全米が泣いた!「アリバイより商売を」

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本日の日経新聞朝刊7面の記事

「アリバイより商売を」、金融庁長官、金商法批判に反論
 「当局向けのアリバイづくりより、顧客ニーズを踏まえた商売こそ大切ではないか」——。佐藤隆文金融庁長官は二日の記者会見で「金融商品取引法で販売ルールが厳格になった」と主張して慎重な顧客対応を続ける銀行などに注文を付けた。(以下略)

おっしゃることは全くごもっともです。
一方で、金融界の方のコンプラや統制のお話をあちこちで聞くたびに、何か、「両親からDVを受け続けている子供が部屋の隅でひざを抱えてジッとしている様」を想像してしまうのは、私だけでしょうか?
状況はあまりに深刻であり、その子を「笑顔があふれる子供」に戻す道のりを考えると、絶望的な気持ちにもなってしまいます。


客観的なリスクから考えた行動の合理性
金融機関は、何かちょっとでもミスがあったら、検査で指摘されてボコボコにされるのが目に見えているから、どうしても視線はお役所の方を向いてしまうことになります。
第三者から客観的に見ても、今、金融機関の事業継続を危うくするリスクの最大のものの一つは「検査」であるというのは間違いないところじゃないかと思います。
金融庁さんが、「ちょっとくらいテキトーにやってても怒らないから安心しろよ。」と言ってくれれば金融機関もノビノビと行動できるかも知れません。
しかし、「怒らないから」とは言うわけがない。やることやってなかったら、当然、検査でボコボコであります。
当然、企業としては、そのリスクの大きさに応じてリソースを配分するのが「合理的」。
また、よりミクロな目を金融機関の内部に向けると、一従業員としては、自分の仕事のミスが検査で指摘されて金融機関自体が処分を食らうようなことになったら、褒められるわけないのはもちろん、給料や出世にも響くと考えるでしょう。
では、金融機関の裁量で、そういう内部のミスに寛大な処置をとれるのでしょうか?
無理でしょうね。もし仮にミスを犯した従業員に対して処分を下してないなんてことがあったら、次回の検査で「再発防止策がなってない」ということを指摘されてボコボコです。
処分が下れば、それが新聞の記事にもなり、世間からもバッシングされることになります。
リスクを負ってリターンを出したらボーナスもどーんと出るというならともかく、特に日本の銀行はアセットの世界でフロー・ベースではないので、一つの成果を特定の人の業績に結びつけるという人事考課や業績制度にもしにくいはず。
リスクを負ってもリターンが変わらないのであれば、自ずとリスク抑制に走るのが、個々の従業員の行動としては合理的であります。
日本人とルールとコミュニケーション
しかも、日ごろ接している監督窓口の人とはまだコミュニケーションが取れていたとしても、検査に来るのは別の部署の人なわけですから、「どこまでであれば許される」という間合いがつかみにくいことは想像に難くありません。
マスコミの金融関係のベテランの記者さんなどのお話を聞くと、

昔は金融機関のMOF担が監督官庁の役人と文字通り毎日飲み歩いていたから、民間と官庁の間のコミュニケーションは良くも悪くも取れていた。しかし、ノー○○しゃぶしゃぶ事件以降、官庁の情報収集能力は以前に比べて格段に落ちている。
アメリカであれば、民間の投資銀行の人が役所に勤めたり、役所の人間が民間に就職したりして人材の交流が行われているし、イギリスであれば同じケンブリッジ大の卒業生が役所や会社を超えて交流しているなどの『本音のネットワーク』が形成されている。しかし、日本は大学を出たら、それぞれの役所や企業の中での学閥が形成されるだけで、組織の壁を越えた情報交換に繋がらない。

てなことをおっしゃってました。
裏を返せば、民間企業が役所から情報を吸収する能力も格段に落ちている、ということでしょう。
日本人のコミュニケーションの主流というのは、やはり「一緒に飲んでみないと本音はわからない」ということだと思うんですよね。それが証拠に、民間同士で仕事をするときには、未だにそういうコミュニケーションをしているわけです。
文書で「ルール」が書かれていたものが交付されれば、それで情報は伝達できそうなもんですが、それを受け取っても「ホンネ」がわからないと動けない。
しかし、役所と民間の関係は、ノー○○しゃぶしゃぶ以前の世界にはもう戻れない。(「戻したほうがいい」と言ってるわけでもございませんので、念のため。)
日本人が紙に書かれたルールを解釈して行動するというのが不得手だとすると、「法化社会」というのは地獄にしかならないですね。
ルールのネガティブスパイラル
人間って単純ですから、「社会全体を考えてどう行動すべきか」といったことをいちいち考えて行動するというよりは、やっぱ「一番コワい人の顔色を見て」行動するということになる。
金融機関にとってコワいのは誰かといえば、それは「お客様」というより、やはり監督官庁。
なぜなら、金融のような複雑な情報を判断する必要がある業種においては、「お客様」はどうしても「情報の非対称性」にさらされることになるので、単純な「laissez-faire(レッセフェール)」に任せておくわけにもいかない。だからこそ、法律その他のルールを強化し役所に権限を持たせているわけなので、「お役所>お客様」、となるのはある意味必然なわけです。
さらに、無垢な「お客様」「一般投資家」が何か損害を被る事件が発生するたびに、法律の強化→それへの対応、というスパイラルに堕ち込むことになる。このプロセスはラチェット的であって、一度「カチカチッ」とノッチが上がってしまうと、もう二度と元には戻らない不可逆な流れに思えます。
この流れを変えようということで「プリンシプル・ベース」という方針がうたわれているはずです。
しかし、「あの会社の今度の処分は、○○のプリンシプルに触れたせいらしいよ。」といった会話が行われているのを聞くと、金融機関の現場では、「プリンシプルというのは、ルールを柔軟に解釈する指針である」というよりは、プリンシプルという名の新しいルールが一つよけいに増えた」という認識なんじゃないか、と思います。
柔軟化をはかるための方針が逆に更なる硬直化を招いているという、恐ろしいほどの悲劇!
スパイラルの行き着く先
私の最近の関心事は、こうしたスパイラルの行き着く先がどこなのか、ということ。
(これほど膨大で詳細なルールが構築されたのは例がないとしても)、人類の歴史上も、未だかつてルールの硬直化による社会の停滞が発生したことがないわけじゃなくて、実は、何回も発生していたと思います。
しかしそれは、停滞したローマに周辺諸国が侵略したり、信長が楽市楽座を導入したりと、停滞した既存制度を暴力で破壊することによって打ち破られてきたのではないかと思います。
しかし、「コンプライアンス社会」においては、ルールの改正は、世の中で最も時間のかかる決定機関であるところの国会等でしか行われない。
団塊の世代より上のおじさん達が元気な時代なら、「だから革命だ!」と叫んだかも知れませんが、少子化の時代、これからそんな元気な人たちが出てくる気もしない。
とはいえ、国力が弱って、隣の朝鮮半島や中国から武力で侵攻されて、日本の制度がガラッとシンプルになる、ということもシナリオとしては考えにくい。
いったいどうなるんでしょうか。
どうなるんでしょうか?と言っても、ルールが複雑すぎて、アイデアを出すのも人件費やリーガルフィーで1件数百万円くらいのコストがかかるのも普通にはなっていると思いますので、個々人の努力や工夫で何が出来るということではなくなってるのが金商法の世界かと思います。
「一人ひとりが、自分に何ができるかを考える」のが市場経済であり、市場経済をうまくまわすために金商法を強化し、法化社会への道を歩み始めたはずではなかったでしょうか?その結果は「一人ひとりが、自分に何ができるかを考えられる」のと、まったく逆の方向に進んでいるかと思います。
このブログで今までも取り上げてきましたとおり、インサイダー取引規制にしても、強制TOB規制にしても、J-SOXにしても、金融商品販売にしても、すでにルールがあまりにも複雑になりすぎて、誰もルールに抵触しない「ストーリー」を描けない状態に陥っております。ではルールをシンプルにすればいいかというと、「万が一シンプルにしたところで悪いことをするやつが現れたらどうする?」と考えると、立法に関わる担当者の方も、作業が膨大でもあり、やる気が出るはずもないかと思います。
ということで、どーしようもないですね。
(ではまた。)

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全米が泣いた!「アリバイより商売を」” への10件のコメント

  1. 「アリバイより商売を」・・・だそうです:金商法批判に対する金融庁長官の反論とのこと

    このエントリーは公開時刻自動設定機能によりエントリーしております。 たぶん、to

  2. http://fsahandbook.info/FSA/html/handbook/
    こちらをご覧いただいてもわかりますように、UKFSAは何千ページものマニュアルを作ってしまったものですから、業界から減らせと言われて、プリンシプルを作ったのだと理解しています。
    日本の場合は又聞きですが、まだまだルールが足りないと言っておられるのは実は業界側で、検査の現場ではできる限りルールを増やすなと言っている声もあるそうです。

  3.  元霞が関勤めで、現在公認会計士をめざしております。
     ルールとコミュニケーションについて、在職中からぼんやりと感じていたことと重なる点があり、興味深く拝読いたしました。
     4月頃に同じく日経新聞の特集記事で本人確認強化の規制強化に対して塩川元大臣が「行政が責任を逃れるアリバイ」ではないかとの発言が載っておりました。それと今回の記事を併せると、金融機関が監督官庁に対して抱いているビクビクした(?)視線を、監督官庁も国会や世論に対して抱いているという感じでしょうか。
     事件が起きるたびに、その時の世論や国会が、行政に対して二度と起き得ないような再発防止策の策定を求めるのはある種仕方がなく、昔からあったものと思います。しかし、昔と異なり、裁量行政防止の観点から、これらの対応を行われる明文化された「透明なルール」によりという影響も大きいかと思います。。
     「この対応で、今後この様な事件は絶対に起きないだろう」と皆が納得する再発防止策を文章で作ると、とかくがんじがらめなルールになりがちです。よく、この様な規制強化を作った後に「現場を知らない役人が作った」と批判されますが、事件発生後の憤った世論等を納得させ、かつ、現場やお客様に不自由を感じさせないルールを作るというのは至難です。
     また、明文化されてしまうと、それが法律であれガイドライン的なものであれ、緩和・撤回するには相応の必要性及び許容性が必要となり、余程の社会変化でもない限り難しいです。裁量行政を復活すべきとは思いませんが、周囲に対して見得を切って振り上げた拳を目立たずに下ろすことに関しては裁量行政に分があります。
     
     なお、コミュニケーションに関して最近監査法人の方々から話を聞く機会があり、現在の役所と企業との関係と比べると遥かに「濃厚な」コミュニケーションが図られているのに少なからず驚きました。監査のそもそもの目的である企業実態を反映した財務諸表を作成させるという観点からは、コミュニケーションによる情報交換も必要だと思います。しかし、もしこの先、監査がらみで一般投資家が損害を被るような事件が起きたら、会計士・監査法人の世界も役所の辿った道を辿ることになっていくかもしれませんね。

  4.  商売よりアリバイに走らざるを得ない銀行の管理部門の者です。
     証券会社では、名誉の勲章というのがあり、偉い方はほとんど武勇伝があるようですよね。
     でも、おっしゃるように銀行ですと些細なことで、処分されてしまい、浮かばれないというのが実態です。また、すぐに「再発防止策はどうする」的な仕事が出てきて、ルールがどんどん増えてしまうという負のスパイラルに陥っています。実際、自分で定めたルールですら、何が何だか分からないようなこともしばしばです。
     先日、少しは現場の方に考える力を持ってもらいたいと考え、プリンシプルベースの規則を作りましたら、偉い方から「この規則だと監査が出来ないから困る」とお叱りを受け、修正した次第です。ただの書類チェックじゃなくて「ちょっとは考えて監査してよー」って思うのですが。。。
     皆が、自分で考える力がない(考えたことがないともいえます)ので、プリンシプルを何度も説明して、浸透させるしかないんだよなーと考えている、今日この頃です!
     ある大手の証券会社の方に聞いたところ、金商法を契機に思いっきり細かいルールを緩めているとのことでしたよ!その代わり「録音はがっちりしまっせ」という根本は抑える仕組みを構築していますが。。。
     この動きに追随したいのですが、何せ余りにもレベルの低い事故が起きている実態もあり、悩ましいです。。。

  5. [government]金融庁検査に対する第三者チェック機関を設立すべし。

    本日の日経新聞朝刊7面の記事「アリバイより商売を」、金融庁長官、金商法批判に反論 「当局向けのアリバイづくりより、顧客ニーズを踏まえた商売こそ大切ではな…

  6. とある省庁の契約部門で働いている者です。
    このエントリを見て徒然感じていたのですが、これは我々公務員にもあてはまるのではないかと思う次第です。
    少し前の防衛施設庁の随意契約問題から居酒屋タクシーまでの一連の出来事で、我々のコンプラ意識は否応無く過剰反応を示してきているのではないかと。対応策をざっくりと書くと、
    �全ての契約に競争性を持たせる
    �何が何でも安いサービスを利用する
    といった点が挙げられます。(かなり大雑把ですがイメージ的にはこんな感じですね。)これに伴うコストはかなりのもので、少々極端に表現すれば、本1冊買うのに複数の見積りが必要、何するにしても入札手続きが必要、出張に行く時は際限なく安いパッケージ商品を探すことが必要などの現象が生じてきています。これらの事務手間でどれだけ人的リソースをつぎ込んでいるのか、かつ費用対効果がどれだけ認められるのかといった点を置き去りに、二度と同じ失態を起こさぬようにという脅迫観念にかられながら必死に「アリバイ」を作っているのです。
    もちろん現場からは「本業を圧迫する」という悲痛の叫び(クレーム)が毎日のようにあがってきますが、一度決めたルールは崩しにくい(スクラップ&ビルドのうちビルドは割と簡単ですがスクラップは非常に本当に難しい。)ということ、国会質疑で話題になるとほぼ反射運動的に個々の再発防止策を追加されることにより、ルール自体がスパゲティ状態になるといる負の連鎖がここ数年のトレンドになってしまいました。
    もちろん今の今までコスト意識なくかつ透明性を考えずに行ってきた結果なので当然受け入れるべきではあります。(結果的に一つ一つの行為に対し、遅らせながらコスト意識が芽生えたという効果があることも事実です。全ての省庁がそうなのかと言われると自信がありませんが。)それに、経費サイドの削減率もなかなかの数字があがってきているのではないかと想像できます。(単に昔が酷すぎたという意見もあるでしょうが。)ただ、人的リソースの投入と効果のトレードオフを無視し、極端に前述の�及び�の方針を突き詰められると「確かにそうだがそこまで言うかい。」的な分野が増加し「アリバイ」の為の業務が本業という国の業務としては本末転倒な実態になってしまうのではないかと危惧しております。と言っても我々公務員は世論は避けて通れぬもので、このような「公という名のコスト」は今後ルールが肥大化する毎に上昇してしまうでしょう。磯崎さんがご指摘する公からの対民間コスト、自身への対内コスト両方とも公自身が生み出してしまうんでしょうね。皮肉です。

  7. 色々なご事情で家族や恋人,友人にお勤め先を聞かれて返答できずに困った事や、クレジットカードや入居等のお申し込みの際、水商売等の理由で会社名を記入出来なくて困った事の有る方へ、在籍証明を登録し管理しているアリバイ会社です。
    もちろんこの会社は法務局に登記されている正式な法人会社です。