証券の「気持ち悪い」歴史

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「少年よ大志を抱け」で有名なクラーク博士はサギで訴えられたことがある(88へぇ)

昨年7月の「トリビアの泉」で、札幌農学校を辞めてアメリカに帰国したクラーク博士が、鉱山会社を起こしたものの失敗して出資者から訴えられ、無罪にはなったものの信用を失い、悲しい人生の末路をたどった、というエピソードが放映されてました。
この話はtrivialというより、証券投資というものの本質の一端を鋭く示してくれるエピソードではないかと思います。つまり、(誤解を恐れずに言えば)、「証券投資」と「詐欺」というのは、外部から見て、もともと極めて判別しにくいモノだからです。

証券とは何か
証券というのは、下図のように「会社」などの資産(原資産)がある場合に、それについての権利を表すものです。
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証券投資というのは、この「紙っぺら一枚の」(近年は紙っぺらすらないこともある)ものに対して投資しようという、極めて「バーチャル」というか「奇妙な」行為なわけです。
おまけに、投資家はこの「原資産」を全部見たこともなければ、その会社の経営陣に会った事すらないことも多いわけで。
何ゆえに人は、そんな危なっかしいものに資金を出すのか?
それは、そこには投資する人の、この「原資産」の価値と、それを支えるしくみに対する何らかの「信用」が存在するわけです。

信用とは何か
「信用」というのは、「情報処理の分業」を支えるものであると考えられます。
アダム・スミスは、分業によって生産が効率化し、産業が発展することを説きましたが、これは「情報処理」についても同様です。これだけ複雑化した社会では、「思考」すら分業しないと生きていけない。また、情報は「複製のコスト」が極めて安いので、情報処理こそ、分業により最も効率化が行えるものなわけです。
ところが、情報処理を分業するということは、(よーくお考えいただければわかるとおり)、「思考停止」と同義です。「自分では考えない」わけですから。他人が行った情報処理を全部自分で再チェックするんじゃ、「分業」にならないわけで。
Googleに投資する人の大半も、「Morgan Stanleyが引き受けてるから」とか、「Ernst & Youngが監査してるから」とか、「創業者2人の目が澄んでいるから」とか、「アナリストが買いだと言っているから」というような、考えて見れば非常に薄弱な根拠の積み重ねで判断して投資をすることになります。

何を信用するのか
「詐欺」か「真面目にやっていたのに失敗した」のかは、結局は、「騙す意図があったのかどうか」という脳の中身の問題に帰着します。複数人が共謀して悪いことを行っていれば、適切な内部統制(洗練された「相互監視」または「チクリ」構造)が構築されていれば、情報が漏れてくる可能性は高くなるわけですが、これすら、「もし全員がグルだったらどーすんの?」というところまで考えれば、その可能性は絶対拭えないわけです。
人が何を信用し何を信用しないかという「スキーマ (schema)」(XMLのスキーマ、じゃなくて、認知科学的な意味でのスキーマ)は、その人の人生の経験によって構築されてきたものですから、いわば、その人の「人格」そのものです。
また、何か新しい取り組みについて「気持ち悪さ」「違和感」を感じるのは、人間および社会の大切な機能ですし、いろんな人がいていい。むしろ、そうした「多様性」が確保されることにより、社会全体が一発で滅びるリスクを減らせるわけです。

資本主義の「怪しい」歴史
資本主義の歴史は、この「信用」形成の歴史、と言うことができるかと思います。
17世紀にイギリスが経営した東インド会社は、20年くらい決算しなかったりしたそうですが、それが近年は、すべての公開会社に四半期決算が義務付けられるところまで精緻化してきました。
また、昔は会社の公表する財務諸表に対する会計監査は義務付けられていなかったのが、世界大恐慌の反省から、公開会社等については会計監査を義務付けることとなり、さらにエンロン事件以降は、会計士の監査すら頭から信じるのはヤバいということで、会計士を5年や7年で交代させたり、企業内部の内部監査体制の強化も義務付けるなど、縛りをよりキツくしてます。
ただし、いくら制度を精緻にしたところで、「思考停止」して「分業」してるわけですから、すべてを悪い方に考えれば、いくらでも悪く考えられるわけです。
こうしたしくみは、初めから縛りをきつくするほどうまくいくというわけではなく、社会の成熟度にあわせて、そろーりそろりとやらないといけない。例えば、東インド会社の時代に四半期決算や会計監査を義務付けたら、クリーンすばらしい社会が出来上がったかというと、そうではなくてむしろ、面倒くささに恐れをなしてリスクにチャレンジするヤツが激減し、社会の発展を阻害したことでしょう。
つまり、その時々の社会のノリにあわせて、チャレンジするやつがいなくならない程度に「自由」で、投資家がビビり過ぎない程度に「ちゃんとしている」というビミョーな塩加減で、「思考停止させるしくみ」を作ってきたわけです。
かように、証券とはもともと本質的に疑い出せばキリが無い「極めて怪しい」ものなわけです。乱暴に言えば、普通株式も「Class B」も「目くそ鼻くそ」(笑)なわけで。
投資家側の懐疑心にも「多様性」が必要なのと同様、いろんなチャレンジも実際に自由に試されてみて、その「多様性」の中から生き延びたものに、「ここまでやっても大丈夫」という「信用」が与えられる、というのが大事なんだと考えます。
(ではまた。)

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