の預貯金でマイナスになることになる。

この新税には、銀行界から大きな反発があることが予想される。しかし、この課税は結果として銀行の経営にとっても大きなプラスになるはずだ。

まず、この税の銀行に対する影響は、大方の人が抱く第一印象よりマイルドなものになると考えられる。新しい税が預金にかけられたとしても、デフレ率まであわせて考えれば、預金がなだれを打って外部に流出していくとは考えにくいからだ。

また、ペイオフを導入しても、銀行間で資金が移動するだけで預貯金全体の量にはさほど影響しないと考えられるのに対し、この税は預貯金全体から、広く浅く緩やかに資金を吐き出させるものである。

さらに、銀行はすでに預金以外のさまざまな金融商品を扱えるようになっているので、預金は減ったとしても、適切なマーケティングを行えば、投信などの形で、グループ内に資金を留めることが可能だ。

預金が減ってその他の金融商品の手数料収入が増えれば、総資本利益率が上がり銀行経営に対する市場からの評価も高まることになる。また、預貯金から流れ出た資金が株式市場や不動産に継続的にシフトしていけば、銀行の持株や担保不動産の価格の回復にもつながり、銀行が増資して自己資本強化を図る条件も改善する。

この税は「預貯金の時代が終わった」ことを強烈に宣言するものではあるが、銀行自体を否定するものではなく、むしろ、新しい時代の銀行像への転換を後押しするものである。また、産業や信用創造機能に関しては、法人の預金から源泉徴収された額について、法人税申告時に全額(または例えば九十%)の税額控除を認めることで、影響は中立に近くなるはずだ。


●「痛み」が最小の税体系

政府や与党が最も恐れることの一つは、預貯金の過半を保有している六十五歳以上の高齢者からの反発だろう。しかし、資本市場へのシフトを促すため、高齢者に対するマル優を廃止する方向もすでに決まり、流れは変わってきている。

インフレが自由に引き起こせるのであれば、税を新設して国民に嫌われる必要もない。しかし、現在の環境でインフレを無理やり発生させても、それが制御できる可能性はほとんどないだろう。これに対して、預貯金への課税は、インフレと同様の効果を持ちながら、税率や課税範囲を変えることで調節が可能である。戦後のインフレで預貯金が急激に目減りする状況を目の当たりにしたことのある高齢者の中には、何%になるかわからないインフレより、コントロールされた一・五%の課税に納得する方も多いのではなかろうか。

高齢者以外の弱者保護の観点も重要である。どの範囲を弱者と呼ぶかは難しい問題であるが、預貯金については、幸いなことに、マル優という、すでに定義された弱者の範囲が存在する。寡婦、障害者などに対してマル優と同様の非課税枠を認めることにより、弱者への配慮も納得感のあるものになろう。

この案は、将来のために備える「貯蓄」自体をダメだといっているものでもない。国債や株式など、預貯金以外で貯蓄を行う場合には、この税は賦課されないのだ。

また一般に、低所得者層と高所得者層の預貯金量の差は所得の差よりさらに大きいはずだ。このため税率は一定でも、この税は一種の累進性を持つことになる。元本に一・五%課税されるとすれば、四千万円の預貯金を持つ人には六十万円課税されるが、五十万円の預貯金しかない人なら七千五百円しか課税されない。両者とも、これが直接生活に響くということはないだろう。しかも、超富裕層については、株式や外貨、不動産などに分散投資を行っていれば、総資産に与える課税のインパクトは小さいはずである。すなわち、この税は、既存の所得税や消費税よりも「弱者」にやさしく、しかも、「チャレンジャー」が大金持ちになる夢を打ち砕くこともないのである。

さらに、この税は、消費税と違って、導入の際の事務的な影響も小さい。源泉徴収義務者は、日本でも最もコンピュータに強い銀行や郵貯などの金融機関だけであり、一般の人は、良くも悪くも、通帳に「ゼイキン」と書かれた一行を目にするだけである。企業でも、消費税導入の時のように、会計システムやレジの変更、社員教育などに追われることもない。


●日本の構造を変える効果

預貯金からの資金シフトの一部が継続的に株式市場に回るようになれば、株式市況の回復、資本市場の発達につながる。日本が二十一世紀のグローバル市場経済の中で生き延びて行くには、市場メカニズムの発達が欠かせない。この新税を「構造改革税」と名づけて、政府の資本市場発達への強力なコミットメントを示すことで、資金のみならず、「チャレンジャー」達も、資本市場関連その他の新規事業領域に移っていき、日本の資本市場や産業構造を質的に変えていくはずだ。

さらに、この税の導入により、日本を不良債権問題が発生しない構造に転換することができる。国民が直接、リスク資産を持つ度合いの高い米国型の構造に近づけば、良くも悪くも市場の変化のインパクトは直接、国民に伝わることになる。しかし、個々人が、自分の負担能力に応じてリスクを負っていれば、そのインパクトに生活を破壊されることはない。

銀行や政府が国民の金融資産の過半の運用のリスクを一手に引き受けると言う構造を変えれば、景気変動が起こっても、再び不良債権問題が発生することを防止できる。例えば、銀行業界だけで年間十兆円の不良資産を処理しようとすれば経済全体が悲惨なことになるが、個人金融資産千四百兆円全体でリスクを受け止めれば、十兆円は全体に対してわずか〇・七%にしかすぎない。すなわち、間接金融の比率を下げることで、日本の経済は、経済変動のショックに強い「柔構造」に変えることができるのである。

個人金融資産が今後十年で倍増していくとし、預貯金の量を今後横這いに抑えることができれば、個人金融資産に占める預貯金の割合は、十年後には現在の半分程度(個人金融資産比二五%程度)と、米国以外の先進国並みにすることができる。

この課税には、リスクマネーへのシフト以外の効果もある。まず、税収が増えることにより、財政再建に寄与する。仮に、個人の預貯金約七六〇兆円に税率一・五%を課するとすれば、年間十兆円程度の税収増が生まれることになる。

これで財政再建の目処がでてくれば国債の格付けも回復し、金利も低いままとどまることになる。国債の元本には課税されないので、無利子で元本の保証もないタンス預金に大量に資金が流れることもない。国債の格付けがこれ以上引き下げられて日本が「三流国」へ転落することを回避できれば、政府のみならず国民経済の安定にも大きなプラスになるはずだ。

以上のように、この税は第一印象では違和感が強いかも知れないが、導入に成功すれば一石四鳥、五鳥の効果が期待できるものなのである。しかし、導入にあたっての最大のネックは政治家の決断力だろう。「増税イコール選挙での敗北」という固定観念を持つ政治家は、この案を押すことを躊躇するはずだ。筆者は、本稿を書くにあたって、官庁、金融機関、大学、マスコミなどの識者の方々にこの案をぶつけてディスカッションさせていただいたが、ほとんどの方に「非常に興味深い案だ」と言っていただいたものの、話の最後には必ず「でも、日本の政治家がこの案の導入を意思決定できるわけがないよね」というオマケが付くのである。

現在の日本は、まさに人類史上前例のない状態にある。この税の導入がプラスの効果を持つのは、経済がデフレに陥っており、政府の財政状態が極めて悪化しているにもかかわらず、国全体としては大量の金融資産があり、しかもそれが低利の預貯金に大きく偏っているという、極めて特殊な状況の時のみである。そして現在の日本は、幸か不幸か、今まさにそうした極めて特殊な状況に陥っている。前例や他国の事例に頼っていて解決策が見つかるわけがない。預金の割合の小さい米国では意味がない税なのである。今こそ、真に国家のためを考えた政治家の決断が求められる時なのだ。

さらに、日本は、高齢化・少子化が進み、あと数年で人口が減少し始めるという、もう一つの、過去に例のない状況に突入する。消費や法人・個人の所得が細っていく中で、フローだけに課税して財政を立て直すのは至難の業である。これまでの蓄積(ストック)とフローの両方にバランスよく税金をかけ、世代間格差を是正するのは、今後の社会に非常に適した税体系ではないだろうか。

日本には金融資産が大量に存在する。これが有効活用されずに預貯金に流れ込み、それが不良債権化して国が滅んで行くのは、文字通り「宝の持ち腐れ」であろう。真の経済再生を実現するために、今が、この「構造改革税」の導入を真剣に検討する時ではないだろうか。