書評

掲載号・ページ
書籍タイトル
2003年3月22日号
こんな株式市場に誰がした
2003年1月18日号
エンロン崩壊の真実
2002年10月26日号
天才の栄光と挫折—数学者列伝
2002年8月24日号
格付けはなぜ下がるのか?—大倒産時代の信用リスク入門
2002年6月15日号
フリーエージェント社会の到来—「雇われない生き方」は何を変えるか
2002年4月6日号
16歳のセアラが挑んだ世界最強の暗号
2002年2月2日号
バタフライ・エコノミクス−複雑系で読み解く社会と経済の動き
2001年11月17日号
構造改革とはなにか 新篇日本国の研究
2001年9月22日号
暗号解読−ロゼッタストーンから量子暗号まで
2001年6月30日号
徹底討論 株式持ち合い解消の理論と実務
2001年4月14日号
「銃・病原菌・鉄」一万三〇〇〇年にわたる人類史の謎(上巻)(下巻)
2001年2月3日号
「脳の時計、ゲノムの時計」
2000年11月11日号
「ガズーバ!」奈落と絶頂のシリコンバレー創業記
2000年09月02日号
「21世紀・知の挑戦」
2000年06月24日号
「バブルの歴史」チューリップ恐慌からインターネット投機へ
2000年04月22日号
「ネット資本主義の企業戦略」
2000年02月26日号
「パーミションマーケティング」ブランドからパーミッションへ
1999年12月11日号
「マルチメディア都市の選択 」シリコンアレーとマルチメディアガルチ
1999年10月30日号
「ネットビジネス戦略入門」すべてのビジネスは顧客志向型になる
1999年9月4日号
「神のごとく創造し,奴隷のごとく働け!」ガイ・カワサキのビジネス革命ルール
1999年6月19日号
「ウォール街のダイナミズム」米国証券業の軌跡
1999年4月17日号
「市場重視の教育改革」
1999年2月27日号
「会社法の経済学」
1998年12月26日/ 1月2日合併号
「株式市場のマイクロストラクチャー」
1998年10月31日号
「国際会計基準」なぜ日本の企業会計はダメなのか
1998年9月19日号
「リスク」神々への反逆
1998年7月25日号
「ウィナー・テイク・オール」「ひとり勝ち」社会の到来
1998年6月13日号
「21世紀の金融業」米国財務省リポート
1998年4月25日号
「ミーム」

「ミーム」

■人間の心の中で増殖する「マインド・ウイルス」

現代は情報化社会である。次々に、性能のいいパソコンやインターネット製品が安く発売されていくのを見ると、情報処理や通信のコストパフォーマンスが飛躍的に良くなっていくことが実感できる。この調子で、情報伝達コストがどんどん小さくなっていくと、しまいには、経済学の教科書の始めに出てくる「完全競争」的な、情報が世界の隅々まで完全に行き渡る社会が到来するようにも思える。

しかしながら、その予想は、情報通信技術の発達で、巷に流れる情報量も急増するという点を見落としている。つまり、情報を受け取る人間の能力は限られるのに、情報の複雑性は飛躍的に増すため、きちんとした意思決定を行うのは、非常に大変なことになるのだ。すなわち、情報化社会とは、機械から機械には情報が伝わりやすくなるが、人から人へは、かえって情報が伝わりにくくなる社会だ、という言い方もできよう。

では、そうした世界で成功するための秘訣は何か。その一つが、「情報をうまく伝えること」であるのは明らかである。情報というのは、うまい伝え方をすると、人から人へ、増殖しながら勝手に伝わっていく。だから、ツボを突いた伝え方をすれば、非常に効率よく情報を伝達することができるはずである。

こうした、うまい情報伝達を理解するための一つの有力なモデルが、この本のタイトルでもある「ミーム」だ。


●「心のウイルス」からの視点

著者のリチャード・ブロディは、世界最大のソフトウエア会社であるマイクロソフト社で、同社のワープロソフト「ワード」の開発を最初に行った経歴を持つ人物である。

ミームという概念は、ベストセラーになった「利己的な遺伝子」の中で、生物学者リチャード・ドーキンスが最初に提唱したものである。生物の遺伝子が複製され増殖するように、ミームは心の中で複製され、人と人の間で伝達され増殖していくものである。このミームという概念自体が、非常に伝染力の高い考え方となって、今では、心理学、認知科学、社会学など、さまざまな観点から、ミームに関する研究が行われている。

著者のリチャード・ブロディ自身は、ミームを研究する学者というわけではない。この本は、ミームについて一般向けにわかりやすく書かれているが、それゆえ、学術的にきちっとした整理を求める人には、ちょっと物足りなさが残るかもしれない。まあそれは、作者が、この本自体にミームを盛り込むことを意識しているがゆえに、かしこまった表現より、読んだ人の印象に残り他の人に伝えたくなる表現を重視したためではないかとも思われる。

「利己的な遺伝子」という考え方は、生物が子孫を増やすために遺伝子を使うのではなく、遺伝子が自分の複製を増やすために、生物の体というものを使っているのだ、という逆転の発想であった。同様に、この本は、まず、人間の体や企業、国家などが情報を利用しているというよりも、ミームが自分を複製するために、それらの組織を形作っているのだ、という発想の転換を読者に迫る。ついで、そうした考え方をベースに、政治、ジャーナリズム、宗教、ビジネスなどを題材にして、ミームの性質やその挙動が、検討されてゆく。

今までの世界、特に日本では、物理的な実体こそが重要であり、その実体が「どう伝えられるか」は、それに付属する(取るに足らない)ものとして扱われてきたのではなかろうか。これに対して、情報化が進み、金融ビッグバンを始めとする強烈な競争社会が始まると、好むと好まざるとに関わらず、情報の伝え方・伝わり方は、それ自体が「実体」として、社会に強く作用するようになる。

この本は、こうした来たる社会を、ミームの視点からちょっと考えてみるのにいいかも知れない。


■この本の目次

序章 心の危機
第1章 ミームとは何か
第2章 心とふるまい
第3章 ウイルスが棲む三つの世界
第4章 進化の本質
第5章 ミームの進化
第6章 性−進化の根元
第7章 生き残りと恐怖
第8章 私たちはいかにプログラミングされている
第9章 文化ウイルス
第10章 宗教のミーム学
第11章 設計ウイルス(カルトのはじめ方)
第12章 治療−ミームの選択



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「21世紀の金融業」米国財務省リポート

■すでにサイバー化した金融に求められるシステム的な発想

金融業は、今さら言うまでもなく、情報通信技術の革新が真っ先に取り入れられる産業の一つである。実際、この数十年、金融はその技術革新によって大きな変化をとげており、今では銀行間の決済や株式・外為・デリバティブなどの取引量は、GNPの何十倍のオーダーに膨れ上がっている。つまり、金融の世界では、「情報化」や実体から乖離した「サイバー化」といった現象は、既に相当進んでおり、今後の情報化社会において予想される特質が、かなり先行して現れているのではないかと考えられる。
実際、話題の電子商取引でも、米国においてすら「モノ」を扱うビジネスでは、まだ採算がとれないものがほとんどであるのに対し、電子証券取引のサービスでは、すでに十億円単位の利益をあげているところもある。考えてみると当然であるが、本やTシャツといった「モノ」よりも、抽象的な「価値」の方が、ネットワークでははるかに取引しやすいのである。
金融というと、今までは金融界の外部の人にも内部の人にも、特別な産業という目で見られてきた感がある。しかし、これからの社会を考える上で、「価値」や「信用」を扱う金融のたどってきた道と、その今後のロードマップを見ておくのは、金融以外の産業に携わる人にも大いに参考になるのではないかと考えられる。


●「競争促進」へのシフト

本書は、長年、金融産業に提言を行ってきたライタン氏らが議会向けのレポートとして書いているだけあって、二○世紀の金融の回顧と、二一世紀への指針という広範な内容が、コンパクトに、かつ、わかりやすく書かれている。
本書では、例えば「過去十五年間において、国際通貨基金(IMF)に所属する一八一カ国のうち、一三三カ国において、相当レベルの銀行問題が発生し、そのうち三六カ国では金融危機の状態になっている」というような驚くような事実が紹介されている。
もちろん、それらは先進国から発展途上国までを含んでおり、その問題を、ひとくくりに論じるのは難しいだろう。しかし、あえて言えば、金融危機は一部の国でたまたま起こったのではなく、最近の社会の急激な変化により、信用や価値を保つことが、世界中で急速に難しくなっているための問題だと考えることもできる。「価値」というサイバーな存在は、すでに人間の手には負えない怪物に成長しつつあるかも知れないのである。
こうした状況に対して、著者らが取る基本的スタンスは、「競争制限的な規制を廃止し、競争を促進せよ」ということである。
ただし、彼らは決して単純な競争礼賛論者ではない。例えば、第五章で弱者保護について考えられているほか、第四章では、単純に競争に任せておくと発生しかねない「システミック・リスク」を抑え込むことの重要性を説いている。資金決済や証券など、日本の金融システムを見回すと、このシステミック・リスクを考慮してない部分が、他の先進国に比べてはるかに多い。日本では、何事も個別の事象への対応に終始し、全体を「システム」としてどうデザインするかというアプローチが欠如しがちだ。しかし特に、金融は額がデカいだけに「力づく」で押さえつけるのはもう明らかに無理なのである。つまり、「システム的な発想」が必要なのだ。
今後、日本の金融界に新しい個別の情報通信技術が取り入れられていくべきなのは言うまでもない。しかし、それ以上に重要なのが、情報通信産業やその規制の「ノリ」を金融の世界に取り入れることなのだ。本書では、そうした点も十分に研究され、金融システムの検討に生かされている。
お勧めできる一冊である。


■この本の目次

序章ならびに要約
第1章 今日の金融サービス産業
金融サービス業とは何か/今日の金融サービス業の概観/政策の焦点/十九世紀の様相/二○世紀の体制/新しい金融の世界と二○世紀モデル/責任の再認識/貯蓄貸付組合の厄災/時代の終焉/補論1 米国の金融規制システムの概要
第2章 変化の潮流
金融のデジタル化/金融は国境を越える/金融の革新/デリバティブの簡易ガイド/高まる競争/変化が示唆するもの/変貌途上にある金融サービス業/統合による生存/政策の意味するところ/フレームワークの指針
第3章 競争の活性化
競争阻害要因の排除/納税者の保護/電子マネーに対する規制/競争の維持/競争は危険なものか?
第4章 リスクの封じ込め
システミック・リスクの源泉/静観は許されるか?/リスクの封じ込め/早期隔離/早期発見/市場によるショック緩衝機能/決済の迅速化/国際的協調/政策の調和をめざして/補論2 支払・決済システム
第5章 金融の機会と金融業の拡大のために
信用の民主化/アクセスにおける政府の役割/既存の方策/信用へのアクセスの拡大−今後の挑戦/預金口座を持たない人たち−政策の新領域/本流にのせるには?/本当の財産とは?


編著者のプロフィール

Robert E. Litan
ブルッキングス研究所の経済研究プログラム理事。大統領経済諮問委員会スタッフ、司法省連邦検事局次長補などを歴任。行政・金融に関する弁護士でもある。主な著書にWhat Should Banks Do? (Brookings Institution, 1987)などがある。
Jonathan Rauch
ナショナル・ジャーナル編集委員。各種新聞で経済政策から動物保護まで幅広い記事を発表している

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「ウィナー・テイク・オール」「ひとり勝ち」社会の到来

■規制緩和後の日本への示唆となる「ひとり勝ち現象」の分析

先週末日本でも公開された米国版「ゴジラ」のキャッチコピーは「SIZE DOES MATTER(大きさがモノをいう)」である。こういう元気のいいコピーが出てくるのは、一つには、現在の米国の好景気が背景にあろうが、もう一つ、米国のビジネスが、どれも「SIZE DOES MATTER」的になってきているからだ、と言ったら考え過ぎだろうか?
今回取り上げる「ウイナー・テイク・オール」という本は、「ビッグなやつのひとり勝ち」現象について書かれた本である。視点を変えれば、「マーケットにすべてを任せることで、われわれの社会には恩恵がもたらされるのだろうか?」という疑問への一つの解答を示している本であるともいえる。
日本では長い間、多くの領域で規制が続けられてきた。このため「諸悪の根元は規制」であり「規制さえ緩和すれば、あとは市場がよりよい方向に導いてくれる」という議論が多いように思える。ところが、現実の事例を見回してみると、競争を導入したその後にこそ、本当に悩ましい問題が潜んでいることがわかる。つまり、活発に競争が行われているかなりの市場で、ちょっとした条件の差で所得の格差が広がり、「ひとり勝ち」の度合いが進行しているたくさんの例にぶつかるのだ。


●社会をゆがめる「ひとり勝ち」

「ひとり勝ち」とは、筆者らによれば正確には「トップに近いものが不釣り合いに大きな分け前を得る」ことである。「ひとり勝ち」の最も顕著な例としてまず読者の方の頭に浮かぶのは、株式の時価総額(つまり「マーケットの評価」)が世界最高水準にある、マイクロソフト社やインテル社などかも知れない。しかし本書では、こうした情報通信系の企業について触れているページはさほど多くない。確かに、マイクロソフト社やその「競争」との関係について話し始めたら、それだけで本が一冊書けてしまうし、一般の読者には技術的すぎてわかりにくいものになるだろうから、取り上げないのは賢明かもしれない。代わりに、この本では、医者、弁護士、映画スター、ファッションモデル、バスケットボールやアメフトの選手など、一般の読者に、よりなじみ深い職業を多く取り上げ、年収金額の推移などの具体例が豊富に示されている。
また、著者らはゲーム理論などを使って「一人勝ち」社会がなぜ発生するかのメカニズムについて説明している。しかし、これも難しい数式などは一切出て来ず、一般の読者にも非常にわかりやすい。
さらに「大学教授の九四パーセントは、平均的な同僚よりもすぐれた仕事をしていると思っている」というような「自信過剰」や、「情報の不足」などにより、市場は多すぎる競争者を引きつけ、社会の適正な資源配分をゆがめているというような「ひとり勝ち」によって生ずる問題を指摘している。
こうした問題の是正に向けて本書ではいくつかの提言が行われている。例えば「累進的な消費税の導入」がそうだ。消費税といっても、買い物をするたびに取られるタイプのものではなく、確定申告の際に、消費総額を所得と貯蓄の差として計算し、その金額に累進的に課税する方法を提案している。著者らは、こうした「平等化を促進する政策の多くが同時に経済成長をも促進する」と結論付けている。
今後日本でも、規制緩和の影響を受け、あちこちの市場で「ひとり勝ちのゴジラ」が巨大化し、暴れまわると予想される。日本は何かにつけ、問題が出てきてから対策を考える「泥縄」なところがあるが、その「ひとり勝ちゴジラ対策」は、今から真剣に考えておく必要があるのではないだろうか。


■この本の目次

第1章 「ひとり勝ち」市場
第2章 「ひとり勝ち」市場の発生
第3章 「ひとり勝ち」市場の成長
第4章 急騰するトップの所得
第5章 マイナーリーグのスーパースターたち
第6章 競争者が多すぎる?
第7章 浪費的な投資の問題
第8章 教育的名声をめぐる戦い
第9章 浪費的競争の抑制
第10章 「ひとり勝ち」社会におけるメディアと文化
第11章 古いワインを新しいボトルに


■著者のプロフィール

ロバート・H・フランク
コーネル大学経済学・倫理学・公共政策教授

フィリップ・J・クック
デューク大学公共政策教授

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「リスク」神々への反逆

現在、日本が抱えている諸問題は、すなわち今までの日本社会がとってきた「リスク」についての考え方や、社会全体でのリスクの分担のしかたについての問題と言えるのではないだろうか。例えば終身雇用的な雇用制度や公共事業によって、職を失うリスクは小さく抑えられて来たし、個人資産においても、不動産価格はバブルまではずっと右上がり、金融資産は現在でもその六割もが「預貯金」という全くリスクのない形で保有されている。
ところが、そうした雇用や資産が活用される先の事業というのは、百パーセント確実ということはありえないから、社会全体として見れば、巨大なリスクは厳然として存在する。にもかからわず、国民一人一人がリスクをあまり感じずに生活してこれたということは、裏返せば、その社会全体のリスクが、国や銀行、大企業といった少数の主体に過度に集中してしまっていた状態だった考えることができよう。つまり「少数のかごに卵を山盛りにした状態」である。国の進む方向が明確で一方向に向いているときにはそれでよくても、社会が多様化・複雑化してくると、なにかの拍子に方向が大きく変わると、かごごとどさっと卵が割れてしまう危険性は極めて高かったと言える。
そう考えると、中長期的に日本を変えていくためには、このリスクの構造にメスを入れ、リスクををたくさんに小分けして、普通の人の身近にリスクがやってくる社会、すなわち自己責任型の社会にしていく必要がある。本書は、そうした「リスク」を考える場合のヒントをいろいろ提供してくれる本である。


●「リスク」の歴史絵巻

この本は、ギリシャ・ローマの昔から現代まで、人々がどのように「リスク」をとらえ、コントロールしようとしてきたかの歴史について語られた本である。換言すれば、リスクと統計学の発展とその金融への応用の歴史なのだが、そう表現するよりはよほどおもしろい大河ドラマ的な本に仕上がっている。
まず、登場人物がゴージャスだ。リスクという切り口から歴史を見直してやることによって、「リスク」と特に関係があるとも思えない有名人が、「こんな業績もあったのか」というような関わりでつながってくるのがおもしろい。
例えば、ハレー彗星で有名なイギリスの天文学者ハレー。彼が、平均余命の統計にも興味を持ち、それを整備した業績があったというのはおもしろい。こうした基礎研究は、進化論のダーウィンのいとこであるゴールトンの統計などと合わせて、イギリスの保険産業が発展する基礎となっていったに違いない。このほかにも、ガリレオ、パスカル、ニュートン、ケインズ、アロー、フォン・ノイマンなどのリスクについての研究が続々と登場する。
中盤からは、数学的な統計処理の基礎が形成されていくさまに加え、それを金融に応用したポートフォリオ理論やオプション理論が形成されていく様子や、それを使う側の人間心理の研究がつづられていく。
本書では、リスク管理の本質を「ある程度結果を制御できる領域を最大化する一方で、結果に対して全く制御が及ばず、結果と原因の関係が定かでない領域を最小化すること」であると述べている。つまり、なんとかわかるところについては、きちっと定式化していくわけだが、
最終章に「人類は神の手によって社会を支配したのではない。偶然の法則に委ねただけである」という統計学者モーリス・ケンドールの言葉を引いて、リスクとは結局そういう部分が残るものなのだ、としている見方も興味深い。
金融や統計についてかじりかけて途中で根気が続かなくなった方にもお勧めかもしれない。


■この本の目次

一二○○年以前 始まり
一二○○年以前 始まり
第1章 ギリシャの風とさいころの役割
第2章 1、2、3と同じくらい簡単
一二○○〜一七○○年 数々の注目すべき事実
第3章 ルネッサンスの賭博師
第4章 フレンチ・コネクション
第5章 驚くべき人物の驚くべき考え
一七○○〜一九○○年 限りなき計測
第6章 人間の本質についての考察
第7章 事実上の確実性を求めて
第8章 非合理の超法則
第9章 壊れた脳を持つ男
第10章 サヤエンドウと危険
第11章 至福の構造
一九○○〜一九六○年 曖昧性の塊りと正確性の追求
第12章 無知についての尺度
第13章 根本的に異なる概念
第14章 カロリー以外はすべて計測した男
第15章 とある株式仲介人の不思議なケース
未来へ 不確実性の追求
第16章 不変性の失敗
第17章 理論自警団
第18章 別の賭けの素晴らしい仕組み
第19章 野性の待ち伏せ


編著者のプロフィール

ピーター・バーンスタイン
1940年ハーバード大学卒業。ニューヨーク連銀、戦略サービス局(OSS)、投資顧問会社バーンスタイン・マコーレー代表、ジャーナル・オブ・ポートフォリオ・マネジメント誌初代編集長
著書に邦題「証券投資の思想革命」等

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「国際会計基準」なぜ日本の企業会計はダメなのか

■今の日本に求められる「ディスクロージャー」についてコンパクトにまとめた入門書

日本は今、情報開示ブームである。しかし、情報開示について世間で行われている議論のほとんどは「経営の中身を隠さず見せろ」というような、極めてレベルが低い話でしかない。
アメリカでは、一九二九年の大恐慌の際に、多くの企業の財務内容が粉飾されていたことがクラッシュの度合いをより深刻なものにすることになった。業績が悪化してきた企業は、決算をよく見せようとするに決まっているわけで、その企業に「情報をちゃんと開示しろ」と言ってもそれだけでは全く意味がない。
その反省から、その後、公認会計士という開示情報の「見張り役」の重要性が認識され、また、企業の財務状況や業績が正しく表示されるような会計制度が検討・導入されてきたのである。こうしたチェック機能や基準という要素を欠いた情報開示の議論は、アメリカでいえば七○年以上前のレベルの話だということになる。
また、こうした「透明性」に重点が置かれると、公開される情報は細かければ細かいほどいいということになりがちである。しかし、こと財務情報に関してはそうとは言えない。たとえば、アメリカでは企業グループ全体の連結財務諸表だけが公開され、個別企業の財務諸表は公開されない。細かいほどいいのであれば、個別企業の財務諸表も公開される日本のディスクロージャーの方が優れていることにもなろうが、もちろんそうではない。重要なのは「明細」よりも「結論」の数字なのだ。特に「債務超過かどうか」は、財務情報開示の最も重要な結論の一つである。今の日本では財務諸表上債務超過でない公開企業が、実際には債務超過ではないか?などということが世間で公然と議論されている。これは、表面上はそうした個々の企業への信頼が損なわれただけのことに見えるし、それなら問題もまだ小さい。しかし、今まで述べてきたとおり、実はそれは、一国の会計慣行と監査制度への期待が全く存在しないという非常に深刻な事態であり、アメリカの一九二九年以前の状態に等しいとも言える状況なのである。


●国際会計基準の俯瞰図を提供

今回取り上げさせていただく「国際会計基準」という本は、長年国際的な会計制度に関わってこられた白鳥氏の遺稿である。
タイトルを見ると、一般のビジネスマンには手を出しにくい本のように見えるかも知れない。しかし、この本には、前述のような日本のディスクロージャーの問題点、今後の変革への課題などが、わかりやすく、コンパクトに書かれている。
内容であるが、まず、序章において、国際会計基準の概要、沿革などが示されている。特に、日本の会計基準と国際会計基準の考え方の違いについては、「債権者保護か投資家保護か」「法形式重視か経済実質重視か」「原価会計か時価会計か」の3つに集約し、コンパクトに説明されている。
続く第1章では、日本の会計制度の問題点が示されている。商法・証取法・法人税法の三つどもえの構造が、日本において独特の会計制度を形作ってきたとし、そうした考え方が国際会計基準とどのように異なるかがわかりやすく説明されている。特に、今まで日本は主として銀行を経由した企業への資金供給が行われていたため、日本の会計原則には、債権者保護の考え方が強く反映されていた点が指摘されている。さらに、第2章では、株主中心の国際会計基準的視点から考えた、日本の従来の会計制度の問題点を取り上げている。
後半の第3章以降は、上述のような総論を受けた個別の会計処理の話になる。このため、会計知識や実務経験が全く無いと、読むのに少し苦労するかも知れない。しかし、少なくとも前半の第2章までは、日本のディスクロージャー問題の本質を考える上で、この問題に興味のある人すべてに読んでいただきたい内容であると言える。


■この本の目次

序章 国際会計基準とは
(1) 国際会計基準委員会
(2) 日本の会計基準と国際会計基準の基本的な違い

第1章 日本の会計制度のゆがみ
(1) 法制度の欠陥
(2) 商法と証券取引法で異なる会計
(3) 企業会計と法人税法で異なる会計

第2章 ROEを重視した会計
(1) 日本企業の弱点
(2) 株主資本
(3) 経常利益
(4) 収益の認識基準
(5) 特別損益

第3章 時価会計志向
第4章 税効果会計
第5章 連結経営


編著者のプロフィール

白鳥栄一(しらとり・えいいち)
1935年生まれ、1958年中央大学商学部卒業、1960年アーサーアンダーセンアンドカンパニー入社、英和監査法人会長、95年国際会計基準委員会評議委員会委員、98年死去。
主な著書に、「実践連結財務諸表」(第一法規、共著)「連結決算書の読み方」(日本経済新聞社)等。

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「株式市場のマイクロストラクチャー」

■株式市場の未来を占うキーワード「マイクロストラクチャー」

この12月1日から、銀行の投信窓販や、証券業の登録制への移行などが行われ、証券ビッグバンは一段と進行しつつある。また、外資や異業種の証券業への参入も、連日、新聞や雑誌をにぎわせている。こうした変化がこれからも起こり続けることや、それによって日本が変わっていくという認識は、一般にも浸透しつつあると考えていいだろう。
しかしながら、今後の日本の証券市場の変化によって生まれてくる新しいビジネスチャンスについて、きちんと体系立てて考えている人は、既存の証券業界の中にも驚くほど少ない。それは特に、「電子化」の影響がからんでくる場合に顕著だ。
一例を挙げてみよう。今月からの取引所集中義務の撤廃により、PTSやクロッシング・ネットワークといった、証券取引所の外の民間業者が電子的に取引を仲介するしくみが可能になる。しかし、一般に、このビジネスの利点については「コンピュータ化すればコストが下がり手数料が安くなる」くらいにしか考えられていないことが多い。
コンピュータ化により事務作業のコストが下がることは、今後株式市場で起こる変化の根幹ではない。株式の執行コストのうち、機関投資家から見て最大のものは、実は、手数料のコストよりも、大量の売買を行う場合に売買価格が変動してしまうことによるコストなど、今まであまり気にされていなかった「隠れた」コストなのである。電子証券取引のより大きなメリットは、こうした隠れたコストを削減できるところにある。
今後の証券市場にゴロゴロ転がっているビジネスチャンスの中から成功するものを見分けるためにも、ベースとなる視点として、本書のテーマ「株式市場のマイクロストラクチャー」を持っておくことは、非常に重要だと考えられるのだ。


■一般向け邦書で初の本格的紹介

本書では、プロローグから第2章までの間で、日米の株式市場やマイクロストラクチャー分析の概観が述べられる。第3章では、マイクロストラクチャーの数学的なモデルが示され、第4章以下では、デリバティブ、益出しクロス、規制、持ち合い等の要因別に、それらが株式市場に与える影響が分析されている。
分析の過程は一般の読者には興味の薄いものも多いかも知れない。しかし、ほとんどの章にコンパクトな「まとめ」がついており、結論や概要をつかみやすい構成になっている。
一般に、証券ビジネスに携わっている方にとって業務に一番関連するのは、エピローグで触れられている「執行コスト」の考え方であろう。今後、手数料が自由化していく中で、個人・法人・機関投資家等のどこに対してどういったマーケティング戦略を立てるかを検討する場合にも、「顧客から見た本当のコスト」が何なのか、という考え方が非常に重要である。
また本書は、経済学を研究されている方や経済学に興味のある方にもお勧めである。経済学というのは、ともすれば理論が現実の世界とどう結びつくかがわかりにくいが、このマイクロストラクチャー分析は、経済学の理論的な世界と、即物的かつ現実的な「カネ」の世界が直結する領域だからだ。
最も理想的なマーケットに近い「株式市場」を生きた見本にしながら、「不確実性」や「流動性」といった概念がコストにどう影響するかを考えることは、情報伝達手段の発達だけではコストはあまり下がらないことを理解する上で非常に役に立つだろう。
本書のプロローグには、「どのように市場システムを変革していくべきであるかを考える面白さとか醍醐味がマイクロストラクチャー分析にはある」と書かれている。確かに、今後、日本の株式市場のシステム、ひいては日本をどう変革していくかについても、マイクロストラクチャー分析の考え方は欠かすことができないと考えられる。
他人に教えるのが惜しい一冊。


■この本の目次

プロローグ なぜマーケットマイクロストラクチャーか
第1章 マーケットシステム
第2章 市場の流動性
第3章 マイクロストラクチャーモデル
第4章 株価と売買高の関係
第5章 オープニングの価格形成
第6章 派生市場の導入と株式市場のマイクロストラクチャー
第7章 大口市場と益出しクロス取引
第8章 株式関連取引の規制−サーキットブレーカー、証拠金規制
第9章 株式市場における主体別投資行動分析
第10章 株式保有構造と流動性
エピローグ 株式市場の変革とベスト・エクゼキューションの実現


■編著者のプロフィール

大村敬一 早稲田大学商学部教授
宇野淳 日経QUICK情報株式会社金融工学グループ部長
川北英隆 日本生命保険相互会社資金証券部長
俊野雅司 大和総研投資調査部次長兼主任研究員

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「会社法の経済学」

■次世代のルール作りに不可欠な新しい法律論

日本は、明治以来、法律の教育に非常に力を注いできた国と言えるだろう。また、そうした教育を受けた人材が、実際に社会のリーダーとして活躍してきたことも事実である。
ただ、そうした今までの日本における「法」というのは、多くの人にとって、はじめから「そこにある」ものであって、「どういう意図でその法律ができたのか?」「その意図は的を射ているのか?」などの疑問を投げかける対象ではなかったように思われる。
日本の社会が大きくひとつの方向を目指して来た間は、それはそれなりに有効に機能してきたかも知れない。しかしながら、社会が複雑化し、人々の考え方も多様化した時代になってくると、静的な法を金科玉条と仰いで社会的な調整を行っていくことは、非常に難しくなってきていると言わざるを得ないだろう。
これは、今後、法が重要でなくなる、ということではない。規制緩和などで、企業や個人の行動の自由度は高まっていくため、そのベースになる共通基盤としてのセンスのあるルールは、なおさら重要になるのである。特に、会社法をはじめとする経済法の領域では、投資家・取締役・従業員といった個々の主体のインセンティブや、それによって引き起こされる行動、その社会全体への波及効果などを想定することが重要だ。つまり、よりダイナミックなセンスで法を企画し、運用していくことが、強く求められているのである。


■法と経済学の相乗効果

本書によると、「法と経済学(Law and Economics)」という研究分野はアメリカでは一九五○年代から始まり、一九六○年代以降は研究者数の増大、研究方法の確立、専門雑誌の定着という形で、極めて大きな流れとなっているものだという。これに対して、日本では実質的にほとんど経済学者と法学者の共同研究は行われてこなかった、ともある。
(ということは、今までの日本では、経済の領域において何か新しい公的ルールを定める際にも、そうした理論的な観点からの研究結果の参照や検討は行われずに、概念的な検討と政治的なかけひきだけで決まっていたということか。いまさらながら、恐ろしい話ではある。)
こうした状況の中で、六年前に当初十名弱の経済学者・法学者が集まって、法と経済学に関する研究会を開き、以来、徐々に研究活動は拡大してきた。その研究成果をまとめたのが本書である。
全体は三部からなり、十五本の論文と、それに対するまとめから構成されている。
第一部では、「社外取締役」「株主代表訴訟」が有効に機能するか、等について検討が加えられている。経済学的な観点からは、これらは必ずしも有効ではない、としており、経済学と法学のモノの考え方の違いが浮き彫りになっていて興味深い。 続く第二部では、有限責任の株主や債権者が、企業破綻処理などにおいて、エイジェンシー・アプローチ(「利益相反の可能性がおのずから最小となるようなしくみの模索」)の観点などから検討される。第三部では、株式市場と情報、独禁法・労働法的な領域についての検討が行われている。
本書に書かれているような経済学的センスは、今後法律の作成・運用に携わる方々にもぜひ取り入れていただきたい。もちろん、法律に経済学の考え方を取り入れればすべて問題が解決するというような単純な話ではないだろうが、法という現実への適応を行うことで、経済学的なモノの考え方も逆にブラッシュアップされ、相乗効果は大いに期待できる。
とにかく、今後の新しい社会には、理論的根拠に基づいた確固たるルールをフレキシブルに策定していく体制が必要であり、それなくしては、経済や社会の「復興」はありえない。こうした領域の研究が発展することを願ってやまない。


■この本の目次

序章 会社法の経済分析:基本的な視点と道具立て

第I部 会社の意思決定
1章 株主総会と取締役会−権限配分規定について/2章 株主,取締役及び監査役の誘因(インセンティブ)/3章 取締役会と取締役/4章 株主総会の決定プロセス/5章 株主代表訴訟/第I部コメント

第II部 証券と利害調整
6章 株主の有限責任と債権者保護/7章 会社法における自己資本維持規定と資本コスト/8章 日本における企業破綻処理の制度的枠組み/9章 企業の資金調達と議決権および利益の配分/10章 株主間利害対立/第II部コメント

第III部 潜在的参加者
11章 インサイダー取引規制/13章 企業間取引と優越的地位の濫用/14章 「解雇権濫用法理」の経済分析—雇用契約理論の視点から/15章 株式会社法の特質,多様性,変化/第III部コメント
会社法の経済学;総括コメント


編著者のプロフィール

三輪芳朗 東京大学大学院経済学研究科
神田秀樹 東京大学大学院法学政治学研究科
柳川範之 東京大学大学院経済学研究科

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「市場重視の教育改革」

■相互作用しあう「教育」と「経済」の鳥瞰図とダイナミズム

今後の日本に、より「市場メカニズム」的な要素の導入が必要なのは、万人の納得するところであろう。社会は、今後ますます激しく変化するだろうから、それに合わせて人々を満足させるモノやサービスを生み出す方法も変わっていく必要がある。そこでは、一部の人間の考えで全体を縛るのではなく、多くの主体が競争しながら、よりよいモノやサービスを供給できるようにする「市場」的なメカニズムが望ましいのは当然である。
しかし、ことが「教育」ということになると、そうした競争原理や市場メカニズムとは別の次元で考えるべきだ、という方も多いのではなかろうか。それは、教育と言うのは神聖で侵すべからざる領域であり、単純な消費と同列に扱うのはけしからん、という観念があるからかも知れない。または、「受験戦争」という言葉に代表されるように、教育の領域においては、すでに過度の競争が存在するので、競争促進より、むしろ、競争緩和が望まれている、という観念のためかも知れない。
今まで教育は、とかく主観的な言葉で語られることが多かった。ほとんどの人は、教育を実際に体験して、それに対して、楽しさ悔しさなどが入り混じった、非常に複雑で強い感情を抱いている、ということなのかも知れない。議論としても、現場の教育論的立場のものが中心で、教育全体の構造を俯瞰するものは少なかったのではないかと思われる。


■「市場」の教育への導入

今回ご紹介するのは、この教育の領域に、経済学的・客観的な視点を導入し、「市場」の観点から改革案を提言している本である。筆者らの大半が大学で教鞭を取られている方であり、教育は「分析の対象」であると同時に「自分自身の仕事」でもある。客観的な分析の中に、ところどころ、教育への主観的な「思い入れ」が見え隠れしていたりもして、おもしろい。
1章、2章、4章では、教育を「消費」として、また「就職」との関連から捕らえている。教育は、サービスの供給者が需要者より圧倒的に情報を多く持つ、「情報の非対称性」がある。また、単に当座の効用のために教育が買われるというだけではなく、高い給料の会社などに就職するための「投資」の側面が強い。さらに、教育を受ける受益者であるのは子供であるのに、その出費をするのは親、という食い違いの構造もある。確かに単純に市場メカニズムを導入すればうまくいく、というものではなさそうだ。
5章では、なぜ、教育に政府などの公的機関が関与するのかについて論じられている。教育に国が関わるのは当たり前のような気もするが、経済学的な観点からすると、公的機関が関与するためには、市場だけにまかせておくとうまく行かない理由(外部性など)があることが必要である。しかし、本書では「今後の経済社会環境の下では、公的規制の根拠は乏しい」として、規制緩和と競争の導入について具体的なスキームを提言している。
6章、7章や3章では、世界各国の教育の歴史・制度の違いが分析されている。日本も、今後は、いわゆる終身雇用制の崩壊などによって、職業能力形成の機能が、企業から大学側にシフトするであろうし、公的補助も、大学より個人への補助のほうが、より効果的に資金が配分できることが示唆されている。
8章で取り上げられている女性の高学歴化も、就業の促進、結婚・出産年齢の上昇を通じて、国の構造をも大きく変えていく重要な要因である。
このように、教育というのは、社会の構造に変化を与え、また、社会構造の変化は、教育の構造にも大きく影響を与える。日ごろはビジネスを中心に考えられている方も、この本で示された鳥瞰図を元に、相互作用し合う産業と教育、今後の社会変化などについて、頭の中で、シミュレーションしてみるのもおもしろいのではないだろうか。


■この本の目次

序章 なぜ教育の経済学が必要か
第1章 教育サービスにおける消費者主権の回復
第2章 消費としての教育
第3章 学歴主義社会と市場志向の教育改革
第4章 就職と大学教育
第5章 大学への政府関与のあり方
第6章 高等教育市場の変遷:米国における例をもとに
第7章 教育費負担の構造:諸外国の動向とわが国の今後
第8章 女性の高学歴化と就業・出産行動


編著者のプロフィール

八代 尚宏
1970年東京大学経済学部卒業、経済企画庁入庁。1981年米国メリーランド大学経済学博士号取得。OECD経済統計局主任エコノミストなどを経て、現在、上智大学国債関係研究所教授。
著書に「現代日本の病理解明」(東洋経済新報社、日経経済図書文化賞受賞)、日本的雇用慣行の経済学(日本経済新聞社、石橋湛山賞受賞)等

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「ウォール街のダイナミズム」米国証券業の軌跡

■ビッグバンの羅針盤となるアメリカ証券業の歴史研究

「今年から来年にかけて日本で最もホットな産業は?」と聞かれれば、筆者は迷わず「証券業」と答えたい。
 昨一九九八年十二月に証券業は免許制から登録制に移行し、証券取引所への集中義務も無くなった。さらに、今年の十月には、手数料の完全自由化を控えている。そうした規制緩和により競争環境のインフラが整えられることもさることながら、昨今、アメリカで繰り広げられている金融再編の動き、インターネット取引へのシフトなど、新しいビジネスモデルが、否応無しに日本の証券業経営者の脳をも刺激している(はずだ)。
 おまけに、日本ではこの一年の間に、この規制緩和のインパクト、情報ネットワーク技術の革新のインパクトが、一気にやってくる。アメリカでは一九七五年の「メーデー」以来、二十年以上をかけて「ゆっくりと」行われて来た変化が、ギュっと圧縮されて、一気に襲いかかって来ることになる。そこで展開されるのは、新技術や激安手数料を武器に参入する新規業者の攻勢によって、既存証券会社がのたうち回る阿鼻叫喚の地獄絵なのか。はたまた、規制以外の日本的な参入障壁によって、結局、勝ち組は資本力のある一部の大手企業に限られてしまうという、非常につまらない図式になるのか。いずれにせよ、今年展開される世紀の大バトルを見逃す手は無い。


●「経営」として見た証券業

二十数年分のインパクトを一気に受けるその衝撃度の大きさや、証券のみならず、銀行・保険業界を含む金融界全体が変わることなどから、日本の証券ビッグバンは世界の金融業の変化の中でも非常にユニークなものになる。その行方が誰にもわかる形で記入された海図は無いといってよい。
 そうした中で最も頼りになるものといえば、まずは「先行事例」だろう。他国のことであっても、個々に見れば日本と同じ力学で動いている。「同じサービスなら安い方がいい」「固定費の負担が大きいサービスは規模のメリットが働く」というような、書けばあたりまえの力学が、実際にどのような現象を生み出してきたのかという生の事例を見ることは、大いに参考になるだろう。
 今週ご紹介する本は、こうした先行事例のうち最も研究すべきアメリカの証券業界の三十年にわたる変遷を一冊にまとめた本である。
 本書は、司法省が証券取引所の固定売買手数料制が独禁法違反である疑いがあるという文書を米証券取引委員会に送った一九六八年の出来事からスタートする。第一章で「証券会社とは何か」ということが、業界以外の人間にもわかりやすく述べられた後、続く第二章から五章で、六八年から現在までの期間を四つに区切り、それぞれの時代の特徴と、証券業界の対応を的確に抽出している。
 本書は、単なる事象の羅列や「年表」に終わることなく、具体例や数値例、人間ドラマを織り込み、読者を飽きさせない構成に仕上がっている。また、証券業を「ビジネス」「経営」という視点から見るという一貫した切り口から構成されているのも特徴である。
 読めばおわかりいただけるが、この間のアメリカ証券業界の変遷は、実は決して「ゆっくり」などというものではなく、まさに「激動」の時代だったことがわかる。これだけの期間のできごとを、ポイントを抽出して、しかも一般の読者にもわかりやすく一冊の本にまとめるのは、並大抵の力量でできることではない、と思う。
 本書によれば、ウォール街では「経営者など、しょせん収入を生まないコストセンターだ」という考え方が根強いとのことである。しかし、今までも今後も、激動の時代には、マネジメントの舵取りが重要なのは疑う余地が無い。先の見えない金融の世界でのマネジメントを考えるために必読の一冊、と言える。


■この本の目次

プロローグ 一九六八年−ゴーゴー時代の終焉と新しい時代到来の予兆
第1章 オーバービューー証券会社の機能
    業界大手の変遷/証券会社の機能/証券会社の営む業務/過去三○年間のトレンド
第2章 一九六八〜七五年−機関投資家の時代
機関投資家−年金基金の台頭と変容/機関化への証券会社の対応/資本危機そして手数料自由化への抵抗
第3章 一九七五〜八七年−イノベーションの時代
二つの規制緩和とその直接的インパクト/商品・サービスの多様化−イノベーション競争/経営形態の多様化/収益性の低下
第4章 一九八七〜九一年−マネジメントの時代
証券会社におけるマネジメントの特色/問題の顕在化/経営システムの見直しと対応策/メリルリンチのリストラクチャリング
第5章 一九九一〜九八年−個人投資家の時代
業績の回復/リテール業務の変容/証券会社の国際展開と収益への寄与/新しい多様化の諸相
エピローグ−一九九八年一一月


編著者のプロフィール

遠藤 幸彦 (えんどう ゆきひこ)
1980年東京大学教養学科(国際関係論)卒業、同年野村総合研究所入社。1985年ワシントン大学経営大学院終了(MBA)。企業調査部、NRIアメリカ、資本市場調査部、政策研究センター、研究双発センター金融サービス研究室長を経て、97年より現職。

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