Blogによるコミュニケーションの変化(仮説)

日経デジタルコアのメーリングリストで、未来編集の校條さんが「ブログ・ディスカッション」という考え方を提起されてました。
ブログがディスカッション・ツールに使えるか?といえば、もちろん、可能だとは思いますが、本日は「マクロ」でblogによってコミュニケーションがどう変化してきているのかということについての仮説を構築してみたいと思います。
「blog的なサイト」が増加する中で、「エージェント」として見たYahooやGoogleのサーチエンジン戦略がどう変化していくのか、を考えて見るのも非常におもしろいです。
(追記:ご参考、梅田望夫さん「Yahooインタビュー解説(2) サーチエンジンの根幹」など。)
ということで、試しに、以下のような図を書いてみました。
image002.gif
「じっくり型」メディア
メーリングリストは、直感的感情的にreplyしたりすることもあり、またそれが議論を盛り上げたりもしますが、blogは基本的には「じっくり」書いて「じっくり」読むメディアと言えるかと思います。
書き手が比較的落ち着いて書いて論旨もまとまっているので、読み手は「ふーん」で終わってしまい、弁証法的に言って議論が発展しない。木村剛氏のblogでいうところの「ツッコマビリティ」を書き手がある程度意図的に用意しておかないと「ディスカッション」にまで発展しないことが多いかと思います。
「図」や「写真」など、「リッチ」なコンテンツが用意できるところもblogの特徴。文字だけで言われると「うそつけー!」とカチンと来ることが、写真を見せられると、百聞は一見にしかずで「ふーん」と納得してしまったり、とか。
シリコンバレーの企業でblogを導入したところ、メールでのディスカッションが激減した、という話がありますが、blogの影響をマクロで見た場合、「あえてディスカッションしなくても、相手が今何をやって今何を考えているかがわかってしまう」、という効果があるかと思います。
最近の「若者」も、コミュニケーションがblogとIM(Windows Messenger)、つまり、上の図でいくと「右上」と「左下」の組み合わせで済んでしまって、「真ん中」のメールをあんまり使わない傾向が感じられます。Messengerならすぐ返事してくれるのに、メールを出しても返事が全く返ってこないことが多くなってきました。
世のオジサマ方は最近やっとメールを使いだした人も多いのに、20 代の方などには、メールでコミュニケーションすること自体、すでに「オヤジくさい」と思われてきはじめている気もします・・。
「エージェント」が重要
blogはそれ単体ごとでは単なるバラバラで更新頻度もまちまちのホームページの膨大な寄せ集めに過ぎないので、それらを利用者なりの視点で「切り取る」ツール無しでは意味が半減します。昨日のエントリーでは、gree、mixiといったSNや、「はてなアンテナ」などが、こうした増殖するblogの集合体から情報を抽出するエージェント・ツールとなっているのではないか、ということを書かせていただきました。
実際、そうした「ツール」のトラフィックは急増しています。(下図)
Orkut_Gree_Mixi_Cocolog.jpg
出典:Alexa(再掲)
また、試しに2ch.netと日本経済新聞のサイトをAlexaでグラフ化してみると、確かに相対的なトラフィックは減少トレンドであることがわかります。
2ch_Nikkei.jpg
つまり、最初の図における「右上」のblog(的なサイト)にアイボール・トラフィック(死語?)が集中しつつあり、「右下」と「左上」のメディアへのトラフィックは「相対的に」減少しているという仮説が成り立つのではないかと思います。(当然、ネットのトラフィック自体が急増しているので、絶対的なトラフィックは増えていると思いますが。)
前述の「ツール」は、まだRSSとかXMLのポテンシャルをフルに引き出したものとも言えませんので、これからますますそうしたエージェント機能は発展して、「現存のポータルの機能」(directoryや単純なsearch engine)を置き換えるものになっていくのではないかと思ってます。
(ではまた。)

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Orkut、だめじゃん・・

みなさん、orkut 使ってますか?私、全然使わなくなっちゃったんですが。gmailなんかとうまく組み合わせると、また急速におもしろいことになったりするかも知れませんが、gmailもせっかくアカウントをgetしたものの全く使ってません・・・。
それに引きかえ、greemixi は、毎日、「新着お知らせメール」やら「コミュニティ・ニュース」やら送ってきて、愛いやつよのう。
Alexaでトラフィックのグラフを作ってみると、私の感触もあながちはずれではないようで。
image001.gif
出典:Alexa
Orkutのスタートダッシュはものすごいものがありましたが、greeやmixiも後から追い上げてます。しかも(恐らく)ほぼ日本だけでこれだけのトラフィックを集めているわけだからすごい。
さらに、cocologのグラフと重ね合わせてみると、greeやmixiはcocologを上回るスピードで伸びていることがわかります。greeやmixiのトラフィックの伸びも、blogとの相乗効果によってもたらされていると考えられるわけですが、「ビジネス」として見た場合、blogサービス自体を立ち上げるより、greeやmixiのようなsocial networking的なサイトで一発当てたほうが「おいしい」かも知れないことをうかがわせます。
Alexaでcocologのトラフィックの内訳を見てみると、上位はほとんど「タレント」の方々で、コストもかかっていそう(下記添付資料参照)ですが、greeやmixiはコンテンツやユーザー獲得にお金を払ってない(と思います)ので、ということもあります。
ちなみに、「タレント」が5人並んでいる次くらいにSW(渡辺聡)さんが入ってます。すごいですねー。「情報化社会の航海図」からのトラフィックが多いということかも知れませんし、もう「タレント」の領域に入られたってことかも知れないですね。:-)
「自己組織化するポータル」として見たSN
orkutと、greeやmixiの最大の違いの一つが、「blogとの組み合わせ」とでしょう。
いくらblogが流行りとはいえ、まったく知らない人のblogをランダムに読む気にはなりません。そこで、いいblogや知り合いのblogを「人力」で登録し自動で集めるのが「はてなアンテナ」だとすると、greeやmixiは、知り合い関係を登録することにより、自動的に知り合いのblog等のアンテナになってくれる、というところでしょうか。
「Social Networking」というと「お友達関係の定義」のほうに目が行っちゃいますが、「第一次」SNが狭義の「知り合い」のネットワークのデータベース化だとすると(従来のゆびとま、socioware、orkut等)、
「第二次」SNは、blog等との組み合わせにより、狭義の知り合いの現況等がupdateできる「アンテナ」になっている(gree、mixi等)、
と言えるかも知れません。
「自己組織化するポータル」という観点からSNを見ると、今後の展開の方向性の一つとしては、「広義の」知り合い、すなわち、「知り合いになりたい人」「一方向的に知ってる人」「知ってる法人」などを含む、より広い範囲の「関係」の「アンテナ」機能と統合されていく、という方向があるかも知れません。(下図)
image003.gif
単に、greeやmixiと、はてなアンテナを両方使えばいいだけのことかも知れません・・・し、今までのネットの歴史の流れと同じように、やはり機能はどんどん統合されていくという道を歩むのかも知れません。
(では)
資料:
Where do people go on cocolog-nifty.com? (2004年5月27日現在)
http://www.alexa.com/data/…url=www.cocolog-nifty.com
cocolog-nifty.com ~ 20%
kimuratakeshi.cocolog-nifty.com ~ 4%
help.cocolog-nifty.com ~ 2%
furukawa.cocolog-nifty.com ~ 2%
yoshiirei.cocolog-nifty.com ~ 2%
muroi-yuzuki.cocolog-nifty.com ~ 1%
dabadie.cocolog-nifty.com ~ 1%
1stmarketing.cocolog-nifty.com ~ 1%
sports.cocolog-nifty.com ~ 1%
sw.cocolog-nifty.com ~ 1%
takobouzu.cocolog-nifty.com ~ 1%
kito.cocolog-nifty.com ~ 1%
zhongcun451.cocolog-nifty.com ~ 1%
osamu-tamura.cocolog-nifty.com ~ 1%
music.cocolog-nifty.com ~ 1%
wada.cocolog-nifty.com ~ 1%
finalvent.cocolog-nifty.com ~ 1%
tools.cocolog-nifty.com ~ 1%
hoxton.cocolog-nifty.com ~ 1%
app.cocolog-nifty.com ~ 1%
trackbackyaro.cocolog-nifty.com ~ 1%
andymind.cocolog-nifty.com ~ 1%
Other websites ~ 53%

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UFJ銀行の繰延税金資産と政府のノリツッコミ

昨日の日経金融新聞1面に、

繰り延べ税金資産、「5年分計上」疑問残す——本来は優良企業向け(UFJショック)
 UFJホールディングスが二〇〇四年三月期決算で、従来通り「五年分」の繰り延べ税金資産を計上したことに、一部の会計士や経理関係者からは疑問の声があがっている。日本公認会計士協会が定めた繰り延べ税金資産に関するルールを厳しく適用せず甘い判断をしたとの評価だ。政策的な配慮で特例を認めたのならば、わが国の企業会計・監査に対する不信感を高めかねない。

という記事があったので、「繰延税金資産の回収可能性の判断に関する監査上の取扱い(監査委員会報告第66号)」などから見たUFJの繰延税金資産についてでも書こうかと思って、UFJ銀行のバランスシートの図を描いてみたのですが、(下図、単位:兆円)
image002.gif
出典:http://www.ufj.co.jp/ir/lib/kessan/index.htmlより筆者作成。
(注:この「貸付金」は2兆円(も)計上されている貸倒引当金を引いた『長さ』で表示してあります。)
この図を「じーっ」と見ているうちに、繰延税金資産なんてどうでもいいような気がしてきまして。(してきませんか?)
UFJ銀行の(いわゆる普通に会計で言うところの)自己資本は1.3兆円(右側の赤)。
これに対して、繰延税金資産は1.2兆円(左側の赤)。全資産の中では、非常にビビたる部分のお話をしていることがお分かりいただけるかと思います。
自己資本と繰延税金資産を対比させる意味
よく、「自己資本のほとんどが繰延税金資産で占められている(ので健全でない)」というような言い方がなされます。確かに普通の自己資本比率が20%くらいの企業で自己資本の大半が繰延税金資産だったら健全でないのは明らかです。(下図)
image004.gif
しかし、最初の図で、自己資本とか繰延税金資産とか、”1mm”程度の「誤差」のような薄ぺったいのを見てると、「なぜ、自己資本を繰延税金資産と対比させないといけないのかしらん?」という気もしてきます。つまり、この銀行の自己資本比率は、まずは1にも2にも「(紫色の部分の)『貸付金』が本当にそれだけの価値があるのか」にかかってます。そこが「1mm」ずれたら、話が全く変わってくるわけです。
金融庁VS国税庁
もう一つ、銀行の場合の繰延税金資産の回収可能性を考える上で普通の企業と違う点、ですが。
銀行の場合、繰延税金資産のほとんどは、いわゆる「有税」で消却した貸付金等にかかわるものです。つまり、会計上は「貸付金のこの部分はもう返って来るあてが無い」と見込んで貸倒引当金を設定したり償却してるわけですが、その貸倒や貸倒引当金が税務上の要件を満たさないため、税務上は損金にならず、その分多く税金を払っているために繰延税金資産が計上されているものです。
これは、(乱暴に言えば)、金融庁は「その貸付金はどーせもう戻ってこないんだから削れ!」と言っているにも関わらず、国税庁は「その貸付金はまだ戻ってくるかもしれないので、その分の税金は払えよ。」と言ってるわけです。これってある意味矛盾してますよね。金融庁も国税庁も同じ「政府」なわけで。
金融庁が正しいなら税務上も損金で落とさせてあげれば、「繰延税金資産」なんて怪しげな資産じゃなくて現金等のちゃんとした資産がその分残るわけで、「5年は長い」だの「自己資本に占める割合が」だの何だの言われなくても済みます。
つまりこれって、政府が、
「この貸付金、まだ返って来るかも知れへんで・・・って、そんなわけないやろー!」
って一人でノリツッコミしてるようなもんで。
(以上)
注:(念のため申し上げておきますと、)「銀行の自己資本比率が8%を超えるの超えないの」という話は、普通に会計でいうところの自己資本比率ではなく、分子の自己資本にも劣後債とかを足し、分母の総資産は預金や国債などのリスクの低い資産については少なくカウントしたものになってます。はじめの図で、単純な会計上の自己資本比率は1.78%程度しかありません。
参考:他のメガバンクの財務数値(単位:兆円、%)
東京三菱銀行
http://www.mtfg.co.jp/finance/summary_report_jp/pdf/mtfg2004_btm.pdf
資本の部3.3、総資産87.7、(会計上の)自己資本比率3.8%
三井住友銀行
http://www.smfg.co.jp/financial/digest/smbc/index.html
資本の部3.1、総資産102.2、(会計上の)自己資本比率3.0%
みずほ銀行
http://www.mizuho-fg.co.jp/pdf/tanshin/mhfg/data0403t/data0403_5.pdf
資本の部1.5、総資産127.8、(会計上の)自己資本比率1.2%

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決算公告と宇宙の寿命

本日の日経18面の決算公告の下に、AMANOのタイムスタンプサービスの広告「決算書の電子情報公開−電子文書にはタイムスタンプを」が載っていたので。
時刻認証とは
電子データの時刻認証とは、「その時刻に確かにその電子データが存在していたこと(電子データの存在証明)」および「その時刻以降にその電子データが不正に改ざんされていないこと(電子データの完全性)」を信頼できる第三者が認証することです。
ご案内のとおり、デジタル文書というのは紙の文書のように改ざん跡が残らないので、そのままおいとくといくらでも書き換えができます。
通常、作成者が他の人に文書を改ざんをされたくない場合には、自分の秘密鍵(電子印鑑)によって電子署名を行うわけです。(公開鍵暗号技術の鍵ペアのうち、公開鍵でないほうの秘密鍵です。)
AdobeのAcrobatや、PGPなどで電子署名をされてる方もいらっしゃるのではないかと思います。
ところが、ただ電子署名しても、作成者は「ハンコ」を持ってますので、実は作成者自身はいくらでも文書を改ざんできるわけです。そこで時刻認証により、第三者の電子署名によって実質的に改ざんできないようにするとともに、その時刻にその文書が存在した証明をするということが必要になります。
決算の公告
会社は決算公告をする必要があります(商法283条�)。従来は官報や日刊紙など「紙」に公告しなければならなかったのが、平成14年4月施行の改正商法で、資本金5億円以上の大会社は、公告に代えてホームページ等に決算を5年間開示することでもよくなりました。(株式会社の監査等に関する商法の特例に関する法律第16条�)この場合、URL等を登記する必要があります。
当然、広告収入が減る新聞としては反対だったようで。
http://www.pressnet.or.jp/info/seimei/iken20010822.htm

商法の一部改正に関する日本新聞協会広告委員会の見解(2001年8月22日)
日本新聞協会広告委員会(委員長=岩田安弘・読売新聞社取締役広告局長)は、(中略)以下の理由でインターネットを公示媒体に加えることに反対する。
1.インターネットは現段階では、法定公告を掲載する媒体としてはデジタルデバイド(情報格差)やセキュリティーなどの問題から不適格と考える。(以下略)
2.要綱案は官報、日刊新聞に加え会社が自らのホームページで計算書類を開示することを公告として認めている。そもそも、官報、日刊新聞が公告媒体として認められてきたのは計算書類等の会社情報が第3者である媒体に掲載されて初めて客観性、信頼性が担保されるところにある。自社ホームページへの掲載はこの「第3者性」の要件を満たすものではなく、また、閲覧者にホームページのアドレスを調べアクセスする努力を強いるものであり、計算書類に容易にたどりつくことが困難である。
3.(中略)ホームページの開示を加えたところで、中小企業がこれにより公開を進めることは考えられない。

3年前の見解ですが、「1」のデジタルデバイドは今やあんまり説得力がないですね・・。
「3」もあまり説得力ありませんが、確かに、(パラドックス的に聞こえますが)「官報なら開示しても誰も見ないだろう」(笑)とは思われますが、ホームページなら非常に気楽に見られるので、中小企業はホームページの開示のほうをいやがるかも知れませんね。(そもそも一応法律で開示しないといけないことになってるんですけどね。)
上記「2」のとおり、自分のホームページに自分で掲載するので、後で自分の都合のいいように適当に財務諸表を書き換えても利用者からはわからないです。(ホームページ全般にいえることですが。)
大会社については商法上監査が義務付けられているので、監査した会計士が見れば「あれ?変わってるぞ」というのはわかるわけですが。
この際に、この財務諸表が時刻認証してあれば、ちゃんと法定の日までに開示されて、その後書き換えられてないということの証明にはなります。
ただし、法的に強制されてないものですからみんなが見ないとあまり意味がありません。また、どれだけの人がそれに価値を見出すか、というのはちょっとわかりません。
さらに、2通り決算書を用意しておいて両方タイムスタンプを押しておいて差し替えたかどうかはわかりません。法に定められた日からちゃんと継続して開示されているかどうかもタイムスタンプだけではわかりません。
「ちゃんとやってます」ということを示したい会社にとっては何もしないよりは一歩前進かも知れませんが、新聞と同じ第三者性があるかどうかというとそこまで行ってない部分もあるということかと思います。
誘拐犯が、人質が生きていることの証明として当日の新聞を持たせて写真を取ったりしますが、やはり、新聞のタイムスタンプ性、第三者性というのはまだ強力ですね。(「ページビュー」も大きい。)
時刻認証の仕組み
AMANOのホームページを見ると、利用者は図のようにAcrobat文書の「ハッシュ」を取ってAMANOに送り、AMANOはそれに電子署名をして利用者に送り返し、利用者はその電子署名されたハッシュ文字列をAcrobat文書に埋め込んで使う、というしくみのようです。
eTiming_zu.jpg
出典: http://www.e-timing.ne.jp/tsa/c8.html
利用者としては、文書自体を差し出すとAMANOに中身が見られちゃうのがイヤかと思いますが、証明を受けるのはハッシュだけなので、その心配はありません。
ハッシュ関数というのは、ある文字列を一定の長さ(例えば160bit)に要約するもの。
「ハッシュドビーフ」のハッシュ(hash)です。
この際、元の文章からは必ず1つの値の160bitの文字列が生成されるが、その160bitの文字列からは絶対元の文書が推測できないことが重要です。(一方向性。推測できると、あるハッシュに電子証明をもらって、元の文章を改ざんすることができてしまいますので。)
当然、45KBの文書も2MBの文書も、川端康成の「雪国」もソニーの財務諸表もすべて160bitに圧縮されるわけですから、一つのハッシュ値には無限の数の文書や文字列が対応しているはずです。当然、「たまたま2つの文書のハッシュが同じ値になっちゃったらどうするの?」という疑問がわくわけですが。
ところが、160bitの文字列だと、2の160乗=1.46×10の48乗の組み合わせがあります。これはだいたい、1兆の1兆倍の1兆倍の1兆倍のオーダーになります。仮に一秒間に1兆種類の文字列の組み合わせを検討できるとしても総当たりで1兆倍の1兆倍の1兆倍秒かかるわけですから、4.6×10の28条=1兆の1兆のさらに4万倍の年数がかかり、とても宇宙の寿命内には計算が終わらないことになります。
(たった160bit(漢字10文字分くらいの情報量)の文字列の中に、こんな宇宙スケールの組み合わせがあるわけです。)
ですから、元の文章が非常にメチャクチャにシャッフルされて160bitに落とし込まれる(hash)ようにしておけば、「絶対」(といっていいくらい)、2つの文書のハッシュ値が重複することはありえず、元の文書も推定できず、改ざんも不可能になる、ということになります。
原子時計
AMANOは原子時計を保有してるそうです。この時計や(おそらく虹彩とか指紋とかパスワードとかでガチガチにアクセスコントロールされた)認証局への投資や運用が、ちょっと普通の会社では難しそうです。
自社の原子時計と、独立行政法人情報通信研究機構が生成している協定世界時UTC(CRL)との間の時刻差も検証しています。
http://www.e-timing.ne.jp/self-dec20031007/c_c5.html
ちょっとだけ(10ナノ秒ほど)いつも「進んでいる」んですね。差の標準偏差も5ナノ秒以内のようです。
本日は、商法や会計と「ナノ秒」や「宇宙の寿命を越える時間」のオーダーのお話が出会うという、ロマン(?)のあるお話でござんした。
(ではまた。)

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本日は企業再編日和なり

いやあ、紙面がにぎやかで楽しいですねえ。本日の日経朝刊から。

米カーライル、DDIポケット買収

京セラとカーライルが組んで、DDIポケットを買収、アジアで端末の拡販を狙う、ということだそうです。買収額2200億円。
Opera搭載もかかっこいいのはいいんですけど、KDDIはこの会社をどう「落としどころ」に持っていくんだろうかと思ってたんですが、そう来たわけですね。
DDI_nikkei0068.JPG
出典:日本経済新聞

日本テレコム買収3000億円、ソフトバンク

昨日のソフトバンクの時価総額が約1.4兆円。自分の価値の約2割のお買い物。

カネボウ再建99%減資
再生機構はカネボウの既存株主による経営監視が不十分だったと判断。100%近い減資を実行するのに加え、同機構は時価を下回る価格でカネボウが発行する株式を取得する。

前期の連結純資産が約5億円で現在の時価総額が662億円。
実質は債務超過なんでしょうから、「1%残しておいてやるから感謝しな。」ということですね。
昔、カネボウのSI部門(当時)に仕事をお願いしたことがあり。提案もなかなかすばらしく、みなさん優秀な方々だったのでシステム構築をお願いしたのはいいのですが、とにかく会社の事務手続きが「きちんと」してらっしゃいまして。何かお願いするたびに、「この書類に必要事項を記入して代表印を押してください。」というノリで。
「IT系なんだからもっとチャチャっといかないもんですかね?」と聞くと、現場担当者の方は恐縮して、「いや〜すみません。古い体質の会社なもんで・・・お客さん一社と取引を開始するにも、うちの事業部門じゃなくて、(繊維や化粧品等も含めた全社の)社長決裁が必要なんです・・・」というノリで。
・・・第三者がリストラすると、すごーく業績が上がる気がします・・・。

三菱自、筆頭株主になるフェニックス代表に聞く−有利発行「100円でも高い」
現在の株価(26日終値220円)よりも低い約百円で第三者割当増資を引き受ける「有利発行」となった。
「百円でも高すぎる。三月末の一株あたり連結純資産は二十円で今期決算も大幅な赤字予想。総額四千五百億円の資本増強策がなかったら債務超過になっていたはず。上場廃止の危機にあった企業に最大一千億円を投じることが有利だろうか。」

ごもっとも、です。
この安藤康志代表。イラク人質事件の今井さん、カンヌで史上最年少最優秀男優賞を取った柳楽君とならぶ、最近の三大「目力」男に認定させていただきたいと思います。
Ando_nikkei0069s.JPG
出典:日本経済新聞

揺れるニッポン放送−筆頭株主「村上ファンド」と対立
ニッポン放送は、株式時価総額が民放最大手のフジテレビジョン(二十六日時点で六千四百二十二億円)に比べ千八百四億円と小さいにもかかわらず、フジテレビの大株主となっている。(中略)
村上代表はフジテレビがニッポン放送を子会社化したり、共同持株会社の参加に両社が入ったりするなどの手法で資本構造を見直すことを主張している。これにより、村上氏側の所有する株の価値が高まると見ているからだ。
しかし、フジテレビ側から見れば、利益規模が小さなニッポン放送と高いコストをかけて経営一体化する意味は薄い。

ちょっと、いつもの村上氏の行動よりは、主張が「わかりにくい」ですね。

ニッポン放送側は、みずほ信託銀行の衛藤博啓社長、久保利英明弁護士、ジャーナリストの野中ともよ氏の三人を、社外取締役候補として株主総会に提案すると発表した。

この三人も、なんかスゴい組み合わせかと。(笑)

UFJ赤字決算の真相(中)−追い詰められ信託売却
「離れられて良かった」

(コメント、遠慮させていただきます。)
ではまた。

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保証人と「車の値段」

昨日のグラミン銀行のビジネスモデルのキモは、「返済計画をグループで話し合うことによって、コミュニティという第三者の『知恵』を融資のリスクヘッジに使うということ」ではないかというお話をいたしましたが、これに対して、保証(保証人)というのは、第三者の「財力」を融資のリスクヘッジに使うというものということになります。
昨日の日経朝刊4面の記事:

無限の返済責任、個人は負わず、「包括根保証」無効に——法制審部会が試案作成。
 法相の諮問機関である法制審議会の保証制度部会は二十四日、融資に関する個人保証人に金額の限度なく無期限の返済責任を負わせる「包括根保証」を無効とする試案をまとめた。(中略)
 試案では根保証契約について限度額を定めないものは無効と規定。保証期間は原則として五年以内、合意がない場合は三年とする。ただし、保証人が代表権のある経営者の場合は、三年が経過した時点で債務確定の請求だけができる、とする案も盛り込んだ。

よくそんな保証しますなあ、という感じですが。する人がいるわけですね。(しかも多数。)
「他人の保証人にだけはなるな」というのが家訓とかおじいちゃんの遺言、という人も多いんじゃないかと思うんですが。
また、そもそもオーナー社長が融資の個人保証をするというのでは、有限責任制度のマクロ政策的意味がないですよね。個人保証しない場合のモラルハザードの発生をどうするかという問題はさておき、基本的には株式会社や有限会社で事業を行うのに社長や親族が保証をしても世の中うまく回ったのは高度成長時代までのお話ではないかと思います。
90年代前半、日本の中小企業への資金供給の調査をする機会があって、日本の「ベンチャー」はいったいどうやって創業時の資金を獲得しているのだろうか、という大きな疑問にぶちあたりました。銀行は無担保では金を貸さないし、つなぎ資金以外で商工ローンの金利をまかなえるほどの収益力のある事業もなかなかないだろう。当時もエンジェル的な人はいないわけではなかったですが株で投資してくれるというよりは高い金利を期待した融資的な資金供給が多かったのではないかと思いますし、ベンチャーキャピタルというのも「公開直前の会社の株を取得して公開益を取る」という存在で、スタートアップしたばかりのベンチャーに対するエクイティファイナンスなんて想像もできない時代でした。
その流れで、商工ローン各社のトップにインタビューする機会がありました。商工ローンに対する社会的批判が高まる直前の時期です。
保証人を連れてきたら融資するというしくみを取っている商工ローンの社長に、
「保証人というと、『他人の保証人になったばっかりに一家離散』というようなことが連想されるが、保証人を取って融資するということについての社会的責任についてはどうお考えですか?」
というようなことを聞いてみました。
その時のその社長のお答えは、
「当社は、保証人の財力を見て保証人になってもらうかどうかを決めている。当然、それだけの財力が無い人は保証人になってもらうことをお断りする。
保証人が保証する額の目安は、『その人が買える車の値段』が一つの基準。
保証人になってくれる人の中には、医者や財団の理事長、会社の社長といった財力のある人もいる。そういうベンツとかフェラーリとかが買える人であれば1000万円とか1500万円を保証いただくこともある。
逆に、軽自動車しか買えないであろう方が保証人になる場合には、50万円しか保証していただかない。万が一借り入れをした人が返済不能になって保証することになったとしても、『その人が買える車の値段』というのは、ちょっと生活を切り詰めて、2〜3年かかれば返済できる額だ。」
とのお話でした。
本当に現場までそういう運用で融資や保証が行われていたのかどうかはさておき、「その人が買える車の値段が保証の限度」というのは、「なるほどー。確かに無理すれば返せない額ではないな」と説得力を感じた記憶があります。
(少なくとも、無期限、無制限の保証よりはよろしいかと。)
あれから十年経つか経たないかで、今では(exitの可能性があれば、ですが)創業時のベンチャーでもエンジェルやベンチャーキャピタルからエクイティファイナンスを受けられるいい時代になりました。
これというのも、(行き過ぎはありましたが)株式公開の基準が大きく下がり、アーリーステージのベンチャーへの投資が合理性を持つようになったこと、また、(行き過ぎはありましたが)ネットバブルが発生したおかげで人々の目がベンチャー界に向いて、それまでは考えられないような人材がベンチャー界に飛び込むようになったことなどが大きいのではないかと思います。
公開の門を堅く閉ざして有望なベンチャーが公開のチャンスを逃がすよりは、(行き過ぎはあったかも知れませんが)多少ゆるめの門で東証さんに2年に一回くらい業務改善命令が出るくらい(ほほえみ)が、ちょうどいいかも。
(それではまた。)

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グラミン銀行と小規模融資のビジネスモデル

私が腑に落ちないビジネスの一つとして、「グラミン銀行」がありました。つまり、なぜ少額とは言え最貧の人にお金を貸して貸倒率が1%以下というようなビジネスが成立するのか、ということですが。
昨日の日経新聞でそのグラミン銀行総裁のムハマド・ユヌス氏が、第9回日経アジア賞の経済発展部門を受賞してました。その記事を見てちょっと納得。
記事曰く;

 システムは民間銀行とはまるで違った。借り手は数人一組のグループを編成、工芸や畜産など生業の収益を踏まえて作った各自の返済計画をグループ内で話し合う。銀行の各支店は定期的に借り手グループの住む地域を訪ねて集会を開き、借り手はそこで返済事務をし、返済計画の説明もするという仕組みだ。
(中略)
 実績追求の信念通り、グラミン銀行は設立以来九割以上の返済率を維持。現在は借り手三百二十万人、融資総額四十二億ドル、返済率九八%に達した。住環境や衣料などから独自に策定した貧困ラインで判断すると「借り手の四六%は貧困層から脱却した」という。このシステムはアーカンソー州知事時代のクリントン前米大統領によってシカゴに導入されたのをはじめ、六十カ国以上で採用。「実績」は世界が認めるところとなった。

ポイントは、「返済計画をグループ内で話し合う。」というところなんでしょうね。
通常、融資と言えば、法人向けであれ消費者金融であれ、せいぜい保証人が関与する程度で、自分が金を借りる際の返済計画を第三者に見せるなんてことは考えにくいですが、コミュニティ内で事業計画や返済計画を開示しあうようにしたところがうまいところかと。コミュニティ内で「ビジネスプラン」や「資金計画」について相互検証を受けるので、へたな金融機関の審査担当者が頭をひねるより具体的返済可能性がある与信が行える、ということなんでしょう。餅は餅屋、三人寄れば文殊の知恵、というところでしょうか。
ただし、これ、一行が300万人以上に融資するという意味では新しいビジネスモデルかも知れませんが、よくよく考えて見ると、こうした「コミュニティ内の相互検証・相互監視によるネットワーク的な融資」というのは、世界のあちこちにもともとありますよね。
日本の各地方にも、「無尽」(講)という助け合い的な金融システムが昔からあり、そのうち大規模なものは発展して今の第二地銀(旧相互銀行)になっていきました。
十年以上前ですが、沖縄の金融環境を調査しに行った時に、飲み会などで未だに誰でもごく普通に「模合」という無尽を行っていると聞いて「へえー」と思った記憶があります。飲み会などの際に数千円から数万円の掛け金を出し合って、入札して一番資金を欲しい人がそれを借り、飲み会などの時にそれを定期的に返済していくという方式とのこと。
子供の頃からの性格、今どんな事業をやっているかとか、周囲の評判などの情報が非常に豊富にあるし、返すインセンティブも高く、貸倒率も低くなるということなんでしょう。
(これ、添付の条文のように、出資法などの法令に違反しないかどうかビミョーなところですが、地元の警察の人もそんなのを取り締まったりしないんでしょう。添付のURLのHPの記述に、「沖縄では、(銀行に)模合専用口座を設けることは特に不思議ではありません。」とありますが、銀行も、よく口座開設させますね・・・。金融庁の検査とか、どうなってるんでしょうか。)
今はどうか存じませんが、これも十年以上前に大手の消費者金融会社さんのデータを拝見したら、沖縄以外の支店で沖縄出身の方に貸した資金はかなり貸倒率が高かったのですが、沖縄の支店で沖縄の方に融資した資金は日本一貸倒率が低い、ということになっていました。
「コミュニティ内の相互のガバナンス」みたいのが働いて、「仲間内で借りた金はちゃんと返す」という力が働くのかも知れません。
Webにも「無尽」等について、紹介されているものがたくさんあります。ご参考まで。
おきなわ暮らし百科「模合」
http://www.u-r-u-m-a.co.jp/05oki100/04life/moai1.htm
今治の謎100、無尽の謎
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/doinaka/iq/iq-h/i009.html
wyuki「無尽について」(山梨県の事例)
http://blog.neoteny.com/wyuki/archives/000825.html
関連条文:

刑法
第185条 賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。

飲み会から数万円の資金を持ち帰るわけですから、「一時の娯楽に供する物」という範囲ではなさそう。ただ、無尽では主に入札で借りる人が決まるわけですが、入札は「偶然の輸贏(ゆえい)」(当事者において確実に予見しえない事実)によるものとは言いづらいので、賭博とは言えないような気がします。

出資の受入れ、預り金及び金利等の取締りに関する法律
第1条 何人も、不特定且つ多数の者に対し、後日出資の払いもどしとして出資金の全額若しくはこれをこえる金額に相当する金銭を支払うべき旨を明示し、又は暗黙のうちに示して、出資金の受入をしてはならない。

「知り合い」は「不特定多数」じゃないからOKということでしょうか?

貸金業の規制等に関する法律
第2条 この法律において「貸金業」とは、金銭の貸付け又は金銭の貸借の媒介(手形の割引、売渡担保その他これらに類する方法によつてする金銭の交付又は当該方法によつてする金銭の授受の媒介を含む。以下これらを総称して単に「貸付け」という。)で業として行うものをいう。

継続反復してるけど「業」ではない?

無尽業法
第1条 本法ニ於テ無尽ト称スルハ一定ノ口数ト給付金額トヲ定メ定期ニ掛金ヲ払込マシメ一口毎ニ抽籤、入札其ノ他類似ノ方法ニ依リ掛金者ニ対シ金銭以外ノ財産ノ給付ヲ為スヲ謂フ無尽類似ノ方法ニ依リ金銭以外ノ財産ノ給付ヲ為スモノ亦同ジ但シ賭博又ハ富籤ニ類似スルモノハ此ノ限ニ在ラズ
第3条 無尽業ハ内閣総理大臣ノ免許ヲ受クルニ非ザレバ之ヲ営ムコトヲ得ズ

無尽業法上の無尽は「金銭以外の財産の給付」なんですね。
UFJホールディングスの持分法適用会社で「日本住宅無尽株式会社」という会社があるようで、ホームページを拝見すると、日本唯一の無尽業者とのことです。

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「有限責任」の「気持ち悪さ」

昨日に続いて、資本主義の「気持ち悪い」制度について。
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「民の試みが失敗に帰したとき—究極のリスクマネジャーとしての政府—」
デビッド・モス (著), 野村マネジメントスクール (翻訳)

より。(文中一部略。)

第3章 有限責任
ハーバード大学の著名な学長であったCharles Eliotは、この制度のことを、「十九世紀に作られたビジネスのための法制度の中で最も効果的なもの」と呼んでいる。
コロンビア大学の学長であったNicholas Murray Butlerは、一九一一年にさらに進んで、「有限責任会社は、近代における最も偉大な『発明』である。これに比べれば蒸気機関や電気の発明も大して重要ではない。有限責任会社がなければこれらの発明も威力を発揮できないのだから。」とまで述べている。

「有限責任」。
うーん、「気持ち悪い」ですねえ。「違和感」たっぷりですねえ。
会社の所有者が「株主」だとして、その「所有者」は会社が潰れようが何しようが、(過去の出資をあきらめる以外は)責任を取らなくていいわけですから。
所有者が責任取らなくていいなんてアリ?会社が潰れて債務超過だったら、株主にも必ず追加で負担を求めた方がいいんじゃないの?「所有者」に厳しくしないと、モラルハザードを起こして、企業に対するガバナンスがきちんと働かないんじゃないの?・・・という気もします。
これは、有限責任制度が導入されだした時期にもそうだったようで。

有限責任制度の機能というのはただ、企業が倒産したときに企業の所有者が、個人的責任を負うことを免除しているだけである。制度自体がデフォルトリスクを消滅させるわけではなく、単にそのリスクを株主から債権者に移転するだけである。経済学的に見れば、なぜ企業の債権者の方が株主よりもリスクマネジメントに長けているのか理解に苦しむ。さらに、なぜ政府がそのようなリスクの移転を促進するために介入しなければならないのかも必ずしも明らかではない。
この最後の問題については、早くも一八五四年に『エコノミスト』誌の編集者たちが取り上げている。彼らの見解では、当時英国で検討されていた有限責任法は、「重要性に乏しい」ものであった。株主と債権者たちはすでに民間市場での契約を通じていかようにもリスクの移転をすることができたのだから、政府の介入は不必要だと彼らは考えていたのである。
この頃までに大西洋を挟んだ旧英国植民地の多くでは、有限責任法を施行していた。そして米国は、世界の主要工業国としての英国の地位を脅かしつつあった。米国の実績に感嘆した英国議会は結局、翌年有限責任法を制定したのである。

有限責任にしたほうが大量に金が集まるので、大規模な会社を運営することができ、経済も発展する。対抗上、こっちもやんないと競争に負けちゃう、ということですね。
「ミクロでは貯蓄は美徳だがマクロでは需要低下によって所得が減少し貯蓄も結局減少してしまう」というケインズの「合成の誤謬」もそうですが、マクロ的にどういう制度が有効なのかというのは、ミクロな日常的な倫理観の延長線上からはなかなか想像しにくいし、実際にやってみないとようわからんというところも多分にあるのではないかと思います。
(本日は、これにて。)

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証券の「気持ち悪い」歴史

「少年よ大志を抱け」で有名なクラーク博士はサギで訴えられたことがある(88へぇ)

昨年7月の「トリビアの泉」で、札幌農学校を辞めてアメリカに帰国したクラーク博士が、鉱山会社を起こしたものの失敗して出資者から訴えられ、無罪にはなったものの信用を失い、悲しい人生の末路をたどった、というエピソードが放映されてました。
この話はtrivialというより、証券投資というものの本質の一端を鋭く示してくれるエピソードではないかと思います。つまり、(誤解を恐れずに言えば)、「証券投資」と「詐欺」というのは、外部から見て、もともと極めて判別しにくいモノだからです。

証券とは何か
証券というのは、下図のように「会社」などの資産(原資産)がある場合に、それについての権利を表すものです。
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証券投資というのは、この「紙っぺら一枚の」(近年は紙っぺらすらないこともある)ものに対して投資しようという、極めて「バーチャル」というか「奇妙な」行為なわけです。
おまけに、投資家はこの「原資産」を全部見たこともなければ、その会社の経営陣に会った事すらないことも多いわけで。
何ゆえに人は、そんな危なっかしいものに資金を出すのか?
それは、そこには投資する人の、この「原資産」の価値と、それを支えるしくみに対する何らかの「信用」が存在するわけです。

信用とは何か
「信用」というのは、「情報処理の分業」を支えるものであると考えられます。
アダム・スミスは、分業によって生産が効率化し、産業が発展することを説きましたが、これは「情報処理」についても同様です。これだけ複雑化した社会では、「思考」すら分業しないと生きていけない。また、情報は「複製のコスト」が極めて安いので、情報処理こそ、分業により最も効率化が行えるものなわけです。
ところが、情報処理を分業するということは、(よーくお考えいただければわかるとおり)、「思考停止」と同義です。「自分では考えない」わけですから。他人が行った情報処理を全部自分で再チェックするんじゃ、「分業」にならないわけで。
Googleに投資する人の大半も、「Morgan Stanleyが引き受けてるから」とか、「Ernst & Youngが監査してるから」とか、「創業者2人の目が澄んでいるから」とか、「アナリストが買いだと言っているから」というような、考えて見れば非常に薄弱な根拠の積み重ねで判断して投資をすることになります。

何を信用するのか
「詐欺」か「真面目にやっていたのに失敗した」のかは、結局は、「騙す意図があったのかどうか」という脳の中身の問題に帰着します。複数人が共謀して悪いことを行っていれば、適切な内部統制(洗練された「相互監視」または「チクリ」構造)が構築されていれば、情報が漏れてくる可能性は高くなるわけですが、これすら、「もし全員がグルだったらどーすんの?」というところまで考えれば、その可能性は絶対拭えないわけです。
人が何を信用し何を信用しないかという「スキーマ (schema)」(XMLのスキーマ、じゃなくて、認知科学的な意味でのスキーマ)は、その人の人生の経験によって構築されてきたものですから、いわば、その人の「人格」そのものです。
また、何か新しい取り組みについて「気持ち悪さ」「違和感」を感じるのは、人間および社会の大切な機能ですし、いろんな人がいていい。むしろ、そうした「多様性」が確保されることにより、社会全体が一発で滅びるリスクを減らせるわけです。

資本主義の「怪しい」歴史
資本主義の歴史は、この「信用」形成の歴史、と言うことができるかと思います。
17世紀にイギリスが経営した東インド会社は、20年くらい決算しなかったりしたそうですが、それが近年は、すべての公開会社に四半期決算が義務付けられるところまで精緻化してきました。
また、昔は会社の公表する財務諸表に対する会計監査は義務付けられていなかったのが、世界大恐慌の反省から、公開会社等については会計監査を義務付けることとなり、さらにエンロン事件以降は、会計士の監査すら頭から信じるのはヤバいということで、会計士を5年や7年で交代させたり、企業内部の内部監査体制の強化も義務付けるなど、縛りをよりキツくしてます。
ただし、いくら制度を精緻にしたところで、「思考停止」して「分業」してるわけですから、すべてを悪い方に考えれば、いくらでも悪く考えられるわけです。
こうしたしくみは、初めから縛りをきつくするほどうまくいくというわけではなく、社会の成熟度にあわせて、そろーりそろりとやらないといけない。例えば、東インド会社の時代に四半期決算や会計監査を義務付けたら、クリーンすばらしい社会が出来上がったかというと、そうではなくてむしろ、面倒くささに恐れをなしてリスクにチャレンジするヤツが激減し、社会の発展を阻害したことでしょう。
つまり、その時々の社会のノリにあわせて、チャレンジするやつがいなくならない程度に「自由」で、投資家がビビり過ぎない程度に「ちゃんとしている」というビミョーな塩加減で、「思考停止させるしくみ」を作ってきたわけです。
かように、証券とはもともと本質的に疑い出せばキリが無い「極めて怪しい」ものなわけです。乱暴に言えば、普通株式も「Class B」も「目くそ鼻くそ」(笑)なわけで。
投資家側の懐疑心にも「多様性」が必要なのと同様、いろんなチャレンジも実際に自由に試されてみて、その「多様性」の中から生き延びたものに、「ここまでやっても大丈夫」という「信用」が与えられる、というのが大事なんだと考えます。
(ではまた。)

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資金調達と議決権とガバナンス

Krpさんは「なのにGoogleはIPOするの」で、かく申されました。

私は、Google の Class A 株の投資家は、通常の公開株式以上のリスクがある証券をオファーされていると認識しています。Class B 株、敵対的買収防止策、四半期毎の業績には頓着しない、情報開示は法律で求められている以上にはしない、など。Google への投資で、なぜそれだけのリスクを許容しなければいけないのか。

(「しなくてもいいですよ。」・・・というのもなんなので。)
リスクは低ければ低いほどいいというものではなく、リスクの高い証券も低い証券もあって、そのリスクも織り込んだ上で市場で証券が取引される価格が決定される、ということではないかと思います。
わざとそのリスクを隠したりわかりにくくしたりするのは開示上問題ですし、証券を売る人(証券会社)が、そのリスクをよく理解できないような客にリスクをよく説明しないで証券を売りつけるということは適合性原則上アウトですが。Googleは、そういうことをしようとしているわけじゃないと思います。
「気持ち悪い」人は、その「気持ち悪さ」の分だけ安くbidすればいいだけかと。
ガバナンスの仕組みについては、「IPOをして Public Company になる資格は満たしているといえます。」というご意見なので、krpさんとはほぼすり合っているのではないかと思いますが、他の方々も含め、あとちょっとだけ、別の視点から、企業が資金調達をする場合の議決権とガバナンスについての確認をば。
★問1.例えばみなさんは、「社債(普通社債)」って「気持ち悪い」ですか?
普通社債には株主としての議決権がついてないので、「会社に金を出すのに創業者の株と同じだけ議決権がついてないと気持ち悪い」という人は、社債は気持ち悪いかも知れません。(微笑)
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★問2.問1で、「社債が気持ち悪いわけないじゃん」という人は、転換社債とかワラント債はどうですか?これはエクイティらしきものがグリコのおまけのように社債にくっついてます。
そんな、株のできそこないみたいなもんがくっついたのは「気持ち悪い」でしょうか。
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★問3.問2で、「転換社債やワラントなんて”フツー”じゃん」という方は、こういう債券はどうでしょう。
債券だけど、(株主としての)議決権がちょっとだけ付いてます。
ちょっと気持ち悪くなってきました?
でも、法律上どう設計するかはともかく、社債権者なのに株主としての決議にも参加できるので、ただの社債よりガバナンス上は強力になりそうですよね。
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★問4.では、Class B株式はどうでしょうか。
利息なんてみみっちいもんじゃなしに、ダイナミックにキャピタルゲインもお楽しみいただける上に、議決権もちょっとだけ付いてます。
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★問5.普通株式は気持ち悪いですか?
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わたしは、どの資金調達方法も「あり」だと思います。
ソニーのトラッキングストックも(これは、あまり今後流行る感じもしませんが)、親会社の議決権がちょびっとあるだけで、肝心の子会社の議決権がついてません。
「おれはso-netに投資したかったのに何でso-netの議決権が無いんだ!利益配当がSo-netの業績に連動するからいいだろだと?ふざけんな!経済的価値と議決権がセットになってるのが株式だろ!」
とも申しません。
「あり」です。ウケなければ売れないだけ。
(では。)

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