16歳のセアラが挑んだ世界最強の暗号

■子供の個性を伸ばす教育について考えさせられる、数学好きな少女の成長記

のっけから恐縮だが、親バカな話を一つ。昨年、うちの息子(当時五歳)に、マイクロソフト社のエンカルタというDVD-ROMの百科事典を与えてみた。漢字がだめなので文章部分には興味を示さないが、普通の百科辞典と違ってビデオやアニメーションに音声の解説がついているので、それらを目を輝かせながら見ている。もちろん中身なんか理解しちゃいないだろうと思って、ある日、その中から一つを選び、「DNAを構成する四つの塩基の名前は?」と冗談で聞いてみたら、「アデニン、グアニン、シトシン、チミン。簡単すぎるよ。」と即答されて面食らった。親としては「うちの子は天才だ!」と思いたいところだが、冷静に考えてみれば、同年代で百以上の「ポケモン」の名前を言える子供はザラだから、四つしかない塩基の名前が覚えられても全く不思議はない。
子供の可能性は無限大だ。問題は対象に興味を持てるかどうか、である。子供はむら気だが、インタラクティブに反応が返ってくるものには興味を示すので、好きな時に好きなことを勉強できるDVD-ROMやeラーニングなどは子供の教育に革命を起こすかも知れない。だが、もちろん理想的なのは、子供が質問してきた時に、親がいつも適切な答えを返してやることであろう。加えて、親が科学者だったりすると、言うことなしである。


●世界に飛び出した16歳

今回ご紹介する本は、アイルランドに住むセアラという少女が、数学の「整数論」を駆使して、世界最強の可能性がある暗号を構築してしまう体験を綴ったものである。
父親は数学者、母親は微生物学者であり、科学好きになるには理想的な環境である。ただ、両親は丸暗記や詰め込みで数学の英才教育をしたのではないようだ。セアラは子供のころから農場に住んで家畜や自然に接し、乗馬をはじめとするスポーツが大好きな子供に育った。父親は、無理強いこそしなかったが、子供からせがまれると、本書にも掲載されている様々なパズルを出し、子供は、遊びながら数学的な考え方や自分で興味を持って考える習慣を身につけていったようである。
彼女は、興味を持った暗号の研究の発表でアイルランドの青年科学者コンテストで受賞したのを皮切りに、インテル社の優秀賞も受賞し、アメリカで開かれるインテル国際科学技術フェアにも参加することになる。その時期は、ちょうどITブームがはじまりかけた時期でもあり、彼女も、マスコミの取材攻勢を受けて「16歳の少女が億万長者になる可能性」が報道され、プライベートジェットで乗りつけたアメリカ人実業家に「共同で暗号会社を設立しましょう」と持ちかけられる。こうしたバブルの波に襲われても、彼女は自分を見失うことなく冷静な対応をしていて、すがすがしい。
今年から日本でも「ゆとり教育」が導入されることになった。これは、能力別クラスを容認するなど、名前とは対照的に、教育に市場メカニズムを持ち込むものとされている。それが成功するかどうかはともかく、今後の社会では、詰め込み型の横並び的人材の価値が下がるのは間違いないし、教育においても、その子の能力をいかに引き出してあげられるかが、ますます重要になっていくだろう。

本書は、サイモン・シン著の「フェルマーの最終定理」や「暗号解読」のような、学術や技術の最先端を考える本というよりも、子供の教育の話として読んだほうが面白く読めるように思う。整数論や暗号論よりも、どうすればセアラのような子供が育つのかという方が、不思議でもあり、大いに興味が湧くところではないだろうか。本書は、今後の社会の中で伸びやかに羽ばたいていける個性豊かな子供を育てるために、大いに参考になる本ではないかと考える。


■この本の目次

まえがき
はじめに

「この本を読むには数学の知識が必要なの?」

1. 子ども時代
2. 数学の旅
3. 大事なのは残りもの
4. 「法」の計算
5. 一方通行
6. コンテスト
7. 数学のあと、コンテストの余波


■著者

Sarah Flannery
1982年生まれ。アイルランドのコーク県ブラーニーで、数学者の父、微生物学者の母、4人の弟とともに成長する。1999年度アイルランド青年科学者賞、同年ヨーロッパ連合青年科学者大賞受賞。現在、ケンブリッジ大学の1年生。
David Flannery
1952年生まれ。セアラの父であり、コーク工科大学で数学を教えている。


■訳者

亀井よし子
翻訳家。富山大学英文化卒業。主な訳書に、「ブリジッド・ジョーンズの日記」「人類、月に立つ」等。