「神のごとく創造し,奴隷のごとく働け!」ガイ・カワサキのビジネス革命ルール

■「ビジネス革命家」を養成する、シリコンバレー流ベンチャー入門書

日本でも「ベンチャー」が熱くなってきた。
 従来の日本では、ベンチャーとは「中小企業」とほぼ同義だった。既存企業に勤めずに自分で事業をやるというだけで、相当のリスクがあったから、確かに、起業するだけでも相当の「冒険」ではあった。
 ところが、本場アメリカのシリコンバレーともなると、ベンチャーという言葉のニュアンスはかなり異なってくる。シリコンバレーのベンチャーの財務的な目標は、単に「一国一城の主として食っていく」にとどまらず、会社をIPO(株式公開)して、巨額の創業者利益を獲得しよう、ということになる。しかも、そうした話すら、今やすでに過去のものとなりつつあるのだ。現在、アメリカのネットビジネスの起業家がベンチャーキャピタルに見せて回るビジネスプランには、既にほとんど「IPOを狙う」とは書かれていない。資金回収の出口として想定されているのは、ほとんどが「バイ・アウト」、すなわち、既にNASDAQに公開している企業などに、自社を短期間に売却することなのである。
 ご承知のとおり、アメリカでは設立後1年しか経たない社員十数人の赤字企業がIPOする、などというのはめずらしくもない。つまり、それすら待っていられないほど、情報通信関連産業の変化のスピードは速くなってきているのである。
しかしながら、我が日本でも、ここ3ヶ月ほどの間に、ベンチャー起業の環境は大きく変化してきた。NASDAQや東証による新市場の発表の他、今まででは考えられないことだが、外部の出資者が、赤字のネット・ベンチャーに、額面の何倍・何十倍もの価格で追加出資するケースも出始めている。
 今まで日本が情報通信関連の産業でアメリカにここまで遅れをとったのは、人材や技術力といった「実態面」の問題と言うよりも、起業とスピードを支えるそうした「金融面」インフラが無かったことが決定的な原因である。しかし、こうしたしくみができあがっていく今後は、ネット企業を中心にベンチャーが多数立ち上り、それが産業全体のビジネススピードを上げ、日本の社会構造を変えていくことになるに違いない。


●「革命家」養成のための本

今週ご紹介する本は、こうしたベンチャーのダイナミズムの中心地、シリコンバレーから発信された本である。
この本は、一見した限りでは、よくありがちな「ビジネス成功の指南書」に見えかねない。しかし、全体を貫くテンションは、そうした本とは一線を画するものがある。
著者のガイ・カワサキ氏は、ここ十数年、シリコンバレーのベンチャー最前線で実戦を戦い、また、現在も、投資家とベンチャーを結びつける会社のCEOとして、シリコンバレーの激烈なダイナミズムを見つづけている教祖的存在の人物である。
「だからすべて正しいことが書いてある」とは言わない。著者はこの本で、事実や理論をきちっと整理しようというよりは、この本を読んだ人の意識を変え、今までの製品やサービスを根底から覆す「革命家」に変身させることに重きをおいているからだ。読者は、第一部で徹底的な発想の転換を迫られ、第二部で突き進む方向の決定方法を示され、第三部でそれを形に落とし込む方法を伝授される。
ベンチャー創業者の一大排出元となっているスタンフォード大では、この本がベストセラーになっていたらしいが、前述のように、日本のビジネス界とアメリカのビジネス界では、あまりに温度差がありすぎて、正直、この本が日本で一般受けするものかどうか、わからない。
「学者や大企業のスタッフの方々が読んでもあまり役に立たないが、現在起業を考えているような、テンションの上がった方が読むと、現状をぶち破るパワーが、ますますみなぎってくる本」ではないかと思う。


■この本の目次

はじめに
第1部 神のごとく創造せよ
第1章 コギタ・ディファレンタ (Think Different)/第2章 ドント・
ウォーリー、ビー・クラッピー/第3章 かき回せ、ベイビー、かき回せ
第2部 王のごとく命令せよ
第4章 バリアを破壊せよ/第5章 エバンジェリストを作れ/第6章 デ
ス・マグネットに気をつけろ
第3部 奴隷のごとく働け
第7章 鳥のように食べ、象のように排泄せよ/第8章 デジタルに考え、
アナログに行動せよ/第9章 自分の望まないことを人に求めるな
第4部 結論
第10章妄言に惑わされるな


編著者のプロフィール

Guy Kawasaki
1954年ホノルル生まれ。83年、米アップルコンピュータ社でマッキントッシュの立ち上げに参画。アップル・フェローにして、元同社チーフ・エバンジェリスト、現在、シリコンバレーをベースにしたハイテクベンチャー支援企業(garage.com)のCEO。

続きを読む

「ネットビジネス戦略入門」すべてのビジネスは顧客志向型になる

■「顧客志向」の視点に立ったネットビジネスへの招待の書

日本のネットビジネスが離陸しようとしている。
公開ネット企業の時価総額は、現在、アメリカの場合で、百社超、五十兆円弱にもなるのに対し、日本は、その二十分の一程度のボリュームしかない。しかし、日本の経済規模や、インターネットのインフラの整備の進展などから、海外投資家の多くは、日本でも今後二〜三年のうちに、アメリカの半分程度までその時価総額が上昇してもおかしくないという見方をしている。話半分としても、今後数年で約十兆円の新しい価値が創造されるわけだ。日本のネットビジネス領域は、まさに、ジャパニーズ・ゴールドラッシュの様相になりつつあると言えよう。
ただ、こうしたマクロの視点からの予測は、日本のミクロな実態を知るものにとっては、いささか危なっかしく感じられる。確かに、資金面では、今やネット領域には一千億円単位の金が投下されて、過剰感が出始めているくらいであるし、人材面でも、IT技術者、クリエイティブ、そしてfounder(創業者)タイプの人材については、センスと元気のある若者中心に、ここのところ急速に厚みが増してきている。こうした中で、現在、最大のボトルネックは、「マネジメントができる人材」の不足であろう。つまり、リーダーシップがあって組織を引っ張っていける人材、マーケティングがわかる人材、B/S、P/Lくらいは読めて経営がわかる人材、が圧倒的に不足しているのだ。
このままでは、日本のネットビジネスは、脆弱な経営基盤の上に立つ一時のバブルに終わってしまう可能性が高い。既存のビジネスの経験を持ちあわせた実力のある人材が、こうした成長領域に参加することは社会的に見ても、非常に強く求められているといっていいだろう。幸い、そうした人材をネット界に呼び込む道具立ては整ってきた。公開ネット企業の数が百社になるとしても、先の前提で、一社あたりの価値創造は平均一千億円以上にもなる。これくらい枠があれば、新たな人材へのインセンティブも十分に用意できるはずだ。もちろん、必ず成功するという保証などない。しかし、人生を賭けるに値する「チャンス」が、今の日本のネットビジネス界には生まれつつあるのも確かである。


●ネットビジネスも基本は同じ

ただ、ネットビジネスは、今までのビジネスとの違いばかりが強調されがちで、「つかみどころがない」とお感じの方も多いのではないだろうか。
今回ご紹介する本は、「ネットビジネスとは、究極の顧客志向ビジネスなのであり、今までのビジネスと基本は同じなのだ」ということを説いている。
ネットビジネスへの「とっかかり」として非常に読みやすいものではないかと思う。
本書は、収益の出るネットビジネス戦略を立てるため五つのステップと、成功するために重要な八つの原則から、構成されている。また、それぞれの原則に対応して二つづつ、十六の企業の詳細なケーススタディが盛り込まれている。
その事例がちょっと古いのが玉に傷だが、体系的に日本語で読めるのであれば、そのくらいは、まあしかたがないだろう。最新情報は英語で直接吸収していただくほかない。
また、この本の立脚点はネットを使って、ビジネスの「実態面」をいかによくするか、という非常に「地に足のついた」ものである。ただし、現在のネットビジネスをドライブしている最大の要因の一つは、良くも悪くも財務的な「バーチャル」な要因である。ネットのマネジメントを志す層の方としては、そうした面も考え合わせる必要があることは、念のため記しておきたい。
取り上げられているのは、大企業の取り組みの事例が中心であり、ベンチャーを志す人のみならず、既存企業をネット企業に生まれ変わらせようと社内で努力される方にも、当然、役に立つ本である。


■この本の目次

ネットビジネスへの招待
●ネットビジネスで成功するための五つのステップ
収益の出るネットビジネス戦略を立てる
顧客がビジネスしやすい環境を提供する/末端顧客に商品やビジネスの照準を合わせる/顧客志向型の業務プロセスを末端顧客の視点から再設計する/収益増加のために企業を連携させる/顧客忠誠度を育成する
●成功するために重要な八つの原則とその事例
適切な顧客を狙う/顧客の振舞いを総合的に把握する/顧客に影響を与える業務プロセスを合理化する/顧客との関係を広い視野で捉える/顧客に主導権を与える/顧客の業務を支援する/個別化したサービスを提供する/コミュニティーを育てる
最良の実戦経験を組み合わせる:次のステップへ


著者のプロフィール

Patricia Seybold
父親のジョン・シーボルトを筆頭に、ほぼ全員がIT業界に身を置く米国IT業界の超有名人一家、シーボルト一家の一員。自身も米国ボストンで国際的ITビジネスコンサルティング会社、パトリシア・シーボルト・グループを設立し、現在CEO。同社は、アーサー・アンダーセン、ヒューレット・パッカード、マイクロソフトなど、業界トップ企業をクライアントとして擁している。

続きを読む

「マルチメディア都市の選択 」シリコンアレーとマルチメディアガルチ

■サイバー時代の都市の位置付けを明確にする、骨太な研究レポート

「ネットワークが発達すれば、どこで仕事をするかは関係無くなる」ということがよく言われる。しかし、実際にはネットビジネスの進展に伴って、物理的な立地、特に「都市」の機能はむしろ重要性を増してきている。本書にもあるように、現在、情報通信産業の中心は、ハードウエアやOSなどの無機的なものから、コンテンツ(情報の中身)や、広告、商取引などにシフトしてきている。「都市」は、最終消費者や大小企業の集合体であるから、そうした場所に身を置いて最新の感性を身に付けたり、仕事の相手と直接会って話をすることは、この種のデジタルビジネスにおいては必須になるのである。
 日本でも、東京を中心とする「ビットバレー・アソシエーション」という地域ベースのデジタル産業のコミュニティが今年設立された。沈滞した日本の雰囲気を打ち破る新しい息吹として、最近では、TV・新聞・雑誌等で毎週のように紹介される一方で、「ビットバレーの企業には、技術に強い会社が少ない」「数は多いが、規模の小さい会社ばかりで、株式公開をするような企業はほんの一握り」「経営の基本がわかっておらず、評判に実態が追い付いていない」等の批判も聞かれるようになってきた。
実は、そうした状況は、アメリカでも全く同じだったようだ。一九九四年のニューヨーク・ニューメディア協会(NYNMA)の設立当時も、資金調達のや会社の設立の方法もわからない企業が大半で、業態的にも、ハイテク技術者集団というより、今までアーティストをやっていた人たちが、筆をマウスに持ち替えたような会社が多かったそうである。しかし、そうした企業も、協会のイベントなどを通じて、弁護士、会計士、ベンチャーキャピタル等との人脈を形成するうちに、徐々に、経営の実態を身につけていった。ベンチャーゆえ当然ではあるが、数多くの企業が淘汰されて消え行く中で、ほんの一握り、成功する企業が現れてきたのである。


●都市論から見た情報産業

今週ご紹介する本は、日本のネットビジネスの今後を「立地」という切り口から考えてみるのに非常に役立つ本である。
 本書では、まず冒頭で、古代政治都市から、商業都市、工業都市を経て現代までの都市の流れを振りかえっている。情報通信社会の入り口の八〇年代は、情報産業製品の中でも付加価値が高い部分がハードウエアであったため、そうした産業の立地は「地方」が中心であったが、八〇年代の後半から九〇年代の初頭にかけて、付加価値の中心がソフトウエアに移ると、立地はシリコンバレーなどの「超郊外」になった。さらに九〇年代後半になって、付加価値の中心がコンテンツ等にシフトするにつれ、立地は「都心」に回帰してきたという。
また、アメリカでも、大都市型のマルチメディア企業の一社あたり平均従業員数は七名程度と、非常に小粒である。NYNMAは、現在会員が三千社を超えているが、当然、すべての企業が株式公開できるような企業でもない。日本では、情報通信ベンチャーというと、シリコンバレーの技術中心型の企業像を思い浮かべがちだが、都市型の情報通信企業を、そうしたイメージにはめ込んで考えることは、大きな考え違いを招く可能性が高い。東京のビットバレー企業に対する先の批判は、現状を的確に捉えていると同時に、批判としては、ちょっと的外れでもある。本書によれば、都市型のデジタル産業とは、そもそも、そうした多数の小企業の中から、急成長するビジネスモデルが生まれてくるものだからである。
 本書は、ニューヨークやサンフランシスコ、東京のマルチメディア企業の地理的な分布の調査や、それらの都市の個別企業へのヒアリング、その他、地道なリサーチの積み重ねによって、書かれている。ネット分野にありがちな、流行に便乗した企画本とは一線を画す、骨太なレポートといえる。


■この本の目次

はじめに
第一部 マルチメディア都市の出現
第一章 都市型産業としてのマルチメディア
第二章 シリコンアレー −路地裏から大通りへ
第三章 マルチメディアガルチ −公園からあふれだしたデジタルアート

第二部 マルチメディア都市革命のモデル
第一章 都市再生のモデル −第二次ジェントリフィケーションとしてのマルチメディア革命
第二章 都市産業空間のモデル −マルチメディア都市へのルーツ
第三章 新産業のモデル −インターネットの普及とデジタルビジネスの勃興
第四章 新ビジネスのモデル −マルチメディア企業の勝ち残り戦略

第三部 マルチメディア都市の兆銭
第一章 ニューヨーク・ロウアーマンハッタン地区の挑戦
第二章 サンフランシスコ・ソーマ地区の挑戦
第三章 日本への示唆と可能性

おわりに


編著者のプロフィール

小長谷 一之(こながや かずゆき)
大阪市立大学経済研究所地域経済部門助教授。日本都市学会理事、通産省国別通商制作事業研究員、環境庁地球環境保全土地利用変化検討会委員、等を歴任。著書に「アジアの大都市[2]ジャカルタ」(日本評論社)、「日本の三大都市圏」(共著、古今書院)、等。

富沢 木実(とみざわ このみ)
日本長期信用銀行産業調査担当、郵政省電気通信局業務課長補佐、長銀総合研究所産業調査部主任研究員等を経て、現在、社会基盤研究所調査部主任研究員、ソフト化経済センター主席客員研究員。郵政省情報通信ニュービジネス研究会委員、国土庁国土基盤検討会委員、中小企業庁中小企業近代化審議会委員等を歴任。著書に「『新・職人』の時代」(NTT出版)、「新しい時代の儲け方」(共著・講談社)、等

続きを読む

「パーミションマーケティング」ブランドからパーミッションへ

■顧客の心を開かせる新しいマーケティング手法の書

ヤフーの株価が1億円を超え、近頃のテレビ・新聞等はこぞって「ネットバブル」に警鐘を鳴らす特集を組んでいる。日本では、ネット株は一株数千万円以上するため、購入しているのは、機関投資家以外は、大半がネットのサービスを利用したこともない富裕層の個人投資家ということになる。つまり、日本の現在のネット株高が、ネットのサービスの本質をあまりわからずに「ネット関連」というだけで買う投資家によって、投機的に形成されたという側面があることは、確かに事実だろう。
一方で、この「バブル」は、日本の土地バブルとは大きく性格を異にする。千兆円の単位にのぼった土地バブルに対し、「たかだか数兆円」の非常に小さいバブルであるということもそうだが、そのほかに、構造が単純でないバブルである、ということもあげられる。
ネットビジネスは、非常にたくさんのビジネスモデルの集合体である。Amazon.comのような「EC」のモデルやYahoo!などの「ポータル」というモデルだけでなく、オンライン上で個人どうしが物品を売買する「オークション」、生産者から消費者という一方的な流れを逆転させた「リバース・マーケティング」、ネット上である製品を購入する人数を集めれば購入できる値段が下がる「グループ・バイ」モデルなど、一般の人には聞きなれない非常に多くのビジネスモデルがしのぎを削っている。このように、ネットビジネスのすごいところは、今までに存在しない革新的なビジネスのやり方の転換のアイデアが次々に出てくるところなのだ。こうしたビジネスモデルは、それぞれ個々に、事業構造も財務構造も全く異なるものなので、仮に将来、「ポータルというモデルの先が見えた」、ということになっても、では、オークションもオプトインもリバースマーケティングもだめ、という判断には直結しようがない。バブルはバブルかも知れないが、シャンプーの泡のように、ひとつひとつが割れても全体が一気に割れるとは考えにくい泡なのである。


●飛躍的なレスポンス率の向上

この本は、こうしたインターネットによって喚起された画期的な考え方の転換の一つを紹介する本である。
今までのマーケティングが、テレビをはじめとするマス媒体に大量に広告を打ち、人の心の中に土足でずかずか上がりこむ「土足マーケティング(interruption marketing)であったのに対し、これからのマーケティングは、顧客からひとつひとつ許可(permission)をもらって良好な関係を構築していく、パーミッションマーケティングになる、と説いている。
 パーミッション・マーケティングは、わかりやすく「デートと結婚」に例えられている。何回もデートを重ねて、趣味や将来のことを語り合い、お互いの家族を紹介しあって、その後にはじめてプロポーズする、というのが、結婚までもっていく確実性の高い方法であるのに、今までのマーケティングでは、会ったその日にいきなりプロポーズするような手法が取られてきた、というわけだ。
このパーミッションマーケティングの効果についての顕著な例としては、今までのDMのレスポンス率が平均二%であるのに対して、こうして、顧客から「パーミッション」をもらっっている場合の電子メールのレスポンス率は、平均三五%という高率を示すという例が示されている。パーミッションマーケティングは、通常のダイレクトメールや、コールセンターなどでも使えるが、やはり最も効果を発揮するのはインターネットを用いた場合であろう。
 ネット関連企業の多い渋谷の書店では、本書はもうすでにベストセラーになっている。インターネットによって出現する新しいビジネス、マーケティングの方法を考えるためには非常にわかりやすくためになる良書、と言える。


■この本の目次

はじめに
1 お金では解決できないマーケティングの危機
2 パーミッション・マーケティング−広告が再び力を取り戻す方法
3 マス広告の進化史
4 さあ、始めよう−市場シェアではなく顧客シェアに全力を注げ
5 繰り返すことが信用を勝ち取り、「パーミッション」がさらに効果的にする
6 パーミッションを手に入れるための五段階
7 パーミッションらくらく活用術
8 あなたがウェブ・マーケティングについて知っていることは全部間違っている
9 ウェブにおけるパーミッション・マーケティング
10 ケーススタディ
11 パーミッション・マーケティングを評価する方法
12 パーミッション・マーケティングFAQ


編著者のプロフィール

Seth Godin
米国Yahoo!ダイレクト・マーケティング担当副社長。タフツ大学でコンピュータ・サイエンスと哲学の学位を、スタンフォード・ビジネススクールでMBA(マーケティング)を取得。スピネーカーソフトウェア社勤務、ヨーヨーダイン社創設を経て、1998年ヨーヨーダイン社をYahoo!に売却、同社副社長となる。

坂本 啓一
マーケティング・コンサルティングファームParmtree Inc.代表。ネット上でマーケティングエッセイ「電脳市場本舗〜Marketing surfin’」を1995年から連載。知恵市場共同主宰者のひとり。

続きを読む

「ネット資本主義の企業戦略」

■ネット時代における企業のデコンストラクション(再構築)の書

日本でも、ネットのバブルが指摘されて久しいが、良く考えてみると、一般の人々のネット革命に対する認知は、日本ではまだ低すぎるくらいなのではないだろうか。
米国において、日本をはるかにしのぐ量のドットコム系の企業のTVのCMや道路沿いの看板などがあふれかえっているのはもちろんであるが、先日、ちょっとショックだったのは、韓国のネットベンチャーの経営者に「韓国に比べても、日本のテレビのネット系の広告は極端に少ないですね」と言われたことだ。今週ご紹介する本のキーワードをネットビジネス全体にあてはめれば、日本のネット革命のインパクトのイメージは、広く一般大衆にはまだ「リーチ」(情報の到達範囲)しておらず、伝わっている情報の「リッチネス」(情報の中身の濃さ)も低い。つまり、まだほんの一握りの人が盛り上がったり落ち込んだりしているだけの状態であって、米国で懸念されているような、社会全体としてネット産業への期待が大きすぎるという意味での「バブル」には、良くも悪くも、まだ程遠い状態と考えるしかない。
裏返せば、日本では、今後、一般の人々が想像するよりも相当大きな、ネットによる社会変革がやってくることになる。これにより、ビジネスのやり方そのものの根本的な変化、「デコンストラクション」(事業の想像的破壊と再構築)が求められることになる。


●情報のリーチとリッチネス

本書は、このようなネットの世界の変化と、そこで行われるべきデコンストラクションについて、体系的に整理した本である。
本書全体を貫くキーワードとして、前出の「リーチ」、「リッチネス」、および「アフィリエーション」(利用者の利益により密着した関係を持つこと)などを用い、その変化によって、どのような競争が展開するかが説かれている。従来は、「リーチ」と「リッチネス」はトレードオフの関係にあったが、情報技術の発達によって、その中で形成された競争優位が崩れ、新たなサービスが旧来のサービスを打ち負かす、ということになる。また、こうした情報の流れの変化により、サプライチェーンや企業組織がどう変化するかが説かれている。
ネットビジネスの世界で起こっている動きは、従来の発想で理解するのが難しいので、こうした著作できちっと概念を整理し、今起こっていることの本質を考える作業は非常に大切である。しかし、著者らも匂わせている通り、変化のスピードの速いネットの世界では、クライアントは、「体系」や「戦略」ではなく、「具現化」を求めるものなのである。
内容からはややそれるが、本書を読む、よりメタな視点をご提供すると、現在、最も「デコンストラクション」の危機にさらされているのは、実は、本書の著者らのいる既存のコンサルティング業界そのものかも知れないのである。これを示す、端的な例として、某大手コンサルティング会社の米国西海岸のオフィスがすべて閉鎖に追い込まれてしまうこととなった、という事例があげられる。事務所の人材が、すべてシリコンバレーなどのネット企業に引き抜かれてしまったのだ。優秀なコンサルタントほど、「まず戦略を考えて、それを戦術におとし、その後、実行」という従来のコンサルティングのプロセス自体が、ネット時代のスピード感にそぐわないことに気づいており、ネットベンチャーの経営陣に転身することで、自らを「デコンストラクション」している、とも見ることができる。
このままでいくと、優秀なコンサルタントがネットビジネスで起こっていることを体系的にまとめた本書のような著作を一般の人が入手することは、冗談ではなく、今後、困難になるかもしれない。そういう状況を理解すると、本書のありがたみは、非常に増すのではないだろうか。


■この本の目次

はじめに
第一章. 不吉な前例
第二章. 「情報」と「モノ」の流れが分離されると……
第三章. 情報の「リッチネス」と「リーチ」は二者択一か
第四章. デコンストラクションとは何か
第五章. ディスインターミディエーション(中間業者の排除)
第六章. リーチをめぐる競争
第七章. アフィリエーションをめぐる競争
第八章. リッチネスをめぐる競争
第九章. サプライチェーンのデコンストラクション
第十章. 組織のデコンストラクション
第十一章. 今、何をやるべきか


編著者のプロフィール

Philip Evans
ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)シニア・ヴァイスプレジデント ボストン事務所所属。T・ウースターと共にBCGメディア&コンヴァージェンス・プラクティス・グループのリーダーを務める。ケンブリッジ大学経済学部卒業、ハーバード大学経済学部ハークネス・フェロー。ハーバードビジネススクールMBA。

Thomas S. Wurster
BCGヴァイスプレジデント ロサンゼルス事務所代表。コーネル大学経済学部卒業、シカゴ大学MBA、エール大学経済学博士。

続きを読む

「バブルの歴史」チューリップ恐慌からインターネット投機へ

■「画期的なスキーム」とそれに対する投機の歴史

バブルの歴史というのは、「画期的ですごそうなもの」の歴史だ。その意味では、ベンチャーブームというのも、バブルと表裏一体である。本書によると、「一六九四年六月二十一日、イングランド銀行の名で設立されたベンチャー企業の株式募集がはじまった」ということである。英国の中央銀行であるイングランド銀行ですら、貨幣というものを発行するというビジネスモデルの「ベンチャー」としてスタートしたわけである。これは英国の名誉革命後の、東インド会社などを含む一連の「ベンチャーブーム」、金融革命の時代背景と重なっているものである。
もちろん、十八世紀の南海会社や、十九世紀の鉄道ブーム、そして現在のインターネットビジネスブームなどもそれに該当しよう。このように、欧米では、「新しいこと」を支える金融スキーム作り出され、それが新しい社会構造を作り出す動きをサポートするのに機能してきた歴史が三百年以上ある。これに対して、日本は(明治の渋沢栄一などの例はともかく)、少なくとも戦後は、「民間」から画期的な社会のインフラや金融スキームが出てきたことはなかった、といってもいいだろう。
結果として、日本では「バブル」=「悪」という観念しか存在しない。今、日本もネットバブル崩壊(個人的には、日本の場合、ネット的なビジネスモデルとあまり関係のない企業の株価が崩壊しているように見えるが)という事態を迎えて、あらためてバブルというものの本質を考えてみる必要があるのではないだろうか。


●バブルと投機の歴史

本書は、そうした「バブル」(原題では、financial speculation)の歴史を、チューリップ・バブルから現代のデリバティブやヘッジファンドなどまで、まとめた本である。(副題には、「チューリップ恐慌からインターネット投機へ」とあるが、本書には、インターネットのブームについてはほとんど書かれていない。日本経済新聞社刊「インターネットバブル」とセットで読むと、有史以来のバブルの流れがよりよく捉えられて、お勧めである。)
日本のバブル時代の事実についても、細かい事実を調べ上げてながら、それらを相当よくまとめあげていると言っていいだろう。読み物として良く練れており、読みやすい。
 また、本書では、単なる事象のみでなく、投機に対する識者、経済学者などの見解についてもエピソードが挿入されている。
例えば、有名なマンデビルの「蜂の寓話」、ケインズの「アニマル・スピリット」など、個別の行動は倫理的に見てあまり誉められたものでなくても、社会全体としてはそれがいい方向に働くのだ、という考え方。また、マネタリストによるバブルの研究でも、実は、歴史上のバブル崩壊は、伝説になっているほど甚大なマクロ的被害をもたらしたわけでもなかったという研究もある。ガルブレイスも「大恐慌時にビルから人が飛び降りた話は寓話にすぎない」と論じている。
一方で、マネタリストや効率的市場仮説論者などのバブルについての研究レポートの中には、規制を導入させない目的のために書かれたものもあることを匂わせている。そうした両方の観点からの意見がせめぎあうことが大切だろう。
新しいものを生み出すには、それに対するファイナンスが必要であり、その新しいものが画期的であるほどリスクがあるから、失敗事例が多くなるのは当然である。「バブル」に対する一方的な批判が行われる社会では、創造的破壊が行われず、古い体制が崩されないままである。今年は、日本が自らの構造を改革して、自ら「画期的なもの」を生み出せる社会になるかどうかの重要な年になると思われる。巷でも、そうした論議が盛んに行われることになると思うが、そういう場合に、バブルの歴史のうんちくを傾けるにも、本書は役に立つ本だと考える。


■この本の目次

プロローグ 遅れた者は悪魔の餌食
第1章 このバブルの世界 − 金融投機の起源
第2章 エクスチェンジ通りの株式取引 − 一六九〇年代の起業熱
第3章 忘れてはならず、許してはならない、南海の愚挙
第4章 愚か者の黄金 − 一八二○年代の新興市場
第5章 迅速な通信の手段  − 一八四五年の鉄道狂
第6章 「誤魔化され、魔法をかけられ、悪魔に取り付かれ」 − 金メッキ時代の投機
第7章 新時代の終わり − 一九二九年の大暴落とその影響
第8章 カウボーイ資本主義 − ブレトン・ウッズからマイケル・ミルトンまで
第9章 神風資本主義 − 一九八○年代日本のバブル経済
エピローグ 経済学者の暴走


著者のプロフィール

Edward Chancellor
ケンブリッジ大学、オックスフォード大学で歴史学を専攻。1990年代前半に投資銀行ラザースで勤務。現在、フリーランスのジャーナリストとしてファイナンシャル・タイムズ紙、エコノミスト誌などに寄稿。

続きを読む

「21世紀・知の挑戦」

■科学技術を核に、日本の未来戦略を考えるための一冊

先日、私の勤務先の人間がシリコンバレーに出張して、空港で入国審査官に「どちらへ?」と聞かれたので「ビジネスで〇〇社へ行く」と言うと、「その会社は、先週ナスダックに公開して株価が公募価格の〇倍になった。いい会社だね。」と言われて非常に驚いていた。米国に住む別の社員の子供が通う小学校では、実際の株式市場の相場を用いたシミュレーション・ゲームが行われている。それだけでも日本の感覚からすると驚きだが、シリコンバレーにはナスダック公開企業の役員の子息なども多いので、近々発表される新製品やM&Aの情報をこっそり親から仕入れてインサイダー取引でゲームに勝つ、という「ズル」まで行われているというからすごい。これらは、いかに資本市場が米国の国民一人一人の中に浸透しているかを示すエピソードではないだろうか。
数十ドルで好きな会社の株が買えるような発達した直接金融市場を持つ社会では、革新的な科学技術やサービスは「大儲けのチャンス」だから、一般の国民がそうした最先端の事象に強く興味を持つようになる。結果として、資金は、社会の一番の成長ポイントに潤沢に注ぎ込まれ、それにより経済が力強く成長するとともに、社会の構造改革がダイナミックに進んでいくことになる。
そうでない我が国では、個人金融資産の六割もが銀行に預金として預けられ、一般に先端技術にはあまり興味がなさそうな銀行員によってそれが運用されることになっている。結果として、最も資金を必要としている社会の成長点にあまり資金が通わないし、一般庶民も運用のリスクが自分に直接かかってこないので、科学技術の発展は、あくまで他人事、ということになってしまっている。


●科学の世紀

今週ご紹介する本は、二十世紀の特質を「科学の世紀」ととらえて、その科学の発展について振り返り、二十一世紀の(少なくとも)前半も同じ科学の世紀として発展すると展望する本である。この中では、(ツングースカ大爆発の謎なども取り上げられているが)、特に今後の技術発展の中核としてバイオ技術を取り上げ、紹介している。
紹介される個々の科学技術もさることながら、この本で最も衝撃を覚えることの一つは、日本人の科学に対する見方のデータであろう。このデータでは、日本の「理科が好きな生徒の割合」「将来、科学を使う仕事をしたいと考えている生徒の割合」「科学技術に対して関心をもっている一般市民の割合」などが、軒並み先進国中最低になっている。
一般的な日本人の日本人感は、「コミュニケーションはヘタだが、基本的な知的水準や技術力は世界の中でも極めて高い国民」というイメージではなかったか。しかし、この本のデータは、そもそも全体の知的好奇心のレベルも低く、今後ますます科学技術に興味のある学生が少なくなってくるであろうことを示しており、日本に将来は無い、という暗澹たる気持ちにさせられる。
加えて、そもそもすでに日本「人」だけで勝負できる時代ではない。米国は、すでに「アメリカ人による国」ではなく、中国系、インド系、ロシア系など、世界六十億人の中から最も優秀な人材を自国の発展のために取り込むための教育・金融、その他の諸制度を作り上げている。これに日本人の一億人だけを母集団として勝てるわけはない。日本人が世界でもとりわけ優秀な民族だ、というならまだしも、そもそもいつの間にか新しいことに興味の無い民族になってしまったのなら、なおのこと、である。
科学に対する興味を回復させるには、冒頭に述べた資本市場の発達や、教育、技術者に対する報酬体系など、すべての問題が絡んでくることが予想される。ただし、科学に対する興味を回復しない限り、明らかに日本の未来は無い。
明日の日本を復活させる戦略を考えるための一冊。


■この本の目次

はじめに
(1)20世紀 知の爆発
サイエンスが人類を変えた/バイオ研究最前線をゆく/残された世紀の謎

(2)21世紀 知の挑戦
DNA革命はここまで来た/ガンを制圧せよ/天才マウスからスーパー人間へ/21世紀若者たちへのメッセージ


■著者プロフィール

1964年東京大学仏文科卒。文藝春秋に入社した後、再び東京大学哲学科に再入学し、在学中から評論活動に入る。著書に「田中角栄研究−その金脈と人脈」「宇宙からの帰還」「脳死」「日本共産党の研究」「精神と物質(利根川進氏との共著)」「サル学の現在」他がある。

続きを読む

「ガズーバ!」奈落と絶頂のシリコンバレー創業記

■シリコンバレーのベンチャービジネスの実際を体感できる本

「今ごろ何言っとんのじゃ?」という感じではあるが、日本も政府がやっと「IT」へのマインドを持ち始め、巷にもITの文字が踊るようになってきた。しかし「ITのために何が重要なのか」ということについて正確な認識が広まっているか、となると大いに疑問である。大方の理解は「インフォメーション・テクノロジーというくらいだから、課題は技術力なのだろう」というあたりだろう。もちろん、日本に技術力の問題が無いとは言わない。しかし、技術者の方々に話を聞くと、必ず口に出るのは「日本も技術は悪くないんですよねー。」というセリフだ。
ITというのはすさまじいスピードで革新が行なわれる領域であり、また、多くの場合、強力に先行者メリットが発生する。確かに、日本にも「技術力」はあるのだが、それは大企業や大学などの研究所などの奥に鎮座する「高尚」なものであって、それを使って革新的なビジネスを作り上げるまでには、非常に時間がかかる。結果として世界の競争のスピードについていけていない。
つまり、日本のITの課題は、「技術力」自体の問題ではなく、技術力をもとにビジネスを作り上げるマネジメントや、それを支える制度などの「しくみ」の問題なのだ。換言すれば、競争とスピードを市場に呼びこむことが重要で、そのために、新しい参入者が急速に成長し、既存企業を脅かすくらいになることが必要だが、そのための「しくみ」の形成が日本では大きく立ち遅れている。技術力が何年も遅れているわけではないが(ITで技術力が二年も遅れていたら、日本は確実に滅亡だ)、「しくみ」のほうが十年単位で遅れているのである。
大組織の中で成功確率の高いことをやるのと、革新的だが大きなリスクがあることをやるのでは、明らかに後者が難しい。だから、スピードが勝負の鍵になる時代には、後者に優秀な人材が集まるしくみを持つ社会の方が栄えるに決まっている。ただ、まずは、どんな「しくみ」がいいのか、イメージが湧かないことには前に進めない。


●ノウハウの宝庫

今週ご紹介する本は、この「しくみ」のお手本となるシリコンバレー・モデルの社会の息吹を伝える本である。日本から渡米してシリコンバレーでネットビジネスを立ち上げた経験を持つ人はほとんどいないと言っていいが、著者の大橋禅太郎氏は、その数少ないうちの一人だ。この本は、彼の起業経験をつづった本だが、米国での起業について、日本語で読めるものとしては非常に貴重な情報やノウハウが満載されたものとなっている。
ベンチャーが成長していくためには、アイデアの企画、ビジネスプランの書き方から始まって、ベンチャーキャピタルとの交渉、アドミニストレーションの整備、人材採用など、様々な知識やノウハウが必要である。しかし「アメリカの会社法実務」みたいな個別のノウハウ本を何冊読んでも、全体を貫く「何か」は伝わってこない。本書を読むと、シリコンバレーでは、どのような機能の人材がいて、それらがどう企業の成長に関わり、どんな雰囲気でビジネスが行われているかの「全貌」が非常によくわかる。起業して競争に勝って行くためには、各論のノウハウが必要なのではなく、それらをどうプロにアウトソースし、いかに意思決定と実行のスピードを速くできるかが重要かということが実感できる。こうした起業をサポートするプロの層の厚さが、日本にも是非欲しいのだが・・。
本書は、くだけた文章で書かれており、非常に読みやすいが、中に書かれている用語や概念は非常に重要で、しかも日本ではあまり取り上げられないものばかりだ。これを読んで、用語の意味を理解し、シリコンバレーのベンチャーを体感できれば、日本では、相当、ベンチャー詳しい部類になれること間違いない一冊。


■この本の目次

まえがき「シリコンバレーのビジネスは石油を彫り上げるがごとく」
第一章 [起業]インターネットとの出会い
第二章 [企画]ムチャな夢を立ててみる
第三章 [創業]できるヤツは会社を起こす
第四章 [調達]投資家から資金を引き出せ!
第五章 [始動]ガズーバ誕生
第六章 [組織]ドット・コム企業を取り巻く人々
第七章 [経営]こうして会社は動く
第八章 [第二ラウンド]モデルチェンジ
第九章 [法則]シリコンバレー・ベンチャービジネス
あとがき


著者のプロフィール

大橋禅太郎
外資系銀行、シュルンベルジェ社での石油探査を経て、外国企業向け日本の技術情報提供会社設立の後、渡米。半導体ブローカーで勤務した後、米Netyear Group, Inc.入社。MileNet社(現Gazooba!社)を設立し、CEOに就任。現在、同社CTO・共同創業者・取締役。

続きを読む

「脳の時計、ゲノムの時計」

■生命科学と社会の間をつなぐ「英知」の書

二十一世紀を迎えた今年の正月、ふと「うちの五歳と二歳の子供は、おそらく二十二世紀(!)を見ることになるんだろうなあ」というようなことを考えた。生命技術が二十世紀末に飛躍的に発展したため、彼らは人類の本来持っている寿命まで(またはそれ以上に)長生きする可能性が高い。
遺伝子操作など最先端の生命技術が産業として確立されるのには、もう少し時間がかかるだろうが、そうなる前から、生命科学は社会に対して「哲学的」な影響を非常に強くあたえるだろう。生命科学で、生命の仕組み、意識や思考の仕組みが解き明かされるにつれて、「人間とは何か」「機械と人間の境界はどこにあるか」「死とは何か」といった、人間や人生を深く見つめるきっかけが生まれていくと考えられる。


●「技術」より「人生の質」を

本書の邦題は「脳の時計、ゲノムの時計」、表紙の帯についているキャッチコピーは「ヒトは〇・五秒前の過去に生きている!」である。このため、本書は、一見、生物学的な時間処理を中心とした科学知識が中心の本に見える。しかし、実は本書は、近視眼的な技術志向になりがちな科学者や世間の傾向を憂慮する本であり、技術より優先されるべき「英知」があるべきだ、ということが本書の基本メッセージになっている。
また、最近、「遺伝子の操作はどこまで許されるか」「クローン人間を認めるべきか」といった生命科学に関わる倫理的な問題がマスコミでも特集されている。本書は、そうした、ややジャーナリスティックで一般受けしそうな倫理の問題というよりは、医学と社会のバランスを考える上で重要な、よりマクロな論点を取り上げている。
本書の第一章から第三章までは、感覚・意識・記憶・無意識等について、現在までの生命科学の研究で得られた様々な知識を披露しながらの説明が行われている。「科学」や「科学者」自体も、こうした情報処理の影響を受けて行われている、という主旨である。
第四章では、ウイルスや原虫などの微生物との戦いの歴史と、最新の免疫学の観点からのしくみを紹介している。遺伝子数が少ない微生物は、頻繁に変異しながら免疫機構をかいくぐる。科学者や企業は、単発で効果の高い新薬開発に精力を注ぎがちであるが、著者は、そうした戦略は間違いであることを力説している。
第五章では、ガンとの戦い方について書かれている。ガンも、高度な最新生命技術でないと解決できないものより、喫煙の抑制や運動・食事など、低コストに回避できる範囲の方がはるかに大きいことを述べている。
第六章では、死について説いている。著者は、死を、克服すべきものではなく「意味あるもの」としてとらえ、医学は不死を目指して無駄な努力をするのではなく、ゲノムによって割り当てられている寿命を、高いクオリティでまっとうすることを目的とすべきである、としている。
著者は、先端科学の興味の対象とはなりにくい地味な運用などで非常に効果が高い方法が考えられ、また、そういう方法のほうが、人々を幸福に導けると考えている。しかし、今後の社会は、それとは逆に、革新的な研究へ傾注し、社会全体で考えて合理的な方向よりは、「不死」の追求など、個々人が望む著者の理想とは異なった方向に進む可能性が高いように思われる。なぜなら、われわれの社会もDNAの自然淘汰のしくみと同様、「計画性のない」自由主義が勝ち残っており、それは、自然淘汰の方向と同様、実際、非常に「強い」しくみであるからである。
生命技術は情報通信技術などに比べても相当ややこしく、その社会との関係は理解されにくい。経済学の「市場の失敗」的な状況に陥らないためにも、本書を読んで生命科学の発達した社会のあり方を考えてみられてはいかがだろうか。


■この本の目次


第1章 感覚 − 発生時計と脳の時計
第2章 意識 − 「いま」とはいったい、いつなのか
第3章 記憶と無意識 − ヒトを科学に駆り立てるもの
第4章 侵略の恐怖 − 微生物との戦い
第5章 暴動の恐怖 − がんとの戦い
第6章 死の恐怖 − 生の有限性を見つめる
結論
付録 人道的な医療科学のための覚書


■著者・訳者のプロフィール

Robart Pollack
分子生物学者。コロンビア大学生物科学部・元学部長。DNAの二重らせん構造の発見者ジェイムス・ワトソンのもと、がんウイルスを研究。著書に「DNAとの対話」など。

中村桂子
国立予防衛生研究所、三菱化成生命科学研究所を経て、同研究所名誉研究員、早稲田大学人間科学研究科教授。JT生命誌研究館副館長。著書に「あなたのなかのDNA」「自己創出する生命」、訳書に「DNAとの対話」など。

続きを読む

「銃・病原菌・鉄」一万三〇〇〇年にわたる人類史の謎(上巻)(下巻)

■一万三〇〇〇年の壮大なスケールで描く、「不均衡」な人類の歴史の書

先日、ビジネスで上海にでかけて、そのエネルギーに驚かされた。二十一世紀的デザインの新空港から市内に至る高速道路には「ドット・コム」の看板が立ち並び、新市街には世界トップクラスの高さの摩天楼がそびえ立つ。表通りにスターバックスコーヒーが店を構える一方で、裏通りは、日本で言えば昭和三○年代以前のような粗末な家が軒を連ねている。人口は東京都以上。これだけの数の一般庶民が、今後、先進国並の生活を望んでいけば、その需要の爆発はものすごいものになること必至、という感じだ。
それに対して日本はといえば、不良債権問題を筆頭とする構造的な問題を打破する糸口が全く見えてこない。こういう時に上海の隆盛を見ると、逆に気分が滅入って、「日本は第二次大戦後、東西冷戦という構造下でたまたま漁夫の利的に発展しただけの国なんじゃないの?」という気にもなる。いかんいかん。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ、ともいう。そんなときは、目線を変えて、壮大な歴史的スケールとグローバルな視点で物事を考えてみるのもどうだろうか、ということで、本書を手にとってみた。


●根源的な問いかけの連続

本書は、一万三〇〇〇年前からの人類史の大きな流れを俯瞰した本で、一九九八年のピューリッツァー賞一般ノンフィクション部門を受賞している。その記述が膨大な量の歴史的知識に裏打ちされているので、著者は、当然、考古学者か歴史学者かと思いきや、UCLAの生物学・進化生物学・生物地理学の教授である。
本書では、人類史上の「不均衡」がなぜ生じたかを問題にしている。「なぜヨーロッパがアフリカやアメリカに攻めこんだのか」というのは普通に思い付く疑問であるが、本書は、一歩進んで「なぜ、アフリカやアメリカの先住民がヨーロッパに攻め込むことがなかったか」という問いを発するのである。確かに、単純に「先行者利得」が存在するなら、今ごろ人類誕生の地アフリカが全世界を牛耳っていてもよさそうなものだが、実際にはそうなっていない。
また、「農業による生産力、人口密度、余剰生産力が、文字をあやつる専門の文官、武器を扱う職人や兵士を養う余剰力を生んだ」ということまでは、ちょっと教養のある人なら比較的容易にたどりつく答えである。では、その農業生産力にはなぜ差がついたのか?著者の疑問は、子供の無垢な問いかけのように、どんどん根源にさかのぼってゆくが、それらの問いにちゃんと答えが用意されるところに、カタルシスがある。本書で、それらの問いの行き付く結論は、「ユーラシア大陸が東西に長かったから」という一見突飛なものなのであるが、数々の論拠をもとに繰り出される説明には非常に説得力がある。
通常の歴史書と違って、「病原菌」をクローズアップしているところも本書の特徴である。生物学者だけあって、遺伝や免疫などの競争メカニズムとマクロな人間レベルでの競争メカニズムの対比もキマっている。
現在の世界は、地理的な国境を超えて行きかう資本と情報の流れによって、今までの歴史の流れと大きく変わろうとしている。現在という時は、将来から振り返って見ても、人類史上の非常に大きな転換点になることは間違いない。本書の論旨は、その時代を制する要因は、人間の能力ではなく、その時代時代の適切な「地域」にいるかどうか、ということだが、では、現在、勝者となるための「地域」はどこなのか。本書には、日本が、ただ鉄砲で攻めこまれのではなく、それを改良して、世界最高の質と量を持つ武器大国に成長する事例が描かれているが、日本は今だにそうした特殊な「地域」なのか、国境が意味をなさない時代には滅ぶ国なのか。当然、その直接の答えがこの本に書いてあるわけではないが、本書で用いられる推論の構造は、おおいに参考になるだろう。


■この本の目次

プロローグ ニューギニア人ヤリの問いかけるもの

第1部 勝者と敗者をめぐる謎
第1章 一万三〇〇〇年前のスタートライン
第2章 平和の民と戦う民との分かれ道
第3章 スペイン人とインカ帝国の激突

第2部 食料生産にまつわる謎
第4章 食料生産と征服戦争
第5章 持てるものと持たざるものの歴史
第6章 農耕を始めた人と始めなかった人
第7章 毒のないアーモンドの作り方
第8章 リンゴのせいか、インディアンのせいか
第9章 なぜシマウマは家畜にならなかったのか
第10章 大地の広がる方向と住民の運命

第3部 銃・病原菌・鉄の謎
第11章 家畜がくれた死の贈り物
第12章 文字を作った人と借りた人
第13章 発明は必要の母である
第14章 平等な社会から集権的な社会へ

第4部 世界に横たわる謎
第15章 オーストラリアとニューギニアのミステリー
第16章 中国はいかにして中国になったのか
第17章 太平洋に広がっていった人びと
第18章 旧世界と新世界の遭遇
第19章 アフリカはいかにして黒人の世界になったか

エピローグ 科学としての人類史


■著者・訳者のプロフィール

Jared Diamond
カリフォルニア大学ロサンゼルス校医学部教授。生物学から進化生物学、生物地理学までその研究対象は広い。ニューギニアでの鳥類生態学の研究でも知られる。著書に「人間はどこまでチンパンジーか?」(長谷川真理子・長谷川寿一訳、新曜社)や「セックスはなぜ楽しいか」(長谷川寿一訳、草思社)など。

倉骨 彰
数理言語学博士。自動翻訳システムのR&Dを専門とする。テキサス大学オースチン校大学院言語学研究博士課程終了。現在、(株)オープンテクノロジーズ社勤務。主要訳書に「インターネットはからっぽの洞窟」(草思社)、「ハイテク過食症」(早川書房)など。

続きを読む