監査法人の内部統制(あるいは「人は人を信じるとはどういうことか」)

  • Facebook
  • Twitter
  • はてなブックマーク
  • Delicious
  • Evernote
  • Tumblr

いつも拝読させていただいております山口利昭弁護士(toshiさん)の「ビジネス法務の部屋」、「会計監査人の内部統制(5−総会対策編)」より。

日経新聞の朝刊で「みすず解体の衝撃(上)」なる特集記事が掲載されておりますが、(略)そこでは、今後の四大監査法人の監査に関する品質管理が問題視されております。(略)縦割りの弊害を克服して、組織的監査の徹底を実現することが監査法人にとっての重要課題だそうであります。

(略)それはそうと、この記事のなかで、みすず監査法人の古参の会計士さんが、トーマツさんとの移籍話が固まりそうになったときに「社風がちがいすぎる」として一斉に反発された、そのことで若手会計士もトーマツへの移籍をやめて、新日本さんを希望した、といった経緯が紹介されております。個別の監査法人さんの内実についてはあまり関心はございませんが、この「社風がちがう」というのは、監査法人でお仕事をされる公認会計士さんにとってはどんな意味があるのでしょうかね?社風が違いますと、個別企業への監査業務にも違いがあるんでしょうか?また、逆に「社風」というものが本当にあるんだったら、すでに「縦割りの弊害」はなくなっているんじゃないでしょうかね?

日経新聞の記事にもあったとおり、中小の監査法人が合併して大きくなった大手監査法人は、同じ監査法人といっても部門によって「ほんとに同じ法人の人なの?」と驚くほど違う、というのが私の印象。
また、会計士は、ほとんどあちこち監査している会社を行ったり来たりしていて事務所に顔を出すこともまれのようですので、机を並べて仕事するとか同じ職場の空気を吸う、という機会も少ないはず。
このため、みすずの古参の方がおっしゃったという「社風」は、ご案内の通り、一般の企業でいうところの「社風」とは全く違う概念で、法人と個々の会計士のつながりの中心となるのは、まさに教育や審査といった「内部統制」に相当する部分がほとんどになるはずかと思います。
また、「古参の会計士」というところが一つポイントじゃないかと。
(今はどうか存じませんが)私が習ったころの監査論では、裁判官の自由心証主義と同様、一般に公正妥当と認められる会計基準に沿っているかどうかの判断は、公認会計士が他からの干渉を排して独立したプロフェッショナルとして決定できるし、またそうするべきだ、というような雰囲気のことを言っていたと思います。
もし仮に裁判官が、
「判決を出す際の基準をよく学習し、上級審査会や審査監理部門の適正なチェックを受けながら判決を出すように。また、法務省からの検査がいつあるかもわからないので、判決決定過程の意見形成の過程のエビデンスもしっかり残しておくように。」
なんてことを言われるようなことになったとしたら、怒りとか憲法への整合性がどうかとかを通り越して、自ら築き上げてきた職業的尊厳が踏みにじられた気持ちになるんではないかと思いますが、昨今の環境を鑑みるに、「古参の会計士」の方々の胸に去来する思いは、それに近いものがあるんじゃないかと想像しています。
「自由な心証」に基づいて個々の会計士が独立して監査意見を表明する、というのも、それはそれで意味があったんじゃないかと思います。
先日、「漁業のサステナビリティ」で、相手が「自然」である漁業では、持続可能な漁業を行っているかどうかの判断に際して「分散型」の審査体制が必要だったんではという仮説を申し上げましたが、
会計も経済活動の森羅万象を扱っており、それを一意な「正しい処理」に落とし込むことは不可能で、何通りもの処理が許容されるべき性質のものなわけですから、それが「適正」なのかどうかを判断するのは、その場その場に応じた判断が必要なはずです。
(ただし、残念ながら、公認会計士の地位の独立性については、裁判官と違って、憲法などの確固たるバックアップがあるわけではなかった、ということですね。)
というところに来て、監査証拠は全部スキャンして監査調書といっしょにパソコン内のファイルに入れろとか、パートナーが現場の実施している監査をレビューするのもすべてパソコンの画面中心にやれとか、特定のファイルにたどりつくまでに3つもパスワードを入れなきゃいけないとか、おまけに審査だ何だとあーだこーだうるさいことを言われるのは、(理屈上そのしくみがいいかどうかを通り越して)感情的にかなわん、ということかも知れません。
理屈としては、監査意見の形成は監査証拠の積み上げによって行われるわけで、それには個々の証拠をきっちり吟味していくことが重要なんでしょうし、証拠はすべて電子化できるはずなので、情報通信技術の発達した今では(事務所で一同に会すということも少ないわけで)、パソコン画面を通じて行うことが合理的なわけですが、現場の人間の目つき、手書き文字の書きっぷり、伝票から漂ってくるオーラ・・・それらからも情報を得た上で「意見」を形成してきた「古参」の方にとっては、自分の自由な心証形成が担保されるのか、という本能的な恐怖があるのかも知れません。
そもそも、前述の通り監査法人内部でも部門によってまったく雰囲気は異なると思いますし、トーマツの方が「社風(≒内部統制システム)」のことをペラペラ外部の人にしゃべるとも思えないので、「みすずの古参の会計士」の方は、知り合いと飲んだときにちょっと聞いた話とか、辞めた人間から聞いた話とかを寄せ合わせたイメージしかつかんでらっしゃらない気もします。
さらに、同じ監査法人内部でもどこまで監査法人のことを知ってるのかしらん?と疑問に思うこともしばしば。
toshiさんも書かれていた監査法人の内部統制等についての会社計算規則第159条(会計監査人の職務の遂行に関する事項)の通知も、「当法人の内部統制は、こんな感じでやってます」と審査やセキュリティなどの詳細が事細かに書かれたドキュメントが出てくるのかとわくわくしていたら、「え?これだけ?」って感じでしたし。
もちろん財務内容も公開されてません。
何年か前に中央青山さんに「貴法人に監査を依頼して安定してサービスを供給していただけるか、訴訟リスクや保険によるヘッジはどうなっているのかを判断したいので、財務諸表等を開示してくれ」とお願いしたら、保険の金額だけは教えてくれましたが、あとは「イヤ」と断られました。
過去にも、いくつかの監査法人の若手の人などに、監査法人の財務諸表とか内部の情報について探りを入れてみたことがあるんですが、「俺たちにも全くわかんない」という感じ。ディスクロージャーの要である監査法人自体は、ディスクロと正反対のブラックボックスそのものという印象です。
最近では同じ監査法人の同じ部門の人の話が出ても、「・・・その人、顔は見たことある気もしますが、ちょっとよくわかりません・・・。」といわれることも多い。(苦笑)
昨今の大手監査法人と言うのは、良い意味でも悪い意味でも「人間的な」つながりはあまりなく、純粋に教育や規定といった「内部統制」だけで繋がっている組織になりつつあるような印象があります。

それから、これも素人的な疑問でありますが、組織的監査を進めていけば、上級審査会や、審査担当部署が監査業務に占めるウエイトが大きくなるわけですよね。そういった管理部門の意見が監査業務に大きな影響を及ぼすのであれば、それこそ2年くらいのローテーションで担当監査責任者が交代してもいいのではないでしょうか?現場の責任者がコロコロ変わったり、担当監査法人がすぐに交代することは、企業の監査報酬に跳ね返るから妥当ではない、と言われるところでありますが、そういった論理と組織的監査の推進の論理とは矛盾しないのでしょうか?それともうまく調和できる考え方があるのでしょうか?そのあたり、いろいろと興味が湧くところであります)

これも技術的に可能かどうか、というより、「人が人を信じるとはどういうことか」という人間の根源に関わるお話なような気がします。
会計監査というのは、個人で赤の他人の保証人になるようなお話であって、もちろん内部統制とかサンプリング数とか、もっともらしい理屈はあるにしても、そういう統制を意図的に無視する手段はいくらでもあるわけですし、いざ不正が後から発覚した場合に、自分が正当な注意義務を払っていたことを立証するのは容易ではないはず。結局、いくら専門家としての注意義務を払っていても、「赤の他人」が悪いことを考えれば自分の人生をメチャクチャにされる可能性はある。最後は肌感覚として「こいつら、オレにウソをついてないな」という実感がわかないことには、適正意見など出せるはずもないかと思います。
アメリカでは監査報酬はフルチャージで使った時間だけ請求が来るそうですが、日本ではなぜか契約した予算の範囲内で稼動することが原則なので、現状の監査報酬の水準で年間何回、会社を訪問できるのか、「過去からの会社の雰囲気の変化」などがわかるのか、等を考えてみると、そういう肌感覚まで形成するには「2年じゃやっとれんわい」ということなのかも知れません。
ちなみに、私は知的好奇心から「制度の黒と白の境目はどう考えればいいのか」といったことに興味があり、このブログでもそういったテーマを多く取り上げてきましたので、読者の中には私がいつもそういう「ギリギリの」仕事をしてたり、グレーな処理に寛容な人間なんじゃないかとお考えの方もいらっしゃるんじゃないかと思いますが、
私自身は(ゴルゴ13を愛読しているから、というわけではないですが)、他人を信用するレンジというかリスク許容度は非常に狭い、です。

ですから、監査委員や監査役をやらせていただいている企業も、連結子会社はおろか支店もなく、せいぜい社員100人程度まででワンフロアで社内全体や社員の顔がだいたい見渡せる程度の会社のみですし、いわんや自社株を売却する投資事業組合やらMSCBやらEB債なんてのはとんでもない。そういった法律や会計上のグレーゾーンの判断からはほど遠い、シンプルでわかりやすい構造の会社としかお付き合いがありませんが、それでもまだ怖い。設立のころから経緯を見ているとか昔からの知り合いが現場にいるとか、「たてまえ」的な情報ソース以外から「ウラ」が取れないと恐ろしい。
(「他人に右手を預けるほど、オレは自信家じゃない。(byゴルゴ)」んであります。)
ただし、社会全体が私程度のリスク許容度しか持たない人だらけだったら、世界の経済活動の規模は、激しくシュリンクしてしまうはず。世界は、「(100%完全というのにはほど遠い根拠に基づいて)他人を信用する」という行為でその活気を保っているわけでして。
大企業の会計監査をしているパートナーの方とか、海外などにまで支店のある大企業の監査役さんなんてのは、ほんとに頭の下がる思いです。
(ではまた。)

[PR]
メールマガジン週刊isologue(毎週月曜日発行840円/月):
「note」でのお申し込みはこちらから。

監査法人の内部統制(あるいは「人は人を信じるとはどういうことか」)” への2件のコメント

  1. こんにちは。
    私のブログにいつもお越しになられる会計士の先生方から、なにかヒントをいただけたら・・・と思っておりましたが、磯崎先生から頂戴することができ、たいへん感謝しております。裁判官の自由心証との対比は「言いえて妙」ですし、監査法人さんの「社風」のご解説も、かなりイメージがつかめました。(なお、裁判官も「自由心証」とはいいながらも、心証形成にあたっては様々な障碍もありますので、そのあたり、最近の会計士さん方と似たような悩みをお持ちの判事さんもいらっしゃるかもしれません)
    「人は人を信じるとはどういうことか」といった副題をつけていらっしゃいますが、これ、磯崎先生の「最近の内部統制事情」へ向けた大きなメッセージの題名そのものではないでしょうか。他人を信用できるレンジが皆一緒だと経済社会は成り立たないでしょうから、やはり人が人を信用することにメリットがあることをどうやってシステムとして確保していくか、ひょっとしたら、コストがかからないシステムというのは共有する宗教観しかありえないのではないか・・・(じゃあ、日本では?)などと考えたりしております。
    磯崎さんのエントリーを読ませていただきまして、つい先日の私の知り合いの古参会計士さんとのお話を思い出しましたので、また私のエントリーのなかででも、お話させていただこうと思っております。今後ともどうかよろしくお願いいたします。

  2. 監査法人という監査社会

    「人は人を信じられるのか」ということでいえば,「無条件には信じられない」というと