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October 22, 2008

「会計慣行」とは何か・・・商事法務論文「旧長銀事件最高裁判決の検討」に関連して

商事法務の最新号に、岸田雅雄・早稲田大学教授の「旧長銀事件最高裁判決の検討」という論文が掲載されています。
前半は、旧長銀事件の概要や判決の評価などが書かれておりまして、このへんは頭にスッと入ってくるかと思います。問題は最後ほうに書かれている「公正ナル会計慣行」に触れた部分。

以前、旬刊経理情報に掲載された筑波大学ビジネス科学研究科の弥永真生教授による「長銀刑事事件最高裁判決の意義と今後の影響」という論文についてコメントさせていただきましたが、この岸田教授の論文における「公正ナル会計慣行」についての解釈も、若干違和感がありますので、以下、検討させていただければと思います。

(かなり長文になってしまいました。)


商事法務30頁の文章を以下に一部引用させていただきます。

さらに、実際上もっとも困難な問題は、その適用時期である。法令の場合には適用時期が明らかにされ、官報でそれが周知されるが、それ以外の会計基準の場合にはそれが必ずしも明らかではない。 なお「公正ナル会計慣行」はあくまでも「慣行」である。したがって、新基準が「慣行」化されるまでの相当の期間は、新基準は「唯一の基準」とはならないと解すべきであろう。これに対し、「これから反復・継続される見込みが高ければ、一回目に適用された時点で「慣行」であると考えてよい」とする説がある(注一一)。しかし、条文上、「慣行」という言葉は、商法一条二項の商「慣習」、民法九二条「慣習」と同様に、ある程度継続的に行われているものをいうものであって、将来反復継続される見込みが高ければ一回目で適用された時点で慣行というのは無理があるように思われる。


「慣行」は「慣習」と同義なのか?
上記のとおり、岸田教授は、「『慣行』というのは形成されるまでに時間がかかる説」を唱えてらっしゃいます。

しかし、以前の「長銀刑事事件最高裁判決の意義と今後の影響」について(その2)でも、ブログ「企業会計に関わる紛争についてのデータベース」(sdpartnersさん)のトラックバックに同意する形で書かせていただいたとおり、旧商法第32条2項で言うところの「会計慣行」というのは、商法1条の商「慣習」等とは違って、それが形成されるまでに必ずしも時間はかからないんじゃないでしょうか。

ここで引用されている「これから反復・継続される見込みが高ければ、一回目に適用された時点で「慣行」であると考えてよい」とする説、というのは、注11を見ると、弥永教授の「コンメンタール会社計算規則・商法施行規則」(商事法務2007)90頁のこととなってます。
つまり、弥永教授は「慣行」の形成時間については、「一回目から『慣行』もアリ説」を採ってらっしゃるようです。

しかし以前のエントリでも述べたとおり、私は、一回目から「会計慣行」になるのはもちろん、さらに進んで、弥永教授がおっしゃるような「これから反復・継続される見込みが高ければ」という要件すら不要だと思います。上記のコンメンタールが手元にないので弥永教授の正確な意図を存じ上げないのですが、「反復・継続」とは、たぶん、その一回目に適用した会社が反復・継続適用するかどうかということをおっしゃっているのではなくて、世間一般で反復・継続される見込みがあるかどうか、ということをおっしゃっているのではないかと思いますが、最初に特定の処理をしたときに、これからどうなるかまではわからんはずだし、考える必要もないのではないかと。
もしあえて書くとしたら、(最初から「継続性の原則」を踏みにじろうという意図があるなら当然、公正妥当とはいえないので)、「継続される見込みが無い場合を除き」くらいの表現でいいのではないかと思います。


会社法関連の条文で見る「会計慣行」と「基準」
商法や会社法でいうところの「公正ナル会計慣行」「一般に公正妥当と認められる企業会計の慣行」というのは、会計士用語でいうところの「一般に公正妥当と認められる企業会計の基準」のことかと思います。

会計監査人(監査法人等)は、会計監査をして監査報告書を書くことを業としているわけですが、会社計算規則第百五十四条(会計監査報告の内容)1項2号イ(無限定適正意見)で、監査報告書には、

監査の対象となった計算関係書類が一般に公正妥当と認められる企業会計の慣行に準拠して、当該計算関係書類に係る期間の財産及び損益の状況をすべての重要な点において適正に表示していると認められる旨

を書け、ということになってます。(「慣行」という用語が使われていることに注目。)

しかし、実際に監査報告書に記載されるのは、

当監査法人は、上記の計算書類及びその附属明細書が、我が国において一般に公正妥当と認められる企業会計の基準に準拠して、当該計算書類及びその附属明細書に係る期間の財産及び損益の状況をすべての重要な点において適正に表示しているものと認める。

といった文言です。つまり「慣行」ではなく「基準」という言葉が使われています。つまり、少なくとも会計士は、会社法でいうところの一般に公正妥当と認められる企業会計の「慣行」は、一般に公正妥当と認められる企業会計の「基準」と同義だと考えているわけです。
「慣行」という用語を文理的に考えると「形成されるまでに時間がかかる」イメージがぬぐえないかと思いますが、会計実務の実態にあわせて「基準」という用語で考えれば、時間がかかるというイメージは薄らぐのではないかと思います。そして、(アンケートをとったわけではありませんが)会計士の多くも、おそらく、「基準」が形成されるのに一定の時間が必要だ、なんてことはあまり考えてないのではないかと。


「一般」とは誰のことか? -- "Generally Accepted" by whom? 
かつて、私が社会人になって会計の勉強をし始めたころ、ベテラン会計士の方に、
「『一般に公正妥当と認められる会計基準』は、誰が決めるんだと思う?」
と問題を出されました。

「『一般』というからには、企業会計審議会とかが決めて、企業の経理部の人や国民一般を含む大勢の人に認められた基準、ということじゃないですか?」
と言ったところ、
「違う。
会計士が『一般に公正妥当と認められる会計基準』だ、と言えば、それが『一般に公正妥当と認められる会計基準』なのだ。」
というお答え。

そのときの私は「なんてエラそうな!」と心の中でつぶやきましたし、みなさんも同じお考えを持たれたのではないかと思います。
特に、昨今の世の中では、会計士一個人や会計士ギルド内だけで基準が判断されるという考え方には強い違和感を感じられる方が多いと思いますし、実際その後、監査報告書にサインする会計士の独断で決められるというよりは、監査法人内の審査・教育制度の充実、監督官庁の監査法人に対する検査の拡充といった方向に改善・シフトしてきているかと思います。明文化された基準も大量かつ詳細になり、会計士の自由裁量の余地は少なくなってはきています。

しかし、公認会計士法第四十七条の二で、財務書類の監査又は証明をすることは公認会計士及び監査法人の独占業務とされていますので、基本的には、その考え方は今でも生きているんじゃないかと思います。つまり、一般に公正妥当と認められたという「一般に」というのは、国民全体を母集団としないことはもちろん、全上場企業の経理部門の人にアンケートを取った結果でもなく、「会計士や会計に関する学識経験者などのプロ的な人たちを中心とした人たちの集合の中だけで『一般に』」、ということで十分かと思います。
なぜなら、前述の公認会計士法のとおり、「会計慣行」に準拠しているかどうかを判断することを業にできるのは、基本的には会計士(監査法人)だけだから
(もちろん、「二重責任の原則」のとおり、第一義的に準拠性を判断するのは会計士ではなく会社であります。また、憲法が裁判を受ける権利を保証しているので、裁判官はその会計士の判断を上書きできるわけではあります。[追記]また、監査役や監査委員会は、その会計監査が相当かどうかを判断するわけでもあります。)

国民全体や一般企業の経理部全体に認められるためには、かなり長い時間がかかるのではないかと思いますが、会計原則への準拠性を日々考えているプロに「基準」が行き渡るのは、それよりかなり短い時間で十分とも言えるのではないかと思います。基準への準拠性を考える場合には、「行き渡っている」必要すらなく、「他の会計士等も同様に考えるだろう」というだけで十分かも知れません。


裁判官の「自由心証主義」との対比で考えてみる
私は、日本は、世界の中でも最も「成文法的な」法律の理解をする国なんじゃないかと思っております。(小学生時代の「バナナはおやつに入るんですか?」といった質問を皮切りとして、異様に「黒」と「白」の境界をルールで明確にしたがる傾向がある。)

しかし、商法や会社法が「斟酌スヘシ」や「従うものとする」という形で会計慣行にゲタを預けているのは、会計というのがそもそも「成文法的な考え方」になじまない性質をもっているからではないでしょうか。
つまり、哺乳類を含む真核生物の細胞の中のミトコンドリアは、もともと全く違う生物が細胞に取り込まれて一体になったものでDNAも全く別だ・・・・みたいな感じで、成文法的な商法や会社法の体系の中に、英米法的というかエクイティ(衡平法)的な「会計原則」が組み込まれているのではないかと思います。

つまり、(会計専門家以外の)「一般の」人は、「会計基準」というと「明文化されたルールの束+α」という成文法的なイメージでとらえており、それへの準拠性というのは、「そのルールに従えば、『正しい会計処理』というのは自動的に一意に定まる」というイメージでとらえられているのではないかと思いますが、違うんじゃないかと思います。

英米法の知識もろくにないので、法律勘のある方により身近な例えにさせていただきますと、裁判官が「自由心証主義」に基づいて判断を行うことになっており、明文化された「判決作成マニュアル」といったものに沿って判断すれば判決が自動的に一意に決まってくるものでないのとのアナロジーで考えられるのではないかと思います。

「自由心証主義」は、裁判官が自分の趣味や思いつきで気ままに判決を書くことではないはず。もちろん明文化された法にも基づくけれど、自分の良心に従って専門知識などが複合した「何か」を中心に据えて判断されていることと思います。
同様に、会計士が考える「会計原則」というものも、明文化されたルールの束を基本にはするものの、その他のものも複合した「何か」を中心に据えて判断する、その「何か」に近いイメージなのではないかと思います。

逆に、「なぜ『法定証拠主義』ではいかんのか?」ということを考えてみるのも手かも知れません。
法定証拠主義にすると、例えば証拠として自白が必要と定められていたら自白を拷問などで強要するなど「形式に走る」弊害があるとされているわけですが、それ以前に、そもそも世の中の森羅万象を扱って一定の判断を下す場合、明文化されたルールに従って機械的に判断すれば妥当な結論にたどり着くなんてことはありえないし、ルールというのは判断の一部であって、他に膨大な証拠や資料をもとに総合的な判断をくだす必要があるということが本質ではないかと思います。
特に(日本では)裁判というのは世の中の比較的極端なケースを扱うことが多いのではないかと思いますが、企業会計というのは、まさに企業の「日常」を数字に落とし込むものであって、これをルールで縛るなんてことはそもそも無理なのではないかと。

放送大学で拝見している石川純治駒澤大学教授の「現代の会計」の授業第三回に、「利益は『意見』であり、キャッシュフローは『事実』である」といったお話がでてきますが、これは損益計算というものの本質を端的に示した言葉ではないかと思います。


「新たな会計処理」の準拠性についての考え方
論文では、旧長銀の判決の貸付金の評価の話を取り扱っており、既存の会計基準がすでに存在するところに次の会計基準が現れた時にいつから「慣行」になるのか?という話をしているわけではあります。
しかし、ここでより一般化して、例えばベンチャー企業が、誰もやったことがないようなビジネス(例えば、ネットでポイントを付加してうんぬんとか)とか、誰もやったことがないような資金調達(エクイティ性のオプションをつかってうんぬんとか)をやったときのことを考えてみましょう。

この場合にも、当然、会社は何らかの会計処理をしなければならないわけですし、監査法人は、それが「会計基準(=慣行)」に準拠しているかどうかを判断しなければなりません。
(会計監査というものは上場企業のみに適用されるものではないのはもちろん、特に、会社法になってからは、どんな小さな会社でも会計監査人設置会社になれるようになったので、会計士はとてつもなく突飛で前例のない事象の会計処理も、「会計慣行」に準拠しているかどうか判断しなくてはいけないことになりました。)

その場合、
「『慣行』と言えるからにはそれなりの時間がかかるが、御社の処理は誰もやったことがない会計処理だから、会計『慣行』に準拠しているとは言えない。今回は意見不表明(または、限定付適正意見)とさせてもらいます。」
てなことを監査法人が言ったら、「ふざけんな」ということになるのは必至です。そして、もちろん、監査法人は「ふざけんな」と言われるのがいやで適正意見を書くわけじゃなくて、「慣行」の形成に時間がかかるとは思っておらず、そのときの状況や将来の見込みを総合的に判断すれば「慣行」に準拠しているかどうかは判断できると考えるのではないかと思います。

「成文法的理解」に従って、こうしたベンチャー的な新しい取引の会計処理の準拠性を判断する考え方としては、明文化された個別の会計基準が存在しない場合には、より上位の基準(例えば、真実性の原則)に従うのだ、という考え方がありましょう。

しかし、結局のところ、「真実な報告を提供するものでなければならない」といった抽象的でシンプルなルールから、演繹的・自動的に「あるべき処理」が導出されるはずもありません。
ましてや、前出の弥永教授の論文のように、

より一般化して理解するならば、たとえば、イギリスなどのように、個別の会計基準に従っているか否かを問わず、真実かつ公正なる概観を示さないことが会社法違反にあたるという考え方はわが国の(平成17年改正前)商法や証券取引法の解釈としては採用しないという立場を本判決はとったものと推測される。

といった解釈がホントだとしたら、真実性の原則すら危うくなってきてしまいます。そんな解釈がまかり通ったら、監査をしている会計士は困っちゃうのであります。

やはり、真面目にやってるすべての企業に対して「一般に公正妥当と認められる企業会計の基準に準拠しているものと認める。」という監査報告書が書けるためには、「基準」なり「真実性」というのは、「成文法的」「アルゴリズム的」なものではありえないでしょう。だからといって、裁判官が「自由気まま」に判断しているのとは違うのと同様、会計士も「オレがそう思ったから」というだけではなくて、より複雑で総合的な観点から判断を行っているはずです。


よりオープンな方向性は無いのか?
以上のように、会計慣行への準拠性が、こうした「非成文法的」「非アルゴリズム的」な判断になることは一種しかたないことだと思います。
その「非成文法的」「非アルゴリズム的」な判断は、「社会環境や企業の実情にあわせてフレキシブルな判断が行える」というメリットがある一方、「第三者から見て、決定のプロセスがよくわからん」という最大のデメリットがあるかと思います。
だからこそ、「自由心証主義」だった裁判制度も司法改革の波に洗われているのではないかと思いますし、公認会計士制度も前述の通り大きな変革が行われました。

以上をまとめると、「公正ナル会計慣行」=「一般に公正妥当と認められる企業会計の基準」というのは、つまり、平たくいうと「他の多くの会計士もエエ言うんとちゃう?」くらいの意味だと思うのですが、実際に会計士全員にアンケートを取って聞く訳にはいかないものの、特に大手の監査法人においては、二重三重のチェック・審査制度が既に導入されており、近似的に「会計士ギルド界の意見の大勢」が反映されるしくみになっているのではないかと思います。

一方、特に世間がこんな状況で四半期報告書も導入された昨今、各上場企業の経理担当のみなさまにおかれましては、「アレが減損されるかどうかギリギリ」「この繰延税金資産が資産計上できるかどうかの瀬戸際」といった件で、昨今の会計士の超保守的にも見える判断に、「なにを根拠に!」と、激怒されてらっしゃる方も少なからずいらっしゃるのではないかと思います。

保守的な分には、その判断が裁判になる可能性は低いかと思うのですが、逆に、長銀、ライブドアや日興さんのように、「利益が増える選択肢」に会計士からのツッコミが入らない場合には、取締役や監査役は大きなリスクにさらされることになります。
ここは、取締役の善管注意義務や経営判断の原則に従って、会計処理に関するセカンドオピニオンも得ておきたいところ。

しかし、ご案内の通り、日本公認会計士協会の倫理規則の第9条で、会計処理に関する「セカンドオピニオン」については極めて慎重な対応が求められております。

アメリカのM&Aでは、裁判所にケチをつけられないように、独立委員会を立てることはもちろん、独立性のある法律事務所2社、企業価値算定会社2社、といった重装備で、「ここまでやれば、文句ないでしょ?」といったことになってるらしいですが。つまり、結局のところ、こういった「フェアかどうか」といった判断は、「絶対的真実」ではないがゆえに、「独立した専門性のある第三者が、一所懸命真面目に考えました。これ以上、一体どうせいっちゅーねん?」という外観を作り出す以外に、客観的にフェアさを証明する方法はないかと思います。
にもかかわらず、医療でも法律でもセカンドオピニオンが取れる時代に、会計だけはセカンドオピニオンが取れないというのはキツい。

この倫理規則9条の規程は、反保守的な意見を求めるオピニオンショッピングに利用されることを防止しようという趣旨だとのことですが、この規程があるせいかギルド社会のせいか、日興さんのときも、監査委員会がセカンドオピニオンを求めようとしても得られなかったといったことが報告書に書いてありました。実際に、監査法人の監査がちょっとおかしいな、と思った時に、他のちゃんとした監査法人がセカンドオピニオンを書いてくれるという可能性は非常に小さいのではないかと思います。(これは、取締役としては実に恐ろしい。)

もちろん、本質的には、会計原則に準拠しているかどうかは極めて大量のデータや証拠に基づく「総合的な判断」であり、それがゆえに例えば事実を箇条書きした程度のものを前提に「こういう処理もアリじゃない?」なんてことは軽々しく言えないし、もともと利益の額が一意に定まるものではないから、ということかと思います。

ということで、会計基準への準拠性というのは本質的にわかりやすくはならないものなのだ、ということが結論なわけですが、とはいえ、もうちょっとなんとか、一般の人にもわかりやすくする方法はないものかなあとも思います。

以上、大変な長文かつ駄文になりましたが、「会計慣行」を考える際の何かのお役に立てば幸いです。

(ではまた。)

October 19, 2008

Ken Inoueさんコメント (Re: maneo開業おめでとうございます!)

「とあるソーシャル・ファイナンス・ベンチャーの日本進出をお手伝いしている」Ken Inoueさんからコメントいただきました。
非常に参考になるので、本文で引用させていただきたいと思います。

ちなみに、Inoueさんには以前(8月20日)にもソーシャルレンディングについてコメントいただいてまして、こちらも非常に濃い中身になりますので、ご参考まで。

http://www.tez.com/blog/archives/001218.html#comment-315541


(以下、今回のコメントを引用)
http://www.tez.com/blog/archives/001243.html#comment-315605

10月15日、日本のソーシャルレンディングは、とてもいい感じで maneo さんがサービスインされましたね!

米国は、2年以上も前にサービスがスタートし、10社近くのベンチャーがしのぎを削るソーシャルレンディング先進国です。アメリカでは、ちょうど今(それも今週!)のタイミングで大きな動きがあり、今までの「見切り発車」的な黎明期からの大きな転換期にあるように思います。

(以下、ご参考までにここ一週間の米の状況です)

米国ベンチャーの一社 Lending Club 社は、米国の法的要件を満たす為にそれはそれは大変な思いをしたようで、半年振りに新たな形で営業を再開しました。10月14日。
http://blog.lendingclub.com/2008/10/14/lending-club-sec-registration/

半年もの当局の審査を経てようやくOKされたようですが、その開示内容がスゴイ・・・。というか、エグイ。
http://www.lendingclub.com/extdata/prospectus.pdf


うーむ。これはスゴい・・・。
まだちょっとよく拝見してないので一般論というか雑談ですが、日本の場合でも、当然、こうしたソーシャルレンディングの営業者の破綻は個々の匿名組合にも影響する可能性があるので、「営業者の中身も開示せい!」という流れになる可能性はゼロではないですが、日本の方がまだ規制の網は緩いということでしょうか。
今世界を揺さぶっている「サブプライムローン」は、1つ1つが巨額なスキームなので、倒産隔離等の手はずはきちっとして、個々のSPVは他の関係者から独立しているはずだったのに、結果としてこんなことになってる次第なので、いわんや一つの営業者に多数のファンドが内在するようなケースは、こわいっちゃ怖い。

NOVAとか、過払い金返還義務を抱えた消費者金融業者の破綻とか、とにかく、「個人を中心とする債権者の細かくて多数の負債」を抱えた事業者が破綻すると、必ずや社会問題になって「規制を強化せい!」という世論になること請け合いなので、くれぐれもスクスクと成長していただくとともに、「悪い業者」がでてこないことを祈るばかりであります。
これ以上規制が厳しくなったら、あちこちベンチャーとかインディーズっぽい活動が阻害されて、社会の活気を大きく失わせること必至だと思う次第なので。
(ご参考:このへんhttp://www.tez.com/blog/archives/001192.html


実際のスキームの詳細は勿論、他のあらゆるリスク要因分析や会社の財務状況、役員社員の経歴やその報酬などなど、(しかもVCの条件や銀行のコベナンツまで)事細かに解説されています。上場会社か?欧米か!
この資料は分析しがいがありますね・・・。


んだすなあ。


というか、会社ダイジョウブ?とも思ってしまいますが。

これを受け、最大手の Prosper 社も、当局に同様(と思われる)の申請をすることを決定し、その間の営業を停止することとなりました。アレアレ、上記発表の翌日10月15日。折角TVCM放映したりしたのに・・・。
http://blog.prosper.com/2008/10/15/prosper-filing-registration-statement-enters-quiet-period/


10月15日(14日)は、「世界ソーシャルファイナンス記念日」にしたらいいかも知れないですね。


それもこれも、従来の米国各社のスキームには、そもそも大きな問題があったからなんですけどね。サービスを始めて2年で、ようやく当局が現実に追いついた、という感じでしょうか。

実は上記の一連の動きは、競争戦略としてはとっても興味深く思っております。ちょっとゾクゾクします。いつの日か、HBSのケースになることでしょう。

それはともかく、当局との折衝をすっ飛ばして営業開始すからこういうことになる(こともある)のですが、それがベンチャーらしいといえばベンチャーらしいです。こういうの、嫌いじゃない。むしろ、好き。


私も好きか嫌いかと問われれば、大好き、です。:-)
「当局と折衝してから開始」というノリでやってたら、少なくとも日本では絶対、GoogleとかYouTubeは出てこなかったはずです。


ベンチャーだからこそ、こういった凄い!サービスが生まれるんですね。PayPalを彷彿させられます。

その点、当局とちゃんと折衝した上でサービスインする maneo さんは、しっかりしていますね。「日本人による、日本人の為の・・・」といった感じでしょうか。


今、世界でもアメリカ的な金融資本主義の見直しが検討されてますが、
先日も申しましたけど、この「日本の金融規制」のノリは、半分冗談、半分本気で(残念ながら)世界のデファクトスタンダードになっていくんじゃないかという気もします。
それ以外に、世界の暴れる巨額マネーを封じ込める妙案は無いのではないかと。


日本では PayPal 的サービスを(並みの)ベンチャーでは出来ない所以もここら辺にあるのか、と。


ネット系と金融系と両方の業種を拝見している立場から言わせていただくと、日本の「いわゆるネット系」の企業が、その「ノリ」の延長線上で日本で金融っぽいビジネスを営むのは、相当な困難が伴うんじゃないかと思います。
(例えば、楽天さんやSBIさんなどは、「いわゆるネット系」とはちょっと違う、ということですが。[以下略]。)


日米の法律の違いはあれど、金融商品を販売するということは、大変なことですね・・・・。


んだすなあ。(特に今後。)


(ではまた。)

October 15, 2008

maneo開業おめでとうございます!

先日来、ワールドビジネスサテライトでコメントさせていただくなど、なんかソーシャルレンディング評論家っぽくなってしまってます磯崎ですが。
本日、maneoさんから開業されたとの連絡をいただきました。おめでとうございます。

pic3.png

早速、とりあえず「レンダー」としての登録をしてみました。(正確には、本人確認書類や通帳表紙のコピーをFAXまたは郵送しないといけないので、まだ途中ではあります。)

以前にも、ソーシャルレンディング関係のコメントをいくつか載せさせてもらいましたが、

日本において、ソーシャルファイナンスの可能性はあるか?

日本において、ソーシャルファイナンスの可能性はあるか?(2)

日本において、ソーシャルファイナンスの可能性はあるか?(3)

maneo訪問してきました


詳細な約款や説明書などを拝見した感想としては、以下の通りです。

(なお、本エントリは、maneoさんの事業で法令等により必要とされる説明の代行、または、maneoさんの取り扱う匿名組合持分等の公募、仲介等を意図するものではありませんので、念のため。また、さらっと拝見しただけで、誤解している部分もあるかも知れませんので、よろしくお願い致します。)


登録状況
今現在、「登録者381人」と表示されてます。
ちなみに、私の申し込み番号は600番台。
オークションは「0件」で、まだ開催されてないですね。

コミュニティはもう20弱できてます。ただ、参加者がいるところはまだ少ないようです。(私、現在、参加申請してリーダーの承認待ち。)

レンダーとしての登録もそれなりに大変ですが、借り手としての登録は年収の証明書など心理的抵抗感がより強いんじゃないかと想像されますので、おそらく当初は「借り手」<「貸し手」で資金供給圧力の方が高いんではないかと。

築地の正月一番のマグロの競りみたいに、最初のオークションでは、ご祝儀ですごい安い金利で借りられたりして。:-)・・・てなことがあるかどうかわかりませんが・・・ヒマがあったらボロワーの登録もしてみようかなあとも思います。


画面等
画面は、想像してたより良く(金融系にしてはカワイめに)できてるかも、という感じであります。
リスク等の説明も(そもそも”悪名高い”金商法その他の法令でいろいろ制約があるので、それなりにボリュームはありますが、その法令の制約の下では)、極力、わかりやすく説明されてるんじゃないかと。
(投資経験があって、銀行や証券会社の窓口で投信などを買うのに何十分もの説明を聞かされて辟易したことのある人は「ま、こんなもんか」と思うかも知れませんが、ECとかSNSなど普通のネットのサービスに入るような気持ちで会員登録を始めると、「ギョギョッ」という感じかも知れません。)


本人確認書類等の送付
「レンダー」の場合、免許証や通帳表紙のコピーをFAXまたは郵送で送ることになってますが、これ、Webの画面からアップロードとかメールにpdf添付とかではだめなんですかね?
「超整理法」の野口悠紀雄先生も、最近は「FAX使うやつと仕事するな」とおっしゃってるようですが、私もFAXのところで処理が止まっちゃいました。
画像ファイルにすると捏造のリスクがあるように思えますが、よく考えたらわかるとおり、FAXや郵送でもまったく同様の捏造のリスクはあるわけで。
「紙」でないとダメ、といった「内閣府令」とか監督官庁の指導みたいのがあるんでしょうか?


年齢制限、適合性
借り手は20から60歳までというのは順当なところかと思いますが、レンダーのほうも65歳までという制限があります。
1件20万円までしか貸せないとのことなので、リスク分散してそれなりの資金を運用するのもなかなか手間がかかることが予想されますから、退職して時間とお金のあるお年寄りというのは貸し手の候補として有望かなあと思っていたんですが、
確かにややこしい話ではあるので(テレビでさんざん報道しているのに、これだけ振り込め詐欺でだまされる老人が後を絶たないことから考えると)、他に日本ではまだ例のない「金融商品」でもあり、「適合性の原則」から考えるとしょうがないんでしょうねえ。
「ソーシャルレンディングで損したAさん(70歳)」といったご老人が顔にモザイクかけてテレビに登場、といったことになるよりはいいかも知れません。

ちなみに、当初、リスク説明書類を読んで、リスクについて理解しているかどうかを確認している画面もよくできてるんじゃないかと思いますので、リスクを理解してなかった、というクレームは来にくいかとは思います。
資金の出し手を「貸し手」と称しているので、万が一裁判等になった場合に、「金銭消費貸借契約だと思ったやんけ!」といったイチャモンをつけられないのかどうか、他人事ながらちょっと心配ではあります。(画面で、匿名組合契約に投資するもので、レンダーが直接借り手から回収等は行えないことについてちゃんとしつこいくらい確認を取らされるので、かなり無理なイチャモンかとは思いますが。よう知らんけど。)


vehicleが3つも
法令等上の要請に応えるその他の目的のためだと思いますが、事業を運営する主体を3つに分けてらっしゃいます。
匿名組合契約の締結及び貸金業を行う「maneo株式会社」
第二種金融商品取引業を行う「maneoマーケット株式会社」
取引口座を開設する「maneoエスクロー社」


手数料
ざっくり言って、匿名組合契約締結時に1.5%、1ヶ月毎に年利換算で約1.5%、計約3%の手数料を取られるようです。
これでmaneoさんが採算を成り立たせるためには、かなりがんばって貸し出し残高を増やさないといけないのではないかと思いますが(平残100億円になったとしても年間営業収益[売上]たった3億円・・・)、借り手や資金の出し手にとっては、これ以上手数料が上がると厳しいと思いますのでありがたいかも、ですね。

ちなみに、「期間報酬」の計算式は、下記の通りになってます。

pic2.png


これ、よく読むと、ざっくり残高に対して年利1.5%相当ということを意味しているのだと思いますが、なかなか数式をぱっと見ただけではそれが読み取りづらいですね。

「a」 の定義で、遅延損害金が発生した場合には多めになるので「残高×係数」という形の式にしないのはなんとなくわかります。
が、「c」の定義「(b × 出資者各人の出資額 ÷ 出資額合計)を出資者全員分合計した金額」というのと、ただ「b」というのとでは何が違うのかがよくわかんないです。

(追記)
各人から端数の無い円単位の手数料を取るので、という理由かもしれません。が、bには1円未満切り捨てと書いてあるのに、cのカッコ内の端数処理について言及がないですね。

bは、「a×それ以外」の形に因数分解できます。
「それ以外」は、例えば年利が仮に12%なら、「(12-1.5)/12」。
結局、「期間報酬」=1×aー((年利-1.5)/年利)a → (1.5/年利)a
・・・というすっきりした式に書けそうなもんですが、なんでそう書かないのかしらん??
(/追記)

それから、「契約時報酬」には消費税等がかかる旨が明記されてますが、「期間報酬」の方には消費税等の記述が見当たらないんですけど、消費税等は別途かかるのか、それともコミなんでしょうか。

・・・などなど、書類については、条項番号が振り直されておらず途中から始まっていたりとか、ちょっと再チェックの余地ありかも知れません。

とりあえず、思いついたことのメモでした。


しかし、サブプライムローンのショックで全世界で株価がほぼボトム(?)のこの時期に、サブプライムローンと一見似ているものの全く正反対の性質とも言えるこの事業がスタートするというのは、非常に象徴的というか、おもしろいですね。
(注:サブプライムローンは、元猿岩石の有吉氏風に言うと「ごった詰めクソ福袋」といった感じだったかと思いますが、ソーシャルレンディングがサブプライムローンと違って、どれだけ「借り手の顔が見える」ものになるか、見ものであります。)

この事業、通常の貸金業者や証券会社と違って、一種の「マーケットプレイス」ですので、SNSやオークション等と同様、「ネットワーク外部性」(つまり、「一人勝ち性」)が働くことが特徴かと思います。
「先行者利得」がどの程度働くかどうかはわかりませんが、がんばってください。>maneo様

(ではまた。)

October 13, 2008

クルーグマン氏

ノーベル経済学賞、おめでとうございます。

「君が代発祥の地」 本牧山 妙香寺

横浜というところは、「日本のアイスクリーム発祥の地」「ビール発祥の地」「テニス発祥の地」と、いろいろ「発祥の地」がたくさんありますが、本日でかけた中区にある妙香寺というお寺は「日本吹奏楽発祥の地」「君が代発祥の地」なのであります。

私、昨日初めて知ったのですが、日本の国歌「君が代」を最初に作曲したのは日本人ではなく、英国陸軍軍楽隊長だったジョン・ウィリアム・フェントンという人とのこと。今から139年前の明治2年(1869年)、薩摩藩士30余名がこの妙香寺で合宿してフェントン氏から指導を受け、日本で最初の吹奏楽が演奏されたそうです。

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ただ、こちらのページWikipediaなどを拝見すると、フェントン氏は日本語がわからず、メロディーが歌詞にあっていなかったため、日本人の雅楽演奏家が作曲しなおして今の君が代のメロディーになったとのこと。
(こういうのは、ボナソアード版旧民法がウッチャられたのと同様、明治期によくあったパターンなのかも知れません。)


妙香寺や日本吹奏楽指導者協会の方々がかなり前から、このフェントン氏や薩摩藩士のその後を追跡されているのですが、フェントン氏はずっと行方知れず、薩摩藩士のその後も30余名中2名しか判明しておらず、一人は帝国陸軍軍楽隊の隊長、もう一人は海軍軍楽隊の隊長になられたそうで。


日本吹奏楽指導者協会の方の追跡調査で、3年前に英国のDaily Telegraph紙に「日本人がフェントン氏のその後を捜している」という記事を書いてもらったところ、今年の夏になってアメリカに住むフェントン氏の子孫の方がネットで検索していてこの記事を見つけて連絡があり、フェントン氏のご子孫ツェーラー氏夫妻が来日して、本日晴れて、この妙香寺で客演指揮して「フェントン版」君が代が演奏されたわけであります。

フェントン氏は、アイルランドの教会で洗礼台帳が発見されたので、ずっとアイルランド人だと思われており、また日本赴任の後、イギリスに戻ったと思われていたそうですが、ご子孫と連絡がついたことで、お父様が英国軍人でアイルランドに赴任している時にフェントン氏が生まれたので実はイングランド人であったこと、日本赴任時にイギリス人の奥さんが亡くなり、アメリカ人の女性と再婚してアメリカに渡ったこと、などがわかったとのこと。

ご子孫は、写真中央の女性の方の方とのことですが、となりのご主人が音楽隊を指揮されました。現在眼科医だそうですが、やはりというか眼科医の経歴としては珍しいというか、音楽学校のご出身、とのことです。

(ではまた。)

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「国歌君が代由緒地」の碑

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山門

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演奏された陸上自衛隊軍楽隊の方々

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自衛隊ナンバーの陸上自衛隊中央音楽隊の運搬車

October 8, 2008

近況:ブログ書くより放送大学

何人かの方から、「ブログ更新されてませんけど、生きてます?」というお問い合わせをいただいたので、とりあえず生存のご報告まで。

「仕事が忙しいんですか?」とのご質問もいただきますが、仕事もボチボチやらせていただいておりますものの、それよりも、前にも申しましたとおり、最近「放送大学」にハマっちゃいまして、それでブログを書く時間がなくなっておりまして。

放送大学は昔からあったわけですが、前にも申しました通り、アナログ放送時代と違って

放送大学 + 地デジEPG + HDDレコーダ + インターネット(Wikipedia等)

という組み合わせはサイコー!でございまして、好きな時間に好きな授業を(場合によっては早回ししたり、巻き戻したりして)見て、わからないところはネットで調べるなどすると、まるで、大昔の映画「禁断の惑星」

禁断の惑星

に出てくる、古代の異星人が遺した「頭の良くなる機械」のような感じなのであります。
(実際に頭がよくなってるかどうかはともかく)、情報はものすごい勢いで流れ込んで来て、今まで断片的だった知識が、「あ、なるほど、こことここがつながってるんだ!」とAha体験の連続。こりゃー、やめられまへんわ。

「学ぶ理由は十人十色」で、非常に多様な科目があるので人によって見方は異なるでしょうけど、私の場合、下記のような科目がハマりました。


情報通信技術系科目
非常に熱心にわかりやすく解説されてますし、「なるほど」と勉強になる部分があります。(ただし、なにせ技術革新のスピードが速すぎる領域だけに、ネットで毎日見ている情報に授業が追いついていない面はあります。)

法律系科目
法律系の科目も、(もちろん内容は非常にしっかりされてますが)、放送大学の授業の中では、単に基本書などを読んだり大学で授業を受けたりするのと、あまり変わらない方かなあという気がします。
ただし、「裁判の法と手続」など、最高裁判所判事の部屋に入って背景に皇居の緑をながめながらインタビューに聞き入るなど、放送大学ならではの普通ではなかなかできない体験もできます。

分子生物学、細胞生物学系
これはすごい。
私が高校で生物を習ったのはもう30年も前になりますが、ヒトゲノムの解読に代表されるように、それ以降のバイオ系領域の進展というのは、すさまじいものがあります。
もちろん、その間も新聞や雑誌などで情報を拾っていたわけではありますが、授業で体系立って説明してもらえるのに加えて、
「DNAがほどけてRNAに転写されて、リボソームがうんぬん・・・」
というあたりになると、超よくできたCGによる説明があるのと単に本を読むのとでは格段の差があります。
時々、NHKでもそっち系のいい番組をやってはいますが、記者の人の目を通してマイルドに仕上がっているのと、研究している学者の方が直接語るのでは、新聞記事とブログくらいの差、おそば屋さんのカレーと本格インドカレーくらいの差があるのであります。(おそば屋さんのカレーの方が好き、という人もいるでしょうし、それはそれで結構なのですが、私は本格インドカレーの方が好き。)

行動生態学系
これもすごい。
昔から大ファンであります長谷川眞理子先生による「動物の行動と生態(2004)」が10月からはじまってますが、前期にやっていた長谷川寿一・長谷川眞理子ペアによる「進化と人間行動」も何ともすばらしい。
これは、DNA、細胞、器官、個体、群・・・といった「多レベル」間の利益相反のある進化といった視点や、人間の脳などのハードウエアが、基本的には石器時代の狩猟採集生活に適応したものとなっている、といったお話で、最後の方にはゲーム理論的な合理的行動と、実際の人間行動の違いのお話なども出て来て、経済学にもつながっております。

私は経済学科出の人間ですので、どうしても合理的行動から出発して、その例外として限定された合理性を考える、というアプローチでモノを考えてしまっていたのですが、社会や経済の素直な理解としては、石器時代の脳の人間が集まって合理的っぽいことをしているという方が実態をよく表しているなあというコペルニクス的展開が私の頭の中でありました。

経済政策
大学院の授業ですが、ミクロ経済学から財政、金融、労働、変動相場制下のIS-LM分析・・・といったあたりまで、幅広くわかりやすくまとめてあるので、国民全員の必修科目にしてもいい気がします。しかも海外も含めたいろんなビデオや、岩田一政日銀副総裁(当時)とか中村伊知哉慶應義塾大学教授、石井岡山県知事へのインタビューなども入っていて、なかなか、普通の大学の授業にはない、放送大学ならではの贅沢な内容になってるんじゃないかと思います。

芸術の理論と歴史
芸術が単なる絵を描くといったテクニックのお話でなく、その時々の社会や文化や哲学と密接な関係をもって成立している、といったことが学べる授業。例えば、ルネサンス期の芸術と、メディチ家のビジネス、新プラトン主義哲学者の招聘などの関連が理解できます。

大学と社会
まだ一回目しか見ていないんですが、パリ、ボローニャなど、ヨーロッパ中世で成立した大学は、大学がある都市との間で抗争・対立があったため、対抗上、学生や教職員の「ギルド」的な性質を帯びていた一方、学問は理論武装としての「力」の性質があって、都市や国の間で大学の取り合いがあり、大学の分派がヨーロッパ各地に分散して行くことになった、といったあたりが非常に興味深いのであります。(なぜ作品のことを「masterpiece」というか?、とか、universityの語源は同業者組合だ、とか、ウンチクもいろいろ身に付きます。)

現代の会計
石川純治駒澤大学教授の授業。会計の授業を中世の複式簿記の成立あたりからはじめるというのは王道ではありますが、実際に1494年のルカ・パチョーリの最古の簿記書「SUMMA」(Summa de arithmetica, geometria, proportioni e proportionalità=算術幾何比例要覧)の現物の表紙の写真や、それが「簿記」の本ではなく数学の本であったことなどは、まさしく「教養」。
また、全15回を通じて、会計というのが社会の要請を通じて(例えばフローとストックの間で)変遷を繰り返して来たこと、現在の「金融資産会計」が過去の取得原価主義の単なる修正で延長線上にあるものなのか、それともまったく新しい考え方なのかといった視点、会計には「コモンロー」ではない「エクイティ」的な考え方が含まれることなど、会計専門家の方々が見ても、非常に深い内容になっているのではないかと思います。
これは、長銀(終わっちゃったけど)やライブドアなど、会計と法のせめぎあう領域で裁判をされている裁判官、検察官、弁護士などの方々にも、ぜひ見ていただきたいシリーズ。

宇宙とその歴史
天動説から地動説への転換からはじまって、恒星、銀河、銀河団、といった宇宙の構造に至るまでの壮大なお話。杉本大一郎教授のご方針で、単なる技術的な話に終わらず、宇宙からの情報を取得してそれをどのような認識・モデルに落として行くか、限られた情報からいかに全体像を推論するかといったあたりが、一般の社会生活などにも役に立つのではないか、という視点からの作りになっているので、味わい深い内容になってます。


以上のような授業を見まくると何が起こるかというと、原子・分子からDNA、細胞、社会、地球、宇宙といった多元的な視点から人間や社会が理解できる(ような気がする)ということでして、これは、昔、手塚治虫の「火の鳥」

火の鳥 (1) (手塚治虫漫画全集 (201))
手塚 治虫
講談社
おすすめ度の平均: 5.0
5 すごすぎます
5 深い
5 壮大な叙事詩のまくあけ

を一気読みして、宇宙から原子、太古から未来までの多元的な視点から人間とは何かを考えさせられた強烈かつ幸福なエクスペリエンス以来の感動と言ってもよろしいかと思います。
普通の大学・大学院や、ネットの大学等でも、これだけクオリティの高い interdisciplinaryな話を一気に聞けるという機会はまず無いと思いますので、そういう意味では希有な体験であります。

各授業15コマ×45分づつあり、ご紹介していない授業も見ておりますので、これだけ見るだけで100時間以上はかかっておりまして、ブログ書いてる暇がなくて申し訳ないです。そろそろめぼしい(私が興味ありそうな)授業は見尽くしてきた感がありますが、もうちょっと残ってますので、落ち着いたらまたブログ執筆に復帰したいと思います。

(ではまた。)