「自然科学的な判断」と「経営判断」のあいだ

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発売から4年遅れではありますが、福岡 伸一氏の「プリオン説はほんとうか?

プリオン説はほんとうか?—タンパク質病原体説をめぐるミステリー
福岡 伸一
講談社
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を読みました。
福岡氏は、ご存知の通り、「生物と無生物のあいだ

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)
福岡 伸一
講談社
売り上げランキング: 284

 
の著者。
実は、一昨年2007年の本ブログ内での年間売上ランキングでは、「生物と無生物のあいだ」が、売上冊数No1でした。(「生物と無生物のあいだ」は新書で単価が安いので、金額ベースの1位は、「不思議の国のM&A—世界の常識日本の非常識
 
不思議の国のM&A—世界の常識 日本の非常識
でしたが。)
 
「プリオン説はほんとうか?」の感想としては、著者の意図通り、「BSE(狂牛病)がプリオンによって感染する説って、ロジック的にかなり危ういなあ。」ということですが、その他に、(「生物と無生物のあいだ」にも共通しますが)、「自然科学におけるものごとの証明というのは、厳しいんだなあ。」ということがあります。


もちろん、自然科学に限らず社会科学においても、例えば歴史や法律の領域だと、かなり具体的な論拠や証拠の積み重ねで議論が行われます。
しかし、たとえば経済の領域では、(もちろん理論経済学などの領域では、精緻な論理が積み上げられていくわけですが)、「現状をどう見るか」「どの理論を適用して考えるのが正しいのか」というような議論になると、(自然科学の議論の精度からしてみたら)、かなり論理が飛躍しまくりの荒っぽい議論という様相を呈してきます。
さらにこれが「経営判断」の領域ともなると、自然科学とは相当、様相が異なって来ます。
例えば、「自社の製品に牛肉を使っています」という場合にBSE問題が発生したら、経営判断においても、当然、非常に慎重な対応が求められることになります。
しかし、
「プリオン説をとなえたプリシナーがノーベル賞を単独受賞」
「厚生労働大臣や農水大臣も牛肉を食べてアピールしている」
「輸入も解禁された」
「30月齢以下の牛は安全、特定危険部位以外の部分は安全というのが通説」
といった状況の下で、世間で行われている最低限の対策にとどまらず、それに加えて、より慎重な対策を取っていたとしたら、仮に将来、
「BSEの原因はプリオンではなく(現在はまだ未知の)ウイルスであった」
「異常プリオンタンパク質が検出される特定危険部位以外にもウイルスは存在する」
ということになったとしても、少なくとも日本では、この企業が将来、製造物責任法等で負けて損害賠償責任を負うといったことにはならないと思われます。

cf. 製造物責任法第4条[免責事由]第1項
当該製造物をその製造業者等が引き渡した時における科学又は技術に関する知見によっては、当該製造物にその欠陥があることを認識することができなかったこと。

しかし、福岡氏が指摘するように、実はプリオンがBSEの直接の犯人だということは現在に至るまで全く証明されていないし、感染のメカニズムも全く不明というのが(ビックリしますが)実情なわけであります。
こうした状況の下で、牛肉を製品に用いるのが(自然)科学的に慎重な判断か?というと、必ずしもそうとは言えないわけですね。
(ところで、福岡氏は牛肉を食べてらっしゃるんでしょうか。非常に興味があります。)
かように、「自然科学的(に慎重)な判断」と「善管注意義務」や「経営判断」との間には、かなりの開きがあります。
つまり、「信頼できる非常にちゃんとした企業が慎重に考えてやっている」から「絶対大丈夫」ということにはならん、ということですね。
企業は、すべての経営活動について福岡氏レベルの意味での慎重な判断を行ったとすると、コストが大幅に増すし、行動を起こせない範囲も格段に増えるので、「他の企業もみんなやってる」程度のことをしない場合には、競争に負けてしまうわけで。
「米国金融危機がなぜ発生したか」についても、一つの言い回しとしては、「こうした自然科学的な意味での『大丈夫』と、経営判断における『大丈夫』の間には、相当な開きがあるから」という説明ができるんじゃないかと思います。
(ではまた。)

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「自然科学的な判断」と「経営判断」のあいだ” への3件のコメント

  1. たぶん、
    経済が絡んでしまうと、
    (科学者は、)
    現在の経済活動についていけるようなスピードでは、
    「自然科学的な判断」はできないのではなかろうか。
    許された時間で「経営判断」の材料を提示するのが精一杯だと思う。
    http://d.hatena.ne.jp/f_iryo1/20061221/shiten
    —(quote)————————–
    しかし、仮に、科学者に、『マイナスのイオンは身体にいいのですか』とたずねてみても、そのような単純な二分法では答えてくれないはずです。
    『マイナスのイオンといってもいろいろあるので、中には身体にいいものも悪いものもあるでしょうし、身体にいいといっても取りすぎればなにか悪いことも起きるでしょうし、ぶつぶつ……』と、まあ、歯切れの悪い答えしか返ってこないでしょう。
    それが科学的な誠実さだからしょうがないのです。
    —(unquote)————————
    (蛇足ですけど、ここで「マイナスのイオン」と言っているのは自然科学的な慎重さだと思う。「マイナスイオン」は科学の用語ではないから。)

  2. >現在の経済活動についていけるようなスピードでは、「自然科学的な判断」はできないのではなかろうか。
    そう思います。
    だからこそ、(そうしないと経済活動がほぼストップしてしまうので)経営判断の原則が許されているわけで。
    (また、だからこそ「米国金融危機のようなことは、市場経済の下では、また必ずや発生する」、と言っていいのではないかと思います。)
    (ではまた。)

  3. 自然科学というか学問と実務との差なんでしょうね。経済学でも純粋な学問に近いところの話は経営判断に役に立つのかというと立たないのでは。経営判断に役に立ちそうな速度で学問的な判断を行っている経済学、というのはあまり聞いたことがないです(うさんくさい自称エコノミストはいっぱい沸いていますが)。
    #経済学での荒っぽさというのはよく知りませんが、自然科学でも現実をどう見るか、現実にどう理論を適用するかという段階では結構荒っぽいことが行われていますよ。エラーバーマイナスの方まで突き抜けていたりするデータとかありますし。理論系と実験系の違いで、似たようなことは経済学の内部でもあるのではないでしょうか。
    ただ、少なくとも一般論としては自然科学ではデータの数を揃えるのが(マクロが対象の)経済学よりは簡単でしょうし、データと理論の間を埋める知恵も蓄積されているように思えます。