経済教室「再考 金融危機の真因(下)」に異論あり

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ソニーコンピュータサイエンス研究所の高安秀樹氏が書かれた昨日の経済教室「再考 金融危機の真因(下) 売り手責任の甘さが問題」は、読んでいて非常に違和感がある内容でした。

 

高安氏が書かれた、経済物理学の発見

経済物理学の発見 (光文社新書)
高安 秀樹
光文社
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おすすめ度の平均: 4.0

5 学問の広がりに期待を抱かせる一冊
2 ちょっと強引な気が。。
5 21世紀の経済学がここにある
5 LTCMの失敗
5 投資家にもお勧めしたい一冊

 

は、非常に面白い本だと思うのですが、高安氏は、実際の金融界の話をどこまでご存知の上で、今回の経済教室を書かれたんでしょうか?

(「オレの方が知ってるぞ」という意味ではなくて、素朴に「どうなんだろ?」という疑問であります。)

 

過去のデータの分析が悪かったのか?

冒頭部分で高安氏は、

現在の金融危機は科学的に予見されていた。なぜ警告に耳を貸すことができなかったのか、その問題の本質は、観測データに立脚して物事を考え、失敗の経験を未来にいかすという当たり前のことを徹底する体質が金融の世界に欠如していることにある。

とおっしゃっています。

一昨日のエントリでも考えましたが、問題の本質はそこではないんじゃないでしょうか?

世の中にはいろんなことをおっしゃる方がいらっしゃるわけで、「事後的」には「ほら、オレの言った通りだ」という方は必ずいらっしゃるわけです。これは、(大変失礼な言い方をさせていただけば)、「ノストラダムスの大予言が、ヒトラーの登場を予見していた」というのと、(「科学」か「オカルトか」の違いはありますが)、ある意味同じ構造のお話で、「数打ちゃ当たる」のであります。

大きな疑問は、高安氏も書かれているように、なぜ「事前に」警告に耳を貸すことができなかったのか、ということになるわけですが。

もちろん、「金融界のPDCAサイクルが完璧である」、とは申しませんが、過去の失敗による損失や行政処分などの反省を踏まえて、改善に取り入れるという態勢は、近年、金融界にも取り入れられて来ているのではないかと思われます。

 

金融危機は「正規分布」過信のせいなのか?

また、高安氏は、「現実の世界は『ベキ乗則』なのに、実務では正規分布が採用されている」ということを大きな問題とされていますが、べき分布と正規分布の差はあんまり金融危機には関係ないと思うんですよ。

週刊isologueの第2号「AIGの経営危機のディープな記録とその示唆」でもお伝えしましたが、CDSで経営危機に陥ったAIGの開示資料を見ても、「正規分布」だけに依拠して経営を行っていたなんてことはまったくなくて、ブラックマンデー等、通常の市場環境下では考えられないようなリスクシナリオ等も想定した「ストレステスト」も行っていたようですから、過去の(「ベキ乗則」を含む)事態も包含して考えていたと言えると思います。

一方、悪い仮定はいくらでも想定できますが、問題は「最悪の事態」ばかり想定したら、企業の経営はなりたたなくなってしまう(何もできない)ということです。「善管注意義務」を果たして考えて、そのリスクをとることが合理的だと考えられれば、その行動は採用されるわけです。

以前のエントリで池田さんの引用を孫引用させていただきました、高安氏が監訳されたマンデルブロ『禁断の市場』には、

1日に7.92%も下がったこともあり、こちらは10.7σに相当します。正規分布にしたがっていた場合にこのような大変動を観測するためには、シティグループが150億年前のビッグバンとともに創業していたとしても、ほぼ確実に現在までに一度も起こっていないほどの異常さなのです。

とあります。

これは、「正規分布」についての教養としては非常におもしろい話だと思うんですが、だからといって、「10.7σだから通貨が8%変動するなんてことは150億年は発生しないぞ」なんて考える金融関係者がいるわけがない。

このブログを読んでいる読者の方も、「株や為替が8%動くのを見たことが無い」という人はいないですよね?(笑)

デイトレーダーのように、1日のうちに必ずポジションを手仕舞う人ならともかく、巨大な金融機関では、市場の流動性からして1日では動かせないポジションを持っていることがほとんどなので、「1日」という単位に区切ったら確かに非常に大きなσ(1ヶ月のボラティリティの「30の平方根」倍)になってしまうけど、だからといって、それだけに依拠して「株や為替が8%しか動かない」と思う金融マーケットの人なんて(ほとんど)いないと思います。

 

金融商品の値付けはブラックショールズ式で行われているか?

また、「ブラックショールズ式が値付けに使われている」ということを問題にしてますが、ブラックショールズ式が値付けに使われるのは、例えば会計上のストックオプションのバリューの計算など、取引の相手方との交渉で価格が決まらないような場合だけであって、実際には、価格は「市場」(私人間の契約)で決まるわけです。
過去の同じ一定期間のデータから標準偏差を計算して、それだけをもとに価格が決まっているのではないのではないかと。

 

「ヘッジ」の範囲の逸脱はいかんのか?

 金融工学が悪用された最大の原因は、保険の機能を喪失した金融商品が市中に流通することをとがめようとしない無責任な放任主義にある。

というところもちょっとおかしな部分で、AIGが売っていたCDSなんかは、まさに「保険機能そのもの」ではないかと思います。(追記:高安氏がいう「保険」というのが「ヘッジ」のことだとすれば。)

もしも値付けが高すぎれば売り手がぼろもうけをし、安すぎればいずれ売り手は破綻する。また、もし保険を過剰に買った人がいれば、それはもはや保険ではなく、ハイリスク・ハイリターンのギャンブルであり、保険金詐欺の温床ともなりかねない。オプション公式が現実のデータと合っていなかったということは、保険の機能を喪失した“保険モドキ”が売買されていたということなのである。

ともおっしゃってますが、なぜ、 「保険を過剰に買った人がいれば、それはもはや保険ではなく、ハイリスク・ハイリターンのギャンブル」になるんでしょうか?
保険なので、保険に入る方は支払った保険料がコストになるだけで、「ハイリスク」にはならないんではないかと思います。
(どちらかというと、今回の金融危機の問題は、AIGのように、保険を「売る」会社の方の話ではないかと。)

また、おっしゃるように、「もしも値付けが高すぎれば売り手がぼろもうけをし、安すぎればいずれ売り手は破綻する。」からこそ、価格はブラックショールズ式を鵜呑みにするのではなく、「市場メカニズム」で、適当な水準に決定されているわけです。

非常に初歩的な話ですが、ヘッジ目的のためのニーズしかなくなって、投機目的の人がいなくなると、今度は市場の流動性(liquidity)が少なくなって、流動性リスクが高まるわけです。というか、そもそも円滑に取引が成立しなくなる可能性も出てきます。
流動性のリスクも考えないといけない、というのも、今回の金融危機やLTCMの教訓だと思います。

 

「唯物論」的な処方箋は現代社会に有効なのか?

 自己責任での商品の販売が許されているということは、要するにその商品に関する科学が未発達で分析管理技術が確立していないということにほかならない。

というのは、非常にマルクス的な考え方ではないかと思いますが、そういった「社会の複雑さ」を管理で閉じ込めようとして破綻したのが社会主義国家ではなかったかと思います。

 

「過去と違う」と思うからやるのでは?

高安氏は、経済教室の最後の部分を、

こうしたことは、十年前まではやろうとしても、まず基本となるデータがなく、不可能だった。だが今やすべての金融取引が電子化され、膨大なデータが蓄積され、さらに科学的な分析手法もコンピューターもそろい、やろうと思えばできるようになった。むろん、これは一、二年ですぐできることではない。しかし、今から取り組み始め、もし次の嵐までに間に合えば、今回の金融危機を人類の歴史上最後の世界的な金融危機とすることも夢ではないのだ。

と結んでらっしゃいますが、そういう「過去のミクロなデータをきちっと分析すれば、漸近的に正しい世界に近づける」という世界観こそが問題であって、そうした分析をいくらしても「リスク構造の変化」というパラダイムシフトには気づかない、ということなんじゃないかと思います。

現在、「チューリップ」の球根でバブルになるほどは人類はアホではない、ということかと思います。過去の経験はそれなりには生かされているわけですが、「これは以前とは構造が違う」と思うからこそバブルになるのであって。

 

なぜ「科学的」なアドバイスが金融に生かされないか?

まとめますと、なぜ科学的な予見が現実経済に生かされないのかということを、この高安氏の論文は反面教師的に教えてくれるのではないかと思います。

つまり、科学の専門家が現実の金融の世界の概要を理解していないから、アドバイスを受ける金融界の側としては「的外れ」に聞こえてしまうわけです。

では、なぜ科学の専門家が現実の金融の世界の概要を理解していないかというと、金融の世界があまりに複雑になってしまっており、「二足のわらじ」で理解できるほど生易しいものではないから、ということかと思います。

つまり、「高安氏がアホだ」なんてことを申し上げているつもりはまったくなくて、「どんなに頭がいい人でも、社会の全貌を理解するのが不可能なほど、社会が複雑化してしまっている」というところが問題の根本ではないかと思います。

このため、

そのためには、まずは、自由な相対取引に任せられている金融商品の取引を監視するような仕組みの導入が不可欠である。現実の過去のデータを網羅的に科学的な分析を施した上で、リアルタイムの市場データを素早く正確に分析し、金融商品の価格と量の妥当性をチェックし、投資と保険とギャンブルを区分する基準を構築すればよい。

という高安氏の処方箋も、まったく実現不可能で的外れなものではないかと。

なぜなら、それはモニタリングコストが「合理的」な範囲に収まらない可能性が高いから。
金融商品のコストはベーシス(0.01%)単位で定まるようなものも多いのに、そこに何百ベーシスものモニタリングコストをかけたら、その取引自体がそもそも経済的に成立し得なくなります。

(追記:

  • 金融機関のシステムに毎年、1社あたり100億円、1000億円単位のコストがかけられていることを考えれば、高安氏の想定するような監視システムというのは、いったい世界全体で何兆円くらいでできるイメージでしょうか?
  • 今回の金融危機は、すでに取引所ができあがっているような、株式や為替、そのオプションや先物などのせいで発生したものでは、まったく無いですよね?
  • 高安氏は、現代の金融のすべてが、比較的少数のパラメータで記述される、データフォーマットが定まった大量の取引で構成されているようなイメージをお持ちだという感じが伝わって来るのですが、実際の、相対取引の商品というのは、(おそらく)英文の100ページ単位の契約書で記述されるもので、それを「正確に」数値モデルに落とすのも一苦労なものなんではないかと思います。
    だからこそ、簡単なモデルが用いられたり、「マーケットリスクはモデル化するけど流動性リスクについては想定しない」、といったことが起こるわけで。

 )

 

「日本並みの管理」が世界に広がったらバブルは防げるか?

また、(影響をゼロにできるわけではないが)バブルの影響が破滅的にならないように抑制するためには、そこまで大量のコストをかけて「ミクロに」「包括的に」「リアルタイムに」監督する必要もなくて、(必ずしも評判がいいとは言えない)「日本の金融庁(さん)並の監督」を世界中で網羅的に行えばいいだけではないかと思います。

つまり、外部の第三者としてたびたび金融機関を訪れては、過去の意思決定について問題がなかったか、「重箱の隅をつつく」とも思えるような検査をする。認可等が必要な新しい商品やサービスについても、かなり一所懸命説明しても、担当者が理解するまでなかなか認可されない。・・・といった、あまり楽しくなさそうな世界にするということです。

そうなると、民間金融機関側は、同じ「善管注意義務」といっても、かなりしっかりとした根拠やデータに基づいて、コンサバにコンサバに考えて行動せざるを得ない。

結果として、金融に新しいイノベーションは非常に起こりにくくなる。
なぜなら、「スピード」と「リスク」があるからこそ、市場にまだ大きな超過利潤が残っている可能性があるわけで、のろのろした経営しかできないとしたら、その間にどんどん市場メカニズムによる裁定が進んで、新しい分野に参入するインセンティブもなくなるからであります。

結果として、少なくとも金融の世界は「中世的」な世界になってしまうと思います。

しかし、現在でも十分いろんな金融機能は発達しているので、現在の延長線上でやっても、(メシ食って、寝る、といった)「実体経済」としてはあまり困ることも無い気がします。(が、世界全体の成長率もかなり下がるとは思います。)

そういう社会をみんなが望めば、当然、そういう社会になるわけですが、アメリカの医療保険の(共和党等の)議論を見ていても、決してそういうことを望む人ばかりではなさそう。

なぜなら、「キツい管理しないとうまくいかない」という話も「キツい管理するとうまくいかない」という話も、両方、「科学的に予見されている」からであります。

 

(ではまた。)

 

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経済教室「再考 金融危機の真因(下)」に異論あり” への9件のコメント

  1. > 十年前まではやろうとしても、まず基本となるデータが
    > なく、不可能だった。だが今やすべての金融取引が電子
    > 化され、膨大なデータが蓄積され、さらに科学的な分析
    > 手法もコンピューターもそろい、やろうと思えばできる
    > ようになった。
    なにやら「ラプラスの悪魔」を彷彿とさせる話のようにも
    聞こえますね。

  2. 私も、問題の本質は、「観測データに立脚して物事を考え、失敗の経験を未来にいかす」だけではリスクを十分には予見できないこと(高安秀樹氏の解く方法では今回の金融危機を予防できなかったこと)にあると思います。
    Nassim Nicholas Taleb の”The Black Swan”では、たしかに現実は正規分布ではないという話も登場するのですが、むしろより一般的に、人間のリスク評価能力が限られている(科学を究めてもリスク計算には限界がある)ことに力点が置かれていると解釈しました。

  3. 投資スタイルのリスクだけもさることながら、根底には「ディーラーがハイリスクでもハイリターンすれば膨大なインセンティブがはいること。」だったんじゃないでしょうか。
    それが「研究で求められるリスク範囲」のなかで最大のリスクを取るのが(すでに企業体ではなく)「彼ら」にとっての最大効率になってしまったのかもしれません。
    考えるところ、細かいルーリングでの枷よりも、大枠を今よりも厳しい自己資本規制と、金融派生商品の引き当ての増加(レバレッジの縮小)によって環境だけ固めてしまう事で十分な気もします。

  4. CDSは、損害保険の基本原則の一つ、損害が生じた場合でも、実際に被った損害額以上の保険金を受取ることができないことを指す「利得禁止の原則」に反しますよね。損害の実際額のてん補を目的とするのが損害保険であるという考え方からするとやはり「保険もどき」じゃないですかね。

  5. なるほど、違和感はありますよね。私はあの記事を結構好意的にとったんですがね。というのは、この前日の藤井眞理子東京大学教授の記事は、比較的きっちり論稿でした。好意的過ぎる解釈かもしれませんが、「再考 金融危機の真因」の(上)では現段階の”詰めた”議論を提示し、(下)では今後の展望や研究のフロンティアといった”開いた”議論を意欲的に展開してほしい、という日経サイドの”編集方針(?)”というか注文がついたのかな?、と思っていました。
    それゆえ、高安さんは、”なせばなる”というか、「ま」さんがおっしゃる「ラプラスの悪魔」的議論をしたのかな?、と思います。
    とはいっても、いくつか違和感というか、じゃあどうすりゃあいいの?というのはあります。
    以下、isologueさんの記事に即して羅列させていただきますと・・・
    「べき分布」については、(上)の藤野教授も「ファットテイル」として同様の概念を取り上げています。
    これは以前から知られていたことですが、いかんせん実践的システムになかなか落とせない。
    「べき分布」を発見したイタリアの数学者・経済学者の名前を冠した世界的な運用会社でも、「ファットテイル」はリスクモニターはしていても、運用の主軸となるシステム(エンジン)にはしていなかった記憶があります。
    まずは、「平時」と「大乱世」のスイッチングが難しい。そういえば、一昔前に宰相にするならば「平時の小渕、乱世の小沢、大乱世の梶山」と竹下登がいってましたっけ・・・(うぃっしゅ!)

  6. ブラック・ショールズはオプション価格の”教科書”的公式ですが、これはオプションの考え方がわかりやすくまとめられている、という意味であって、これまた実践的ではないことは20年以上も前からギョーカイでは知られた話です。
    一例としては、ブラック・ショールズ式には、金利を因数としていますが、求めようとする解が金利や債券のオプションの場合、計算がループしてしまい、あぶなっかしくてツカエないという点があります。
    ブラック・ショールズ式を盲目的に、今回の危機の出発点とする(高安さんの論稿はそう読めました)のは、現状認識として問題アリ、との謗りをうけかねません(とくに今回の危機が株式や通貨でない分)。
    「過去と違うからやる」とは名言ですね。
    運用の仕組みというシステムは、一旦人口に膾炙すると先回りするマーケット関係者が出てくるので、必ず陳腐化してしまいます。
    この点は、「ラプラスの悪魔」的前提と思われる高安さんの議論は、「若い」気がします(よく言えば「チャレンジング」、悪く言えば「未熟」なのかも)。
    私見では、未来というのは、量子力学の波動関数のような拡散がある、と思っていますので、全知全能ならば均衡解
    得られる、というのはローマ法王も渋い顔をされるのでは?
    「どんなに頭がいい人でも、社会の全貌を理解するのが不可能なほど、社会が複雑化してしまっている」というのは、示唆に富んでいると思います。
    歴史は循環している要素があります(私としては、フリコというより、スパイラルに左右に行きかいながら少しづつ上昇・進化している、と思いたい)。
    この循環には、「中央集権」と「地方分権」、「大帝国」と「群雄割拠」、「統制」と「自由」といった近似のパターンが観察されます。
    これを引き起こす要因のひとつとして、個ないし組織の「ガバナンス能力の限界」がある、と雑駁ですが思っています。
    「唯物的」処方箋や金融と科学の二つを知悉した規制のあり方、にも通暁ものかと。私は、ご想像のとおり後者を応援したいですね

  7. なるほど、違和感がありますね。
    今回の金融危機で一番間違えたのは、「不動産価格」というパラメータの取り扱いです。
    不動産価格が上がり続けるというパラメータを入れてしまえば、住宅ローンもビジネスローンもほとんどデフォルトしません。
    逆に、不動産価格が下落するときには、デフォルトだらけです。
    「不動産バブルの後に金融危機あり」これが歴史の教訓だと思いますがいかがでしょうか。