白洲次郎は本当にマッカーサーと対等に渡り合ったのか?

  • Facebook
  • Twitter
  • はてなブックマーク
  • Delicious
  • Evernote
  • Tumblr

6月30日火曜日にテレビ東京で放送された「開運!なんでも鑑定団」で、マッカーサー記念館に保存されている、白洲次郎がマッカーサーに送ったという手作りの木の椅子と書簡が出品されてました。
(モノの写真は、こちら。)

白洲次郎については、このブログでも何回かご紹介しており、日本の歴史の中でも最も「かっこいい」男の一人じゃないかと思っておりましたが、出品された書簡を見ると、ちょっと従来持っていた印象と異なる面がいろいろあります。

200907021344.jpg

まず、1947年6月22日に白洲次郎氏がマッカーサーに送った手紙の内容が下記。
(アナログと違って、地デジだと書類の文字までがくっきりと読めるので、スゴいことです。)

June 22nd, 1947

Your Excellency,

I have great honour in
presenting to you a wooden chair I designed
and had it specially made in my village work
shop for your Excellency in sincere appreciation
of and great admiration for your unrivalled
leadership I had the good fortune of witnessing
during my tenure of office as Vice-President
of Central Liaison Office.

I remain, Your Excellency,
 Your most obedient servant.
/s/
Jiro Shirasu.

His Excellency,
General of the Army Douglas MacArthur,
The American Embassy,
Tokyo


白洲次郎は、「従順ならざる唯一の日本人」とか「マッカーサーを怒鳴りつけた男」などと取り上げられることがある一方で、マッカーサーの面会記録に一度も白洲次郎の名前が無いのでと照らし合わせると、巷に広まっているエピソードには脚色もあるのではないかという見解もあるようです。

私はこういう超丁寧で儀礼的な手紙を書く英語力もないので何とも言えませんが、この手紙から受ける印象は、「マッカーサーを怒鳴りつけた男」といったイメージからは程遠いですね。

むしろ、「自作の椅子をプレゼントしてまでゴマすってる」と取れなくも無いですが、当時の感覚として、GHQの一番偉い人への手紙としては、この手紙の書きっぷりは標準的な英語の言い回しと考えられるのでしょうか?

特に、署名直前の「Your most obedient servant」というのは、「そこまで卑屈になる必要無いんじゃないの?」とビックリしましたが、英辞郎を見ると「Your obedient servant →敬具。昔の手紙の結び」とありますので、当時としては特にへりくだり過ぎということもないなのかも知れません。

白洲次郎に関するWikipediaの記述によると、

「1951年(昭和26年)9月、サンフランシスコ講和会議に全権団顧問として随行する。この時、首席全権であった吉田首相の受諾演説の原稿が、GHQに対する美辞麗句を並べ、かつ英語で書かれていたことに激怒、「講和会議というものは、戦勝国の代表と同等の資格で出席できるはず。その晴れの日の原稿を、相手方と相談した上に、相手側の言葉で書く馬鹿がどこにいるか!」と一喝、受諾演説原稿は急遽日本語に変更され」た

とありますが、上記の手紙の書きっぷりとは正反対の話ですね。

 

この白洲次郎の手紙に対するGHQからの返信もイマイチです。

26 June, 1947

Dear Mr, Shirasu:

General MacArthur has asked me to write you
of his great appreciation of your kind letter of 22 June, and
of the very handsome chair which you have presented to him.
He is very grateful to you for your generosity and thought
-fulness, and sends you his cordial good wishes.

Sincerely,
LAURENCE E. BUNKER,
Colonel, Aide-de-Camp.

Mr, Jiro Shirasu,
Tsurukawa-mura,
Minami-tama-gun,
Tokyo, Japan.

(白洲次郎の手紙は、全体が一つの文章でつながっていて読みにくいですが、こっちは、現代のアメリカ人とやりとりしているビジネス英語感覚とあまり変わらず、すっと読めるのではないかと思います。)

しかし、マッカーサー名ではなくて、補佐官(Aide-de-Camp )のBunker大佐が出しているものですが、マッカーサーが白洲に一目置いていたんだったら、(自分でタイプしろとは言いませんが)、秘書にタイプしてもらったものに自分でサインくらいしてもよさそうな気もします。

と思って白洲の出した手紙の下を見ると、下記のようなメモ書きが。

200907021345.jpg

一行目は「To Col Bunker」だと思いますが、2行目は「to thank note」??、3行目はマッカーサーのサインでしょうか?
(二行目がナゾです。2つ目の単語は、2文字目が「t」に見えるので、すると「thank」ではないことになります。)

たぶん、マッカーサーがBunker大佐に「お礼状出しといて」とメモしたということでしょうか。

直接、マッカーサーがBunker大佐に白洲の手紙を手渡しして、
「こんなカッコいい椅子もらっちゃったよ。丁寧にお礼の手紙出しといて。」
と告げたとしたら、このメモはいらない気もするので、マッカーサーとしては「ふん」と書類の決裁箱に放り込んだといういう感じだったんではないかとも思いますし、本件に関するマッカーサーとBunker大佐とのコミュニケーションがこれだけだとすると、Bunker大佐が書いている「great appreciation」とか「very handsome chair」とか 「He is very grateful to you for your generosity and thoughtfulness」というのも、本当にマッカーサーがそう思っていたというよりは、Bunker大佐が書いた単なる社交辞令の定型的言い回しに過ぎない、ということになります。

1947年6月22日という日はどういう時期だったかというと。

白洲は、1947年6月18日に終戦連絡中央事務局の次長(白洲の手紙の表現だと、Vice-President of Central Liaison Office)を退任してますので、それまでに関わったマッカーサーに感謝の意をこめて手作りの椅子を送った、というのが素直な考え方だと思います。
しかし、マッカーサーに一度も面会したことがないとすると、いくら交渉相手のボスとは言え、その人に手作りの椅子を送るというのはどういう気持ちなんでしょうね?

日本国憲法は、紆余曲折の後、前年1946年11月3日に公布され、1947年5月3日に施行されてます。
白洲次郎としては退任直前は経済安定本部次長だったようですが、6月ころはすでに、ひまモードになっていたのではないかと思います。

(でないと、鶴川村で手作りの椅子なんて作る暇ないはずですよね。)

Wikipediaの記述によると、

占領期間中、マッカーサー自身は1948年のアメリカ大統領選挙に出馬する事を望んでいた。しかし現役軍人は大統領になれないため、早く占領行政を終わらせ凱旋帰国を望んでいた。そのため、1947年から彼はたびたび、日本の占領統治は非常にうまく行っている、日本が軍事国家になる心配はない、などと声明を出し、アメリカ本国へ向かって占領を終わらせるようメッセージを送り続けた。

とあるので、この椅子をもらった当時は、マッカーサーはもう大統領選のことで頭がいっぱいだったのかも知れません。

ご参考まで。

(ではまた。)

[PR]
メールマガジン週刊isologue(毎週月曜日発行840円/月):
「note」でのお申し込みはこちらから。

白洲次郎は本当にマッカーサーと対等に渡り合ったのか?” への5件のコメント

  1. 【本】吉田茂 ポピュリズムに背を向けて

    吉田茂
    北 康利 講談社 (2009/4)
    北さんの作品は、現在連載中の『銀行王 安田善次郎』を紹介しました。今回は、以前ご紹介した『白洲次郎』を書いたと…

  2. 政治献金で建てた鳩山邸(鳩山会館)よりも白洲次郎が自費で購入した農家を自宅として使った白洲邸(武相荘)の方がすばらしい。
    白洲次郎氏がマッカーサーに送った手紙にある「my village work shop」と言うのは、武相荘のことなのだろうか。

  3. >「my village work shop」と言うのは、武相荘のことなのだろうか。
    私も最初、武相荘のことだと考えたのですが、(この英語、非常に分かりにくいですが)、
    a wooden chair I designed and had it specially made in my village work shop
    の、「had … made」というのは、「椅子を作らせた」という「使役」を表すと思われます。
    「なんでも鑑定団」でも、「デザイン(は自分で)して、私の村の工房で作らせた」といった旨の訳がついていました。
    なんでも鑑定団の訳は、鶴川村に(武相荘以外の)木工所のようなものがあってそこに作らせたようにも聞こえますが、「my」が「work shop」にかかるとすると、武相荘に使用人などがいて、その人に作らせたとも読めます。
    しかし、別の工房だとすると、
    had it specially made in a work shop in my village
    といった言い方になるような気もするので、やはり、「work shop」というのは武相荘のことのような気もします。
    本当は武相荘で白洲が自分で組み立てたのだけど、そう書くとマッカーサーにヒマ人だと思われる可能性があるし、白洲次郎が組み立てた別の椅子は人間が座ると壊れたという逸話があるそうで、白洲が作ったというと他人に不安を与えるかも知れないので、「had it specially made」としたのかも知れませんね。
    (ではまた。)

  4. 従順なる召使(1)

    『何でも鑑定団』を見ていたら、白洲次郎がマッカーサーに贈った椅子が出品された。鑑