「ミーム」

■人間の心の中で増殖する「マインド・ウイルス」

現代は情報化社会である。次々に、性能のいいパソコンやインターネット製品が安く発売されていくのを見ると、情報処理や通信のコストパフォーマンスが飛躍的に良くなっていくことが実感できる。この調子で、情報伝達コストがどんどん小さくなっていくと、しまいには、経済学の教科書の始めに出てくる「完全競争」的な、情報が世界の隅々まで完全に行き渡る社会が到来するようにも思える。

しかしながら、その予想は、情報通信技術の発達で、巷に流れる情報量も急増するという点を見落としている。つまり、情報を受け取る人間の能力は限られるのに、情報の複雑性は飛躍的に増すため、きちんとした意思決定を行うのは、非常に大変なことになるのだ。すなわち、情報化社会とは、機械から機械には情報が伝わりやすくなるが、人から人へは、かえって情報が伝わりにくくなる社会だ、という言い方もできよう。

では、そうした世界で成功するための秘訣は何か。その一つが、「情報をうまく伝えること」であるのは明らかである。情報というのは、うまい伝え方をすると、人から人へ、増殖しながら勝手に伝わっていく。だから、ツボを突いた伝え方をすれば、非常に効率よく情報を伝達することができるはずである。

こうした、うまい情報伝達を理解するための一つの有力なモデルが、この本のタイトルでもある「ミーム」だ。


●「心のウイルス」からの視点

著者のリチャード・ブロディは、世界最大のソフトウエア会社であるマイクロソフト社で、同社のワープロソフト「ワード」の開発を最初に行った経歴を持つ人物である。

ミームという概念は、ベストセラーになった「利己的な遺伝子」の中で、生物学者リチャード・ドーキンスが最初に提唱したものである。生物の遺伝子が複製され増殖するように、ミームは心の中で複製され、人と人の間で伝達され増殖していくものである。このミームという概念自体が、非常に伝染力の高い考え方となって、今では、心理学、認知科学、社会学など、さまざまな観点から、ミームに関する研究が行われている。

著者のリチャード・ブロディ自身は、ミームを研究する学者というわけではない。この本は、ミームについて一般向けにわかりやすく書かれているが、それゆえ、学術的にきちっとした整理を求める人には、ちょっと物足りなさが残るかもしれない。まあそれは、作者が、この本自体にミームを盛り込むことを意識しているがゆえに、かしこまった表現より、読んだ人の印象に残り他の人に伝えたくなる表現を重視したためではないかとも思われる。

「利己的な遺伝子」という考え方は、生物が子孫を増やすために遺伝子を使うのではなく、遺伝子が自分の複製を増やすために、生物の体というものを使っているのだ、という逆転の発想であった。同様に、この本は、まず、人間の体や企業、国家などが情報を利用しているというよりも、ミームが自分を複製するために、それらの組織を形作っているのだ、という発想の転換を読者に迫る。ついで、そうした考え方をベースに、政治、ジャーナリズム、宗教、ビジネスなどを題材にして、ミームの性質やその挙動が、検討されてゆく。

今までの世界、特に日本では、物理的な実体こそが重要であり、その実体が「どう伝えられるか」は、それに付属する(取るに足らない)ものとして扱われてきたのではなかろうか。これに対して、情報化が進み、金融ビッグバンを始めとする強烈な競争社会が始まると、好むと好まざるとに関わらず、情報の伝え方・伝わり方は、それ自体が「実体」として、社会に強く作用するようになる。

この本は、こうした来たる社会を、ミームの視点からちょっと考えてみるのにいいかも知れない。


■この本の目次

序章 心の危機
第1章 ミームとは何か
第2章 心とふるまい
第3章 ウイルスが棲む三つの世界
第4章 進化の本質
第5章 ミームの進化
第6章 性−進化の根元
第7章 生き残りと恐怖
第8章 私たちはいかにプログラミングされている
第9章 文化ウイルス
第10章 宗教のミーム学
第11章 設計ウイルス(カルトのはじめ方)
第12章 治療−ミームの選択