日本のインサイダー取引規制を考える(問題意識編:今の規制で日本は大丈夫なのか?)

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村上ファンドの村上被告に対するインサイダー取引容疑の地裁判決を読むと、「実現可能性が全くない場合は除かれるが,あれば足り,その高低は問題とならないと解される。」とあります。
一方、どんな企業でも(特に成長している活気のある企業ほど)、常に新規事業のネタ等を考えているはずですから、上記の判決のその部分だけ切り出して単純かつ厳格に考えるとすると、上場している企業の役員クラスが、自社株(ストックオプションを行使した株式を含む)売買した場合、ほぼ確実にインサイダー取引規制違反になっちゃう、ということにもなりえます。


 
(村上判決は167条についてですが)、証券取引法166条は、ズルするつもりがあるかどうかに関わらず「売買」を禁止しているので、「儲かるネタの場合に売却するのは、ズルするつもりがないからセーフ」とはどこにも書いてない。
少なくとも、
「社長から、新製品についての検討の指示が出ていて、まだ内容もあまり固まっていないんですが、ストックオプションを行使して株式を売却しても構わないですよね?」
と聞かれて、
「よし、私が『問題ない』という意見書を書いてやるから、安心して売却しなさい。」
という度胸のある弁護士さんは、今や、ほとんどいらっしゃらないのではないかと思います。
日本経済も徐々に市場メカニズムの中に組み込まれてきたため、先日書いた「怠けている経営者の尻をたたくしくみ」としてアクティビストファンドを含む大口株主がexitを模索する局面もさることながら、役員や従業員のインセンティブとしてもエクイティのキャピタルゲインは非常に重要なものになっているのに、これがうまく機能しないとなったら大問題です。
インサイダー取引規制を回避したいだけなら、「やめて(1年以上して)から売却すりゃいいじゃん」と言えますが、優秀な役職員に残ってもらいたいから、ベスティング付のストックオプションを付与しているわけで。
「いくらなんでも、いいネタしかないのに、ストックオプションを行使した株式などを売却した場合に、インサイダー取引規制違反に問われることは無いんじゃないの?(意見書書くのはヤだけど。)」と、おっしゃる方も多いのではないかと思いますが、昨今の状況を見ると、それはチと甘いのではないかと。
なぜなら、法律を作る国会議員も、内閣の閣僚も、中央官庁、検察、裁判所、マスコミの方々も、金融機関や大企業の役職員を含むその他ほとんどの国民も、こうしたキャピタルゲインの恩恵を享受できる立場には無いわけで。たとえば、上場したベンチャーの20代や30代の若造が株式を売却して何億円という収入を得たとしたら、そのこと自体、まったく共感できる話ではない(「ぽかーん」または「慄然とせざるを得ない」ことの)はずだし、ましてそれが条文上、(「非常に不確かだが可能性がゼロではない」「会社の機関で正式に決定はしていないが、167条の意味での機関決定と読めないこともない」「ズルするつもりはなくても条文上、意図は関係ない」といった、そもそも何のために罰する必要があるのかよく意味がわからないものであっても)、「黒と読めないこともないから有罪」、ということになれば、「ザマーミロ」と思う人はいても、「かわいそうに」と思う人は非常に少数派なはずです。
アメリカなどは、こうしたエクイティのインセンティブによって、企業が新たな分野を切り開いて何十兆円という新たな国富が生み出されており、日本でもせっかく、(中央官庁や大企業に勤めるだけがエラいのではなく)ベンチャー企業で新しい領域にチャレンジしてみようという若者も増えてきているのに、「日本では犯罪者になる覚悟がないと、生み出した価値に対応する報酬を得られない」としたら、それは市場主義経済へのシフトどころか、チャレンジャーにとっては一種の恐怖政治でしかないことになります。
マスコミを含めて、日本の99.999%以上の人は、日本のインサイダー取引規制の高度に形式的・技術的・専門的な内容をよくわからないはずなので、「○○社の社員、インサイダー取引規制で逮捕」と報道された段階で、「○○社ってのは悪い会社だねー」で思考停止してしまって、「日本にとって、どのようなインサイダー取引規制が適切なのか」「現状の規制は、日本経済にとってプラスなのかマイナスなのか」といった観点から考えることは、ほとんど無いでしょう。
証券のことに詳しそうなのは証券会社ですが、今回、村上ファンドの裁判について取材していた記者さんによると、「証券会社の人にも取材したんですが、『どんな判決が出ようが、インサイダー取引規制の線引きが明確になっていいんじゃないですか?』といった反応しか返ってこないんです・・・」とのことですし。
国会議員や閣僚が、証券市場の現場のことを詳しく理解していることは期待しにくいですし、検察や裁判所が、日本経済全体への影響を考えて誰かを逮捕したり判決を出したりする義務はない(し、そもそもそういう機能のものでもないはずな)ので、「日本に望ましいインサイダー取引規制のあり方」について考えてくれている人は、日本にはいないのかも知れないですね。
以下、なぜ、こういうことになってしまったのか、今後どうすればいいのか、について考察していきたいと思います。
(続く。)

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日本のインサイダー取引規制を考える(問題意識編:今の規制で日本は大丈夫なのか?)” への8件のコメント

  1. 村上ファンドの判決要旨
    という部分しか読んでいないのか、悪意をこめた意図的な引用なのかはわかりませんが、この部分だけ引いて議論する論法をネットで見かけました。
    ここだけをネットで読んだ人の中には、「このような徹底した利益至上主義」の内容が「ファンドが安ければ買うし、高ければ売る」ということを示していると誤解/歪曲している人がいますが、原文を読めばわかるように、「このような徹底した利益至上主義」は、その前の部分を指した形容です。
    具体的には、村上ファンドがフジテレビ側とライブドア双方に、二重の意味で背信的な行為を行ってまで利益を取りにいったことが批判されている訳で、この批判自体は、日本の金融行政のあり方を考えても、また、商慣行一般に照らしても不自然なことではありません。
    それにもかかわらず、極めてセンセーショナルで、人々の反感を呼び起こしやすく、件の判決(そしてそれに関する悪印象)を思い起こさせる「慄然とせざるを得ない」という表現を論考の中で敢えて使い、なおかつ、それを嫉妬心とつなげて議論するというのはさすがにやり過ぎではないでしょうか。
    「偉い人達は若造に嫉妬していて、その嫉妬心から恣意的に国策捜査をしている」という議論の立て方が非常にわかりやすく、また、「我々」を抑圧するエスタブリッシュメントという構図が多くの人の共感を呼ぶというのはよくわかりますが、本当にそのキャッチーな構図が現実を捉えているとお感じなのでしょうか。

  2. TBSが楽天役員の前で「実現可能性が全くない」わけではない内部情報を話すだけで買収防衛できますね。

  3. 判決要旨の引用箇所を忘れました:
    <被告は「ファンドなのだから、安ければ買うし、高ければ売るのは当たり前」と言うが、このような徹底した利益至上主義には慄然(りつぜん)とせざるを得ない。>
    ここだけ読むと、判決で「ファンド」が「安ければ買うし、高ければ売る」ことが批判されているように読めてしまいますが、原文を読んだ人だあれば、「徹底した利益至上主義」がここより前の部分の、背信的な行為を伴った形での不公正な利益追求に向けられていることは誰でもわかるはずです。
    この判決をもって、ファンドの取引行為=資本主義が否定されたという論陣を張っておられる方に至っては、牽強付会、こじつけもいいところだと言わざるをえません。

  4. 「悪意を感じます」さん、
    過去のエントリを読んでいただいても、私は今回の判決や裁判所を批判しているわけではないことはお分かりいただけるかと思います。日本の法体系や過去の判例からすれば、ああいった判決が出ることは、ある意味やむを得ないし、裁判所も、一般論として頭から結論を決め付けて判決を書いているわけではなくて、村上ファンドの事件の内容を吟味した上で、個別論として判決を書いているはずです。
    ただし、不確実性の高い時期から「事実」が発生したとするこうした判決が出た場合、真面目な企業やファンドほど、「どこまでが規制にひっかかるか?」を真剣に考えざるを得ない。仮にもインサイダー取引を行うことになってしまった場合、株式市場で「卑怯な」ことをしたという見え方になり、その企業やファンドへの打撃は計り知れないものがあるし、法律の構造が技術的であり、同様の立場におかれる人が限られるので世間の同情も得にくいことは、企業側からしてみれば、肝に銘じてかかるべきことであるのは間違いありません。
    このエントリでは、日本の法体系その他の環境の下で、インサイダー取引規制がどのようなことになっていくのか、その「構造」をなるべく客観的に探るのが目的ですので、「キャッチー」な部分だけ取り出していただくのは、今回の趣旨とははずれますので、あしからず。:-)

  5. P(hn さん、
    >TBSが楽天役員の前で「実現可能性が全くない」わけではない内部情報を話すだけで買収防衛できますね。
    というのも以前から考えてみたんですが、TBSさんにとってちょっとまずいのは、TBS側が「それが『重要事実』に該当する」と主張するためには、TBSの「機関」でその「決定」をしたことが必要であって、「機関決定」したのなら、TBSはその「重要事実」を適時開示しないといけないというところですね。開示されればインサイダー情報ではなくなりますし。
    それよりも、(開示義務のない未公開の企業やファンドである)第三者が「うちも買う予定です」というのを聞いてしまう方が楽天さんの打撃は大きいと思います。
    (実際、買い進むにあたっては、他の大口投資家にも打診するのが合理的なはずですので。)
    (ではまた。)

  6. 磯崎様
     いつも拝読しております。
     昨日の日経「スイッチオン・マンデー」でも、さまざまな角度から複数の法律学者の見解を載せ、この問題を分析していました。
     磯崎さんの見解の多くに共感します。
    『どんな企業でも(特に成長している活気のある企業ほど)、常に新規事業のネタ等を考えているはずですから、上記の判決のその部分だけ切り出して単純かつ厳格に考えるとすると』、特にMBOなどは、すべてインサイダーになると考えられるでしょう。
     典型例は、ワールドです。MBOによるTOBを実施した直後に業績の上方修正を発表しています。それでもワールドの経営者はインサイダー取引で逮捕も起訴もされず、もちろん有罪判決も受けていません。
     これは、「TOBを実施した時点では、上方修正は確定的ではなかった。もちろん可能性はあったが、それだけではインサイダーにはならない」ということと理解していました。
     しかし、「実現可能性が全くない場合は除かれるが,あれば足り,その高低は問題とならないと解される」ならば、完全にクロということになります。まさかワールドの経営者が数ヵ月後の自社の上方修正の可能性について、考えられなかったということはありえないからです。
     要するにワールドの経営者は、検察から見て「おいしい標的」ではなく、村上氏は「おいしい標的」に見えたから狙い撃ちされた、としか解釈されないのです。これでは検察によるファシズムとしか言いようがありません。
     しかもこの「検察ファッショ」を裁判所が追認するようでは、この国の法治国家としてのあり方に疑念を持たざるを得ないのです。
     
     また、新製品の開発や新規事業への取り組みは、当然ながら失敗するリスクを負います。いくらなんでもいいネタしかなくてリスクのない事業などあり得ないからです。そして、役員などがストックオプションを行使した場合、「新規事業参入のリスクを知っていて行使したインサイダー取引」となってしまうのです。検察が無理にこじつけようとすれば、全部インサイダーにできるでしょう。
     投資家として、本当に嫌な気分になります。

  7. >> TBSが楽天役員の前で「実現可能性が全くない」わけではない内部情報を話すだけで買収防衛できますね。
    > というのも以前から考えてみたんですが、TBSさんにとってちょっとまずいのは、TBS側が「それが『重要事実』に該当する」と主張するためには、TBSの「機関」でその「決定」をしたことが必要であって、「機関決定」したのなら、TBSはその「重要事実」を適時開示しないといけないというところですね。開示されればインサイダー情報ではなくなりますし。
    とのことですが、実務的には、インサイダー取引の重要事実の該当性と、適時開示義務発生との間には、だいぶ差があると思います。特に今回の村上判決のように、「可能性が全くないとはいえない」という程度の確度で適時開示する会社はいないと思いますし、そのことをもって東証が会社を「なんで適時開示していないんだ!」と責めることもまずないと思います。
    そういう意味では、インサイダー事実であり、かつ、適時開示するほどでもない事実というのはやはり存在するのであって、それを使って買収防衛をするというもの可能だと思われますが、いかがでしょうか?

  8. 不思議の国のM&A

    村上ファンド事件で、被告が一審で有罪になったのは予想どおりだったが、その判決には驚いた。「被告の『ファンドなのだから、安ければ買うし、高ければ売る』という…