「有限責任」の「気持ち悪さ」

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昨日に続いて、資本主義の「気持ち悪い」制度について。
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「民の試みが失敗に帰したとき—究極のリスクマネジャーとしての政府—」
デビッド・モス (著), 野村マネジメントスクール (翻訳)

より。(文中一部略。)

第3章 有限責任
ハーバード大学の著名な学長であったCharles Eliotは、この制度のことを、「十九世紀に作られたビジネスのための法制度の中で最も効果的なもの」と呼んでいる。
コロンビア大学の学長であったNicholas Murray Butlerは、一九一一年にさらに進んで、「有限責任会社は、近代における最も偉大な『発明』である。これに比べれば蒸気機関や電気の発明も大して重要ではない。有限責任会社がなければこれらの発明も威力を発揮できないのだから。」とまで述べている。

「有限責任」。
うーん、「気持ち悪い」ですねえ。「違和感」たっぷりですねえ。
会社の所有者が「株主」だとして、その「所有者」は会社が潰れようが何しようが、(過去の出資をあきらめる以外は)責任を取らなくていいわけですから。
所有者が責任取らなくていいなんてアリ?会社が潰れて債務超過だったら、株主にも必ず追加で負担を求めた方がいいんじゃないの?「所有者」に厳しくしないと、モラルハザードを起こして、企業に対するガバナンスがきちんと働かないんじゃないの?・・・という気もします。
これは、有限責任制度が導入されだした時期にもそうだったようで。

有限責任制度の機能というのはただ、企業が倒産したときに企業の所有者が、個人的責任を負うことを免除しているだけである。制度自体がデフォルトリスクを消滅させるわけではなく、単にそのリスクを株主から債権者に移転するだけである。経済学的に見れば、なぜ企業の債権者の方が株主よりもリスクマネジメントに長けているのか理解に苦しむ。さらに、なぜ政府がそのようなリスクの移転を促進するために介入しなければならないのかも必ずしも明らかではない。
この最後の問題については、早くも一八五四年に『エコノミスト』誌の編集者たちが取り上げている。彼らの見解では、当時英国で検討されていた有限責任法は、「重要性に乏しい」ものであった。株主と債権者たちはすでに民間市場での契約を通じていかようにもリスクの移転をすることができたのだから、政府の介入は不必要だと彼らは考えていたのである。
この頃までに大西洋を挟んだ旧英国植民地の多くでは、有限責任法を施行していた。そして米国は、世界の主要工業国としての英国の地位を脅かしつつあった。米国の実績に感嘆した英国議会は結局、翌年有限責任法を制定したのである。

有限責任にしたほうが大量に金が集まるので、大規模な会社を運営することができ、経済も発展する。対抗上、こっちもやんないと競争に負けちゃう、ということですね。
「ミクロでは貯蓄は美徳だがマクロでは需要低下によって所得が減少し貯蓄も結局減少してしまう」というケインズの「合成の誤謬」もそうですが、マクロ的にどういう制度が有効なのかというのは、ミクロな日常的な倫理観の延長線上からはなかなか想像しにくいし、実際にやってみないとようわからんというところも多分にあるのではないかと思います。
(本日は、これにて。)

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