金融危機後の今こそ必要なのは、「一面的でないモノの見方」
放送大学の「アメリカの歴史と文化(‘08)」の内容がよかったのですが、前半を見逃して「しまったなあ」と思っていたところ、期末の「ゆとりの時間」で本日からまとめて再放送し始めましたので、早速、第1回を録画・拝見いたしました。
第1回は、遠藤 泰生 東京大学大学院教授の「なぜアメリカ合衆国の歴史を学ぶのか?」。
全15回の授業全体の意義を説明されているわけですが、この中で、今の日本社会の「ものの見方の傾向」への痛烈な警告にもなるお話があったので、ちょっと長めですが、引用、ご紹介したいと思います。
前半、アメリカの国土や歴史、文化、人種等が非常に多様であることを豊富な映像や図で紹介し、
多様性の国、多元性の国としてのアメリカ合衆国の歴史と文化を、日本人は必ずしも正確には理解してきませんでした。
むしろ、合衆国を抽象化し断片化し、性急に様々な評価を下す。それが日本人の常でした。
ある研究者の言葉を借りますと、それは「拝米と排米」の2つの合衆国理解を激しく揺れ動いて来たということになります。
ということで、
- 幕末・明治維新期には、まず、「自由の国」としてアメリカを認識。
- 当時の日本は、アジアの国々を侵略する西欧列強に対抗して、自国の独立を守ることをその最大の政治課題としていたので、かつてイギリスから戦いによって自由と独立を獲得したアメリカの歴史に注目が集まった。
- 福沢諭吉など、当時の知識人がその「自由」という概念の把握に非常に苦労していた跡が見て取れる。
- その後、天皇を中心とする立憲君主国を明治中期以降に標榜し始めることによって、ドイツやイギリスの政治の方に目が向き、(自由民権主義運動や社会主義者などを除いた人からは)「望ましからざる平等主義の国」として逆に批判を受けることに。
- 20世紀に入ると、米西戦争に勝利した合衆国と日露戦争に勝利した日本が、互いを太平洋を挟んだ競争相手としてみなすようになり、相手を仮想敵国としてみなす時事評論が人気を集め、人種や宗教に起因する日米の歴史や文化の違いを強調する文化論がもてはやされた。(「浅薄な機械文明の国」とか「俗化した拝金主義の国」等。)
- その一方で、庶民の間には、生活に浸透するアメリカ文化に対する強い関心があった。(「モダン・ガール」など。)
- 第二次世界大戦の「鬼畜米英」、戦後の手のひらをかえしたような親米。
- 安保、ベトナム戦争で「反米」になった一方で、ディズニーランド、ハンバーガーなどのアメリカ文化の謳歌・・・・等々。
といった傾向を述べられた後、
以上に大急ぎで概観してみた日本人の合衆国理解には二つの特色があると思います。
一つは「自由」や「平等」、あるいは「機械文明」といった抽象概念で合衆国を言いまとめて理解する傾向が強いということ。
もう一つは、合衆国の中の好きな部分あるいは嫌いな部分を局所的に部分的に取り上げて、そこから合衆国の全体を断定していくこと。
この2つだと思うんです。
この二つの傾向というのが、今日、授業の最初に見ました9・11以降の合衆国の動きに対する我々の理解にも共通していないか、と私は思うわけです。
しかし、合衆国はあまりに広く多様であり多元です。目の前に見える一部分だけからその全体を理解することは非常に危険であろうと思います。
と、締めくくっておられます。
この授業を撮影したときは、まだ金融危機がさほど深刻になっていなかったかも知れませんが、金融危機以降の日本の(マスコミやブログ界隈などの)人々の論調は、ますますそうした「部分的、即断的な」アメリカ観を強めているかも知れませんね。
いや、アメリカ観に限らず、「構造改革は行き過ぎだった」といったすべての論調にあてはまるかも知れません。
人間の情報処理能力というのは限られるので、周りの変化が激しくなると、その分に情報処理能力を食われ、いきおい、「単純なものの見方」(「○○は××だ」といった決めつけ)をしてしまいがちかと思います。
昨日の『「宗教」vs「科学」』で用いた「科学」という言葉は、「科学技術」をイメージさせてしまって、あまり適切でなかったかも知れませんが、「科学」という言葉で私が述べたかったのは、まさに、上記で遠藤先生がおっしゃってるような、「一面的でないモノの見方」という意味であります。
明日からの再放送も拝見して、勉強させていただきます。
(ではまた。)


コメント
そうですね。日本人はとかく一方向に突き進む癖がありますから 複眼的にものを見ることは大切ですね。
Posted by: 葵裕一朗 : February 6, 2009 | 9:35 AM
たしかに、自分の知り合いのアメリカ人連中と、マスメディアやネットで出てくるアメリカ というもののギャップがあまりにも激しいのに辟易したこともありました。
Posted by: ろーりんぐそばっと : February 6, 2009 | 10:36 AM
いつも楽しく・興味深く拝見させていただいております。
今回の話の流れからすると、
渡辺靖著「アメリカン・コミュニティ―国家と個人が交差する場所」
も参考になるのではないでしょうか。
もしすでにお読みのようでしたらごめんなさい。
Posted by: FT : February 6, 2009 | 4:23 PM
日本のマスコミも、多様な国際的な視点からの報道をして欲しいものですね。これではいつまで経っても、国際日和見主義の農協集団から抜け出せません。ITなど技術分野でも後ろから迫っているのは、30歳代の中国若手経営者だったりしますから、もはや欧米の座標軸でモノを見るのも止めたほうがいいのではないかと。
Posted by: ITフロンティアの狩人 : February 8, 2009 | 11:48 PM
February 12, 2009 | 11:57 AMにトラックバックした者です。どうやら失敗してしまったようですので(リンクなしだったからでしょうか)、可能であれば削除いただけますでしょうか。
大変失礼致しました。
Posted by: lenzabile : February 13, 2009 | 1:00 AM
トラックバックありがとうございます。
>どうやら失敗してしまったようですので
文字化けしてましたね。
>(リンクなしだったからでしょうか)
何らかの理由で文字コードが合わなかったんだと思います。(時々あります。)
コピペして直してみましたが、こんなんでよろしいでしょうか。
(取り急ぎ。)
Posted by: Tetsuya Isozaki : February 13, 2009 | 6:29 AM
早速ご対応いただきましてありがとうございました。
Posted by: lenzabile : February 13, 2009 | 10:22 AM