超マイナー事象と、wiki、市場メカニズム(小規模事業者へのブログの影響力:その2)

  • Facebook
  • Twitter
  • はてなブックマーク
  • Delicious
  • Evernote
  • Tumblr

先日の私のエントリ「小規模事業者へのブログの影響力」については、思いのほか、いろいろなご意見をいただきました。
404 Blog Not Found「行列のできないお店の助け方」
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50701199.html

もし自分が気に入ったお店のWeb上での評判が異なるのであれば、自分はそう思わなかったという意思表明をしておくのが今の「ネティケット」かも知れません。
(中略)
だから磯崎さんのentryは、店の名前が出ていない所が片手落ちのようにも思われます。少なくともこれでは一般論として一般ネットサーファーが得る所はあっても、そのお店は救われません。もっとも、磯崎さんの立場上、特定のお店への肩入れというのもしにくいとは思いますが。

(「私の立場」はともかく)、実名を書くかどうかは、私なりにいろいろ考えました。
一つには、このような場合に実名で話をしてしまうと、助け舟を出すつもりが、ヤブヘビになることも多い。まっさらの状態ならともかく、微妙な問題になっている時に実名で助け舟を出しても、「実際行ってみたけど、やっぱりたいしてうまくないぞ」「まずい。氏ね。」ってな「祭り」が発生したりしたら、お店に対して申し訳ないことこの上ない。
実際、思いのほか あちこちのブログ等で取り上げていただいたので、やっぱり、実名書かないでよかったです。
また、私が申し上げたかったのは、個別の「インスタンス(具体例)」である一つの店の話ではなく、「ネットのリテラシーは乏しいが、小規模にビジネスをしている個人事業者的な人」という「クラス」についてだったから、であります。
つまり一般的に言って、「今の時代、ビジネスをする人であれば、ネットを積極的に活用するマインドがあったほうがいい」とは間違いなく言えるでしょうが、「それができないやつはダメなやつ」とまで言えるのか。もちろん、そこまで言いたくはないですが、一方で、現実は、初期条件(最初のコメントがポジティブかネガティブか、ネットに関するリテラシーがあるかどうか、など)の微妙な違いによって、天国か地獄かが大きく分かれる可能性が従来より格段に高まっているかと思います。ただ、そこまでネットの影響を深刻に考えてない個人事業主は、まだ世の中の8割くらいいるんじゃないかと思いますし、「ネットで何も起こらない」可能性が最も高そうでもありますが。
−−−
議論を、より抽象化してみます。

(1) ある事象に関する意見の量が増えていけば、その意見の総体は、必ず、「正しい姿」に近づいていくのか?
(2) どんな事象に関しても、今後必ず、意見する人や意見の量は増えるのか?

換言すると、「wiki的なしくみ」は、どんなささいな事柄の説明にもうまく機能するんでしょうか?
確かに、みんなが知恵を出し合うwiki的なしくみによって、今まで取り上げなかったようなマニアックな事象についても、驚くほど専門家的な知識が形成されている事例はたくさんあるわけですが、だからといって、それはどんな些細な事柄の説明にも適用されうるのか。

なぜ、オープンソースの生産性は高いのか?
身も蓋もない答えを言ってしまおう。
生産性が充分高いプロジェクトしか手をつけられないからだ。

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50617817.html
というお話も、非常に示唆的であります。
翻って株式市場の話。トヨタやソフトバンクについては、株式の取引量(流動性、liquidity)がふんだんにあるので、市場で形成される株価が、その企業の価値を表していると考えても、大きくははずれてないでしょう。
しかし、たとえばグリーンシート銘柄とか、香港のGEM市場など、極端に流動性が低い市場で形成される株価は、どの程度、その企業の価値を的確に表しているんでしょうか?また、将来的には、今のグリーンシート銘柄よりもっと小さいような企業まで、公開して取引することが「世の中のため」になるでしょうか?つまり、企業は情報開示すればするほど、モニタリングや市場メカニズムがより働くでしょうか?
image001.gif
10年前の私の答は「yes」で、シンプルに、「世の中に出回る情報の量が増えれば増えるほど、経済学で言うところの完全競争市場に近づき、世の中『よく』なる」、と思ってました。が、最近は、「社会(人間)が処理できる情報の総量には上限があるんじゃないか」という気がしてます。
(平たく言うと、「みんな、それほどヒマじゃない」。)
ライブドアの第9期の「実態」は、有価証券報告書をじーっと見ていれば、かなり理解できたのではないかと思いますが、無料でダウンロードできるにもかかわらず、20万人の同社株主うち、何人がその開示資料を眺めたんでしょうか。20万人株主がいる会社ですらそうだったとすると、いわんや・・・であります。
つまり、あまりにマイナーなものについては、十分な量の情報が集まらないので、それに関するオープンな情報の総体が、それについての適切な情報に漸近的に近づいていくことにはならないんじゃないかと。
東京のメジャーなレストランについてはネット上の情報を見れば、かなりイメージはつかめるが、岐阜の山奥の駅前のさびれた中華料理屋については、これからも永遠に(web2.0的な)ネット情報では実態がつかめない・・・みたいな。
(ではまた。)

[PR]
メールマガジン週刊isologue(毎週月曜日発行840円/月):
「note」でのお申し込みはこちらから。

超マイナー事象と、wiki、市場メカニズム(小規模事業者へのブログの影響力:その2)” への4件のコメント

  1. 社会が処理できる情報の総量には上限があるという考え方は非常に面白いと思います。しかしこの問題に関しては、完全競争市場に近づくことが世の中が「よく」なることに直接的に繋がっているという仮定の方にさらに大きな問題があると思います。
    ライブドアの20万人の株主達はそれなりに多くが情報を持っていたと僕は考えます。しかし彼らをもっとも動かしたのはそういったグローバルな情報ではなく、ローカルな情報に基づく判断だったのでは?と思うのです。金融の世界は要は勝てばなんでもありです。グローバルな情報が「危ない」と思っていてもローカルが買いムードだったのでは?そしてインターネットが普及したことにより、ローカルと定義できる範囲が圧倒的に広がっていたのでそこをうまく利用したのがライブドアだったと思うのです。もちろん磯崎さんの言われるように情報量過多によってグローバルな情報が無視される傾向にもあったと思いますが、それを誘発したのは他でもないインターネットによるローカルなコミュニケーションの個人に与えるインパクトではないかと思います。人間一人が処理できる情報量は限られています。そしてそのような情報選択のバイアスがかかった個人が積み重なることにより社会全体が処理できるグローバルな情報の量が限られてくると言う結論は出てきてもおかしくないとは思うのですが・・・僕の言いたいことが伝わりますでしょうか。
    魔女裁判やバブルなどの一見不可解な現象もこういったローカルな市場原理に支配されていたのではないかと思います。他にもいろいろありますが僕らの使っているQWERTY配列キーボードも完全競争市場の成果として全く最適とは思えませんし。その辺の複雑系的アプローチが今後CGMを語る上で欠かせなくなってくると僕は思っています。2chや炎上現象などを見ていても完全競争市場のアプローチで語れないことは日に日に増えてきていると感じます。
    以上長文失礼しました。

  2. はい。おっしゃりたいことはよく伝わります。
    ただ、QWERTYや炎上現象等は、完全競争市場の成果というよりも、市場を通さない「外部性」
    http://ja.wikipedia.org/wiki/外部性
    により、経済学の想定する完全競争市場とは異なってきているために発生するお話なんじゃないかと思います。
    もちろん、完全競争市場が最高!かどうかも慎重に考える必要があると思いますが。
    (ではまた。)

  3. >(1) ある事象に関する意見の量が増えていけば、その意見の総体は、必ず、「正しい姿」に近づいていくのか?
    潜在的な総体と、偏りのある実際の総体とでかなり差が出るという問題がありますし、「正しい姿」の正しい定義を我々が持ち合わせていないので本当のところは分からないとは思いますが、統計的にはやっぱり「正しいと思う人が多い」ところへ近づいていくのではないでしょうか?
    おそらくは意見を集める「メディア」の偏向特性によるわけで、インターネットでの「書き込み」というメディアはオーバーなネガティブやオーバーなポジティブになりやすいという特性を持っているんじゃないでしょうか。
    >(2) どんな事象に関しても、今後必ず、意見する人や意見の量は増えるのか?
    これには不同意。人類が処理しきれる情報の総量に言及されていますが、それ以外にも個人が自分のキャパシティまで達する量の情報を処理しようとはしないでしょうし、キャパシティとのトレードオフとは別の次元で好悪等がでてターゲットを選別することも合わせて考えると(2)は無いでしょうね。
    ただし、前回の件に限定すると、人類の情報処理能力を超えた量になるのかどうかは関係なくポジティブ情報をなんらかの形で付け加える必要があるというのが今のネットの有り様だと思います。
    ところで今更ながら気がついたのは、ネットで情報発信って「急激な伝搬」が欲しくないケースがあるんだなぁってことです。件のお店にしてみれば、おそらくは今回のような議論が白熱して「じゃ行ってみよう」という人々が数百人一度にくることよりも、「あそこはいいよね」と思ってくれる「ちょうど良い数の」人々が頻繁に来てくれることを望んでいるんじゃないかなと。つまり情報の伝搬が適度なレベルに維持できることが期待されているように思えるのです。
    その観点からすると「うまい」「まずい」というインフォメーションより「どんな体験ができるのか」「どんな空間なのか」みたいなインフォメーションのほうが生産的だなぁ・・・・。う、話題がずれてきている?

  4. 1.情報量は多いにこしたことはない。ただし重要なのは情報の質なので、いかに必要なものを選り分けるか。そのソリューションの一つがweb2.0では?
    2.その情報に必要性があれば意見する人・意見の量は拡大して行くだろう。幸い情報の受発信コストは極限まで低くなってきている。その量が臨界点を超えたとき有効性が爆発的に高まる。
    いずれにしても、「岐阜の山奥の駅前のさびれた中華料理屋」はもともと商圏も狭くweb2.0など最初から関係ないと思います。