Yomiuri Online連載第7回目 「まどか☆マギカ」で考える「インキュベーター」の役割

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こんにちは、磯崎哲也です。本日はベンチャー企業を育てる「インキュベーター」について考えてみましょう。

 ネットやIT系の企業については、ベンチャー企業を立ち上げる投資額は非常に小さくなりつつあります。同じ性能のハードウエアのコストが数年で半減する「ムーアの法則」と、実用に耐えるオープンソース(無料)のソフトウエアの増加により、10年前に比べて、同じことをやる場合の投資額の桁が1つ2つ小さくて済むようになってきているわけです。

 するとどうなるか。
 全体として、資金を供給する投資家よりも、資金の提供を受ける起業家の立場の方が強くなります。(もちろん、「イケてないベンチャー企業でも簡単に資金調達できる」なんてことがあるわけはないので、あくまで「全体」「マクロ」で見た場合に、そうした方向の構造変化が起こっているという話です。)
 このため、投資家は、成長の見通しが確実になって来たミドル、レイターといった段階以降に投資をしていたのでは、必ずしもイケてるベンチャー企業に投資できないことも多くなってきました。つまり、ベンチャー企業に投資する立場の人は、単にカネさえ持っていればいいわけではなく、「カネ以外」の魅力を打ち出す必要が大きくなってきているわけです。

 そうした差別化を図る方法の一つとして、ベンチャー企業の体制がまだ整わない、設立前後の早い段階から面倒を見る、ということがあります。
 そうした初期段階のベンチャー企業は、「いいエンジニアはいないか?」「この戦略で正しいのか?」「資金をどうやって調達すればいいのか?」「株式を誰にどのくらい渡して、いくら調達するのか?」といった、さまざまな悩みを抱えています。そうした疑問を誰に尋ねればいいのかすらわからないことも多い。そうしたことについてワンストップで尋ねられて、さっと答えが返ってくる人がそばにいると、非常に心強いですよね。

 「インキュベーター」は、そうしたベンチャービジネスを起業後の非常に早い段階から、起業に関する情報、資金、オフィスなどを支援してくれる存在です。アメリカでは、ポール・グレアム氏がやっている「Y Combinator」というインキュベーターが有名ですが、日本でも、いくつもインキュベーターが活躍しています。「いいインキュベーター」がたくさん出て来ることは、日本のこれからのベンチャーコミュニティの発達にとって、極めて重要だと思います。

しかし。
 今年に入って、この日本の「インキュベーター」の将来に大きなインパクトを与える出来事が起きました。それは「魔法少女まどか☆マギカ」というアニメが一部で大きなブームを巻き起こしたことです。(半分冗談ですが、半分本気です(笑))。
 ネタバレしないように申し上げるのが難しいのですが、つまり、このアニメでは「インキュベーター」という存在が、あまりよく描かれていないわけなんですね。

 念のため申し上げておきますと、私の存じ上げているインキュベーターの方々は、みなさんいい人ばっかりです。しかし、Y Combinatorのポール・グレアム氏が、「(ベンチャー企業が)資金を欲しがっているとわかると、投資家はつけ込んでくることもある」と言っているように、投資家と契約する際には、十分、注意が必要です。

 インキュベーター(incubator)の元の意味は、赤ちゃんが入る「保育器」のことです。
 ベンチャー界においてインキュベーターという用語が使われ出したのは、ユーモアの意味合いも大きいと思いますが、考えようによっては、「インキュベーター」というのは、「インキュベートされる側(ベンチャー企業など)」を、赤ちゃん扱いしているとも言えるわけです。「同じ知的生命体」として見てはいるものの、圧倒的な立場の差があるという、インキュベーターからの「上から目線」を感じる人もいるかも知れません。
(もしかしたら、日本ではもう「インキュベーター」に変わる言葉を使った方がいいのかも知れませんね。(笑))

 経済学的に言うと、取引を行う者の間に「情報の非対称性」と呼ばれる大きな情報格差が存在するわけです。
 こうした情報の非対称性が存在する状況下で「契約」を行うと、どうしても、情報が少ない側の人は、不利な契約を結ばされてしまう可能性が高まります。 情報の非対称性が大きい例として、「医者と患者」「弁護士とクライアント」「証券会社と個人投資家」などの間の取引がよくあげられますが、これらの例においては、情報を持っている側に資格や免許制度を導入して、安心して取引が行えるようにしているわけです。

 しかし、ベンチャー企業がそうした制度的な保護を受けることは、あまり期待できません。
 1つには、ベンチャー企業は「イノベーション」を進める存在だから、ということがあります。パターン化された成熟産業ならともかく、誰もやったことがないことを一定の基準で規制するなんてことは難しいでしょうし、規制でがんじがらめにしたらベンチャー企業が成長出来ないので規制するべきでもないと考えます。
 2つめに、「弱者」とみなされることが多い個人の消費者と違って、法人などで事業を行う場合は、基本的に「一人前の存在」として扱われます。生まれたばかりの子供を保護する必要があるのは当然ですが、設立したばかりの法人は「弱い存在」とは限らないからです。ベンチャー企業の人材にも、大企業で成功した経験のあるソフトバンクの孫さんやユニクロの柳井さんのような人がいるかも知れないし、資金調達したら資本金もすぐに億単位になります。画一的なルールで「保護されるべきベンチャー」を定義するのは非常に難しいのです。

 ビジネスをやる上では様々な障害があるのは当たり前であり、そうした障害をかいくぐる能力が無いとベンチャー企業の成功は望むべくもありません。「日本は社長保証を取られる風習がある。だからベンチャー企業が育たないんだ」といったことを言う方がいらっしゃいますが、ベンチャー企業の立場に立てば、それは「甘え」に過ぎません。ベンチャー企業の経営者は、騙されて契約書にハンコを押させられる寝たきりの老人とは違います。自分が納得できない契約なら、契約しなければいいし、するべきではないのです。

 アニメにも実社会にも共通する教訓は、「契約する際には、十分すぎるほど注意せよ」ということです。相手がなぜその契約を結びたがっているのか、相手はこの契約の対価として何を得るのか、契約にはどのような義務が伴うのか、どのような条件が発生すると契約が終了するのか、契約終了後はどうなるのか。そういった注意は、(ベンチャー企業に限らず)必要です。
 創業はタイミングも重要ですし、ビジネスのアイデアを思いついたときは熱くなっていることも多いので、つい中身を考えずに「契約」をしてしまいがちなのですが、そこで踏ん張ってよく考える必要があります。もちろん、慎重になればなるほど結果が良くなることが保証されるわけでもないですし、スピードが遅くてタイミングを逸するベンチャー企業も非常に多いので、難しいのですが。

 前回「なぜイケてる上場企業が少ないのか?」という話をしましたが、ベンチャー企業も最初はみんな「希望」を信じて起業するわけです。そのベンチャー企業が、間違った資本政策や契約のせいで、うまくいくはずもない上場して、呪いをもたらす存在に変わってしまうとしたら、それは非常に悲しいことですよね。
希望を信じた起業家を、私は泣かせたくない。最後まで笑顔でいて欲しい」というのが、私の祈りであり願いです。そして、それを実現するために必要なのは、「煽るのでも悲観するのでもない、正しい情報」であり、「うまくいかなくても最悪の事態に陥らないための正しい知識」だと思います。それが世の中に広く伝わっていくよう、引き続き努力していきたいと思います。

(ではまた。)

【2012/10/19】Yomiuri Onlineのサイトで古いものから記事が消えているようなので、ブログに記事を掲載しました。(私の元原稿に基づいているので、Yomiuri Onlineに掲載された表現と若干異なる可能性があります。)

元のリンク(リンク切れ):
http://www.yomiuri.co.jp/job/entrepreneurship/isozaki/20110531-OYT8T00567.htm

当初このタイトルは、読売新聞の編集の担当さんに、

「まどか☆マギカとっても、マイナー過ぎて誰もわからないんじゃ?」

と言われて、ボツになるところだったんですが、別の編集の方が「『まどマギ』はキてますっ!」と、強烈にプッシュしていただいて、奇跡の復活wwを遂げた次第です。

はてなブックマークでも、あっという間に、この「起業案内」の連載でも、現在(15:51)過去最高の66個のブックマークをいただいております。[追記]2012/10/19に見たら387個になってました。

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